萬葉版画館 宇治美術館118

万葉集14-3399
宇治敏彦制作板画  萬葉集14巻3399
しなのぢは いまのはりみち かりばねに あしふましなむ くつはけわがせ(東歌 作者未詳)
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3か月の大病をして思った「水の大切さ」  宇治 敏彦

  胆石や胆嚢癌の手術、その後の帯状疱疹などで通算3か月ほど病院のお世話になった。たまたまNHKへの出演や政治法律学会の講演準備なども重なって独り入院していても退屈することはなかった。夜中に目覚めて飲んだ冷水のなんと美味しかったことか。
 
  「痩せ細りし両手見て わが病の重きを改めて知る」
 「いつなれば元の身体に戻れるや 医者に問い詰め目覚めたりけり」
 「この痛み消してくれればお好みのスマホ今日にも買って進ぜん」
 「人はなぜ病を得ると悲観して 明日にも死ぬかと思うのだろう」
 「もう良いか、死んでも良いかと問われると 駄目駄目駄目と言うばかり」 
 「対処も知らずひたすらに耐え 次々襲う新病魔 自分で自分が嫌になる」

 2015年、仕事でミャンマーに行った時、「この国は水とよほど縁があるのだな」と思った。水掛け祭りをはじめ水に因んだ行事も多いし、古都バガン近くの大河で船旅をしていると、水浴や洗濯などをするミャンマー人が手を振ってくれるなど、彼らと水は切っても切れぬ関係だと知った。

 「竪琴ひいてビルマに残った水島上等兵 わが故郷はこことばかりに」
 「水 水 水と叫びつつ倒れる兵に スコールが降る」
 「鎮魂碑 灼熱の太陽の下 献水の瓶は乾きおり」

竹山道雄の「ビルマの竪琴」は2回映画化されているが、同僚と別れてビルマに留まる水島上等兵の姿は、いつまでも脳裏に留まる。ビルマ(現ミャンマー)ほど日本兵の鎮魂碑が建立されている国は珍しいといわれる。小生も1992年に第33師団の仲間が建立した「バカン慰霊堂建立之碑」を訪れたが、「鎮魂」という日本語の2字の下にビルマ語と日本語で建立の経緯が石に刻まれていた。
 ビルマ人の僧から線香を求めて墓参したが、40度を超す太陽の下で献水の瓶はからからに乾ききっていた。とにかく熱い。そこを重い銃と装備を抱えて兵士たちは行進したのだから、行軍の途中で倒れた兵士も多々いたに違いない。わが埴輪同人・小榑雅章君の父上も先の戦争で亡くなった。310万人の日本人が戦争の犠牲になった。「水をくれ、水をくれ」と叫んで倒れていった兵士も多かったろう。そこへ東南アジア特有のスコールが急激に襲ってくる。だが、その水は倒れた兵士には間に合わない。

 「故国には帰りたく無し されど生まれ故郷の石岡市は訪ねたい」と50年前にタイの古都アユタヤで会った旧日本兵は言った。敗戦後、中国からタイに単独逃れてきた旧日本軍の軍医だった。彼の小舟に乗って自宅を訪れるとタイ人の奥さんと沢山の子供たち。帰国後に彼の半生を記事にした。幸い野党議員が国会で質問に取り上げてくれて、数年後、彼は一時帰国が許された。

自分の病気のことから話が脱線してしまったが、私が入院中の夜中に飲んだ冷水がいかにおいしかったかを思うと、先の大戦で肉親の名前より「水 水 水」と叫んでなくなっていった先人たちのことを思い起して、何とも胸が苦しくなる。

行政府の長としてではなく、安倍晋三個人の謝罪が必要だ   小榑雅章

森友学園をめぐる決裁文書の改ざん問題で、財務省は、調査報告書と関係者20人の処分を発表した。
佐川前理財局長が「方向性を決定づけた」として、事実上改ざんを指示していたと認定。安倍首相は、「行政府の長として、その責任を痛感している」と述べた、と報道されている。
これって、なんともひどすぎないか。
公文書は国民のものだ。財産だ。それをなかったことにしたり、国会でうその答弁をしている。国民への背信行為であり、犯罪だ。公文書を改ざんしたり削除したり、廃棄したりして、安倍首相の関与をなかったことにした犯罪行為である。
安倍首相は、ぬけぬけと「行政府の長として、その責任を痛感している」と謝ってはいるが、あくまで「行政府の長」としての役職上だけだ。
そうじゃなかろう。問題をすり替えてはいけない。「行政府の長として」ではなく、安倍首相個人、安倍昭恵夫人その人の不祥事が、この改ざんの原因なのである。だから、安倍晋三と安倍昭恵として、国民に謝罪しなければならないのだ。姑息だとしか言いようがない。
そうでなければ、国民の腹は収まらない。また近畿財務局の現場の人たち、まして自殺された方に、顔向けできない。
とにかく、この安倍首相という人の鉄面皮と姑息さには、へきえきする。かつての自民党なら、とうの昔に自浄作用が働いて、辞任交代していたと思うが、いまの自民党には自浄能力はなさそうだ。国民の意識と能力が問われている。

アメフトの日大内田監督とモリカケの安倍首相   小榑雅章


アメリカンフットボールの試合で、日本大学の選手が、対戦相手の関西学院大学のQBの選手に対して、反則の危険なタックルをして負傷させた件が大問題になっている。
今日5月22日に、この宮川選手が自ら記者会見を行ったのを、テレビで見た。
宮川選手は、関学との試合の前の実戦練習でのプレーが悪かったと、監督、コーチからメンバーから外され、さらに内田監督からは、事前に決まっていた大学世界選手権大会の日本代表も辞退せよと指示され、その上、コーチを通じて監督から「相手のクオーターバックを1プレー目でつぶせば試合に出してやる」と指示を受けたと説明。
試合直前にも監督が「『やらなきゃ意味ないよ』と言っていることが伝えられ、さらにコーチからも「できませんでしたじゃすまされない」と言われたと説明していた。
今回の悪質プレーをやってしまったことについては、「監督、コーチの指示があったとはいえ僕がやったことは変わらない。とても反省しています。プレーに及ぶ前に自分で正常な判断をするべきだった」と反省していた。
見ていて、とてもつらい記者会見だった。試合に出たい、代表に選ばれた世界大会に行きたい、と考えるのは当然のことだ。この選手は悩みながら、不正を実行してしまったと反省しているが、悪いのはこの宮川選手ではなく、不正を強要した圧倒的権力者の監督だ。
これを見ながら、まったく別なことを思い出していた。
国有地売却を担当した財務省近畿財務局の男性職員が、今年の3月7日に神戸市内の自宅で自殺しているのが見つかったという報道だ。7日に検察庁に呼ばれて取り調べを受けたあと、自殺。上からの強い圧力で、不正な売却を行わざるを得なかった苦悩の結果の自殺と、言われていた。
この不正な払い下げの元凶は、安倍首相である。安倍首相が直接指示したかどうかが長い間、問題になっているが、首相夫人が名誉校長になっている学校法人「森友学園」への不当な払い下げである。
安倍首相は、自分は指示などしていない。近畿財務局が勝手にやったことだと言い張っているが、直接に指示したか、どうかは問題ではない。首相に近い上層部ほど、首相案件だと思い、現場に実行を迫る図式は、これまでも何回も繰り返されている。そして、もっともつらい役割を強制される末端は、良心と不正の板挟みに苦悩する。
今度の日大の件も、日大広報部は内田監督が学内の調査に「違反しろとは言っていない」と述べたと発表。また、15日付の関学大への回答書には「指導と選手の受け取り方に乖離が起きたことが問題の本質」としている。
問題は、上に立つ絶対優位な権力者が、どういう思惑なのかということだ。その思惑は、コーチに伝わり、選手に強制される。
圧倒的権力者の安倍首相の意向を忖度して、役人は右往左往する。佐川国税庁長官も、柳瀬元総理秘書官も平気でウソをつくのである。不正を実行させられる現場は、結局追い詰められて自殺させられ、選手生活を終わりにさせられるような事態に追いやられるのだ。
それにしても、愛媛県の公的文書に加計理事長と面会の記述が明確に残されているのに、安倍首相自身は会っていないとウソをつき続けて、平気な顔をしている。
日大アメフト問題では、世論も不正追及に熱くなっているが、安倍首相のモリカケ問題も、同じ権力者の不正問題だということを、もっと認識すべきではないか。
これを許していることは、その被害者は、国民全部なのだから。

NET BUZZ▽NHKスペシャル 憲法と日本人~1949−64知られざる攻防 5月17日(木) 23時55分~24時50分

本日5月17日(木) 23時55分から、NHKテレビ1chの「NET BUZZ(ネトバズ)」で、5月3日の憲法記念日に放送された、NHKスペシャル「憲法と日本人~1949−64知られざる攻防」が再放送されます。
NET BUZZ(ネトバズ)」では、ネット上で反響のあった(バズった)番組が再放送されるようですが、この番組はすでに別な形で再放送されています。同じ番組が再再放送されることは極めて珍しく、今日、この「憲法と日本人」の問題が、如何に日本国民として重要なテーマかを示しています。
前にもお知らせしましたが、埴輪同人の宇治敏彦も、この番組に出演しております。どうぞ、お時間がありましたら、ご覧いただきたく、お知らせ申し上げます。(小榑雅章)
番組内容(NHK番組告知から)
憲法施行から71年。護憲か改憲か、国論を二分する攻防が繰り広げられた時代が、かつてあった。GHQの報告書によって憲法制定の過程が明らかになった1949年から、政府に設置された憲法調査会が最終報告書を提出した1964年までの15年間である。新たに発掘したこの間の700点の史料と関係者の証言から、憲法をめぐる日本人の知られざる模索を見つめる。

明日のNHKスペシャル「憲法と日本人」をごらんください

埴輪同人の宇治敏彦が、明日5月3日の憲法記念日に、下記のテレビに出演いたします。
NHKテレビ総合1ch
NHKスペシャル「憲法と日本人~1949−64 知られざる攻防~」
2018年5月3日(木) 20時00分~20時50分

