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我々は日本の「余剰幻想」から抜け出そう   宇治 敏彦

 新年早々の悲観論で申し訳ないが、安倍首相はじめ政治家だけでなく、官僚も経済人も労働界も、そしてマスコミも「日本の未来」に関して、もっと深刻に考え、早急に「日本再生計画」を国民のコンセンサスとして築き上げるべきではないだろうか。そうしないと日本は今世紀中に間違いなく「沈没国家」、そうでなくとも「浮遊する元『先進国』」の名前をかぶせられていくことになるだろう。
 何が、そんなに心配なのか。
 第1は「人口減少」。遠からず日本の人口は1億人を切る。人口の多い少ないが国家パワーの全てではないが、第2次世界大戦で敗れた日本が1945年8月の廃墟の中から世界第二の経済大国(現在は第三)まで成長できたのは1970年(昭和45年)の国勢調査で人口1億人突破が確認されたことに象徴される「人口力」の拡大が大きく影響している。ただ人口が増えただけでなく、一人一人の国民が真面目に働き、良質な新製品を産み出してきたから「made in Japan」が世界中で評価され、日本の経済発展につながった。
 それから半世紀近く経ち2015年時点で世界の人口は10億人増加し74億人になった。だが日本は逆で、世界に11か国ある「1億人以上の国家」から転落しようとしている(政府の予測では2050年ごろ1億人を切る)
2017年に国内で生まれた日本人の子供は前年より3万6000人少ない94万人強にとどまった。2年連続で出生100万人割れだ(厚生労働省の推計)。1970年代前半には年間200万人生まれていた。一方、死亡者数は前年より約3万6千人増え、戦後最多の134万4000人。生死の差し引きで昨年は日本の人口が約40万人減少したことになる。
 人口は急に増えるものではない。着実な対策が不可欠だが、特に「貧困対策」をはじめ多方面の施策が急務だ。安倍内閣が「教育費無償化」対策を打ち出したのも、その一環だろう。筆者は最近、自民党幹部の一人に「結婚し子供をつくった低所得の夫婦には一定年数、所得税を控除するぐらいの大胆な政策を実施しないと出生率の向上は難しいのではないか」と進言した。その幹部は「フランスではそうした施策で出生率を上げた。日本でも必要になるかもしれない」と述べていた。
 厚労省推計では2017年に結婚した夫婦は前年より約1万4000組減って60万7000組。これでは驚くほどの優遇策を取らないと、日本人は将来「絶滅人種」になるかもしれない。
 第2は「財政再建」。国会で審議が始まる2018年度政府予算案は97兆7128億円と過去最大規模だが、収入の3分の1は国債である。経済界でも「2020年度の基礎的財政収支の黒字化は困難になった」(三村明夫日本商工会議所会頭)との見方が強い。日本の潜在成長率は0・69%。成長率が鈍化したとはいえ毎年6%台の成長率を維持している中国とは大きな違いだ。
5年前の2013年に安倍政権は金融緩和、財政出動、成長戦略の3本の矢による「アベノミクス」を打ち出し、株式市場の活性化などをもたらした。しかし、個人消費の拡大にはつながらず、財政健全化も先送りされたままである。
第3は「世界を席巻するヒット商品が出ない」ことだ。学者たちの分析によれば「現在、人類社会は第4次産業革命の只中にいる」(宇野重規東大教授ら)という。第1次産業革命(蒸気機関車の発明など1760年代~1840年代)、第2次産業革命(電力による大量生産が行われた19世紀後半から20世紀初頭)、第3次産業革命(コンピュータ、インターネットによる20世紀のデジタル革命)、そして今日の第4次産業革命(モバイル化、小型化したネット機器や人と物を結び付けるIoT=インターネット・オブ・シングズ)である。
1970年代にはソニーの「ウオークマン」をはじめ多品種のヒット商品がメイド・イン・ジャパンとして世界へ飛び出していった。だが今日、外国でも流行る日本製はアニメや漫画などに留まっている。
最近、「余剰幻想」という表現を耳にした。1月16日にホテル・ニューオータニで開催された「日本アカデメイア」(日本生産性本部後援)で宇野教授らがまとめた「未来への責任」というメッセージが紹介された。
「未来を占うことには限界があるが、確かなことは、われわれが大きな転換期にあること、自己改革と新しいグローバルな取り組みの必要性を示すサインが随所で鳴り響いているということである。日本社会は一見こうした世界の変調とはまったく無縁で、まるで小春日和を楽しむかのように余剰幻想に頼り、『この今』の満足感に浸っているように見える。しかしこれは『未来への責任』を果たすこととは大きくかけ離れている」
未来へ向けての心配事は前記の3点のほかにまだまだあるが、私たちが1960年代から80年代当時の「余剰幻想」に浸っているとしたら、まずその幻想から抜け出さなければなるまい。

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安倍政権は国民に「納税義務」を求める資格があるのか   宇治敏彦

 今年も間もなく確定申告の時期がやってくる。昨年末に税制改革案がまとまり、所得内訳書の形式も変わるというので、納税者は手間が増えるだろう。だが、それ以上に筆者が強く懸念しているのは「国民の納税意欲が大幅に減退するのではないか」ということである。
 なぜか? 俗に「モリカケ問題」といわれている森友、加計問題に生活者の怒りが収まらないからだ。
 「毎年、無難な報告しかしない」とマスコミの間で毎年、評判が芳しくない会計検査院の年度報告だが、昨年11月に発表された平成28年度会計検査報告では森友問題について①8億円値引きの根拠が明らかでなかった②資料が十分残っていないので検証できない―などと文科省や安倍内閣の対応に疑問を呈している点で新鮮味があった。
 すなわち大阪の森友学園が学校新設のために購入した国有地は、本来9億5000万円の価値があるところをゴミ撤去費用として8億2000万円と大幅値引きがなされ、なんと1億3600万円(当初評価額の14%)であった。
 一方、今治市における加計学院グループの岡山理科大獣医学部新設をめぐる問題では「総理の御意向」という文書や和泉洋人首相補佐官の発言も国会で追及され、「忖度」という流行語まで生まれた。この点にかんしては会計検査院報告では触れていないが、前川喜平・前文科事務次官が「文書は確実に存在する」と証言しており、加計光太郎理事長と首相が米国留学時代からの親友で、しばしばゴルフや会食を楽しんでいることは周知の事実である。「李下に冠を正さず」という政治を行わなければ、納税者たる国民も進んで国税、地方税を納めようという気持ちにはなるまい。
 森友問題の背後には安倍昭恵夫人、加計問題の背後には安倍首相自身が「忖度」を含めて深くかかわったことは大半の国民が承知している。「権力者を利用し、繋がりをもっていれば大きな便宜供与をはかってもらえるのか。それでは真面目に働くことが馬鹿らしくなる」と庶民たちが思い始めたら、「納税義務」を真面目に果たそうという気分にはならないのではないか。
 今年春の確定申告を筆者が注視しているのは、以上のような理由からである。

改憲の是非を決めるのは「政府」でも「国会」でもなく「国民」である   宇治敏彦

 安倍晋三首相が1月4日、伊勢市での年頭会見で「今年こそ憲法のあるべき姿を国民に提示して憲法改正に向けた国民的論議を一層深めていく」と述べ、改憲への意欲を見せた。政府・自民党首脳としては22日から始まる通常国会、ないしは秋の臨時国会で改憲原案をまとめ、①衆参両院の憲法審査会で過半数の賛成②衆参両院本会議でそれぞれ3分の2以上の賛成を経て、③国民投票にかける、ことを想定している。
 だが政界でも安倍首相の想定する段取りに疑問を呈する向きがある。第1に足許の自民党内でも石破茂氏のように「第9条(戦争の放棄)の2項をそのままにして自衛隊の存在を明記するという安倍首相案のような妥協案でなく、2項そのものの改定を考えるべきだ」という主張があって自民案の確定まで曲折が予測されること。
 第2に、連立政権の一翼を担っている公明党が、こと改憲問題に関しては従来になく慎重姿勢をとっていること。特に山口那津男代表は「与党間で何かを行うことは前提にしていない」と述べて、自公両党での改憲案づくりに慎重姿勢をとっている。その背景として「これまで公明党は安保法制も含めて安倍自民党に足並みを揃え過ぎてきたのではないか。だから昨年の衆院選でも公明党の議席を減らす結果になった」との冷めた声も聞こえてくる。
 第3に野党の立憲民主党や共産党は、もとより安倍改憲案には正面から反対だ。最近、立憲民主党内では「昨年の国会冒頭解散にみられるような大義なき首相の解散権乱用こそ憲法で規制すべきだ」といった改憲案も出ている。
 こうした政党事情からしても国会論議が改憲へ、改憲へと一直線で進むとは思えない。それなのに公共放送のNHKも含めてマスコミ数社が結果的に改憲ムードをあおっているかのように映るのは私だけの見方だろうか。
 最近の世論調査結果をみると、憲法9条については「改憲の必要ない」(53%)が「必要」(41%)を12%上回っている(日本世論調査会の昨年12月9、10日、全国調査)。一方、日経新聞の昨年12月15~17日調査では9条改正の安倍首相案に「賛成」46%、「反対」39%と安倍案同調派がやや上回っている。
 こうなってくると一番重要なのが、国民投票になった時の有権者の判断だ。大きな視点でいえば「戦後70数年、非武装中立の平和主義を貫いて中国、韓国をはじめ近隣国に軍事的脅威を一度も与えたことがない日本が、その誇りを死守するのか」、それとも「北朝鮮の最近の軍事的脅威の増大などに鑑みて日本も軍事大国への舵を切り、憲法を変更するか」。 
 その選択を迫られる国民が冷静で的確な判断が出来るように今から勉強しておくことが最も重要だろう。9条を守るか、変えるか。それは安倍首相が決めるわけではない。国会が決めるわけでもない。あなたがた、君たち、僕ら国民が決めることなのだ。