この後、ニュースを挟んでNHKスペシャルはつづくので、それにも出るかもしれませんが、とりあえず、この前半番組の重要な役割を果たすはずです。
憲法改正問題が、安倍内閣の最大重要課題で今後の注目の的ですが、その日本国憲法の成り立ちを知るうえで、重要な番組だと考え、皆様にお知らせさせていただきます。(小榑雅章)

闘う商人 中内功」を読んで  宇治敏彦

中内功
「闘う商人 中内功」 小榑雅章著 岩波書店刊 1800円+税

まだバブル経済の余韻が色濃く残っていた1980年代のこと。赤坂のツインタワービルにあった「狗不理」というダイエー経営の中華料理店で、中内功さんの姿を何回か見かけた。こちらは当時、政治記者で、狗不理に政界の実力者を招いての懇談が多く、経済人とはほとんど面識もなかったので中内さんが小部屋で密談している姿を特に気にも留めなかった。1989年、経済部長に就任した時はバブル経済が頂点に達した頃で、年末の東証平均株価は3万8915円と史上最高値を記録。「年明けには4万円相場か」との声が経済界では飛び交った。しかし、やがてバブルは弾け、ダイエーの本拠地だった神戸を阪神・淡路大震災(1997年)が襲い、上り調子だった中内氏の流通革命にも陰りが見え始めた。
「闘う商人 中内功」(岩波書店、1800円)の著者、小榑雅章氏は1984年に芝公園にもあった「狗不理」で初めて中内さんに会い、協力を頼まれて、「暮しの手帖」社からダイエーに転職した。そして5年後の夏、ダイエーの取締役・秘書室長から同社が神戸につくった流通科学大学の事務局長に取締役兼務のまま転勤した。
当初は中内さんが同大学のため60億円寄付すると言っていたようだが、実際には半分の30億円だった。このため小榑氏は寄付金集めに企業を走り回ったが、神戸市からは「土地代を早く払え」とせかされ窮地に立った。
「これには、全く弱った。相手の立場もよくわかるだけに、参った。できるだけの資金を調達し、日参して頭を下げた。頭だけでなく、膝をつき、土下座して申し訳ないと謝った。土下座なんて、これまでしたことがない。自分の過ちでも頭は下げたくないが、なんで俺がこんなに怒声を浴びせられ、土下座までさせられるのか、内心屈辱で震えた。涙があふれそうで、必死にこらえた」
著者はこう書いているが、早稲田高等学院以来、半世紀以上の付き合いをしていて、彼が土下座した姿など想像もできない。そんなにまでして小榑氏が尽くした中内さんとは、一体どんな経営者だったのか。
「よい品をどんどん安く、より豊かな社会を」。これが終生のモットーだった。神戸三宮の「サカエ薬局」から始まって「主婦の店ダイエー薬局」、さらには牛肉の安売りも手掛ける「ダイエー」へと発展させ、関西だけでなく東京など全国に店を出していった。私が1972年当時、住んでいた調布市の京王多摩川駅の近くにも「主婦の店」はあった。その頃のダイエーグループの売り上げは3000億円を超え、デパートの王者・三越も追い越した。さらに1979年には売上高1兆円を突破した。
そんな発展ぶりを見せたダイエーが、なぜ消滅してしまったのだろうか?
 小榑氏に聞くと「資産は皆、株式で不動産は田園調布の自宅ぐらいだった」という。つまりバブルの崩壊で所有株の含み損がどんどん膨らみ、買収した企業も全部手離さなくてはならなかった。中内さんには潤さんという長男がいて小榑氏らは経営の実権を潤氏にバトンタッチするよう進言した。しかし、中内氏は「泥をかぶるのは俺一人でいい」と拒否した。結局、流通科学大学だけを残してダイエー関連企業を総て売却し、2005年、中内氏は83歳で亡くなった。
 私自身は中内さんと数度しか話したことがない。経済部長になった時、芝の本社に挨拶にうかがったら、自らの伝記本など資料をいくつか呉れてボソボソと経営哲学を話してくれた。隣の部屋に昔のレジスターが十数台も陳列されていたので、「これはダイエーで使っていたものを自らの歴史として残しているのかな」と思った。もう一回は小榑氏に依頼されて中内さんを囲む経済人の勉強会「二一会」で2000年9月に政治・経済の話をした時だ。「公務員の勤務評定には『能率』『納税者へのサービス』といった要素が入っていないのが問題だ」といった話をしたら、ボソボソと中内さんから質問があったが、具体的にどんな質問だったか忘れてしまった。
 「この国のスーパーは俺がつくったんだ」。中内さんの自慢はここにあった、と小榑氏は書いている。その通りだろう。だが、その自負が儲けに繋がる時もあれば、巨額損失・会社倒産に発展する時もある。経済は生き物だ。ルソン島の激戦で二等兵として生き残った中内さんでさえ、ダイエーの店を永続化させることは出来なかった。企業経営の難しさを中内功という人間像を通して改めて教えられる労作である。
 ぜひ一読を薦めたい。

萬葉版画館 宇治美術館117

万葉集3-315
宇治敏彦制作板画 
萬葉集3巻315
みよしのの よしののみやは やまからし たふとくあらし かはからし さやけくあらし あめつちと ながくひさしく よろづよに かわらずあらむ いでましのみや(大伴旅人)
萬葉集6巻910
かむからか みがほしからむ みよしのの たきのかふちは みれどあかぬかも(笠朝臣金村)

岸・アイゼンハワー、そして安倍・トランプ  宇治敏彦

 安倍晋三首相が4月17日から20日まで訪米する。トランプ米大統領のフロリダの別莊マルアラーゴでゴルフもしながら丸2日間、みっちり懇談する予定という。この背景には「安倍首相の焦りがある」という見方がもっぱらだ。
 先に中国を電撃訪問して習近平総書記(国家主席)と首脳会談を行った北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は、4月27日に韓国の文在寅大統領と初の首脳会談を予定している。また5月には史上初のトランプ大統領と金正恩委員長のトップ会談が北欧で実現するとされている。南北朝鮮や米国、中国が「北朝鮮の核開発」問題をめぐって積極的な外交戦略を展開している中で「日本だけが取り残されている」との焦りが安倍政権だけでなく、野党や世論の間で高まっているのが現実だ。
 北朝鮮に家族を拉致されている留守家族の間でも「このままでは拉致された日本人は永久に帰ってこない」と、安倍首相にも強く要望した。
 ところが安倍政権は「トランプ頼み」で、独自の対北朝鮮外交をいっこうに展開出来ないでいる。それどころか韓国にも「慰安婦問題」のしこりがあって腹を割った日韓首脳会談が出来ないでいるのが現実だ。
 安倍首相の祖父・岸信介元首相は1957年7月、東南アジア歴訪のあと訪米してアイゼンハワー大統領と首脳会談を行った。この時、アイクの招待で日米首脳ゴルフが行われた。岸元首相は自伝にも書いているが、「ここでミスショットでは日本の恥だ」と思って、「ティー―ショットを打つとき那須与一が屋島の戦いで平家の小舟に掲げられた旭日の扇を射落とした」ことを思い、ゴルフボールがまっすぐ飛んでくれと念じたという。(それは良かったのだが、岸首相の同行者がミスショットを繰り返し、アイクが「良いんだ良いんだ、ここは何回打っても」と慰めたとか)。この時の首脳会談では「日米新時代」を確認し、岸首相は日米安保条約の改定を米側に提案した。
 「安保改定」は日米問題だから岸・アイゼンハワー会談のテーマになるのは自然だが、「日本人の拉致問題」となると、トランプ大統領も金正恩委員長に「日本側の希望」として伝えることはあっても、それ以上に踏み出すことは難しかろう。拉致問題は、やはり安倍首相をはじめ日本政府や世論が直接、北朝鮮に働きかけていく以外にない。その点は小泉純一郎首相時代の初訪朝(2002年9月17日)による拉致問題の打開に学ぶべきだ。
 「安倍首相よ、トランプ頼りでなく、自ら日朝関係打開に動け」と言いたい。

言論の自由を封殺する恐れの自民党憲法草案   小榑雅章

先週の3月22日、新聞各紙は、「自民党の憲法改正推進本部は、9条改正案として、戦力不保持を定める2項を維持して「自衛隊」を明記する方針を決めた。それは、新たに9条の2を設け、必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織」と位置づけて自衛隊を保持する案に決めた」と報じている。
これは大変なことで、国民の重大な関心を集めている。その陰で、あまり騒がれていないが、じつは憲法9条改定と変わらないほど重大な改定案が盛り込まれているのだ。
それは21条表現の自由という条文である。
現行の憲法の21条は
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

それを自民党は次のように変えようとしているのである。
自民党案の21条は
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにこれを目的として結社をすること は、認められない。
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

この新しく付け加えられた第2項に注目して頂きたい。
 「公益及公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにこれを目的として結社をすることは、認められない。」とあるが、「公益及公の秩序」とはいったい何なのだ。誰が「公益かどうか」を決めるのか。どのような理由で「公の秩序」と認定するのか。
時の政府が、自分たちの都合の悪いことや意見の違ったことを「公益に反する」と決めたら、その集会や結社は、禁じられるのか。
そこのところをきちんとしない限り、言論の自由、集会結社の自由は危うい。