62年前東京都心の正月風景   宇治敏彦

「埴輪」読者の皆さん、あけましておめでとうございます。2018年(平成30年)は、内外とも波乱含みですが、「平和ファーストの日本」「戦火を交えぬ世界」であって欲しいと願います。
旧臘からの休みを利用して資料を整理していたところ、早稲田大学付属高等学院3年生だった頃の日記が出てきました。その中に62年前の1956年(昭和31年)正月の記録があったので、当時のことを思い出してみるのも一案と思い、一部を再録します。同年1月5日に「埴輪」同人の小榑雅章君と二人で長島健先生(歴史担当。後年、学院長)のご自宅を訪問しました。「葡萄酒、ウイスキー、日本酒ですっかり顔を赤くし、ズキズキと頭を針が刺すようで、帰りの冷たい空気がまことにおいしかった。駅前の『ドン』で女子プロレスのテレビを見て、その凄さに恐れ入った。東京駅まで中央線車中で小榑君と私小説について談じた。今夜は気分よろしく、心の底まで明るい思いのする日であった」と記していました。
 その2日後の日記に当時の都心の情景を記録していたので、62年前の東京都心の情景を知る一端として再録することにしました(当時の表現のままなので、不適切表現がありますが、ご容赦下さい)
「1月7日 晴れ
朝、長島先生に礼状を出してから東京へ出た。このところ毎日出かけねばならないが、さして苦痛でもない。かえって都会の空気の方が新鮮なくらいだ。有楽町で降りてから有楽座の前を通って日比谷公園の方に出た。帝国ホテルの前をゆっくり歩いていくと、外人の姿が目に付く。彼らは胸をはり、手を振って大股で歩いてゆく。それに比べると日本人はどうだ。こそこそと足早に猫背の背中をなお丸くして今にも前に倒れそうな格好で歩いていく。それ以外の日本人は、胸を張って歩いてゆく外人に、黙って手に持っている品物を出し買ってくれとせがむパントマイムのおばさんか、『シューシャイン、シューシャイン』と何回も繰り返しながら外人の後を追っかけていく靴磨きのお姉さんたちである。
 内幸町の都電の停留所を左に曲がり、国税庁の先からまた左に曲がって、国電のガードを仰ぎ見ながら、いろいろな新聞社の発送所の横を通り過ぎていく。夕刊の発送にはまだ間があるのか、暇そうな人たちが談笑している。そのガード下に一軒のパン屋があった。昼近くなので近くに働く小僧さんたちがその店先を取り囲んでいる。食パンにジャムをつけてもらったり、コッペパンにハムを挟んでもらったりして、あせた紫色の薄紙に包んだパンを大切そうに抱えながら、どこで食べるのか、嬉しそうな顔をしながら足早に立ち去って行く。
 山下橋の際に立って、さてどっちへ行ったものかと数分間、橋脇に立ち尽くしていると、オフィス勤めの男の人やユニフォームを着た女の人が昼食を食べに付近の食堂や喫茶店に入っていく。そういえば、さっきから橋のそばの大きな蕎麦屋ではウインドー越しに小僧さんが粉を手で延ばしているのが見える。
 山下橋を渡ってから右に曲がり電通ビルに沿って真っすぐ歩いていった。長い。いろいろな会社が一つの長屋に同居しているのだ。その長屋の端まで歩いていった。暑い。手袋とマスクを取ると、ひやっとした冷たい空気が体の奥深く浸み込んでいった。
 新幸橋の前に出た。橋は工事中で、そこここにこれから使うらしい鉄材や木材が空き地に並べてあった。一人の中年男はハンチングをかぶって工事をじっと見つめていた。視線を下へ下ろしていくと、右手にパイプを持ち、左手に設計図らしき図面を持っているのが目に入った。ああ、この男が現場監督だな。
 新幸橋を渡って、すぐ右手に折れると今度は右手に電通ビル、左手に国電のガードを見ながら歩いていくことになる。ここには目立った店も倉庫もなかった。半ば行くと左手にカルチャーセンターと書かれた米会話の講習所があった。私はそこへ昼食を食べに食堂にでも入っていくかのように何気なく入っていった。
ウソ!私は『何気なく』ではなかった。ああ、ここだったのか。実は有楽町の駅を降りた時からここを探していたのだった」
 すっかり忘れていたことだが、高校時代の筆者は学院で英会話の先生だったベーカーさんの江古田の御自宅に同級生と通ったほか、この有楽町の米会話学校に入校し、ギボンズ氏という25歳のアメリカ人から英会話を習っていたのだった。この日記帳によれば、私が来日した時の東京の印象を聞いたのに対して、彼はこう答えている。
 「小さな家々が並び、しかもペンキを塗ってない家。貧しい小さな国という印象だった。丸の内は大きな美しい都会だ。そして黒い服を着た兵隊さんが沢山いる。あれは何隊の兵隊なのだ? 後で知ったよ。あれは日本のスチューデントなんだと、ハッハッハ」
 彼は2年前にニューヨークからやって来たアメリカ人だった。当時、私は横浜の鶴見に住んでいて京浜東北線、中央線で飯田橋まで行き、そこから都電に乗って早稲田に通っていた。昭和31年から都電の運賃が3円値上げになった。川柳づくりが趣味だった父に倣って「三円分速くなったか首傾げ」という川柳をつくった。当時は電車の中でも喫煙が許されていた。「車中にて煙草吸いたる顔みればいずれも何処か間抜けていたり」との狂歌をつくった。まだニュース映画館が残っていた時代で、「有楽町に着いた時はまだ米会話の時間までに間があるので日劇下のニュース映画館に入ってスクリーンに見入った」(1月24日)とある。さらに電光ニュースが英文でも表示されており、2月1日の日記には「昨夜、有楽町の電光ニュースでWETHER FORECAST TOMORROW CLOUDY, AFTER RAIN OR SNOWとあったので今日も雪かもしれない」と記していた。
 1956年といえば政界は鳩山一郎内閣で、7月に出た経済白書では「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になり、12月には日本の国連加盟が実現した。しかし、自分の日記を読み直してみて、「シューシャイン、シューシャイン(靴磨きはいかが)」と米兵たちにねだる女性たちの姿などGHQ(連合国軍総司令部)統治の残り香がまだまだ根強く残っている時代だったのだなと改めて実感した。
 日記の効用もあるものだ。この日記帳が出てこなければ、1956年当時のことなど全く忘れていたといっても過言ではない。昨年まで使っていた「10年日記」が終わったので、新たに1年物にするか、3年物にするか、5年物にするかと迷ったが、欲をだして「10年日記」を再び買ってしまった。新しい日記帳が埋まるまで自分が生きているかどうかは天のみぞ知るだ。だが1年日記や3年日記では自分が死に急いでいるような気もする。戦後最大の曲がり角を迎えている平和国家・日本の一日一日を記録していくことが一ジャーナリストの使命ではないかという気持ちで「10年日記」にした。
 

ノーベル賞作家イシグロ氏から学ぶこと   宇治 敏彦

 筆者の勉強不足からカズオ・イシグロ氏がどんな小説を書くのか知らなかった。今年度のノーベル文学賞に選ばれたのを機に2つの作品を読んでみた。「遠い山なみの光」と「浮世の画家」(ともに早川書房)である。日本の長崎に生まれ、5歳で家族と共に英国に渡り、現地の大学と大学院で文学や創作を学び、デビュー作の前記「遠い山なみの光」で王立文学協会賞を受賞した日系英国人作家である。
 2つの作品とも第2次世界大戦後の日本(特に長崎周辺)を舞台にした小説だが、私が最も感心したのは「旧体制派」と「新体制派」の日本人同士の心理的葛藤を的確に描写していることであった。
 例えば「遠い山なみの光」では重夫という青年は、緒方という年配者にこう言います。「緒方さんの時代には、日本の子供たちは恐るべきことを教わっていました。じつに危険な嘘を教えられていたんです。いちばんいけないのは、自分の目で見、疑いをもつことを教えられなかったことです。だからこそ、日本は史上最大の不幸に突入してしまったのです」
 緒方は直ちに反駁します。「われわれが負けたのは大砲や戦車が足りなかったからで、国民が臆病だったからでも、社会が浅薄だったからでもない。重夫くん、きみにはぼくらのような人間がどんなに努力したかわかっていない」
 重夫が「新体制派」、緒方が「旧体制派」だが、二人の考え方や主張は、どこまでも平行線だ。緒方はこの後、知り合いの女性が営んでいる蕎麦屋に顔を出すが、そこでも「新体制派」、つまり若者たちへのうっ憤をぶちまける。「この前の選挙のとき、その男の細君が、どの党に入れるかで亭主と意見が食いちがったんですな。とうとう殴ったらしいが、それでも譲らなかったそうです。けっきょく、夫婦で別々の党に投票したんですよ。昔だったら、そんなこと考えられないでしょう。驚くじゃありませんか」
 もう一作の「浮世の画家」でも「旧体制派」の画家と「新体制派」の弟子や孫との考え方の開きが作品の底流となっている。戦争中は日本精神を鼓舞する作風で政府の美術審議会委員も務めた著名な画家が主人公だが、敗戦後は過去の作品をどこかにしまい込んでいて、孫にも見せない。娘婿とこんなやり取りをする場面が描かれている。
 「太郎君、われわれのアメリカ追従はいささか急ぎすぎたと心配になることはないだろうか。旧来のやり方をいまこそ永久に抹殺せよという考えに、わたしだって真っ先に賛成するだろうが、ときどき、いいものまで悪いものといっしょに捨てられていると思わないかな。実際、日本は変なおとなからものを教え込まれる子供みたいになったような気がする」
 「おっしゃるとおりで、たしかにあわて過ぎることも、多少はあるようですね。でも、大きな目で見ると、アメリカに学ぶべきものが山ほどあります。例えば、ぼくらはここ数年のあいだに民主主義や、個人の権利などについてずいぶん理解を深めてきました。それどころか、ぼくはこの日本が、輝かしい未来を築くための基盤がようやく据え終わったとさえ思っているんです」
 老画家が過去を回想しながら、自ら貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れる姿を主題にした小説とされるが、「旧体制派」と「新体制派」との葛藤ぶりが戦後間もない日本人像を見事に描き出していると思った。イシグロ氏は12月7日にスウェーデン・アカデミーで行った記念講演で「忘れることと覚えていることのはざまで葛藤する個人を小説に書いてきた。国家や共同体が同じ問いに直面したら、どうなるかということを、物語として書きたかった」と述べている。
 「国策」「戦争遂行」という時代に「生きる」ことと「死ぬ」こととの境界線は、どこにあったのだろうか? 
  小林多喜二(作家)、三木清(哲学者)のように自己の信念を貫いて死んでいった人々は立派であった。と同時に「生きる」ことを最優先とするならば、「転向」しても誰も非難は出来ないのではないのか。イシグロ氏の小説は、そんなことも考えさせた。
 ノーベル文学賞候補の日本人といえば村上春樹氏が即座に浮かぶが、私個人の印象としてはエンターテイメントとしてのストーリー性では村上氏の方が上かもしれないが、国家と個人、戦争と平和といった視点からイシグロ氏を今年のノーベル賞に選んだ関係者に敬意を表したい。「分断が危険なまでに深まる時代に、良い作品を書き、読むことで壁は打ち壊される」というイシグロ氏の言葉も心に響く。いま世界各国がナショナリズムに走る中で、「旧体制派」と「新体制派」に代わる新たな葛藤が始まっている。イシグロ氏が「遠い山なみの光」「浮世の画家」で描いた当時の「旧体制派」は、年齢的にもこの世から既にほとんどが姿を消して、戦争放棄をうたった日本国憲法の下で育った私たち「新体制派」も既にリタイアの年齢になっている。代わって安倍政権や自民党支持の「新保守体制派」が台頭している。それに対して従来の「新体制派」は危惧を強めている。その代表だった作家・大江健三郎氏(1994年ノーベル文学賞)の声が健康上の理由からか最近は全く聞こえなくなって残念だが、私たち年老いた「新体制派」世代は、日本や世界の平和のためにも「戦争反対」の声と行動を盛り上げなければならない。年末に当たって、その思いを強くしている。

安倍政権は「疑似社会主義」を目指しているのか?   宇治 敏彦

 最近、違和感を覚える表現がある。新聞やテレビで何回も報道されているからご存知と思うが、一つは12月8日に閣議決定された「新しい経済政策パッケージ」の柱になっている「人づくり革命」と「生産性革命」という表現だ。
 「生産性革命と人づくり革命により、経済成長の果実を活かし、社会保障の充実を行い、安心できる社会基盤を築く」
 この閣議決定文書を読んで「あれっ、安倍自民党は何時から共産党みたいになったんだ」と思った。「大きな改革」をしたいという気持ちがはやり過ぎて「革命」という表現になったのだろうが、革命(revolution)といえば、一般には「従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること」(広辞苑)を指す。
 12月6日の自民党政務調査会で決めた「新しい経済政策パッケージ」を受けて政府が閣議で了承したものだから、安倍内閣だけでなく自民党が「革命」を目指すと見ていいだろう。人生100年時代を迎えて「人づくり革命」では、3歳から5歳までのすべての子どもたちの幼稚園、保育所、認定こども園の費用を無償とするほか、待機児童を解消するため「子育て安心プラン」を前倒しし、2020年度末までに32万人の保育の受け皿整備を行う」ほか大学授業料の減免や保育士、介護職員の待遇改善などをうたっている。なるほど、これらは旧来の社会主義政党が掲げてもおかしくない政策である。
 一方、「生産性革命」は2020年までの3年間を「生産性革命・集中投資機関」として国内設備投資額を対前年度比10%増加させるほか、来年度以降3%以上の賃上げを目指すとうたっている。安倍首相もこれらの施策が盛り込まれた閣議決定事項を受けて、経済界との会合など随所で「春闘では3%以上の賃上げを」と訴えている。
 ここで筆者のもう一つの疑問だ。現役記者時代に労働問題も担当した経験からすれば、毎年の春闘は労働界と経営陣との交渉によって賃上げ額が決まっていくものであり、政府はノータッチというのが不文律になっていた。
 すなわち民間企業の労使関係には政府は介入すべきでない、というのが基本原則で、もし労使関係で問題があれば中労委、公労委、さらには裁判所といった第三者機関で調整するルールになっていた。だから政府は毎年の春闘にも原則としてノータッチを貫いていた。
 そこへ安倍首相が「来春闘では3パーセント以上の賃上げを」と乗り込んできたのだから従来の労使慣行に反する「官製春闘」である。まさに社会主義国ないし独裁国家のようなやり方だ。
 「革命」という言葉といい、民間春闘への政府介入といい、社会主義国的風潮がみられる昨今の「安倍政治」に対して「それで良いのか」という声が野党、労使、マスコミなどから出て来ないのは不思議なことではないか。