戦前に治安維持法という法律があった。
大正 14年にできた法律で、思想運動,大衆運動弾圧の根拠となった法律である。
「国体ヲ変革シ,及ビ私有財産制度ヲ否認セントスル」結社や運動を禁止するための法律で、違反者に懲役 10年以下の実刑を科した。さらに 次々と法改正を行ない、「国体変革」の罪には死刑をも適用することにした。
怖いのは、本人の意図に関わらずある行為が結社の目的遂行のために行なっていると勝手に当局が見なせば、自由に検挙できる「目的遂行罪」が加わったことだ。
つまり、自民党の憲法21条案は、この「目的遂行罪」の恐れがある。
「公益」にも「公の秩序」にも明確な規定がなく、時の権力が自分に都合よく解釈しかねない。戦前の歴史が多くの前例を残している。「公益及び公の秩序を害することを目的」と当局が見なせば、勝手に検挙できるかもしれないのだ。まさに治安維持法の「目的遂行罪」に変身しかねないのである。
治安維持法は、第2次世界大戦後の 1945年 10月に廃止されるまで、思想、学問、言論、表現などの自由への弾圧の法的根拠となった。そのための逮捕者は数十万人といわれ、拷問などで獄死した者は400人以上とされている。
9条改悪も許されないことだが、この21条の改悪も、絶対に認めてはいけない。
言論の自由、結社の自由こそ、民主主義の根幹なのである。このことが、保障されない憲法など、とてつもなく恐ろしい。絶対に認めてはいけない。
新聞社や放送局、ジャーナリストたちが、なぜ「大問題だ、驚くべき時代の逆行だ」と主張し、反対しないのだろうか。

 国民の不幸   小榑雅章

神戸製鋼の社長が交代するという。
先週、3月16日、後任の社長に就任するという山口貢副社長が記者会見し、「企業風土の抜本的な改革を進めることが私の責務だ」と述べ、改革を断行する意向を示した。
神戸製鋼は、昨秋、自社が製造するアルミや銅製品、鉄粉などの製品の品質の強度、耐久性などについてデータを改ざんしていたことが、内部告発によって発覚した。これらの偽装、改ざんされた製品は、トヨタ自動車やボーイングや日産、三菱重工業、東海道新幹線のJR東海など約500社に及ぶ。
じつは、この時期、三菱マテリアル、東洋ゴム工業、東レ、旭化成、三菱自動車など、多くの企業のデータ偽装事件が、立てつづけに発覚した。多くは、ネットでの告発や内部告発だった。
どこも、一流の錚々たる大企業である。その名前だけで、信用されるような会社ばかりだ。
ところが、どこもデータの改ざん、つまり、うそをついていた、偽りだった、ということだ。ごめんなさい、ではすまない犯罪行為である。
日本の製品は大丈夫なのか、世界中にこれらのニュースは広がった。戦後、長年培ってきた日本企業の製品に対する信頼は、一挙に揺らいできた。
どこかおかしい。なにか、ゆるんでいる。と思ったら、「モリかけ」問題だ。
「学校法人森友学園の用地取得の経緯ならびに学校法人加計学園の獣医学部新設に関する経緯に安倍晋三内閣総理大臣の口利きがあったのではないかという疑惑の総称。いわゆる森友問題と加計問題。」と、ネットの辞書にも載っている。(新語時事用語辞典)
そこへ、さらに大変なことが加わってきた。財務省の公文書書き換え問題が発覚した。国家の中枢が、堂々と偽装、改ざんを行ったのだ。
タガが緩んでいる、などの話ではない。めちゃくちゃだ。犯罪である。
今度の問題の深刻さは、神戸製鋼などの企業不祥事とは根本的に異なる。
企業の改ざんや偽装は、直接には国民には影響はない。その企業が売れなくなったり、損害賠償などで減益などの自己責任で収支を合わせる。
しかし、われわれの総理大臣のお友達ごっこの不祥事の尻拭いに、どうどうと法律が捻じ曲げられている。許可できない案件に許可が与えられ、あっという間に大学をつくらせ、土地をただみたいに値引きして小学校を造らせるなどという邪道がまかり通るのは、絶対に許されることではない。国民の政治が、公平に行われていないということになる。
身内やオトモダチの利益のためにマツリゴトを行っているということだ。まっとうな政治が行われていないということなのだ。
安倍総理大臣閣下は、自分は何も悪いことはしていない、やれとも、やってくれとも指示していない、みんなが勝手に忖度して、勝手にやっただけだ、と胸を張っているが、その認識が間違いなのだ。自分にはなんら落ち度がないという、その神経がわからない。
上に立つ者、部下が忖度をして自分におもねった判断をしたら、恥ずべきなのだ。その忖度させたのは己の至らなさだと、恥じて謝らなければならない。自分は依怙贔屓をするような人間に見られているのだと反省し、自ら襟を正さねばならないのだ。
それなのに、えらそうに勝手に忖度したのだから、財務省が悪いので、自分は全く悪くない、と開き直っている。しかも、自分だけ悪者にされると遺書を残して亡くなった担当者に、総理大臣はどのような謝罪が出来るというのか。
こんな総理大臣をいただいている国民は、誠に不幸だ。

萬葉版画館 宇治美術館116

万葉集4487
宇治敏彦制作板画 萬葉集2巻2282
いざこども たわわざなせそ あめつちの かためしくにぞ やまとしまねは(藤原仲麻呂)

「福島の魚は安全」なら安倍首相は文韓国大統領に輸入を働きかけよ    宇治 敏彦

 東日本大震災から7年経つ。最近、経済産業省原子力発電所事故収束対応室の橋本諭調整官と東京電力福島第一廃炉推進カンパ二―・プレジデント(廃炉・汚染水対策最高責任者)の増田尚宏氏から「福島第一原子力発電所廃炉・汚染水対策の最新状況」についてレクチャーを受ける機会があった(3月2日、在日外国人記者を対象にしたフォーリン・プレスセンターでの会見)。
 両氏とも廃炉作業が順調に進んでいると説明したが、筆者が気になった一つは汚染水問題だった。汚染水を漏らさないために海側遮水壁を2015年10月に完成させたほか汚染水を浄化した後に残る処理水をタンクに溜めている。浄化してもトリチウム(三重水素)という放射性物質が残るので海に流すわけにはいかないのだ。その処理水の量は現在約100万トン。数年後には貯蔵タンクを増設する場所もなくなるという。
 そこで浮上しているのが処理水を海へ放出するかという問題だ。「トリチウムの濃度を薄めて放流すれば問題ない」との意見も原子力規制委員会内部にはあるという。
 しかし、この問題では過去に苦い経験がある。原発事故直後に汚染水の海洋放出が報道されると、多くの国が日本からの魚類などの輸入を禁止した。今も韓国は福島産の海産物輸入厳禁を維持している。
 これから韓国では平昌(ピョンチャン)パラリンピックが開催される。先に日本勢の活躍が目立った平昌オリンピックでは、日本のテレビ報道陣が韓国内の料理店をルポしては魚料理がいかに美味しいかを盛んに報じていた。安倍晋三首相も平昌五輪の開会式に出席し、文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領と会談した。
 東電や日本政府が「福島の海は汚れていない」というのなら、こういう機会に「福島産の海産物の輸入禁止を解除して欲しい」と申し入れるべきではなかったか。
 文大統領も「了解しました」と答えるとは思えない。食の安全問題は、政治的解決とはいかないのだ。100%の安全が立証されてこそ韓国側も福島への態度を変えるだろう。 

シリアの惨状と3月10日東京大空襲    小榑雅章

テレビに映し出されるシリア市街の悲惨な状況は、直視するに堪えません。
NGO「シリア人権監視団」の2月28日の発表によると、2月18日以降に爆撃で死亡した住民は子ども147人を含む602人。国連安保理は24日にシリア全域での停戦決議を採択したが、政権軍側は空爆や砲撃を続け、67人は決議採択後に死亡した、ということです。
今すぐにでも、こんな惨状は止めなければなりません。
いかように、わが方が正義だという主義主張があろうとも、この住民の人たちに苦しみを与えていいという根拠にはなりません。
この悲惨な市民にとっては、政府側であろうと反政府であろうと、とにかく戦争をやめてくれ、どっちでもいいから、戦争は嫌だ、と思っているのです。
翻って、平和な日本のみなさんは、このシリアのどう思っているのでしょうか。
私たちとは無関係だ、かわいそうだから、早くやめればいい、ということでしょうか。
でも、他人ごとではないのです。
太平洋戦争中の沖縄は、こういう状態でした。
間もなく来る3月10日は東京大空襲の日です。73年前のこの日、B29からばらまかれた焼夷弾で東京の3分の1が焼失しました。死者は8万4千人、被災者は100万人。
私は、この時、燃えるわが家から必死に逃げだし、燃え盛る町を火の粉を浴びながら逃げました。その記憶が、シリアの崩れた市街地に重なります。
そして、原爆が広島、長崎に落とされ、日本中の町が空襲で焼かれました。
そして8月15日。敗戦。
日本は何のために戦ったのでしょうか。お国のためだ、と言われました。でも、お国とは何だ、国民をこんなに苦しめるお国とは何なのだ、と思いました。
鬼畜米英、鬼と言われたアメリカに統治されて、日本は平和になりました。お国のために悲惨な目にあい、鬼と思っていた米国に平和をもらったのです。変ですよね。
お国を守れ、と私の父は召集され戦死しました。何を守ったのでしょうか。何のために死んだのでしょうか。
戦争が終わり、日本人は、やっと終わった、もう戦争はイヤだ、と思いました。正直、庶民にとって、平和なら日本だろうとアメリカであろうとどっちだっていいのです。何が大事かと言ったら、国のメンツや主義主張ではなく、庶民の暮らしが平安なら、いいのです。
戦争だけはごめんだ、シリアの惨状を見て、あらためてそう思いました。

萬葉版画館 宇治美術館115

万葉集2-0002
宇治敏彦制作板画 萬葉集2巻2
やまとには むらやまあれど とりよろふ あまのかぐやま のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ うなはらは
かまめたちたつ うましくにそ あきづしま やまとのくには(舒明天皇)

我々は日本の「余剰幻想」から抜け出そう   宇治 敏彦

 新年早々の悲観論で申し訳ないが、安倍首相はじめ政治家だけでなく、官僚も経済人も労働界も、そしてマスコミも「日本の未来」に関して、もっと深刻に考え、早急に「日本再生計画」を国民のコンセンサスとして築き上げるべきではないだろうか。そうしないと日本は今世紀中に間違いなく「沈没国家」、そうでなくとも「浮遊する元『先進国』」の名前をかぶせられていくことになるだろう。
 何が、そんなに心配なのか。
 第1は「人口減少」。遠からず日本の人口は1億人を切る。人口の多い少ないが国家パワーの全てではないが、第2次世界大戦で敗れた日本が1945年8月の廃墟の中から世界第二の経済大国(現在は第三)まで成長できたのは1970年(昭和45年)の国勢調査で人口1億人突破が確認されたことに象徴される「人口力」の拡大が大きく影響している。ただ人口が増えただけでなく、一人一人の国民が真面目に働き、良質な新製品を産み出してきたから「made in Japan」が世界中で評価され、日本の経済発展につながった。
 それから半世紀近く経ち2015年時点で世界の人口は10億人増加し74億人になった。だが日本は逆で、世界に11か国ある「1億人以上の国家」から転落しようとしている(政府の予測では2050年ごろ1億人を切る)
2017年に国内で生まれた日本人の子供は前年より3万6000人少ない94万人強にとどまった。2年連続で出生100万人割れだ(厚生労働省の推計)。1970年代前半には年間200万人生まれていた。一方、死亡者数は前年より約3万6千人増え、戦後最多の134万4000人。生死の差し引きで昨年は日本の人口が約40万人減少したことになる。
 人口は急に増えるものではない。着実な対策が不可欠だが、特に「貧困対策」をはじめ多方面の施策が急務だ。安倍内閣が「教育費無償化」対策を打ち出したのも、その一環だろう。筆者は最近、自民党幹部の一人に「結婚し子供をつくった低所得の夫婦には一定年数、所得税を控除するぐらいの大胆な政策を実施しないと出生率の向上は難しいのではないか」と進言した。その幹部は「フランスではそうした施策で出生率を上げた。日本でも必要になるかもしれない」と述べていた。
 厚労省推計では2017年に結婚した夫婦は前年より約1万4000組減って60万7000組。これでは驚くほどの優遇策を取らないと、日本人は将来「絶滅人種」になるかもしれない。
 第2は「財政再建」。国会で審議が始まる2018年度政府予算案は97兆7128億円と過去最大規模だが、収入の3分の1は国債である。経済界でも「2020年度の基礎的財政収支の黒字化は困難になった」(三村明夫日本商工会議所会頭)との見方が強い。日本の潜在成長率は0・69%。成長率が鈍化したとはいえ毎年6%台の成長率を維持している中国とは大きな違いだ。
5年前の2013年に安倍政権は金融緩和、財政出動、成長戦略の3本の矢による「アベノミクス」を打ち出し、株式市場の活性化などをもたらした。しかし、個人消費の拡大にはつながらず、財政健全化も先送りされたままである。
第3は「世界を席巻するヒット商品が出ない」ことだ。学者たちの分析によれば「現在、人類社会は第4次産業革命の只中にいる」(宇野重規東大教授ら)という。第1次産業革命(蒸気機関車の発明など1760年代~1840年代)、第2次産業革命(電力による大量生産が行われた19世紀後半から20世紀初頭)、第3次産業革命(コンピュータ、インターネットによる20世紀のデジタル革命)、そして今日の第4次産業革命(モバイル化、小型化したネット機器や人と物を結び付けるIoT=インターネット・オブ・シングズ)である。
1970年代にはソニーの「ウオークマン」をはじめ多品種のヒット商品がメイド・イン・ジャパンとして世界へ飛び出していった。だが今日、外国でも流行る日本製はアニメや漫画などに留まっている。
最近、「余剰幻想」という表現を耳にした。1月16日にホテル・ニューオータニで開催された「日本アカデメイア」(日本生産性本部後援)で宇野教授らがまとめた「未来への責任」というメッセージが紹介された。
「未来を占うことには限界があるが、確かなことは、われわれが大きな転換期にあること、自己改革と新しいグローバルな取り組みの必要性を示すサインが随所で鳴り響いているということである。日本社会は一見こうした世界の変調とはまったく無縁で、まるで小春日和を楽しむかのように余剰幻想に頼り、『この今』の満足感に浸っているように見える。しかしこれは『未来への責任』を果たすこととは大きくかけ離れている」
未来へ向けての心配事は前記の3点のほかにまだまだあるが、私たちが1960年代から80年代当時の「余剰幻想」に浸っているとしたら、まずその幻想から抜け出さなければなるまい。

経団連新会長は、存在意味があるのか   小榑雅章

経団連次期会長に日立製作所の中西宏明会長が就任決定、と大きく報道されています。
かつて、経団連会長は財界総理と言われるほどで、政界にも日本経済の動向にも大きな影響力がありました。しかしいまは見る影もなく衰えて、おやまあ、まだ経団連会長なんて、ニュースに登場する価値があるのか、という気がします。
経団連の榊原会長は、次期経団連会長について(1)日本を代表するモノ作りの製造業(2)国際的に知名度があるグローバル企業(3)安定した黒字企業--の3条件を必要条件に挙げて、日立製作所はこの3条件を満たしているので、会長就任に決定したそうです。
3条件の第一の必要条件が「日本を代表するモノ作りの製造業」だそうですね。
なんとまあ、時代錯誤も甚だしい。あまりに時代とかけ離れた発想で、あきれるしかありません。
改めて榊原会長に伺いたいのですが、「モノ作りの製造業」というのは、日本を代表する産業なのでしょうか。産業構造を引っ張り出すのもはばかられますが、経団連会長が財界総理と言われて、総理大臣も頭が上がらなかった頃の石坂泰三会長や土光敏夫 会長のころの1970年代80年代は、製造業がGDPの4割を占めていた時代です。輸出産業としても花形で、まさに国家の経済を支え国民の就労機会をもたらしていた基幹産業でした。
ところが、いまはどうでしょう。
モノづくり製造業は減少の一途で、GDPの2割しかありません。今やモノづくりではないサービス産業の割合が、GDPの7割を占めているのです。
にもかかわらず、経済の総本山などと言って、会長の必要条件の第一がモノ作りの製造業というのですから、こんな人たちが経済の舵取りをする日本の行く末は暗澹たるものです。
その上、モノづくり日本企業を代表する大会社が次から次と不祥事を起こしています。
経団連榊原会長の出身企業である東レは、昨年の11月28日、子会社の東レハイブリットコードが、製品の検査データを改ざんしていたと発表しました。社内検査で発覚したが、東レは不正把握から1年以上も公表していなかったこともわかりました。
神戸製鋼は昨年10月8日、同社が500社以上に納入していた一部の製品について、品質、強度、耐久性についてデータ改ざんがあったと発表しました。アルミ製品のデータ改ざんは10年ほども前から行われていて、納入先には、ボーイングや日産、トヨタが含まれていました。
三菱マテリアルは11月23日に、子会社の三菱伸銅と三菱電線、三菱アルミニウムが、自動車や航空・宇宙分野向けなどの部材で検査データを改ざんしていたと公表して謝罪。
日産は無資格検査問題を受け購入後に一度も車検を受けていない約120万台について リコールを昨年9月29日に届け出ました。
日本を代表するモノづくり企業が、つぎつぎとこれほどデータを粉飾していたりルールを破っていることは、企業としての信頼を根底から失っているということです。
モノづくり企業中心の時代遅れの集まりの経団連なんて、もう解散した方がいいのではないかと思えてなりません。

萬葉版画館 宇治美術館114

萬葉版画館 宇治美術館115
宇治敏彦制作板画 萬葉集3巻271
さくらだへ たづなきわたる あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる(高市黒人)

安倍政権は国民に「納税義務」を求める資格があるのか   宇治敏彦

 今年も間もなく確定申告の時期がやってくる。昨年末に税制改革案がまとまり、所得内訳書の形式も変わるというので、納税者は手間が増えるだろう。だが、それ以上に筆者が強く懸念しているのは「国民の納税意欲が大幅に減退するのではないか」ということである。
 なぜか? 俗に「モリカケ問題」といわれている森友、加計問題に生活者の怒りが収まらないからだ。
 「毎年、無難な報告しかしない」とマスコミの間で毎年、評判が芳しくない会計検査院の年度報告だが、昨年11月に発表された平成28年度会計検査報告では森友問題について①8億円値引きの根拠が明らかでなかった②資料が十分残っていないので検証できない―などと文科省や安倍内閣の対応に疑問を呈している点で新鮮味があった。
 すなわち大阪の森友学園が学校新設のために購入した国有地は、本来9億5000万円の価値があるところをゴミ撤去費用として8億2000万円と大幅値引きがなされ、なんと1億3600万円(当初評価額の14%)であった。
 一方、今治市における加計学院グループの岡山理科大獣医学部新設をめぐる問題では「総理の御意向」という文書や和泉洋人首相補佐官の発言も国会で追及され、「忖度」という流行語まで生まれた。この点にかんしては会計検査院報告では触れていないが、前川喜平・前文科事務次官が「文書は確実に存在する」と証言しており、加計光太郎理事長と首相が米国留学時代からの親友で、しばしばゴルフや会食を楽しんでいることは周知の事実である。「李下に冠を正さず」という政治を行わなければ、納税者たる国民も進んで国税、地方税を納めようという気持ちにはなるまい。
 森友問題の背後には安倍昭恵夫人、加計問題の背後には安倍首相自身が「忖度」を含めて深くかかわったことは大半の国民が承知している。「権力者を利用し、繋がりをもっていれば大きな便宜供与をはかってもらえるのか。それでは真面目に働くことが馬鹿らしくなる」と庶民たちが思い始めたら、「納税義務」を真面目に果たそうという気分にはならないのではないか。
 今年春の確定申告を筆者が注視しているのは、以上のような理由からである。