出会った人々24  佐渡に溶け込んでいたチャールズ・ジェンキンスさん   宇治敏彦

 2年前まで日本新聞協会の国際委員長という役目を10年間勤めた。新聞協会には編集委員会、販売委員会、広告委員会といった、さまざまな委員会があるが、国際委員会は協会が戦後発足後、最初につくった委員会で、初代委員長は笠信太郎氏(朝日新聞論説主幹)が務めていた。第2次大戦中は「戦争賛美」に明け暮れた新聞界への反省からマスコミも諸外国の情勢やマスコミ事情に学ぼうという意図でつくられた委員会だった。だが筆者が2003年に同委員会に所属し、2005年に委員長になった頃は「日本のマスコミが外国に学ぶことはなくなったのではないか」(渡邊恒雄氏)といった声も聞こえてきて、国際委員会も岐路に立っていた。
 そこで当時の鳥居元吉・協会事務局長らと相談して2つの新しい企画を立てた。一つは「日中韓3か国のジャーナリストで2年に1回、テーマを決めて意見交換会をやろう」というもので、2008年5月に第1回がソウルで開催され、今も3か国持ち回りで2年おきに開催されている。もう一つが「古くから国際交流が盛んな国内都市を訪ねて日本の国際化の原点を探ってみよう」という企画で、2006年の京都を皮切りに函館、佐渡、横浜で実施した。
 2008年9月、佐渡でジェンキンス氏と行き合った。当時、彼は曽我ひとみさんと暮らしながら佐渡市真野にある観光施設「佐渡歴史伝説館」の売店で土産物の販売を担当していた。佐渡島銘菓「太鼓番」などの傍らに彼の北朝鮮への脱走の経緯や北朝鮮での生活を綴った「告白」という彼のサイン入りの本が売られていた。筆者をはじめ10人近い国際員会のメンバーは、この本や佐渡名物を求めながらジェンキンスさんと記念写真を撮り、しばし懇談した。「2年前の2006年から週6日、ここで働いている」と話した。周囲の話によると「開店の30分前には来て商品の点検などをしている」とのことで、生来の真面目人間ではないかと思われた。
 彼が韓国から北朝鮮に脱走したのは1965年で、脱走の動機については「国境警備の仕事が危険になってきた」「戦争中のベトナムに派遣される可能性があった」などと著書に記している。1980年に英会話を教えていた曽我さんと結婚、2人の女の子をもうけた。2002年には曽我さんが帰国。2年後にインドネシア経由で日本行きを許されたジェンキンスさんは、出迎えた曽我さんらとともに来日し曽我さんの出身地、佐渡市で暮し始めた。在日米軍の軍法会議で脱走罪により禁固刑となったが、25日間の服役で許された。
 ジェンキンスさんに会った2008年には、拉致日本人やジェンキンスさんの解放に同意した金正日主席の重病説も取り沙汰されていた。国際委員たちからは、そうしたことへの質問も飛び出したが、彼はノーコメントを通した。会見を終えて観光施設を出ると、会館の近くに一台の軽自動車が止めてあった。「これは曽我ひとみさんの車ですよ」と会館の人が教えてくれた。しかし「曽我さんは来ていません」という。普段はオートバイを愛用しているというジェンキンスさんだが、この日は妻の車を借りてきたのかもしれない。
 去る11日、致死性不整脈のため自宅周辺で倒れ、77歳で死去したジェンキンスさん。家族がいない時の突然死だったようで、曽我さんも「いま何も考えられない」とコメントした。米国ノースカロライナ出身のジェンキンス氏は米軍に入隊した時、腕にUS Armyと入れ墨した。北朝鮮に滞在していた時、この入れ墨を麻酔なしで削り取られたという。その痛みに耐えていて自分の歯で下唇を切ったという。これが彼にとっては北朝鮮での最大の虐待だったようだ。この度の突然死にもこの時の後遺症が間接的に影響しているのではないかとの見方もある。
 いまも北朝鮮は、さまざまな人権侵害を続けている。北朝鮮から中国経由で韓国への亡命を4回試み3回は北朝鮮に強制送還された女性、ジ・ヒョンアさん(38歳)がさる11日、国連の会合で北朝鮮での虐待について次のよう語っている。
 「施設では生のイナゴや廃棄されたキャベツ、カエル、ネズミなどを食べさせられ、多くの人が体調を崩してなくなった」「妊娠3か月で中絶を強いられた」「中国は脱北者が北朝鮮でどう扱われるかを知りながら強制送還を続けている」「自由への逃走は、2500万人の北朝鮮国民の夢だ」
 ジェンキンス氏の死によって日本は有力な「歴史の証言者」を一人失った。  
 
 

「僕たちはこう生きる」の提言とは   宇治敏彦

 先に吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」についての原稿を「埴輪」に書いたら、それを読んだ人から「文中に『それを受けて『僕たちはこう生きる』という社説を書いた、とありました。どう生きると書いたのですか」と質問を受けた。
 その答えが、この原稿だ。私自身も社説にどう書いたのか、その細部まで覚えていなかったので、昔のスクラップブックの山から懸命に当該の社説の切り抜きを一日がかりで探し出した。ようやく見つかった社説は1995年(平成7年)8月16日付の「東京新聞」「中日新聞」朝刊5面に掲載された「戦後50年」関連の一本もの社説で、タイトルは「僕たちはこう生きる」。(前掲)
 「いま戦後半世紀を経て、世界の目は、日本人に『君たちはどう生きるか』とあらためて問いかけている」と書いた後、中日新聞社がこの年に招いたドイツのワイツゼッカー前大統領の名古屋における講演内容を引用した。
 「良い政治をしようとするならば、過去の過ちを認識することが非常に大切になってくる」「若い人たちが過去に責任を持っていないことは明白である」
 当時は自民、社会、さきがけ3党の連立政権だったが、村山富市首相(社会党)は8月15日の敗戦記念日に「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えてきました」と、日本の侵略行為について明確に謝罪した。連立を組んでいた自民党がよくこの内容を了承したと思うが、当時の河野洋平自民党総裁をはじめ自民党も懐が深かったのであろう。現在の「安倍自民」では、とても呑めない首相談話だ。もっとも当時の村山社会党も「自衛隊合憲」「安保継続」など基本政策の大転換を余儀なくされていた。
 そこで筆者が書いた「僕たちはこう生きる」の社説では次の3つのことを提言した。
1、 日本の進路、活路はあくまでも「平和の追求」にある。東西冷戦が終わり、本来なら「平和の配当」があるはずだったが、湾岸戦争をはじめとして、さまざまな戦争・紛争が発生した。米ソ両超大国の「力による重し」によって封じられていたパンドラの箱が開いて、混迷が続いているのが今の世界である。だが幸いなことに、多くの国が「力による支配」に戻ろうとは志向していない。むしろ、どうやったら「力以外のルール」を確立できるかに苦渋している。そこに「侵略行為」という戦前の苦い経験と「平和」という戦後半世紀の貴重な経験を兼ね備えた日本の役割がある。
2、 島国根性の日本人、まあまあ主義の日本人、自己判断を避けて「寄らば大樹」の日本人…。そうした伝統的な民族性が、気がついたら、いつの間にか無謀な戦争に突入していたことになったのではないか。他人の判断でなく自分で決定し責任も自分で負う自己責任原則の確立といった‟日本人改造論“も求められている。
3、 平和や民主主義を破壊しようとする動きに対してブレーキをかける健全な市民社会の仕組みがどうしても必要だ。マスメディアの役割も、そこになければならない。

 僕たちは「こう生きる」より「こう生きよう」という呼びかけの意味もあったが、以上の3点は22年後の今日でも基本的には変わらない。もし現在の世界情勢を見て付け加えることがあるとすれば、次の2点であろう。
1、「アメリカン・ファースト」「愛国主義」がはびこる時代にあって「ナショナリズムよりヒューマニズムが世界的に重要な要素になっている」のではないか。他人を敵視するのではなく友達にる。人間だけが持ちうるその特性をもっと大事にしよう。
2、原発事故に放射能漏れ被害、工場立地に伴う大気汚染、地球温暖化による氷山の消滅など「きれいな空気」「美しい自然」が失われていく中で、もう一度、素晴らしい自然を復元するための「クリーン作戦」を積極的推進していこう。
 

僕たちはこう生きる  1995年8月16日 中日新聞東京新聞社説      宇治敏彦

---あの太平洋戦争が終わってから五十一年目に入った日本。「平和の」五十年間」を踏まえ,これから私たちは,どんな指針を持って生きていけばよいだろうか。---

 「君たちはどう生きるか」–––––昭和期のジャーナリスト,故吉野源三郎氏は,作家・山本有三氏の知遇を得て明治大学教授となり,一九三七年(昭和十二年)に「日本少国民文庫」シリーズの一冊として,こういうタイトルの本を書いた。父親を早くなくしたコペル君というニックネームの少年が,叔父さんから東西の歴史を学びながら成長していく様子を,叔父さんとの交換ノートという形で描いた作品である。
 
社会党らしさでた首相談話

自らも加わった上級生への反抗の仕返しで,いじめられる友を救えなかったことへの自責の念で寝込んでしまうコペル君。神社の階段で荷物を持ったお年寄りに手を貸してあげようと思いながら,ついに勇気が出なかったことを話して慰める母。少年期の微妙な心理が浮き彫りにされた名作だ。
日中戦争が始まった年に書かれた作品にしては「愛国少年」「軍国少年」の色彩が薄かったせいか,戦後も「次郎物語」(下村湖人)などと並んで青少年に広く読み継がれてきた。
いま戦後半世紀を経て,世界の目は,日本人に「君たちはどう生きるのか」とあらためて問いかけている。
ワイツゼッカー前ドイツ大統領は十四日の名古屋における本社主催のシンポジウムで「よい政治をしようとするならば,過去の過ちを認識することが非常に大切になってくる」と述べると同時に,「若い人たちが過去に責任を持っていないことは明白である」とも強調した。ワイツゼッカー氏と同様に,アジアや欧米の多くの人々は,日本人,特に若い世代の日本人が,戦前の日本のような拡張主義を再び取ることがないのかどうかに関心を払っているに違いない。
村山首相は一五日に発表した談話で「わが国は,遠くない過去の一時期,国策を誤り,戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ,植民地支配と侵略によって,多くの国々,とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えてきました」と,過去の日本の侵略行為について明確に謝罪した。
二年前の八月十日,細川首相(当時)は就任会見で,「私は先の大戦を侵略戦争,間違った戦争だと認識しています」と発言し,それまでの自民一党支配化の歴代首相が避けて通っていた歴史認識に踏み込んだ。
今回の村山談話は,細川会見以上に,はっきりと戦争責任に言及している。
一五日の在京各紙朝刊には「女性のためのアジア平和国民基金」拠金を呼びかける意見広告が掲載された。そこにも村山首相はあいさつを寄せ,いわゆる従軍慰安婦問題について「旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたもので,とうてい許されるものではありません。私は,従軍慰安婦として心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負われたすべての方々に対して,深くおわびを申し上げたい」と陳謝している。
首相就任後,「自衛隊合憲」「安保継続」などの党の基本政策の大転換を余儀なくされた村山氏としては,“最後の砦(とりで)”とも言える「反戦・平和」の点で,ようやく社会党らしさを出せたとの思いかもしれない。

日本の進路に『三つの提言』

問題は,これからだ。今日から戦後五十一年目に入ったからといって,「さあ,負の清算は終わった」と割り切るわけにはいかない。過去の反省の上に,どういう新しい道を開くかである。「僕たちはこう生きたい」と三つのことを提言したい。
第一に,日本の進路,活路はあくまでも「平和の追求」にある。東西冷戦が終わり,本来なら「平和の配当」があるはずだったのが,湾岸戦争をはじめとして,さまざまな戦争・紛争が発生した。米ソ両超大国の「力による重し」によって封じられていたパンドラの箱が開いて,混迷が続いているのが今の世界である
だが幸いなことに地球上の多くの国は,再び「力による支配」に戻ろうとは志向していない。むしろ,どうやったら「力以外のレール」を確立できるかに苦渋している。そこに「侵略行為」という戦前の苦い経験と「平和」という戦後半世紀の貴重な経験を兼ね備えた日本の役割がある。戦後五十一年以降の平和国家指針と世界への貢献策を村山内閣は,国民に示すべきだろう。
第二は,“日本人改造論”である。島国根性の日本人,まあまあ主義の日本人,自己判断を避けて「寄らば大樹」の日本人・・・・。そうした伝統的民族性が,気がついたら,いつの間にか無謀な戦争に突入していたことにもなったのではないか。
団結,協調性といった日本人の特性も決して悪くない。だが同時に,ここはどうしても反対しておかなければ,といった重要な場面では「朝までテレビ」ではないが,徹底討論する気風や,優秀な人材は年功序列ではなくて抜てきする風土,他人の判断でなく自分で決定し責任も自分で負う自己責任原則の確立といった”日本人改造“も求められている。
 
暴走抑制にマスコミの役割

そして第三は,国家体制の暴走を抑制するシステムの構築である。天皇主権の名の下に軍部独裁を許したのが戦争突入の最大の原因であった。
平和や民主主義を破壊しようとする動きに対してブレーキが作動する健全な市民社会の仕組みがどうしても必要だ。私たちマスメディアの役割も,そこになければならない。

「君たちはどう生きるか」ブームに思う   宇治敏彦

 吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)が最近また話題になっている。同著の漫画本も刊行され、ジュンク堂書店などの店頭では一緒に並べられている。初版は日中戦争が始まった1937年に新潮社から「日本少国民文庫」シリーズの1冊として出版されたもので、私が同著を初めて購読したのは戦後の1962年に刊行された同文庫シリーズの改定版だった。コペル君という「悩める少年」を主人公にした物語だが、叔父さんが地動説を唱えたコペルニクスにちなんでつけたニックネーム。今年はコペルニクスが地動説を最初に発表した年から数えて510年目にあたる。
 15歳のコペル君は学業優秀だが、体操は苦手。しかし点取り虫というわけではなく、野球が好きでポジジョンは二塁手。友達思いで、人気者でもあるが、親友が上級生からいじめられている時に助けられず悩みに悩む。とうとう高熱を出して寝込んでしまうが、叔父さんに示唆されて親友にお詫びの手紙を出した。コペル君のお母さんも、女学校に通っていた頃、湯島天神の階段で数歩先をよたよたしながら上がっていく老婆の荷物を持ってあげようと何度も思いながらも行動に出られなくて、いまだに後悔している話をコペル君にさりげなくした。親友たちがコペル君の見舞いに訪れ、友情は復活した。
 筆者は、大学4年生の時に雑誌「世界」の編集長を経て岩波書店の取締役をやっている吉野氏に会いたいと思っていた。また同書店の創業者・岩波茂雄氏の伝記を読んで、同社で働きたいとも思った。当時、週休二日制で男女同一賃金という先進的な会社は、岩波以外にほとんどなかったと思う。ただし創業者の意向で、編集を希望して入社しても編集にはストレートに行けず、まずは営業などやらされるという。さらに書籍業界に詳しい人によると「岩波は東大、一ツ橋卒業者しか採用しない」という。それならと伝手を頼って創業者とも親しかった学習院長の安倍能成氏を紹介してもらった。そのお蔭で入社試験は受けさせてもらえることになり、ペーパーテストを通過して役員面接までこぎつけた。ところが、ここからがいけなかった。面接室に入ると、正面に岩波雄二郎社長(茂雄氏の次男)、その隣に吉野源三郎氏が座っているのが目に入った瞬間、心身ともガチガチになり、何を喋ったか思い出せないほど緊張してしまった。東大、一ツ橋といった学閥は別にして「これではあかん」と自分で思った。下落合3丁目にお住まいの安倍能成さん宅にも受験の労をとってくださったお礼に伺ったが、先生は不在だった。後日、直筆のお葉書をいただいた。「岩波書店は今年はごくわずかにしか採らぬとのことでした。東京新聞社へお入りの由、御精進と御健康を祈ります」
 後年、小生が東京新聞で論説主幹になった時、一本もので「僕たちはこう生きる」と題する社説を書いたことがある。吉野氏の「君たちはどう生きるか」を引用しつつ、現代の日本人はどう生きるべきかを考察した一文だ。政治学者の故丸山真男氏は吉野氏が亡くなった時の追悼文に「『君たちはどう生きるか』はまさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(雑誌「世界」1981年月号)と書いた。
 第77刷の岩波文庫「君たちはどう生きるか」を求めて、改めて同著を読み直してみた。喜寿にしてコペル君と共に、まだまだ人生には学ぶべきことが多いと思った。

「幸せ」の実感に欠けるバブル経済    宇治 敏彦

「1980年代後半のバブル経済の再来ではないか」と最近、随所で指摘されている。日経平均株価はバブル崩壊後の高値(2万2666円)を更新し、四半世紀ぶりの高値水準にある。地価も人口減少に反比例して上昇傾向を続けており、いつも一等地の例に挙げられる東京・銀座の商業地の地価は、あのバブル期を上回った。首都圏のマンション価格も平均で26年ぶりの高値だという。
 企業の人手不足感は一段と強まり、有効求人倍率はバブル経済下の水準を超えた。失業者数も197万人(今年4月時点)と前年同月比で28万人減少した。一方、訪日外国人の増加で旅行収支の黒字が過去最高となり、海外とのモノやサービスなどの取引状況を表す経常収支は11兆5339億円の黒字を記録した(財務省の4~9月調査)
 バブルはなぜ起こるのか。小林慶一郎慶大教授は①新しい技術や革新的サービスが生まれること②世の中にお金が余っていること―の2点を挙げている(11月日、読売新聞朝刊)。特に同教授は「日本銀行が金融緩和を続けたが、製造業は株式や社債などの直接金融で資金調達できるようになったので、金融機関は貸出先に困った。そこで目を付けたのが不動産などのサービス業だ。融資の際に土地を担保に取るケースが多く、地価の上昇がさらに銀行の融資を膨らませ、バブルを加速させた」と分析している。
 バブルの元凶は日本銀行。特に黒田日銀総裁が長く唱え続けてきた「物価目標2%」にあるというところだろうか。
 しかし、一般庶民の立場からして「バブルの実感」というか、「賃金・ボーナスが上がった」「暮しに余裕が出来た」「レジャーも旅行も楽しめるようになった」「貯金も増えた」といった上方志向の生活を実感できるようになっただろうか?
 大半の人が「ノー」と答えるに違いない。もし「イエス」なら消費がもっと増えるはずだし、2%の物価目標も達成されているはずだ。現実には「財布のひもをきつくしている」「少しでも余裕ができたら医療費や老後のために貯蓄しておく」というのが現実ではないだろうか。
 こうした現実に、たまりかねた安倍晋三首相は経団連幹部などに「3%の賃上げ」要請をしている。これまた筋違いである。首相が今やるべきことは「日銀総裁の更迭」「労働者の実質所得が上がるような環境づくり」「所得の低い人々をサポートする諸政策(教育費、医療費など)の推進」などであるべきだ。民間企業の賃金やボーナスは本来的に労使間の協議によって決められるべきもので、社会主義国のような政府主導の賃金政策は市場経済で動いている日本には、なじまない。
 政府が一般国民の実質的な所得の増加につながる経済政策や所得の低い人々への処方箋を断行しないかぎり、バブル経済は企業の内部留保を増やすだけで終わってしまうだろう。
 

「労働生産性向上」の考え方が根本的に違う日本と欧米   宇治敏彦

 日本の「労働生産性」の低さが内外で話題になって久しいが、これをどう改善するかをめぐって日本的考え方と欧米的考え方では大きな開きがあることが分かってきた。
 その違いについて述べる前に、数値的に日本の労働生産性を他国と比較してみよう。経済協力開発機構(OECD)の2016年の統計によると、日本人の年間平均労働時間は1713時間だが、ドイツでは1363時間で、日本人の方が350時間も長い。1日8時間労働として日本人はドイツ人より約ひと月半(44日間)も多く働いているわけだ。
 その一方、一人当たりの国内総生産(GDP)を「就業率×年間平均労働時間×労働生産性」で比較すると、日本人がドイツよりかなり低水準であることが分かる。ドイツ並みの労働生産性で働いていれば日本では今より35%もGDPが増えるという試算も出ている。
 ミュンヘン大学教授で、ドイツ日本研究所長のフランツ・ヴァルデンベルガー氏は経済同友会のセミナー(今年9月12日)で、次のように述べている。
 「日本の労働生産性が低いのは、生産要素の質や量ではなく、要素配分や使い方の非効率性にある。その構造的要因は日本独特のキャリア形成である。日本の企業経営は内部昇進を前提にしている。内部昇進そのものは他国でも一般的だが、日本のように社内ではなく、外部の労働市場が提供するオプション(他社への転職や企業の外部採用のチャンス)の枠内で決定する傾向が強い。また日本では管理職が転職によってキャリアアップすることは困難である」
 「この状況を生産要素配分のレベルごとに分析すれば、企業レベルでは、社内昇進キャリアも退職という選択肢がない結果、衝突しながら前に進む建設的なコンフリクト文化が育たず、リスク回避行動が増大する。産業レベルでは、社内昇進が技能者や管理職の企業間移動を阻み、適材適所が機能しない。また低い賃金を容認し、M&Aや買収後の企業統合を困難にする」(「経済同友」2017年10月号)
 こうした指摘は、50年以上も企業務めをしている筆者には、よく分かる。経済同友会の6月に発表した「サービス産業生産性革命」の中で「ピンチ(人手不足)をチャンス(変革)に」として①労働時間短縮を実現するためには業界大手が勇気をもって、これまで『当たり前』と思われてきたビジネスモデルを変えていかなければならない②特に生産性向上は不可欠であり、個々人が意識を変化させたときこそ、本当に生産性が向上するのではないだろうか③労使間で「生産性を上げれば賃金は上がる」を共通認識にして労働者の動機づけにつなげ、女性やシニアの労働参画を促進させる環境を整備し、副業やリモートワークなどの推進により人材の流動性を高める―などと提言している。
 日本の経営者やサラリーマンなら「うん、うん」と頷く提言だ。
 だがヴァルデンベルガー氏の生産性向上策は、全然違う。「経済全体にかかわるさまざまな調整や改革が必要になる。中途採用と内部昇進の両方に、平等なキャリアチャンスを与えなければならない。また、新卒一括採用をやめるとともに、生涯雇用ではなく特定の職務のための雇用を行う必要がある。そして、キャリアを会社の物ではなく、従業員らの物にするキャリアオーナーシップを確立しなければならない」
 これは日本の政治家や企業経営者が考える「生産性向上策」とは、相当に距離がある。天地の差というぐらい開きがある。
もはや日本経済の「3種の神器」といわれた「終身雇用」「定期昇給」「企業別労働組合」というシステムは崩壊しているとはいえ、安倍晋三首相が民間企業経営者に「7%の賃上げ」要請をするなど、本来的には独立が尊重されるべき民間企業の労使関係も崩されようとしている。
 ヴァルデンベルガー氏は、日本が企業生産性をドイツ並みに引き上げるには「建設的なコンフリクト文化」を育てることが不可欠だと言っている。だが政府も民間企業も「新卒一括採用の中止」をはじめ「(正規社員、非正規社員を問わない)平等のキャリアチャンス」や「生涯雇用の中止」などを果たして決断できるだろうか。
 同氏は「改革に道筋をつけるには、外資企業が日本企業を買収して自社の人事システムを導入することや、グローバルな人事システムの導入を検討する日系多国籍企業の実験と実証」が必要としている。
 しかし極端な言い方をすれば「社員をみんな正規にするか、みんな非正規にして、実力本位の集合体」にすることは日本の企業文化には、なじまないだろう。それが実現する時が来るとしたら、それは日本が日本でなくなる時かもしれない。

 

難しい「投票基準」 結局は「自分を信じる」以外にない?   宇治敏彦

 総選挙の投票日が迫って来た(既に不在投票を済ませた方もいるでしょうが)。「貴方の投票基準は何ですか?」と質問を受けると、正直なところウーンと呻ってしまう。「政党(支持政党)」「候補者(人柄と公約)」「政策(憲法、経済、原発など)」「理想と現実(公約と実際政治の落差)」「候補者や知人からの依頼」など様々な要素が入り混じって、高い買い物をするときのように「一票」の行使先に迷う。
 著名な歴史学者は「次善の一票を」と新聞に書いていた。また「埴輪」の愛読者で、よく感想を送ってくださるMKさんは「結局は政党で選ぶより公約をどれだけ実現できるか見極め人で選ぶことにしよう」とのご意見を寄せている。
 ネット上に「Y!みんなの政治(早大マニフェスト研究所監修、選挙ドットコム企画協力)」と題する興味深い自己診断占いが出ている。「憲法」「外交・安保」「経済・財政」「原発」「政局・その他」の設問に対する自分の選択を打ち込むと、どの政党との相性がよいかを即座に診断してくれるというものだ。ちなみに小生がやってみると、「社民」「共産」「立憲民主」への近似率が高く、「自民」「希望」「公明」とは距離感があることが具体的数値(パーセント)で現れた。
 政策面での選択を再確認する意味では、参考になる自己診断表といえよう。
 だが選挙は政策だけの選択を求めているわけではない。政策をどう国政に反映していくか。その総合力を問う機会でもある。それだけに、私は迷っている。「私の理想からいえばA候補が良いが、当選はおぼつかない。とすれば死票になるA候補より次善のB候補に投票することが現実的な行為なのか?」「しかし、そのB候補の所属政党も第一党ないしは与党(連立政権で)になる可能性は低い」「では第3の選択として事前の世論調査で当選圏とみられるC候補に投ずるか? しかし、それは自分の政治思想を裏切ることになるから止めておこう」
 そうこうするうちに投票日が来る。「棄権」という選択肢もあるが、それだけは避けたい。日本国の国民としての権利と義務は果たしていきたい。
 そうした一票一票が積み重なって全体の選挙結果となり、多数党が政権を握る。その全体結果が果たして日本の選択としてベストであるのかどうか。戦後の国政選挙を振り返って「国民は何を選んでいるのか」と疑問に思うこと多々ある。(ネット上のメールマガジン「オルタ」に、そのテーマで過去の国政選挙に関する分析を連載していますので、ご覧くだされば幸いです)
 特に今回の衆院選は、改憲問題が主テーマの一つとなっている。「戦後の平和主義」が問われていると言っても過言ではない。各紙の選挙世論調査では、米国に対する北朝鮮の過剰な威嚇行動が安倍自民党を利している傾向が出ている。政府がネット上にも流している北朝鮮のミサイル通過に関する「国民保護情報」なども国民を神経過敏にしているのではないか。日本国民は、冷静に対応し、戦後70年以上にわたり堅持してきた「不戦主義」「平和主義」の重要性を改めて考えて一票を投じて欲しい。私自身の投票行動も、その点に関しては1ミリのブレもない。その限りでは「次善の一票」は念頭にない。結局は自らを信じて投票する以外にない。