改憲の是非を決めるのは「政府」でも「国会」でもなく「国民」である   宇治敏彦

 安倍晋三首相が1月4日、伊勢市での年頭会見で「今年こそ憲法のあるべき姿を国民に提示して憲法改正に向けた国民的論議を一層深めていく」と述べ、改憲への意欲を見せた。政府・自民党首脳としては22日から始まる通常国会、ないしは秋の臨時国会で改憲原案をまとめ、①衆参両院の憲法審査会で過半数の賛成②衆参両院本会議でそれぞれ3分の2以上の賛成を経て、③国民投票にかける、ことを想定している。
 だが政界でも安倍首相の想定する段取りに疑問を呈する向きがある。第1に足許の自民党内でも石破茂氏のように「第9条(戦争の放棄)の2項をそのままにして自衛隊の存在を明記するという安倍首相案のような妥協案でなく、2項そのものの改定を考えるべきだ」という主張があって自民案の確定まで曲折が予測されること。
 第2に、連立政権の一翼を担っている公明党が、こと改憲問題に関しては従来になく慎重姿勢をとっていること。特に山口那津男代表は「与党間で何かを行うことは前提にしていない」と述べて、自公両党での改憲案づくりに慎重姿勢をとっている。その背景として「これまで公明党は安保法制も含めて安倍自民党に足並みを揃え過ぎてきたのではないか。だから昨年の衆院選でも公明党の議席を減らす結果になった」との冷めた声も聞こえてくる。
 第3に野党の立憲民主党や共産党は、もとより安倍改憲案には正面から反対だ。最近、立憲民主党内では「昨年の国会冒頭解散にみられるような大義なき首相の解散権乱用こそ憲法で規制すべきだ」といった改憲案も出ている。
 こうした政党事情からしても国会論議が改憲へ、改憲へと一直線で進むとは思えない。それなのに公共放送のNHKも含めてマスコミ数社が結果的に改憲ムードをあおっているかのように映るのは私だけの見方だろうか。
 最近の世論調査結果をみると、憲法9条については「改憲の必要ない」(53%)が「必要」(41%)を12%上回っている(日本世論調査会の昨年12月9、10日、全国調査)。一方、日経新聞の昨年12月15~17日調査では9条改正の安倍首相案に「賛成」46%、「反対」39%と安倍案同調派がやや上回っている。
 こうなってくると一番重要なのが、国民投票になった時の有権者の判断だ。大きな視点でいえば「戦後70数年、非武装中立の平和主義を貫いて中国、韓国をはじめ近隣国に軍事的脅威を一度も与えたことがない日本が、その誇りを死守するのか」、それとも「北朝鮮の最近の軍事的脅威の増大などに鑑みて日本も軍事大国への舵を切り、憲法を変更するか」。 
 その選択を迫られる国民が冷静で的確な判断が出来るように今から勉強しておくことが最も重要だろう。9条を守るか、変えるか。それは安倍首相が決めるわけではない。国会が決めるわけでもない。あなたがた、君たち、僕ら国民が決めることなのだ。

62年前東京都心の正月風景   宇治敏彦

「埴輪」読者の皆さん、あけましておめでとうございます。2018年(平成30年)は、内外とも波乱含みですが、「平和ファーストの日本」「戦火を交えぬ世界」であって欲しいと願います。
旧臘からの休みを利用して資料を整理していたところ、早稲田大学付属高等学院3年生だった頃の日記が出てきました。その中に62年前の1956年(昭和31年)正月の記録があったので、当時のことを思い出してみるのも一案と思い、一部を再録します。同年1月5日に「埴輪」同人の小榑雅章君と二人で長島健先生(歴史担当。後年、学院長)のご自宅を訪問しました。「葡萄酒、ウイスキー、日本酒ですっかり顔を赤くし、ズキズキと頭を針が刺すようで、帰りの冷たい空気がまことにおいしかった。駅前の『ドン』で女子プロレスのテレビを見て、その凄さに恐れ入った。東京駅まで中央線車中で小榑君と私小説について談じた。今夜は気分よろしく、心の底まで明るい思いのする日であった」と記していました。
 その2日後の日記に当時の都心の情景を記録していたので、62年前の東京都心の情景を知る一端として再録することにしました(当時の表現のままなので、不適切表現がありますが、ご容赦下さい)
「1月7日 晴れ
朝、長島先生に礼状を出してから東京へ出た。このところ毎日出かけねばならないが、さして苦痛でもない。かえって都会の空気の方が新鮮なくらいだ。有楽町で降りてから有楽座の前を通って日比谷公園の方に出た。帝国ホテルの前をゆっくり歩いていくと、外人の姿が目に付く。彼らは胸をはり、手を振って大股で歩いてゆく。それに比べると日本人はどうだ。こそこそと足早に猫背の背中をなお丸くして今にも前に倒れそうな格好で歩いていく。それ以外の日本人は、胸を張って歩いてゆく外人に、黙って手に持っている品物を出し買ってくれとせがむパントマイムのおばさんか、『シューシャイン、シューシャイン』と何回も繰り返しながら外人の後を追っかけていく靴磨きのお姉さんたちである。
 内幸町の都電の停留所を左に曲がり、国税庁の先からまた左に曲がって、国電のガードを仰ぎ見ながら、いろいろな新聞社の発送所の横を通り過ぎていく。夕刊の発送にはまだ間があるのか、暇そうな人たちが談笑している。そのガード下に一軒のパン屋があった。昼近くなので近くに働く小僧さんたちがその店先を取り囲んでいる。食パンにジャムをつけてもらったり、コッペパンにハムを挟んでもらったりして、あせた紫色の薄紙に包んだパンを大切そうに抱えながら、どこで食べるのか、嬉しそうな顔をしながら足早に立ち去って行く。
 山下橋の際に立って、さてどっちへ行ったものかと数分間、橋脇に立ち尽くしていると、オフィス勤めの男の人やユニフォームを着た女の人が昼食を食べに付近の食堂や喫茶店に入っていく。そういえば、さっきから橋のそばの大きな蕎麦屋ではウインドー越しに小僧さんが粉を手で延ばしているのが見える。
 山下橋を渡ってから右に曲がり電通ビルに沿って真っすぐ歩いていった。長い。いろいろな会社が一つの長屋に同居しているのだ。その長屋の端まで歩いていった。暑い。手袋とマスクを取ると、ひやっとした冷たい空気が体の奥深く浸み込んでいった。
 新幸橋の前に出た。橋は工事中で、そこここにこれから使うらしい鉄材や木材が空き地に並べてあった。一人の中年男はハンチングをかぶって工事をじっと見つめていた。視線を下へ下ろしていくと、右手にパイプを持ち、左手に設計図らしき図面を持っているのが目に入った。ああ、この男が現場監督だな。
 新幸橋を渡って、すぐ右手に折れると今度は右手に電通ビル、左手に国電のガードを見ながら歩いていくことになる。ここには目立った店も倉庫もなかった。半ば行くと左手にカルチャーセンターと書かれた米会話の講習所があった。私はそこへ昼食を食べに食堂にでも入っていくかのように何気なく入っていった。
ウソ!私は『何気なく』ではなかった。ああ、ここだったのか。実は有楽町の駅を降りた時からここを探していたのだった」
 すっかり忘れていたことだが、高校時代の筆者は学院で英会話の先生だったベーカーさんの江古田の御自宅に同級生と通ったほか、この有楽町の米会話学校に入校し、ギボンズ氏という25歳のアメリカ人から英会話を習っていたのだった。この日記帳によれば、私が来日した時の東京の印象を聞いたのに対して、彼はこう答えている。
 「小さな家々が並び、しかもペンキを塗ってない家。貧しい小さな国という印象だった。丸の内は大きな美しい都会だ。そして黒い服を着た兵隊さんが沢山いる。あれは何隊の兵隊なのだ? 後で知ったよ。あれは日本のスチューデントなんだと、ハッハッハ」
 彼は2年前にニューヨークからやって来たアメリカ人だった。当時、私は横浜の鶴見に住んでいて京浜東北線、中央線で飯田橋まで行き、そこから都電に乗って早稲田に通っていた。昭和31年から都電の運賃が3円値上げになった。川柳づくりが趣味だった父に倣って「三円分速くなったか首傾げ」という川柳をつくった。当時は電車の中でも喫煙が許されていた。「車中にて煙草吸いたる顔みればいずれも何処か間抜けていたり」との狂歌をつくった。まだニュース映画館が残っていた時代で、「有楽町に着いた時はまだ米会話の時間までに間があるので日劇下のニュース映画館に入ってスクリーンに見入った」(1月24日)とある。さらに電光ニュースが英文でも表示されており、2月1日の日記には「昨夜、有楽町の電光ニュースでWETHER FORECAST TOMORROW CLOUDY, AFTER RAIN OR SNOWとあったので今日も雪かもしれない」と記していた。
 1956年といえば政界は鳩山一郎内閣で、7月に出た経済白書では「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になり、12月には日本の国連加盟が実現した。しかし、自分の日記を読み直してみて、「シューシャイン、シューシャイン(靴磨きはいかが)」と米兵たちにねだる女性たちの姿などGHQ(連合国軍総司令部)統治の残り香がまだまだ根強く残っている時代だったのだなと改めて実感した。
 日記の効用もあるものだ。この日記帳が出てこなければ、1956年当時のことなど全く忘れていたといっても過言ではない。昨年まで使っていた「10年日記」が終わったので、新たに1年物にするか、3年物にするか、5年物にするかと迷ったが、欲をだして「10年日記」を再び買ってしまった。新しい日記帳が埋まるまで自分が生きているかどうかは天のみぞ知るだ。だが1年日記や3年日記では自分が死に急いでいるような気もする。戦後最大の曲がり角を迎えている平和国家・日本の一日一日を記録していくことが一ジャーナリストの使命ではないかという気持ちで「10年日記」にした。
 