保・保対決の混戦衆院選挙 メイ首相を真似て解散した安倍首相だが・・・ 宇治 敏彦  

 いよいよ衆院選挙が始まった。安倍晋三首相は、野党側の選挙準備が整わないうちに、と臨時国会での冒頭解散に踏み切った。だが、いささか計算違いをしていたのではないだろうか。都民ファーストでの東京都議選勝利の余勢をかつて「希望の党」を結成し,国政での安倍退陣を迫る小池百合子東京都知事。「希望の党」「立憲民主党」「無所属」と3分解した旧民進党。依然「モリカケ」問題が尾を引いて回復傾向が見えない内閣支持率(NHKの10月1日発表の世論調査では安倍不支持が44%、支持が37%)。                     
◆           ◆              ◆
 「勝てる」と踏んで今年6月に議会を解散し総選挙に臨んだ英国のメイ首相。彼女は欧州連合(EU)からの離脱を問うとして総選挙を前倒ししたのだが、結果は保守党の過半数割れで、労働党との連立を余儀なくされた。10月4日、マンチェスターで開催された保守党大会でメイ首相は「申し訳ない。私の責任です」と陳謝すると同時に社会的弱者対策の強化や大学授業料の据え置きなど労働党支持者向けの政策を打ち出さざるを得なくなった。しかも、この大会ではメイ演説の最中にコメディアンの男性が「早く辞任しろ」との紙を掲げて壇上の首相に迫るハプニングまで起き、狼狽したメイ首相が演説を継続するのに苦慮する場面も報道された。
 安倍首相もメイ首相と同様に「勝てる」チャンスと思って冒頭解散を決断したのだが、小池人気の「希望の党」などの挑戦で、かなりの苦戦を強いられるのではないだろうか。
 衆院解散後に2つの会合に出席した。一つは日本政治総合研究所(白鳥令所長)が10月5日にプレスセンターで開催した「総選挙の見通しとその後の日本政治」と題する在日外国大使や報道人向けのセミナーで、政治学者、ジャーナリスト5人が見解を述べた。白鳥令氏(東海大名誉教授)は今回総選挙の特徴を「乱連立」「アド・ホック(その場かぎり)政党の登場」「単一争点」と捉え、「選挙結果は地滑り的勝利と先例のないほどの敗北になるかもしれない」と予測した。
 また神志名泰裕氏(元NHK解説委員長)は、選挙予測として①野党乱立に伴う現状維持(自民党280議席台)②自民党が30議席以上減らすも単独過半数(233)は維持する③自民党が地滑り的敗北をきたして自公連立でも過半数維持出来ず―の3例を挙げ、「私は第2のケースを予測している」と述べた。自民が30から50議席減なら「当然、安倍首相の責任論が浮上する」というのが神志奈氏の観測である。
 筆者は主として選挙争点についての分析を頼まれていたので、6つの争点について説明した。①安倍政権の継続か政権交代か②消費税の再引き上げ問題③原発の是非④改憲か護憲か⑤北朝鮮対策⑥日本再建策(人口減少、老齢化と日本力)。
 この中で憲法問題について私は「安倍自民党総裁は本気で改憲に取り組む覚悟なのだろうか? 改憲発議には衆参両院で3分の2が必要だが、安倍氏は今回の総選挙での獲得目標を過半数の233議席と言った。本当に改憲したいなら定数(465議席)の3分の2の310議席が目標と言うべきだ」と述べた。
同時に、今回の総選挙は「戦後」が問われる選挙になるとの見解を述べた。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を主張しており、それはアメリカのトランプ大統領が唱えている「アメリカン・ファースト」にも通ずる国家保守主義であり、その是非が「今回選挙の最大の争点だろう」と話した。こうした選択選挙だからこそ「希望の党」党首である小池氏は、公示までに都知事を止めて衆院選に立候補すべきだとも主張した。
もう一つの会合は、10月8日に日本記者クラブで開かれた与野党8党首の討論会である。その詳細は各紙に報道されているので省略するが、保・保・革新の3極対立の構図とはいえ、結局は「安倍」対「小池」という保守対決の競い合いになるのではないか、と直感した。「希望の党」は国政選挙へ初挑戦だが、小池百合子という政治家のパフォーマンスと人気が続かない限り自民党と競り合うのは難しい。アベノミクスに対抗して「ユリノミクス」(ベーシックインカム導入により低所得層の可処分所得を増やすなど)などを唱えているが、最終的には有権者の選択が「既存の安倍政治」か「未知数の小池政治」かに絞られていくだろう。
会場で配布された各党の公約を読むと、外交・安保、経済政策のほかに「月曜午前を半休にする『シャインニングマンデー』(仮称)の普及促進」(公明党)、「犬や猫の『殺処分ゼロ』を義務づける法案を制定する」(希望の党)、「政党助成金を廃止します」(共産党)、「自衛隊内部の人権侵害を防ぐため『自衛官オンブズマン』制度の創設を目指します」(社民党)などユニークなアイデアも散見する。
だが、結局は「保・保対決」の選択になりそうだ。
投票率がどうなるかも気になる。前回2014年の衆院選では18歳選挙権が初適用されたが、投票率は52.6%と戦後最低だった。「にわか解散」「小池新党」「民進党の解体」などで有権者の多くが戸惑っているに違いないが、民主国家の基盤は選挙によって成り立っている以上、10月22日の投票日には投票に出かけて、「一票」を行使しようではありませんか。

民族か、宗教か、人間愛か。深まるミャンマー危機   宇治 敏彦

 ミャンマー西部ラカイン州に暮らす少数民族ロヒンギャの人々が迫害を受け、隣国バングラデシュに緊急避難している問題は、いっこうに打開策が見えない。アウン・サン・スー・チー女史(国家顧問兼外相で事実上の最高指導者)も9月19日の演説で「あらゆる人への人権侵害を非難する」と一般論を述べるとともに、ロヒンギャ難民についても「国籍確認の手続きを進め、受け入れる用意がある」と、ミャンマー国籍を持たないロヒンギャをミャンマー国民として受け入れる可能性を示唆した。
 しかし長年、民主化運動を推進してきてノーベル平和賞を受賞し、2年前に名実ともにミャンマーの最高指導者になったスー・チー女史の発言にしては歯切れが悪い印象をまぬがれない。国民の9割を占める仏教徒に配慮しているのかもしれないが、本来なら「一日も早くロヒンギャの人々の国籍取得を実現し、ミャンマー国民として誇りをもって国家に貢献してほしい」と発言すべきだろう。
 2年前、仕事でミャンマーを訪れた時、同国には135民族が暮らしていると知って驚いた。アメリカや中国も多民族国家だが、同じアジアでも人口13億の中国が55民族だから、人口5100万のミャンマーが135民族というのは、いかに「多民族国家」であるかを示している。その背景には東側はラオスやタイ、北は中国、西側はインドやバングラデシュという5か国に隣接している地理的状況も影響しているだろう。
 いま問題になっているロヒンギャも、もともとは19世紀にインドやバングラデシュから移って来たイスラム教徒といわれている。ラカイン州周辺に暮らすロヒンギャは約100万人といわれてきたが、既に40万人強が治安部隊などの襲撃を受けて家も焼き払われ、隣国のバングラに避難した。9月24日の朝日新聞朝刊によると、日本にも100人近いロヒンギャが避難しているが、難民認定を受けたのは18人にとどまっているという。
なぜロヒンギャの人々は、虐待されるのか。
 2つの理由がある。1つは「ホワイト・ペーパー」と呼ばれる国籍確認証明書がロヒンギャには交付されていないこと。つまり彼らはミャンマー国民ではなく、バングラなどからの「不法移民」という位置づけなのだ。国籍法を改正して長年ミャンマーに居住しているロヒンギャにもホワイト・ペーパーを交付したら良いではないかと思うが、軍や仏教徒の反対が強く、そう簡単にはいかない。スー・チー女史が19日の演説で「国籍付与」に言及しながらも確約しなかったのは、軍や仏教徒への配慮からに違いない。
 もう一つは宗教対立。特に国民の9割が仏教徒というミャンマーでは、ロヒンギャを自国民と認めたくない人びとが多いようだ。これはミャンマーに限らない。2年前、ミャンマーのヤンゴンで開催された国際新聞編集者協会(IPI)第64回総会に出席した際に出会ったスリランカのジャーナリスト、マノリ・カルガンピティヤさん(サバミヤ新聞編集者で人権活動家)は、次のような話をしてくれた。
 「2016年1月、コロンボ南西部で開かれた仏教集団の会合で反イスラム機運が盛り上がってイスラム教徒の商店や家が焼かれ、4人が死亡、80人がけがをした」
 彼女の話によると、スリランカでは人口の約7割が仏教徒で、イスラム教徒とのいざこざが絶えないという。「お互いにヘイトスピーチを止めるよう新聞でも書いているのですが」と強調していたが――。
 この大会にパネラーとして登壇した立正佼成会の庭野光祥次代会長は「人間の弱いところを救うのが宗教の役割であり、宗教間の対話も重要」と強調していたが、ミャンマーやスリランカの現実世界では「宗教」が対立や紛争の要因になっているのだ。「民族」も同じような一面がある。イラクからの独立の賛否を問うイラク北部の自治政府「クルディスタン地域政府」(KRG)による住民投票が25日に行われる。その行方も「民族」「国家」「宗教」問題に大きな影響を与えよう。
 筆者の意見は、こうだ。「民族とは、両親から引き継がれるもので、自分が生まれる前から定められており、誕生後に国籍は変えることが出来ても民族まで変えることは出来ない」「宗教は先祖から引き継ぐことも出来るが、主として成長後の自分の判断で選択ができる」。そういう側面を勘案すると「民族対立は、根が深いバックランドがあって、それを克服し融和を図るのは簡単なことではない」。一方、「宗教対立は個人個人の信仰心しだいでは変更や融和が『民族対立』よりやさしいかもしれない」。そうした中で何が「対立」解決の糸口になるのか。「それは民族も宗教も超えたところにある『人間愛』ではないのか」」
 

フェイクニュースをどうしたら見抜けるか   宇治 敏彦

 「新聞で見分けるフェイク 知るファクト」。今年の新聞週間(10月15日~21日)の代表標語である。横浜の田村美穂さん(無職、64歳)がつくったもので、10月17日、広島で開かれる第70回新聞大会で披露される。
 さまざまな情報伝達手段が世界中に普及し、無数の情報が国境を超えて飛び交っている今日、どの情報が正確(ファクト)で、どの情報が虚偽(フェイク)なのかを見分けることが非常に困難になっている。
 意識的に偽のニュースや情報を流す行為も行われているし、また偽ニュースを流して商売にしている人たちもいるというから驚きだ。毎日新聞が報じた「偽ニュース『売れる』。米サイト最盛期、ライター20人」という記事(8月10日朝刊)によると、米国で「フェイクニュース王」と呼ばれていたロサンゼルスのジェスティン・クーラー(41歳)という人物はネット上で「ナショナル・リポート」という名称でフェイクニュース(偽の記事)を流してきたという。
 たとえば昨年も米大統領選名中に「ヒラリー・クリントン氏のメール問題を捜査していた連邦捜査局(FBI)捜査員が、妻と無理心中した」といった偽ニュースを流し、フェイスブック上では閲覧数が150万回を超えた。閲覧数が増えると広告収入も増える仕組みで、クーラー氏は最盛期には20人のライターを抱え、年間60万ドル(約6600万円)を稼いでいたという。
 こうしたフェイクニュースが大統領選にも大きな影響を与え、トランプ当選、クリントン落選の一因になったともみられる。毎日新聞のリポートによれば、クーラー氏は大統領選後に反省して今はフェイクニュースを流すのを止めたという。しかし、自ら反省して偽情報の発信や流失を止めた人は、ごく一部で、世界中には毎日、無数のフェイク情報が発信されていると見るべきだろう。
 それは日本でも例外でないと思うが、幸い日本では日刊新聞が「ファクト報道」第一主義を堅持していることが救いだ。筆者も2000年、改定に関わった「新聞倫理綱領」(2000年6月21日制定)の一項目では「正確と公正」を掲げ、次のようにうたっている。
 「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」
 日本の新聞界では、細かい誤報でもそれが正確でないと確認された場合は訂正記事を出し、社内的処分を行うことが慣例となっている。「あくまでも正確を期そう」という歴史的慣習が定着している限り、日本ではアメリカほどには虚報は流れないだろうと筆者は信じている。
 だが、新聞購読者が減少を続け、ネット利用者が増大していく傾向の中で、いつまでも「日本は大丈夫」と胸を張ることは出来ない時代が到来しているのかもしれない。「ネット社会の中で『見分けるフェイク、知るファクト』をいかに確立するか」。それが大きな課題になって来た。
 
 

出会った人々23 「人間党」をつくりたかった羽田孜元首相   宇治 敏彦

 羽田孜元首相が8月28日、82歳で亡くなった。
 日本の政界で「人が良い政治家は誰か」と問われれば筆者は、羽田孜氏か伊東正義氏(大平内閣の官房長官)をあげる。異論は少ないに違いない。
金丸信・元自民党副総裁(故人)は、旧田中派の3人を次のように表現した。「平時の羽田、乱世の小沢(一郎)、大乱世の梶山(静六)」。これも絶妙な表現だと話題になったが、羽田氏が総理大臣になったのは皮肉にも政界が大乱世の時代であった。
 1993年(平成5年)に大ブームを巻き起こした細川護煕政権は非自民非共産の8党派による連立で、羽田氏も新生党の党首として同政権では副総理兼外務大臣を務めた。細川政権の使命は「政治改革」で、野に下った自民党(河野洋平総裁)との合意で政治改革4法を成立させた。小選挙区比例代表並立制の導入や政党助成金の交付などである。
 だが、その直後に突然のように「国民福祉税」構想(3年後に7%の国民福祉税を導入するというプラン)を打ち出したので、与党内でも社会党などが猛反発した。これを境に細川政権は急速に内部分裂をきたした。しかも細川首相は佐川急便からの1億円借り入れや義父名義のNTT株取得問題で窮地に立ち、約8か月で政権を投げ出した。
 その後に登場したのが第80代首相の羽田氏である。
 しかし、この時点では社会党も野党に転じたので羽田内閣は39年ぶりの少数与党政権となった。こういうときは解散・総選挙によって打開の道を探るのが常道だが、小選挙区制の施行を前に中選挙区制の下で解散するのは「政治改革つぶし」と世論からも集中砲火を浴びるのが目に見えていたので、総辞職に踏み切った。在任期間は64日間と戦後の超短命内閣に終わった。
 羽田氏にまつわるエピソードを一つ。小沢一郎氏らと自民党を離党して「政治改革」を旗印に新生党を立ち上げ、細川政権をつくり、細川退陣後は自らの政権となったが、政治的実績はゼロに等しかった。その後は自民党と社会党が組んで村山富市氏(社会党)を首相とする「びっくりの連立政権」が誕生し、政界は1955年体制の秩序が完全に崩壊した。小沢一郎氏が1994年に今度は自民党の海部俊樹氏を党首に担ぎ出して新進党を立ち上げた。しかし新進党も3年後の1997年末には6党に大分裂をきたし、小沢氏は自由党、羽田氏は太陽党を結成し、自民党離党以来の小沢―羽田連合もついに破局をきたした。
 この時の「太陽党」というのが、いかにも羽田氏らしいネーミングだが、実は「人間党」というのが最初の案だった。しかし、選挙に詳しい事務局員から「立候補者の一覧が新聞などに掲載される際に党派の個所で『新人間』『現人間』『元人間』とかというのは、いかがなものですか」と異論が出され、「太陽党」に落ちついた。
 28日、本当に「元人間」になってしまった羽田孜さん。貴方のような「人の良い政治家」がいなくなった今日の政界に、もう一度舞い戻ってきていただけませんか。

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(出会った人々)㉒                                          超高齢社会のトップランナーだった日野原重明さん  宇治 敏彦

 105歳で亡くなった日野原重明・聖路加国際病院名誉院長には小生が東京新聞代表を務めていた当時の2004年10月1日(飯野ホール)と20005年12月10日(日比谷公会堂)の2回、「東京新聞フォーラム」で講演していただいた。
 その時、印象に残ったことを書きとめておきたい。
1、「3年先まで講演依頼で手帖が埋まっているんですよ」と言って、実際に手帳を見せていただいた。親しかった瀬戸内寂聴さん(作家)が「あの方は亡くならないものだとばかり思っていた」(18日、東京新聞夕刊)と感想を漏らしているように、心身とも元気な大先生だったから恐らく今年の手帖も体調を崩されるまでは講演日程で埋まっていたはずだ。
2、ご高齢なので座って講演いただける机、椅子、固定マイクを当方で用意していたが、「私は立ってしゃべりたい」とハンドマイクで1時間余のお話をこなされた。それも棒立ちではなく、壇上で満席の会場を見回しながら右へ左へと活発に移動しつつ話されるのだった。
3、90歳過ぎて念願のオーケストラの指揮者を体験したことや高齢者のソフトボールチームを結成して監督になったことなど、身振り手振りで楽しく話されるので、聴衆の多くは驚きを隠せないと同時に、日野原講話のマジックに完全にはまっているように思えた。
4、一日の食事は「朝食はコーヒー、牛乳など。昼食はクッキー2枚、夜は御茶碗にご飯半分とおかず」。消費するエネルギーに対して「これで十分」というお話しだった。
5、日比谷公会堂には出入り口に階段がある。講演後に階段下までお見送りしたが、トントンと軽い足取りで御独りで身軽に降りていく姿は、とても90歳前半のお年寄りとは思えなかった。
 日野原さんの訃報が報じられた日に筆者は、たまたまフォーリンプレスセンターで開催された大内尉義・虎の門病院長(日本老年医学会理事長)の「高齢者は『75歳以上』」と題する講演会に参加していた。1956年のWTO提言の基づく高齢者の定義は「老年(高齢)前期(young-old)が65歳~74歳(現在は前期高齢者と呼ばれる)」「老年(高齢)後期(old-old)は75歳~89歳で後期高齢者」「超高齢者(extremely old)は90歳以上(超高齢者)」となっている。
だが「平均寿命が著しく伸びたことで、この定義は現状に合わなくなっている」というのが大内院長らの認識だ。男性だと64歳→80歳、女性だと68歳→86歳で、「高齢者、特に前期高齢者は、まだまだ若く活動的な人が多い」という。そこで大内先生らは「日本老年学会(甲斐一郎理事長)と合同で「高齢者に関する定義検討会」を2013年に立ち上げ、このほど新しい「高齢者定義」に関する提言をまとめた。
 それは「75歳以上を『高齢者』と定義する」というもので、具体的には「65歳~74歳は准高齢者(pre-old)」「75歳~89歳は高齢者(old)」「90歳以上は超高齢者(oldest-oldまたはsuper-old)」というわけだ。
 「准高齢者を新たに設定することは、最長寿国日本において元気で活動性の高い年齢層の幅が広がったことを世界に発信する契機になるだけでなく、国民の感覚に即した意識改革の契機になる」と大内先生(68歳)はいう。社会保障政策への影響をはじめ是正が必要な現実的問題を内包していることは確かだが、日本における超高齢化現象の加速を勘案すると、大内先生らの意見に国も自治体も真摯に耳を傾け、再検討する機会であろう。
 筆者が何よりも驚いたのは故日野原氏のような100歳以上の日本人が2012年は5万人だったのが2025年には30万人、さらに2060年には65万人になると推計されていることだ。若者1.2人で1人のお年寄り(65歳以上)を見る時代が2060年には来ると言われるが、そのうち60万人は100歳以上とは想像もつかない。
 まさに日野原重明さんは「超高齢社会・日本」のトップランナーないしはモデルみたいな人物だったのだ。先生の死を契機に私たちは「元気で活力に富んだ超高齢化国家」をいかに造っていくかを考える時を迎えている。

出会った人々㉑ 宏池会を陰で支えた木村貢さん   宇治 敏彦

 池田勇人元首相の秘書を経て虎の門・自転車振興会館5階にあった宏池会(池田派)の事務局長になり、前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一各氏などの歴代会長時代に政治資金集めや政治家のサポートなど陰で同派を支えてきた木村貢氏が6月16日、90歳で亡くなった。以前は毎年1月11日の鈴木善幸・元首相の誕生日に、鈴木氏を囲んで堀内光雄(元通産相、元宏池会会長)、瓦力(元防衛庁長官)両議員や木村氏を交えて担当記者OBで会食していたが、政治家側は皆、鬼籍に入ってしまい、集まるきっかけがなくなった。木村さんは、ここ数年、青梅方面の施設で家族と離れて療養していたが、訃報に接して筆者が思ったのは「池田、大平、鈴木、宮澤という4人の総理大臣や前尾という名衆院議長を輩出した名門派閥の時代は終わったなあ」という実感だった。
 10年前、木村氏の著作「総理の品格」(徳間書店)の出版記念会を前記のメンバー(善幸さんは2004年亡くなったが)で開催し、「2作目に期待して」と万年筆を贈った時には、照れくさそうにしながらも満面の笑みを浮かべていたキーさん(木村さんの愛称)の姿が浮かんでくる。
 その本には木村さんでなければ書けないエピソードがいくつも紹介されている。大平首相が1980年(昭和55年)の衆参ダブル選挙の最中に心臓病で70歳にして虎ノ門病院で亡くなった直後の秘話もその一つ。
 「大平の遺体を霊安室に移すまで、息子さんと一緒に病室にいたとき、何とはなしに私は枕の下を見た。すると、何かを包んだハンカチが出てきた。薄緑色のハンカチだった。何だろうと思って取り出して見ると、何かを記した紙のようなものが包まれている。気にはなったが、私はそれを開けなかった。それより――そうだ、これをお守りにしようと思った。そこで私は、それを家に持って帰った。何か困ったことが起こったとき、このハンカチに相談すれば大平先生の声が聞けるのではないか」
 私も個人的にキーさんからこの話を聞いたことがあるが、その時はハンカチでなくスカーフだった。ともあれ病人を励ますために誰かから贈られたものであろう。志げ子夫人以外の女性からだったろうと推察される。何が書いてあったのか。「総理の品格」では「そのハンカチはいまも持っている。わが家にある。だが、開けたことは一度もない。お守りだから中に何が入っていようとかまわない」と付記している。でも開けなかったとは信じがたい。中身について洩らさなかったのは生涯、政治家秘書に徹した木村貢の生き方そのものといえよう。
 木村さんは画家の平山郁夫氏(故人)と広島の小学校で同窓だった。そのせいで「家には平山さんからいただいた絵が一枚あるのです。我が家の宝物です」と自慢していた。
 「宝物」と「お守り」の話をもっと聞きたかったが、それも不可能になった。

「終活」への準備運動    宇治 敏彦

 今年9月で満80歳を迎える小生は、そろそろ「終活」を考えるべき時期なのだろうか。表題に「『終活』への準備運動」と書いたが、そもそも「終活」が「人生の終末に向けて自ら準備すること」を意味する表現だから、「死への準備の準備」みたいな題で、こんなタイトルを即座に付けること自体が「ああ、まだ現世に未練を持っている証拠だなあ」と思ったりする。
 やっている「終活」準備を列記してみよう。
1、本の整理。
自宅とプレスセンターの事務所にある蔵書のうち政治関係で、小生が執筆活動に使わなくなったもの(著名政治家の個人全集など)を順次、知り合いの政治学者数人に差し上げている。衆参両院議員選挙、統一地方選挙のデータ類も数年内には使い終わると思われるので、使用後は国政選挙・地方選挙を研究している別の学者に贈呈することを約束した。
問題は、刊行されている出版物以外のデータ類である。筆者は政治部の駆け出し記者時代に内閣の憲法調査会(高柳賢三会長)を担当していたので、その当時のスクラップやデータも一部残っている。たとえば同調査会のメンバーたちに出した憲法改正の是非に関するアンケート調査で、中曽根康弘元首相をはじめ当時、同調査会の委員をしていた人達が自筆で書いてきた回答文が残っている。一度、獨協大学の政治学者にお譲りしたのだが、戦後70年とか日本国憲法施行70年といった節目の年を迎えて、テレビで憲法問題を何回も取り上げているドキュメンタリー工房の鈴木昭典代表(86歳)や青山学院大の憲法学者などから「ぜひ見せて欲しい」というので、現物を獨協大教授から戻していただいたケースもある。いずれまた再度差し上げるつもりだが、この種の生データはどうしたらよいか迷っている。
2、著作・スクラップ・写真の整理。
自分の著作は共著も含めると20冊以上になり、最低部数は保管している。記事スクラップも支局時代のものを含めて最低限にとどめているが、これも本棚のかなりの部分を占めている。写真は一応、家族もの、社内関係、社外の交友、海外取材などに分類したが、ゴルフの写真が結構残っている。さて、これらはどうするか。家族関係は家の者が扱いを決めるだろうが、小生自身のジャーナリストとしての活動の足跡は、家族には残されても持て余す存在だろう。
3、木版画の整理。
学生のことから木版画を彫ることを趣味としてきたので自宅と事務所に彫り終えた版木がかなり残っている。近年は万葉集版画を、この「埴輪」のほかに「暮らすめいと」(東京新聞の関連紙)、「メールマガジン・オルタ」(加藤宣幸氏発刊)、「ENERGY for the FUTURE」(エネルギー関連の雑誌)に掲載してもらっているので版木の数もまだ増え続けるだろう。それを処分する気にはまだなれない。
4、事務所
日本プレスセンタービルの8階にはキュービクルという小部屋中心の事務所が並んでいる。筆者は自宅に本や資料を収容しきれなくなって1995年11月からプレスセンターに小部屋を借りている。仕事場としては快適だが、最近は同じ階に部屋を借りていた元NHKのU氏とか元日経記者のT氏とか知遇を得ていた記者たちが高齢などを理由に引き払い、寂しさを感じている。「自分はいつまで借りていようか」と時々考えるようになった。