ノーベル賞作家イシグロ氏から学ぶこと   宇治 敏彦

 筆者の勉強不足からカズオ・イシグロ氏がどんな小説を書くのか知らなかった。今年度のノーベル文学賞に選ばれたのを機に2つの作品を読んでみた。「遠い山なみの光」と「浮世の画家」(ともに早川書房)である。日本の長崎に生まれ、5歳で家族と共に英国に渡り、現地の大学と大学院で文学や創作を学び、デビュー作の前記「遠い山なみの光」で王立文学協会賞を受賞した日系英国人作家である。
 2つの作品とも第2次世界大戦後の日本(特に長崎周辺)を舞台にした小説だが、私が最も感心したのは「旧体制派」と「新体制派」の日本人同士の心理的葛藤を的確に描写していることであった。
 例えば「遠い山なみの光」では重夫という青年は、緒方という年配者にこう言います。「緒方さんの時代には、日本の子供たちは恐るべきことを教わっていました。じつに危険な嘘を教えられていたんです。いちばんいけないのは、自分の目で見、疑いをもつことを教えられなかったことです。だからこそ、日本は史上最大の不幸に突入してしまったのです」
 緒方は直ちに反駁します。「われわれが負けたのは大砲や戦車が足りなかったからで、国民が臆病だったからでも、社会が浅薄だったからでもない。重夫くん、きみにはぼくらのような人間がどんなに努力したかわかっていない」
 重夫が「新体制派」、緒方が「旧体制派」だが、二人の考え方や主張は、どこまでも平行線だ。緒方はこの後、知り合いの女性が営んでいる蕎麦屋に顔を出すが、そこでも「新体制派」、つまり若者たちへのうっ憤をぶちまける。「この前の選挙のとき、その男の細君が、どの党に入れるかで亭主と意見が食いちがったんですな。とうとう殴ったらしいが、それでも譲らなかったそうです。けっきょく、夫婦で別々の党に投票したんですよ。昔だったら、そんなこと考えられないでしょう。驚くじゃありませんか」
 もう一作の「浮世の画家」でも「旧体制派」の画家と「新体制派」の弟子や孫との考え方の開きが作品の底流となっている。戦争中は日本精神を鼓舞する作風で政府の美術審議会委員も務めた著名な画家が主人公だが、敗戦後は過去の作品をどこかにしまい込んでいて、孫にも見せない。娘婿とこんなやり取りをする場面が描かれている。
 「太郎君、われわれのアメリカ追従はいささか急ぎすぎたと心配になることはないだろうか。旧来のやり方をいまこそ永久に抹殺せよという考えに、わたしだって真っ先に賛成するだろうが、ときどき、いいものまで悪いものといっしょに捨てられていると思わないかな。実際、日本は変なおとなからものを教え込まれる子供みたいになったような気がする」
 「おっしゃるとおりで、たしかにあわて過ぎることも、多少はあるようですね。でも、大きな目で見ると、アメリカに学ぶべきものが山ほどあります。例えば、ぼくらはここ数年のあいだに民主主義や、個人の権利などについてずいぶん理解を深めてきました。それどころか、ぼくはこの日本が、輝かしい未来を築くための基盤がようやく据え終わったとさえ思っているんです」
 老画家が過去を回想しながら、自ら貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れる姿を主題にした小説とされるが、「旧体制派」と「新体制派」との葛藤ぶりが戦後間もない日本人像を見事に描き出していると思った。イシグロ氏は12月7日にスウェーデン・アカデミーで行った記念講演で「忘れることと覚えていることのはざまで葛藤する個人を小説に書いてきた。国家や共同体が同じ問いに直面したら、どうなるかということを、物語として書きたかった」と述べている。
 「国策」「戦争遂行」という時代に「生きる」ことと「死ぬ」こととの境界線は、どこにあったのだろうか? 
  小林多喜二(作家)、三木清(哲学者)のように自己の信念を貫いて死んでいった人々は立派であった。と同時に「生きる」ことを最優先とするならば、「転向」しても誰も非難は出来ないのではないのか。イシグロ氏の小説は、そんなことも考えさせた。
 ノーベル文学賞候補の日本人といえば村上春樹氏が即座に浮かぶが、私個人の印象としてはエンターテイメントとしてのストーリー性では村上氏の方が上かもしれないが、国家と個人、戦争と平和といった視点からイシグロ氏を今年のノーベル賞に選んだ関係者に敬意を表したい。「分断が危険なまでに深まる時代に、良い作品を書き、読むことで壁は打ち壊される」というイシグロ氏の言葉も心に響く。いま世界各国がナショナリズムに走る中で、「旧体制派」と「新体制派」に代わる新たな葛藤が始まっている。イシグロ氏が「遠い山なみの光」「浮世の画家」で描いた当時の「旧体制派」は、年齢的にもこの世から既にほとんどが姿を消して、戦争放棄をうたった日本国憲法の下で育った私たち「新体制派」も既にリタイアの年齢になっている。代わって安倍政権や自民党支持の「新保守体制派」が台頭している。それに対して従来の「新体制派」は危惧を強めている。その代表だった作家・大江健三郎氏(1994年ノーベル文学賞)の声が健康上の理由からか最近は全く聞こえなくなって残念だが、私たち年老いた「新体制派」世代は、日本や世界の平和のためにも「戦争反対」の声と行動を盛り上げなければならない。年末に当たって、その思いを強くしている。

安倍政権は「疑似社会主義」を目指しているのか?   宇治 敏彦

 最近、違和感を覚える表現がある。新聞やテレビで何回も報道されているからご存知と思うが、一つは12月8日に閣議決定された「新しい経済政策パッケージ」の柱になっている「人づくり革命」と「生産性革命」という表現だ。
 「生産性革命と人づくり革命により、経済成長の果実を活かし、社会保障の充実を行い、安心できる社会基盤を築く」
 この閣議決定文書を読んで「あれっ、安倍自民党は何時から共産党みたいになったんだ」と思った。「大きな改革」をしたいという気持ちがはやり過ぎて「革命」という表現になったのだろうが、革命(revolution)といえば、一般には「従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること」(広辞苑)を指す。
 12月6日の自民党政務調査会で決めた「新しい経済政策パッケージ」を受けて政府が閣議で了承したものだから、安倍内閣だけでなく自民党が「革命」を目指すと見ていいだろう。人生100年時代を迎えて「人づくり革命」では、3歳から5歳までのすべての子どもたちの幼稚園、保育所、認定こども園の費用を無償とするほか、待機児童を解消するため「子育て安心プラン」を前倒しし、2020年度末までに32万人の保育の受け皿整備を行う」ほか大学授業料の減免や保育士、介護職員の待遇改善などをうたっている。なるほど、これらは旧来の社会主義政党が掲げてもおかしくない政策である。
 一方、「生産性革命」は2020年までの3年間を「生産性革命・集中投資機関」として国内設備投資額を対前年度比10%増加させるほか、来年度以降3%以上の賃上げを目指すとうたっている。安倍首相もこれらの施策が盛り込まれた閣議決定事項を受けて、経済界との会合など随所で「春闘では3%以上の賃上げを」と訴えている。
 ここで筆者のもう一つの疑問だ。現役記者時代に労働問題も担当した経験からすれば、毎年の春闘は労働界と経営陣との交渉によって賃上げ額が決まっていくものであり、政府はノータッチというのが不文律になっていた。
 すなわち民間企業の労使関係には政府は介入すべきでない、というのが基本原則で、もし労使関係で問題があれば中労委、公労委、さらには裁判所といった第三者機関で調整するルールになっていた。だから政府は毎年の春闘にも原則としてノータッチを貫いていた。
 そこへ安倍首相が「来春闘では3パーセント以上の賃上げを」と乗り込んできたのだから従来の労使慣行に反する「官製春闘」である。まさに社会主義国ないし独裁国家のようなやり方だ。
 「革命」という言葉といい、民間春闘への政府介入といい、社会主義国的風潮がみられる昨今の「安倍政治」に対して「それで良いのか」という声が野党、労使、マスコミなどから出て来ないのは不思議なことではないか。

出会った人々24  佐渡に溶け込んでいたチャールズ・ジェンキンスさん   宇治敏彦

 2年前まで日本新聞協会の国際委員長という役目を10年間勤めた。新聞協会には編集委員会、販売委員会、広告委員会といった、さまざまな委員会があるが、国際委員会は協会が戦後発足後、最初につくった委員会で、初代委員長は笠信太郎氏(朝日新聞論説主幹)が務めていた。第2次大戦中は「戦争賛美」に明け暮れた新聞界への反省からマスコミも諸外国の情勢やマスコミ事情に学ぼうという意図でつくられた委員会だった。だが筆者が2003年に同委員会に所属し、2005年に委員長になった頃は「日本のマスコミが外国に学ぶことはなくなったのではないか」(渡邊恒雄氏)といった声も聞こえてきて、国際委員会も岐路に立っていた。
 そこで当時の鳥居元吉・協会事務局長らと相談して2つの新しい企画を立てた。一つは「日中韓3か国のジャーナリストで2年に1回、テーマを決めて意見交換会をやろう」というもので、2008年5月に第1回がソウルで開催され、今も3か国持ち回りで2年おきに開催されている。もう一つが「古くから国際交流が盛んな国内都市を訪ねて日本の国際化の原点を探ってみよう」という企画で、2006年の京都を皮切りに函館、佐渡、横浜で実施した。
 2008年9月、佐渡でジェンキンス氏と行き合った。当時、彼は曽我ひとみさんと暮らしながら佐渡市真野にある観光施設「佐渡歴史伝説館」の売店で土産物の販売を担当していた。佐渡島銘菓「太鼓番」などの傍らに彼の北朝鮮への脱走の経緯や北朝鮮での生活を綴った「告白」という彼のサイン入りの本が売られていた。筆者をはじめ10人近い国際員会のメンバーは、この本や佐渡名物を求めながらジェンキンスさんと記念写真を撮り、しばし懇談した。「2年前の2006年から週6日、ここで働いている」と話した。周囲の話によると「開店の30分前には来て商品の点検などをしている」とのことで、生来の真面目人間ではないかと思われた。
 彼が韓国から北朝鮮に脱走したのは1965年で、脱走の動機については「国境警備の仕事が危険になってきた」「戦争中のベトナムに派遣される可能性があった」などと著書に記している。1980年に英会話を教えていた曽我さんと結婚、2人の女の子をもうけた。2002年には曽我さんが帰国。2年後にインドネシア経由で日本行きを許されたジェンキンスさんは、出迎えた曽我さんらとともに来日し曽我さんの出身地、佐渡市で暮し始めた。在日米軍の軍法会議で脱走罪により禁固刑となったが、25日間の服役で許された。
 ジェンキンスさんに会った2008年には、拉致日本人やジェンキンスさんの解放に同意した金正日主席の重病説も取り沙汰されていた。国際委員たちからは、そうしたことへの質問も飛び出したが、彼はノーコメントを通した。会見を終えて観光施設を出ると、会館の近くに一台の軽自動車が止めてあった。「これは曽我ひとみさんの車ですよ」と会館の人が教えてくれた。しかし「曽我さんは来ていません」という。普段はオートバイを愛用しているというジェンキンスさんだが、この日は妻の車を借りてきたのかもしれない。
 去る11日、致死性不整脈のため自宅周辺で倒れ、77歳で死去したジェンキンスさん。家族がいない時の突然死だったようで、曽我さんも「いま何も考えられない」とコメントした。米国ノースカロライナ出身のジェンキンス氏は米軍に入隊した時、腕にUS Armyと入れ墨した。北朝鮮に滞在していた時、この入れ墨を麻酔なしで削り取られたという。その痛みに耐えていて自分の歯で下唇を切ったという。これが彼にとっては北朝鮮での最大の虐待だったようだ。この度の突然死にもこの時の後遺症が間接的に影響しているのではないかとの見方もある。
 いまも北朝鮮は、さまざまな人権侵害を続けている。北朝鮮から中国経由で韓国への亡命を4回試み3回は北朝鮮に強制送還された女性、ジ・ヒョンアさん(38歳)がさる11日、国連の会合で北朝鮮での虐待について次のよう語っている。
 「施設では生のイナゴや廃棄されたキャベツ、カエル、ネズミなどを食べさせられ、多くの人が体調を崩してなくなった」「妊娠3か月で中絶を強いられた」「中国は脱北者が北朝鮮でどう扱われるかを知りながら強制送還を続けている」「自由への逃走は、2500万人の北朝鮮国民の夢だ」
 ジェンキンス氏の死によって日本は有力な「歴史の証言者」を一人失った。  
 