 そのほか背広など衣類や本棚や机など家具類は、小生の死後に家族が処理してくれるだろうが、なるべくならあまり面倒を掛けたくないので、余計なものは買わないように心掛けている。
 東京新聞が6月10日付け朝刊「考える広場」で「終活しますか?」を特集した。その中で倉本聡さん(脚本家)は、子どもがいないので「ほっておくと法定相続ということになり、それにはまらないものは国に没収されてしまう」というので、真剣に終活を始めたと明かしている。「年を取るにつれ、今まで身に付いてきたものをどんどん捨てている感じはありますね。一首の断捨離です。平たくいえば、お客にこびる姿勢じゃなくて、自分がおかしければいい」
 一方、仏教思想家ひろ さちさん(80歳)は、終活は何もしていないという。「子供には『お父さんが死んだら、お骨はどうしてもいいよ』と言っています。死んだ瞬間に極楽浄土に行き、阿弥陀仏の弟子になると信じています」
 死に至る過程や死を迎える覚悟は、人それぞれだから、どれがベストの道というのは難しい。要は、いつ死が訪れても後悔がないよう毎日を真剣に生きること。それが私の「終活」だと思っている。

安倍首相の改憲「曲球(くせだま)」にどう対応すべきか   宇治 敏彦

 「安倍首相発明の改憲案には意表を突かれた」(文芸評論家・斉藤美奈子さん。10日付東京新聞朝刊「本音のコラム」)、「今回の9条改憲提案は、安倍さんが投げた曲球だと思います」(国際政治学が専門の加藤朗桜美林大学教授。9日付朝日新聞朝刊)などなど、安倍首相が5月3日(憲法記念日)の読売新聞紙上で明らかにした「改憲構想」が各方面に大きな波紋を投げかけています。
 安倍発言の骨子は「東京五輪・パラリンピックが開催される2020年施行を目指して①9条(戦争放棄)の1項、2項を維持したうえで、自衛隊に関する条文を追加する②教育無償化に関する日本維新の会の提案を歓迎する」というものです。
 なるほど「曲球」、あるいは「癖球」ですね。なぜかといえば、第一に連立を組んでいる公明党の「加憲」案や野党第一党の民進党内にもある「自衛隊明記論」(たとえば前原誠司氏の「9条3項、あるいは10条で自衛隊について明記する案」)などに配慮していること。
第二に、世論の取り込みのために「9条1項および2項には手をつけない」と明言していること。そして第三には「教育無償化」など9条以外のテーマでも日本維新の会など野党の改憲案に同調していることです。
 「読売新聞はさすが腰巾着、9日の社説でも『各党は、生産的な改正論議を展開してもらいたい』などと、ふんぞり返って書いている」と前掲の斉藤さんは指摘しますが、時事通信OBの杉浦正章氏は毎朝発信しているブログ「今朝のニュース解説」(11日)で次のように言及しています。
 「安倍が唐突に見える決断を下した背景を見れば、読売が絡んでいるという見方が濃厚だ。読売OB筋によると『どうもナベさんの進言が利いたらしい』とのことだ。読売新聞グループ本社主筆渡辺恒雄が首相に最近進言したというのだ」
 読売は既に同社としての「憲法改正試案」を作成(1991年以来、数回にわたり紙面で公表)しており、その第12条で国防に関して(1)自衛のための軍隊の保持(2)その最高指揮官は首相(3)国民に軍隊参加を強制しない、と規定しています。自公連立で衆参両院において3分の2を占めているうちに「改憲に着手すべきだ」と渡辺主筆が安倍首相にハッパをかけるのも十分あり得ることでしょう。安倍3選が可能な情勢になり、しかも2020年の東京五輪のお祭り騒ぎと一体化すれば、憲法改正という自民党結党以来の「宿題」も実現できるとあおったかもしれないと、筆者は想像しています。
 自民党内には「行政の長たる総理大臣には、もう少し慎重であっていただきたかった」(船田元・自民党憲法改正推進本部長代行)、「戦力を保持しないという9条2項が生きていては、自衛隊が警察なのか軍隊なのか答えが出ない」(石破茂・前地方創生相)など安倍首相の改憲発言に懸念、ないし異論をはさむ向きもあります。しかし、「当面9条改正は考えない」としてきたハト派集団の宏池会会長・岸田文雄外相は「いろいろな意見、考え方が示されるのは議論の活性化という点で意味がある」と安倍発言に困惑の表情ながら全否定の態度は示していません。やはり「安倍一強政治」の中で総理総裁に歯向かうことは与党幹部、主要閣僚といえども至難というのが現状のようです。
 野党第一党の民進党も前記のように9条改憲論者を党内に抱えて蓮舫代表が身動きできない状況です。
 筆者は、今日のようなナショナリズ再台頭の時代こそ日本は9条改憲をステップにする「武の政治」に偏るのではなく、戦後70年守られてきた平和憲法の「文の政治」による英知とリーダーシップを発揮すべきだ思います。
 幸いフランスの大統領選挙では反EU(欧州連合)を訴えた極右・国民戦線のルペン女史ではなく、EU統合推進派の中道・独立系の若手政治家(39歳)マクロン前経済相が勝利したことで、ヨーロッパ分裂の危機や右派台頭は一旦回避されました。メルケル独首相やEU首脳が喜んだのも無理はありません。また韓国の大統領選挙でも革新系野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)氏が対抗馬2人に大差をつけて当選しました。文大統領は10日、就任演説を行い、「私の心は統合と共存の新しい世の中を切り開いていく青写真で満ちている」「条件が整えば、平壌にも行く。朝鮮半島の平和定着のためなら、私が出来る全てのことをする」などと決意表明しました。
 この2つの大統領選結果に見られるような「文の政治」志向がいま地球規模で求められているのです。安倍首相の「9条改憲提案」に対して私は次の3点を逆提案します。
1、 トランプ米大統領の「アメリカ第一主義」に代表される世界的な「自国中心主義」の台頭に歯止めをかけ、冷戦終結後の「国際協調主義」機運を復活させるために、日本は「不戦の誓い」である憲法9条(戦争放棄)の精神に基づいて戦争・紛争には関係ない「経済」「技術」「人的支援」などの側面で、こうした協力が出来るという「日本の世界サポート計画」をまとめ、各国に提示してはどうだろうか。
北朝鮮に対しても、同国が核開発など軍事面での威嚇行動を停止すれば、経済的支援の用意があることを具体的に表明してはどうか。
2、 いま世界が「自国主義」に走っている底流にあるものとして「貧富の格差」「未来への不安」「人種差別」などがあります。それらの解決に向けて日本が「1億総活躍社会」規模でなく「地球総活躍社会」への提言やその推進のための組織作りに旗振り役を買って出てはどうだろうか。
3、 「過激派テロ」「難民・移民の急増」という問題が解決しない限り世界的な安定は至難の業です。「視線を上げて世界、未来を見つめながら、どういう国にしていきたいのか、平和で安全で繁栄している日本をどう守っていくのか、どう理想に近づけていくのか、それぞれが考える憲法論議にしていきたい」(3日の読売新聞での安倍首相インタビューでの発言)のであれば、まずは戦後70余年にわたり平和憲法の下で努力してきた日本の実績を世界に喧伝し、「平和憲法」イコール「国の発展」であるとの「模範」を誇示してはどうか。
 論客の田中秀征氏(元経済企画庁長官)は安倍提案への疑問として「9条の1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むのは明らかに矛盾」(9日付朝日朝刊)と強調しています。その通りですが、その点を追及するだけでは「安倍流曲玉」を跳ね返せないでしょう。条文表現の問題という視点を超えて、「不戦国家日本」という信念を貫く度胸や高い理念、具体策を提示することこそが安倍首相への返球になるい違いありません。

「大宏池会」構想は実現可能か    宇治 敏彦

  故池田勇人元首相が結成した自民党内の派閥「宏池会」がことし結成60周年を迎えた。池田氏を筆頭に大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、麻生太郎各氏といった総理大臣や河野洋平自民党総裁などを輩出してきた名門派閥で、現在は岸田文雄外相が会長を務めている。岸田派は46人で、平成10年に分裂した麻生派(麻生太郎副総理兼財務相)が45人。さらに自転車事故で大怪我をして現在リハビリ中の谷垣禎一前自民党幹事長を中心にする元宏池会系グループが約20人いる。こうした宏池会系の議員たちの間で「60年前の原点に戻って大同団結してはどうか」という声が出ており、「大宏池会」が実現するかどうかが政界で話題になっている。もし「大宏池会」が出来れば、安倍首相の出身派閥・細田派(97人)を抜く100人超の最大派閥になるだけに安倍総裁の任期延長にも大きく影響するだろう。
  筆者は昭和30年代後半に池田総理番から政治記者としてスタートし、前尾派、大平派、鈴木派、宮澤派と長く宏池会を担当したOBとして宏池会グループの今後には無関心でいられない。
  「宏池会」とは一体どういう政治集団で、何を目指してきたのか。そして現在の岸田派を中心とする上記グループは池田元首相が目指した政治路線をきちんと引き継いでいるのかなどについて論考し、果たして「大宏池会」が実現するかどうかを展望してみよう。
  「高光の榭(うてな)に休息して宏池に臨む」。後漢の碩学・馬融の言葉から陽明学者・安岡正篤氏が命名した宏池会という派閥は、池田氏が中心になって昭和32年(1957年)に結成した政治集団だ。アメリカ大使館前の短波放送ビル5階に事務所を構え、事務局長には旧大蔵省で池田氏と同期だった田村敏雄氏(非議員)が座った。昭和33年5月の第28回総選挙では自民党が287議席(社会党は166議席)を獲得し、第2次岸信介内閣がスタート。55人を当選させた宏池会も大派閥で、池田氏は当然、主要閣僚に起用されるものと想定していた。ところが岸内閣は岸派、佐藤(栄作)派、河野(一郎)派、大野(伴睦)派が主流4派で、池田派は非主流だったこともあり、同氏には無任所国務相というポストしか回って来なかった。池田氏は当然、面白くなかったに違いない。岸氏は戦前からのエリート商工省官僚OBであるのに対して池田氏は大蔵官僚OBとはいえ難病で長く休職していたこともあって自ら「赤ゲット官僚」「赤切符組」(非エリート)というほどエリート官僚とはほど遠く、税の専門家という程度で、岸首相とは肌合いも人生観も大きく違っていた。
  岸内閣は警職法改正案に続き日米安保条約の改定を強行し、池田勇人、三木武夫、灘尾弘吉の3氏が同年末、閣僚辞任という行動に出た。岸首相は大野伴睦氏に「次は君に譲るから」という趣旨の空証文を書いて政権維持を図ろうとしたが、国会議事堂を幾重にも取り囲む「岸を倒せ」「アンポ粉砕」の大規模デモに抗しきれず、国会での新安保自然承認と引き換えに退陣した。それに先立ち1960年7月14日に行われた後継自民党総裁選挙には池田氏のほか石井光次郎、藤山愛一郎、松村謙三各氏も立候補し、決選投票で池田氏が石井氏を破り、新総理・総裁となった。ここで筆者が感心するのは、宏池会という派閥が有効に機能し、池田氏が前尾繁三郎、大平正芳両氏らの助言・苦言を抵抗なく全面的に受け入れたことである。「寛容と忍耐」「低姿勢」という基本姿勢をはじめ「総理大臣在任中はゴルフにいかない」「昼食はカレーライス」「料亭通いはしない」などなど。池田勇人という政治家がもともと謙虚で低姿勢な人物でないことは、それまでの国会での失言(「中小企業の一つや二つ倒産しても」「貧乏人は麦飯を食え」)でも明らかで、大平、宮澤といった知恵者揃いの元秘書官たちが考案したアイデアだった(ただ後年、池田氏のお嬢さんの一人から聞いた話では「麦飯発言をした昭和25年当時、我が家では実際に麦飯を食べていました」という)。池田氏は合理主義者の側面が強く、池田番記者にご馳走してくれるときでも「残したらもったいないよ。料金は同じなんだから」と言っていた。これは拙著(「実写1955年体制」第一法規)にも書いたことだが、1962年に開業したばかりのホテルオークラで記者団との忘年会をやった時も「さあ全部食べていこうじゃないか。まだ大分残っているよ。値段は同じなんだから」とだみ声で急き立てられたことを覚えている。師弟相通ずるというか、子分の大平官房長官(当時)にも同じようなところがあって、駒込の大平邸で夜回りを終わると、「じゃあ、またな」といって応接室や玄関の電灯を自ら消して回った。
  「所得倍増政策」が池田内閣の公約だった。当初は「月給2倍論」と言っていた。しかし、「月給」というとサラリーマンなどに限定されることから、日本全体の国民所得(名目GNP)を10年で倍増するという政策になった。その理論づけは木曜会という識者の勉強会で行われた。元大蔵官僚の田村事務局長が集めた主要メンバーは下村治(日本開発銀行理事)、星野直樹(元満州国総務長官)、高橋亀吉(経済評論家)、平田敬一郎(日本開発銀行総裁)各氏らだった。実は岸信介氏も首相時代に福田赳夫農林大臣(当時)の入れ知恵で「所得倍増10年計画」を吹聴したことがあった。しかし、これは途中で計画倒れに終わった。
  池田首相は1960年9月の記者会見で所得倍増計画について次のように語っている。
 「10年間に国民所得を倍にするには1年に7.2%の経済成長が必要だ。過去5年間の成長率は年9%なので十分達成可能だ」。そして現実には5年で倍増が達成されたのだった。さらに完全失業率1.1%、有効求人倍率0.8%と戦後の夢であった「完全雇用」が1964年には達成し、国際経済面では日本のOECD(経済開発協力機構)加盟やIMF(国際通貨基金)8条国移行も実現したほか、池田・ケネディー日米首脳のヨット会談を経て日米貿易経済合同委員会が定期的に開催されるようになった。
  池田首相が喉頭がんで退陣した1964年(昭和39年)には東海道新幹線や東京モノレールの開業、名神高速道路の開通、そして東京オリンピックの開催があり、日本人の多くは「経済大国」入りを実感した。「安保反対」デモでの東大生・樺美智子さんの死に象徴される暗い時代の風景から「所得倍増」で日本人の気持ちを明るく一転させた池田政治は、高く評価されてよい。
  もともと戦後政治には吉田茂政権に代表される「保守本流政治」と、鳩山一郎、岸信介政権に代表される「戦後脱却・独立重視政治」の流れがあった。前者は①親米②軽武装③自由主義経済、の路線であり、後者は①憲法改正②反共③自主防衛強化、の路線だった。
  その後の歴代政権を振り返ってみると、1955年体制時代(自社2大政党時代)から西暦2000年の小渕恵三内閣までは圧倒的に前者が優勢だった。だが小渕氏の死後は森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、安倍晋三内閣と後者の潮流が優勢となって、今日まで続いている。安倍首相は米国のトランプ大統領と蜜月関係を構築し、当分は「安倍一強」が続く情勢だ。今年は小泉政権の在職期間も超え、さらに2020年の東京オリンピックも見据えて総裁任期の延長を活用し3選に挑む可能性も大きい。
  最近の「大宏池会」構想は、当然こうした政治状況を踏まえての動きだが、肝心なことは誰がその「大宏池会」を引っ張っていけるかである。候補は3人いる。麻生太郎副総理兼財務相、岸田文雄外相、谷垣禎一前幹事長。だが、このうち谷垣氏は長期入院中で、残るは麻生氏か岸田氏だ。間をとって「麻生会長、岸田総理総裁候補」という案も浮上している。年齢的にも政治キャリア上も、麻生氏が派閥の会長で、そのかわり総理総裁候補は岸田氏というのは、確かに100人の大派閥となれば一つの形がつくれるだろう。
  問題は、その岸田氏に対して「血筋は申し分ないが、総理総裁を目指そうという覇気が感じられない」「安倍首相に従順で、禅譲狙いというのではいかがなものか」「大宏池会を率いていくだけの実力が備わっているのか」など厳しい声が聞こえてくる。最近の週刊誌(週刊新潮)でも「総裁選に意欲の岸田外相が官邸の外務省イジメに白旗」という記事を掲載していた。日米首脳会談の日程調整や韓国の慰安婦像撤去問題なども官邸主導で岸田外相は蚊帳の外に置かれているというのだ。岸田氏の知人が「ポスト安倍への意欲を聞いたら『永遠の総裁候補だったりしてー』と答えたので、思わずズッコケた」と漏らしている(同誌)。
10年前に宏池会が「宏池会の50年 そして未来へ」という冊子を発行した。その中の若手議員座談会で岸田氏は、こう言っている。
  「良質な中間層の厚みは、民主主義社会の基本です。それがないと民主主義は育たないので、しっかり考えていかなければならない。経済の拡大を図りながら、具体的な政策でできるだけ格差を感じさせないような制度を作っていく」
 まさに吉田茂の系統を引き継ぐ「保守本流」の理念である。最大の問題は、理念は良し、されど政治指導者としての岸田文雄氏の「存在感」は何処にということであろう。祖父も父も国会議員経験者で、故宮澤喜一元首相ら宮澤一家とは縁戚という血筋の良さから、ひたすら安倍首相からの禅譲待ちとの姿勢では政権は取れないだろうし、「大宏池会」も実るまい。すべては岸田氏本人が戦闘モードに大変身するかどうかにかかっている。
  また最近の情報では、「大宏池会」構想の陰の主役は古賀誠・元自民党幹事長(宏池会名誉会長)で、同氏の狙いは同じ九州の同志、麻生副総理の「ポスト安倍狙い」という復帰作戦だというから、魑魅魍魎の工作が背後ではなされていて、先が読めないところだ。
 (この原稿は「安保研リポート」3月24日号に掲載したものを一部手直ししました)