 

萬葉版画館 宇治美術館113

万葉集4-514
宇治敏彦制作板画 萬葉集4巻514
わがせこが けせるころもの はりめおちず いりにけらしも あがこころさへ(阿部女郎)

企業の不祥事と相撲界と    小榑雅章

大相撲九州場所が終わった。
これから、横綱日馬富士と、被害者の平幕貴ノ岩との問題が、明るみに出てくることだろう。
この間、師匠の貴乃花親方は、相撲協会の聴取を一切拒否して、鳥取県警の判断に委ねると明言している。
これに対し、協会やスポーツ新聞の論調は、相撲協会の一員であるにもかかわらず、協会に協力しないとは何ごとか、という意見が多くみられる。
貴乃花親方は変人だ、かたくなだ、理事選挙の意趣返しだなどと、個人の性向批判に持っていこうという意見もある。
相撲は国技だ、相撲界は別格だという。強くなるためには暴力もしごきも許される、という風潮も、以前ほどではないが、まだ語られているのに驚いた。
日馬富士は横綱だから穏便な処置をしてもらって、また土俵に上がれるようにしたい、というのが大方の見方だろう。
これが見え透いているから、貴乃花は、協会に届けず、まず警察に届け出たのだろう。そして、協会に届けたら、みんなで寄ってたかってうやむやにしてしまうだろう。そういう体質を熟知しているからこそ、貴ノ岩を協会に預けることを拒否しているのだ。
それが正しい。
相撲界は国技だが、法の適用は日本国民、あるいは日本国内で起こったことについては、法の裁きを平等に受けなければならない。1国2制度というのはあり得ないのである。
こんなことが許されるとしたら、野球界はどうだ、サッカーはどうだ、柔道はどうだということになる。
ダメなのだ。
社会心理学で、内集団バイアス、とか内集団びいき、という概念がある。自分の属する集団を、どうしても優位に見てしまう、外集団の欠点は過大に評価し、自分たちには甘くする傾向があることを言う。大相撲の世界は特別だ。厳しいけいこに耐えて国技を支えている。それに比べて、世間は生ぬるい。世間のレベルでみてもらっては困る・・・
それだけではない。実は、日本という国は、非常に集団内空気の呪縛の強い風土である。
お国のため、会社のため、チームのため、という一見大義のような名目のもとに、実に理不尽なことがまかり通ってしまう。
いま、盛んに問題になっている企業の不祥事など、その典型だ。神戸製鋼のデータ偽装問題も、三菱マテリアルも、日産自動車も、社内では、不利なデータを隠すことが正義なのだ。会社のためになることだ、と正義の顔をしてまかり通ってきたのだ。
東芝も三菱自動車も、電通の残業も、みなすべて違法を承知で、社内の空気が正義に仕立て上げてきた。
残念ながら、我が国は、自己集団の利益、団結が社会の正義、法の規範を上回りかねない体質がある。
相撲協会は、国技の看板を振りかざして、閉鎖社会をいいことに、真実を隠蔽しうやむやにする体質が強いのを、貴乃花親方は打破したいのだろう。
それが正しい。
苦しいだろうが、それが正しい。
世論は、貴乃花を応援すべきなのだ。

「僕たちはこう生きる」の提言とは   宇治敏彦

 先に吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」についての原稿を「埴輪」に書いたら、それを読んだ人から「文中に『それを受けて『僕たちはこう生きる』という社説を書いた、とありました。どう生きると書いたのですか」と質問を受けた。
 その答えが、この原稿だ。私自身も社説にどう書いたのか、その細部まで覚えていなかったので、昔のスクラップブックの山から懸命に当該の社説の切り抜きを一日がかりで探し出した。ようやく見つかった社説は1995年(平成7年)8月16日付の「東京新聞」「中日新聞」朝刊5面に掲載された「戦後50年」関連の一本もの社説で、タイトルは「僕たちはこう生きる」。(前掲)
 「いま戦後半世紀を経て、世界の目は、日本人に『君たちはどう生きるか』とあらためて問いかけている」と書いた後、中日新聞社がこの年に招いたドイツのワイツゼッカー前大統領の名古屋における講演内容を引用した。
 「良い政治をしようとするならば、過去の過ちを認識することが非常に大切になってくる」「若い人たちが過去に責任を持っていないことは明白である」
 当時は自民、社会、さきがけ3党の連立政権だったが、村山富市首相(社会党)は8月15日の敗戦記念日に「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えてきました」と、日本の侵略行為について明確に謝罪した。連立を組んでいた自民党がよくこの内容を了承したと思うが、当時の河野洋平自民党総裁をはじめ自民党も懐が深かったのであろう。現在の「安倍自民」では、とても呑めない首相談話だ。もっとも当時の村山社会党も「自衛隊合憲」「安保継続」など基本政策の大転換を余儀なくされていた。
 そこで筆者が書いた「僕たちはこう生きる」の社説では次の3つのことを提言した。
1、 日本の進路、活路はあくまでも「平和の追求」にある。東西冷戦が終わり、本来なら「平和の配当」があるはずだったが、湾岸戦争をはじめとして、さまざまな戦争・紛争が発生した。米ソ両超大国の「力による重し」によって封じられていたパンドラの箱が開いて、混迷が続いているのが今の世界である。だが幸いなことに、多くの国が「力による支配」に戻ろうとは志向していない。むしろ、どうやったら「力以外のルール」を確立できるかに苦渋している。そこに「侵略行為」という戦前の苦い経験と「平和」という戦後半世紀の貴重な経験を兼ね備えた日本の役割がある。
2、 島国根性の日本人、まあまあ主義の日本人、自己判断を避けて「寄らば大樹」の日本人…。そうした伝統的な民族性が、気がついたら、いつの間にか無謀な戦争に突入していたことになったのではないか。他人の判断でなく自分で決定し責任も自分で負う自己責任原則の確立といった‟日本人改造論“も求められている。
3、 平和や民主主義を破壊しようとする動きに対してブレーキをかける健全な市民社会の仕組みがどうしても必要だ。マスメディアの役割も、そこになければならない。

 僕たちは「こう生きる」より「こう生きよう」という呼びかけの意味もあったが、以上の3点は22年後の今日でも基本的には変わらない。もし現在の世界情勢を見て付け加えることがあるとすれば、次の2点であろう。
1、「アメリカン・ファースト」「愛国主義」がはびこる時代にあって「ナショナリズムよりヒューマニズムが世界的に重要な要素になっている」のではないか。他人を敵視するのではなく友達にる。人間だけが持ちうるその特性をもっと大事にしよう。
2、原発事故に放射能漏れ被害、工場立地に伴う大気汚染、地球温暖化による氷山の消滅など「きれいな空気」「美しい自然」が失われていく中で、もう一度、素晴らしい自然を復元するための「クリーン作戦」を積極的推進していこう。
 

僕たちはこう生きる  1995年8月16日 中日新聞東京新聞社説      宇治敏彦

---あの太平洋戦争が終わってから五十一年目に入った日本。「平和の」五十年間」を踏まえ,これから私たちは,どんな指針を持って生きていけばよいだろうか。---

 「君たちはどう生きるか」–––––昭和期のジャーナリスト,故吉野源三郎氏は,作家・山本有三氏の知遇を得て明治大学教授となり,一九三七年(昭和十二年)に「日本少国民文庫」シリーズの一冊として,こういうタイトルの本を書いた。父親を早くなくしたコペル君というニックネームの少年が,叔父さんから東西の歴史を学びながら成長していく様子を,叔父さんとの交換ノートという形で描いた作品である。
 
社会党らしさでた首相談話

自らも加わった上級生への反抗の仕返しで,いじめられる友を救えなかったことへの自責の念で寝込んでしまうコペル君。神社の階段で荷物を持ったお年寄りに手を貸してあげようと思いながら,ついに勇気が出なかったことを話して慰める母。少年期の微妙な心理が浮き彫りにされた名作だ。
日中戦争が始まった年に書かれた作品にしては「愛国少年」「軍国少年」の色彩が薄かったせいか,戦後も「次郎物語」(下村湖人)などと並んで青少年に広く読み継がれてきた。
いま戦後半世紀を経て,世界の目は,日本人に「君たちはどう生きるのか」とあらためて問いかけている。
ワイツゼッカー前ドイツ大統領は十四日の名古屋における本社主催のシンポジウムで「よい政治をしようとするならば,過去の過ちを認識することが非常に大切になってくる」と述べると同時に,「若い人たちが過去に責任を持っていないことは明白である」とも強調した。ワイツゼッカー氏と同様に,アジアや欧米の多くの人々は,日本人,特に若い世代の日本人が,戦前の日本のような拡張主義を再び取ることがないのかどうかに関心を払っているに違いない。
村山首相は一五日に発表した談話で「わが国は,遠くない過去の一時期,国策を誤り,戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ,植民地支配と侵略によって,多くの国々,とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えてきました」と,過去の日本の侵略行為について明確に謝罪した。
二年前の八月十日,細川首相(当時)は就任会見で,「私は先の大戦を侵略戦争,間違った戦争だと認識しています」と発言し,それまでの自民一党支配化の歴代首相が避けて通っていた歴史認識に踏み込んだ。
今回の村山談話は,細川会見以上に,はっきりと戦争責任に言及している。
一五日の在京各紙朝刊には「女性のためのアジア平和国民基金」拠金を呼びかける意見広告が掲載された。そこにも村山首相はあいさつを寄せ,いわゆる従軍慰安婦問題について「旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたもので,とうてい許されるものではありません。私は,従軍慰安婦として心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負われたすべての方々に対して,深くおわびを申し上げたい」と陳謝している。
首相就任後,「自衛隊合憲」「安保継続」などの党の基本政策の大転換を余儀なくされた村山氏としては,“最後の砦(とりで)”とも言える「反戦・平和」の点で,ようやく社会党らしさを出せたとの思いかもしれない。

日本の進路に『三つの提言』

問題は,これからだ。今日から戦後五十一年目に入ったからといって,「さあ,負の清算は終わった」と割り切るわけにはいかない。過去の反省の上に,どういう新しい道を開くかである。「僕たちはこう生きたい」と三つのことを提言したい。
第一に,日本の進路,活路はあくまでも「平和の追求」にある。東西冷戦が終わり,本来なら「平和の配当」があるはずだったのが,湾岸戦争をはじめとして,さまざまな戦争・紛争が発生した。米ソ両超大国の「力による重し」によって封じられていたパンドラの箱が開いて,混迷が続いているのが今の世界である
だが幸いなことに地球上の多くの国は,再び「力による支配」に戻ろうとは志向していない。むしろ,どうやったら「力以外のレール」を確立できるかに苦渋している。そこに「侵略行為」という戦前の苦い経験と「平和」という戦後半世紀の貴重な経験を兼ね備えた日本の役割がある。戦後五十一年以降の平和国家指針と世界への貢献策を村山内閣は,国民に示すべきだろう。
第二は,“日本人改造論”である。島国根性の日本人,まあまあ主義の日本人,自己判断を避けて「寄らば大樹」の日本人・・・・。そうした伝統的民族性が,気がついたら,いつの間にか無謀な戦争に突入していたことにもなったのではないか。
団結,協調性といった日本人の特性も決して悪くない。だが同時に,ここはどうしても反対しておかなければ,といった重要な場面では「朝までテレビ」ではないが,徹底討論する気風や,優秀な人材は年功序列ではなくて抜てきする風土,他人の判断でなく自分で決定し責任も自分で負う自己責任原則の確立といった”日本人改造“も求められている。
 
暴走抑制にマスコミの役割

そして第三は,国家体制の暴走を抑制するシステムの構築である。天皇主権の名の下に軍部独裁を許したのが戦争突入の最大の原因であった。
平和や民主主義を破壊しようとする動きに対してブレーキが作動する健全な市民社会の仕組みがどうしても必要だ。私たちマスメディアの役割も,そこになければならない。

「君たちはどう生きるか」ブームに思う   宇治敏彦

 吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)が最近また話題になっている。同著の漫画本も刊行され、ジュンク堂書店などの店頭では一緒に並べられている。初版は日中戦争が始まった1937年に新潮社から「日本少国民文庫」シリーズの1冊として出版されたもので、私が同著を初めて購読したのは戦後の1962年に刊行された同文庫シリーズの改定版だった。コペル君という「悩める少年」を主人公にした物語だが、叔父さんが地動説を唱えたコペルニクスにちなんでつけたニックネーム。今年はコペルニクスが地動説を最初に発表した年から数えて510年目にあたる。
 15歳のコペル君は学業優秀だが、体操は苦手。しかし点取り虫というわけではなく、野球が好きでポジジョンは二塁手。友達思いで、人気者でもあるが、親友が上級生からいじめられている時に助けられず悩みに悩む。とうとう高熱を出して寝込んでしまうが、叔父さんに示唆されて親友にお詫びの手紙を出した。コペル君のお母さんも、女学校に通っていた頃、湯島天神の階段で数歩先をよたよたしながら上がっていく老婆の荷物を持ってあげようと何度も思いながらも行動に出られなくて、いまだに後悔している話をコペル君にさりげなくした。親友たちがコペル君の見舞いに訪れ、友情は復活した。
 筆者は、大学4年生の時に雑誌「世界」の編集長を経て岩波書店の取締役をやっている吉野氏に会いたいと思っていた。また同書店の創業者・岩波茂雄氏の伝記を読んで、同社で働きたいとも思った。当時、週休二日制で男女同一賃金という先進的な会社は、岩波以外にほとんどなかったと思う。ただし創業者の意向で、編集を希望して入社しても編集にはストレートに行けず、まずは営業などやらされるという。さらに書籍業界に詳しい人によると「岩波は東大、一ツ橋卒業者しか採用しない」という。それならと伝手を頼って創業者とも親しかった学習院長の安倍能成氏を紹介してもらった。そのお蔭で入社試験は受けさせてもらえることになり、ペーパーテストを通過して役員面接までこぎつけた。ところが、ここからがいけなかった。面接室に入ると、正面に岩波雄二郎社長(茂雄氏の次男)、その隣に吉野源三郎氏が座っているのが目に入った瞬間、心身ともガチガチになり、何を喋ったか思い出せないほど緊張してしまった。東大、一ツ橋といった学閥は別にして「これではあかん」と自分で思った。下落合3丁目にお住まいの安倍能成さん宅にも受験の労をとってくださったお礼に伺ったが、先生は不在だった。後日、直筆のお葉書をいただいた。「岩波書店は今年はごくわずかにしか採らぬとのことでした。東京新聞社へお入りの由、御精進と御健康を祈ります」
 後年、小生が東京新聞で論説主幹になった時、一本もので「僕たちはこう生きる」と題する社説を書いたことがある。吉野氏の「君たちはどう生きるか」を引用しつつ、現代の日本人はどう生きるべきかを考察した一文だ。政治学者の故丸山真男氏は吉野氏が亡くなった時の追悼文に「『君たちはどう生きるか』はまさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(雑誌「世界」1981年月号)と書いた。
 第77刷の岩波文庫「君たちはどう生きるか」を求めて、改めて同著を読み直してみた。喜寿にしてコペル君と共に、まだまだ人生には学ぶべきことが多いと思った。

「幸せ」の実感に欠けるバブル経済    宇治 敏彦

「1980年代後半のバブル経済の再来ではないか」と最近、随所で指摘されている。日経平均株価はバブル崩壊後の高値(2万2666円)を更新し、四半世紀ぶりの高値水準にある。地価も人口減少に反比例して上昇傾向を続けており、いつも一等地の例に挙げられる東京・銀座の商業地の地価は、あのバブル期を上回った。首都圏のマンション価格も平均で26年ぶりの高値だという。
 企業の人手不足感は一段と強まり、有効求人倍率はバブル経済下の水準を超えた。失業者数も197万人(今年4月時点)と前年同月比で28万人減少した。一方、訪日外国人の増加で旅行収支の黒字が過去最高となり、海外とのモノやサービスなどの取引状況を表す経常収支は11兆5339億円の黒字を記録した(財務省の4~9月調査)
 バブルはなぜ起こるのか。小林慶一郎慶大教授は①新しい技術や革新的サービスが生まれること②世の中にお金が余っていること―の2点を挙げている(11月日、読売新聞朝刊)。特に同教授は「日本銀行が金融緩和を続けたが、製造業は株式や社債などの直接金融で資金調達できるようになったので、金融機関は貸出先に困った。そこで目を付けたのが不動産などのサービス業だ。融資の際に土地を担保に取るケースが多く、地価の上昇がさらに銀行の融資を膨らませ、バブルを加速させた」と分析している。
 バブルの元凶は日本銀行。特に黒田日銀総裁が長く唱え続けてきた「物価目標2%」にあるというところだろうか。
 しかし、一般庶民の立場からして「バブルの実感」というか、「賃金・ボーナスが上がった」「暮しに余裕が出来た」「レジャーも旅行も楽しめるようになった」「貯金も増えた」といった上方志向の生活を実感できるようになっただろうか?
 大半の人が「ノー」と答えるに違いない。もし「イエス」なら消費がもっと増えるはずだし、2%の物価目標も達成されているはずだ。現実には「財布のひもをきつくしている」「少しでも余裕ができたら医療費や老後のために貯蓄しておく」というのが現実ではないだろうか。
 こうした現実に、たまりかねた安倍晋三首相は経団連幹部などに「3%の賃上げ」要請をしている。これまた筋違いである。首相が今やるべきことは「日銀総裁の更迭」「労働者の実質所得が上がるような環境づくり」「所得の低い人々をサポートする諸政策(教育費、医療費など)の推進」などであるべきだ。民間企業の賃金やボーナスは本来的に労使間の協議によって決められるべきもので、社会主義国のような政府主導の賃金政策は市場経済で動いている日本には、なじまない。
 政府が一般国民の実質的な所得の増加につながる経済政策や所得の低い人々への処方箋を断行しないかぎり、バブル経済は企業の内部留保を増やすだけで終わってしまうだろう。
 

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埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
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