震災は日本人の人間性を向上させただろうか?   宇治 敏彦

 東日本大震災から3月11日で6年が経つ。東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故も加わって、まだ故郷に帰れない人々も多い。政府は原発事故で避難指示を出した地域のうち福島県の浪江町、川俣町、飯館村については3月31日、富岡町については4月1日、それぞれ帰還困難区域を除き帰還を認めることになった。その一方、大熊町、双葉町では依然、解除の見通しが立っていない。チェルノブイリ原発事故跡地が依然、居住不能なのと同様に、東電原発事故がいかに日本人の暮らしに大きな被害を与えたかを改めて思い知らされる。
 しかし悪いのは東電だけではない。被災者やその関係者から補助金をむしり取ろうと目論む日本人が結構いることだ。なかでも純粋無垢と思われる子供たちの間で、そういう行為が「いじめ」として行われていた事実に接し、筆者は「日本人は進歩しているのだろうか?」と疑ってしまう。最近、東電原発事故で横浜市に避難した中学一年の男子生徒が「つらいことがあっても自殺を考えないでください」と全国のいじめ被害者に呼びかける手記を発表して話題になった。
 この少年は横浜に避難した小学六年生当時に仲間の生徒たちから「補助金ゆすり」のように合計150万円を脅し取られ、不登校に陥った。これを特殊例と言えないほどに各地で被災者いじめが行われてきた。
 また3月8日の中日新聞朝刊の記事によれば、日本に難民申請中のバングラデシユ人の男性2人が人材派遣会社を名乗る日本人から「福島第一原発事故の除染に従事すればビザが延長される」と嘘の説明を受けて、福島県飯館村で除染作業に携わっていたという。
 いじめ、詐欺、窃盗、婦女暴行などなど、さまざまな悪事が震災と原発事故を「絶好の舞台」にして行われてきたことを私たちは看過してはならない。こうした報道に接して私が思い出すのは6年前に「埴輪」同人の小榑雅章君と二人で震災直後の宮城県石巻市や福島県飯館村などを視察した時のことだ。飯館村の広報紙には「避難したいが、その間に農機具などが盗まれないようにするにはどうしたらよいのか」といった相談が寄せられているとの記事が載っていた。
 「地震、雷、火事、おやじ」。昔から「怖いもの」として口伝されてきたが、本当に怖いのは、災難を悪事のチャンスと捉える「精神の腐敗」ではないだろうか。「俺おれ詐欺」なども含めて、終戦直後の昭和20年代に比べたら、はるかに物質的に豊かになっているのに、子どもの世代も含めて精神的に腐敗していく素地が広がっているとしたら、日本の未来は決して明るくない。

安倍首相はトランプ大統領を叱ることが出来るか  宇治敏彦

 首脳同士が個人的にも親しくなるのは大いに結構なことだが、ワシントンやフロリダでのトランプ大統領に対する安倍晋三首相の破顔一笑ぶりを見ていると、「この人、アメリカに苦言を呈することは出来るのだろうか」と心配になる。現に同大統領がイスラム圏7か国からの入国禁止令を発したことに共同記者会見で米紙記者からコメントを求められ、安倍首相は「入国管理、難民政策、移民政策はその国の内政問題なので、コメントは差し控えたい」と逃げていた。同じ問題で英国のメイ首相は先のトランプ大統領との会談で「間違っている」と明言した。
 もちろん入国対象者がテロリストの疑いがあれば入国拒否をするのは当然だが、イスラム圏7か国という一般的基準で「入国拒否」をするのはイスラム教信者を不当に差別するという「信仰の自由に反する行為」そのもので、米国の裁判所さえトランプ大統領の決定に反旗を翻した。せめて安倍首相には「具体的ケースについてはコメントを避けるが、信仰の自由は国境を超えて守られるべきだというのが私の信条です」というぐらいのコメントはしてほしいところだった。
 山口二郎法政大教授が新聞のコラムで「架空ゴルフ場密談」と題して、次のようなことを書いていた。
 (安倍首相)「まずはマスコミを手なずけるのが上策です。やつらにはすしを食わせれば、たちまち尻尾を振ってきます」
 (トランプ大統領)「じゃあ、インフラ資金よりも先に、日本一のすし職人をワシントンに送ってくれ。日本政府の資金でな」
 (首相)「お安いご用で。この際、ネタはヒラメがいいでしょう。上の顔色ばかりうかがう理想的な魚ですから」(2月12日、東京新聞朝刊「本音のコラム」)
 きつーいジョークだが、安倍首相が今回の首脳会談で環太平洋連携協定(TPP)からの米国の離脱に関して「それはおかしいですよ」と言った形跡はうかがえない。トランプ大統領は「安倍首相とはケミストリーがあう(気があう)」とおだてた。確かに安倍首相はオバマ前大統領とは、日本の自民党対米国の民主党という政治信条の違いもさることながらケミストリーが合わない点がみられた。首相とケミストリーがあうのはロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領だとみられてきた。
 日米関係や国際関係が順調なときはよい。しかし、今年は世界がさまざまな側面で激動しそうだ。特にトランプ大統領は、常識から外れて(いや事実から外れて)自説を主張する性格の持ち主だ。大統領就任式典の参加者はオバマ大統領の就任式を上回って史上最高だったと本人やスポークスマンが平気で嘘を発表する。記者会見では、「ヒラメの記者」は指名するが、反対論を書く報道機関は無視する。安倍首相が「政府に反論するマスコミにも耳を傾けることが政権運営の王道ですよ」とトランプ大統領を叱る場面を見られる日が来るだろうか?

トランプ氏がdisasterにならねばよいが  宇治敏彦

 アメリカでトランプ政権がスタートした。米国内外で「反トランプ」デモが起きるなど早くも波高しだ。政治家経験は州知事も上下両院議員も行政府幹部も経験ゼロで、いきなり大国のトップリーダーだから、環太平洋経済連携協定(TPP)の不承認、オバマケアの取り消しなど、やることも冒頭から荒っぽい。
TPP参加予定12か国の国内総生産(GDP)は約3100兆円(世界の約4割)だが、そのうちの6割が米国だからTPPはトランプ大統領の不承認サインで「死に体」になった。TPPの国会承認に汗をかいてきた安倍晋三首相とすれば「簡単にTPPを破棄されてはたまらない」というのが本音だろう。
 こうした米新大統領の言動は、一言でいえば「アメリカ・ファースト(米国第一)」の考え方だ。つまり「貧富の格差拡大」「失業問題の深刻化」「急増する移民対策」「生ぬるいテロ対策」など白人中心に高まる米国民の不平・不満解決を政権の最優先課題と考えている。
「自国優先」主義は欧州でも拡大している。昨年6月、英国が国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決定し、首相退陣につながったのを契機に「グローバリズム(地球規模の政治)」より「自国優先思潮」がほかの欧州諸国にも拡散し始めた。イタリアでは同12月、「実質的な一院制への移行や、エネルギー政策の権限を国の専権事項にする」などの憲法改正の是非を問う国民投票が大差で否決され、レンツィ首相が辞任した。今年は3月にオランダで総選挙、5月にフランスの大統領選挙、秋にはドイツ連邦議会選挙が予定されているが、いずれも「イスラム教徒排斥」「難民受け入れの規制」「反EU」などを掲げる右派勢力が台頭する機運だ。人道主義の立場から難民の受け入れに積極的だったドイツのメルケル首相の地位も決して安泰とは言えない。
 「まず自国民を大事にしろ」「移民は自国にとってチャンスでなく負担だ」(フランス国民戦線のルペン党首など)という主張がポピュリズム(大衆迎合主義)とも重なって国民の支持を増やしつつある。こうした傾向はアジアでも広がりを見せている。お隣の韓国では朴槿恵大統領が友人女性による国政介入疑惑で国民の猛反発を受け「死に体」状態になっている。
 世界を見廻して、目下のところ安定政権ないしは長期政権を維持しているのはロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領、シリアのアサド大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして日本の安倍首相などそう多くはない。安倍首相の在職日数(第1次内閣時代を含む)は昨年12月、中曽根康弘氏を抜いて戦後首相では歴代4位になった。波乱が無ければ今年は小泉純一郎氏の在職日数も追い越す。内閣支持率も50%台で安定している。
 しかし、この「高値安定」が2017年以降も続くかといえば、不透明な部分が多い。3つの流動要因がある。第1は、既に2年以上経過した衆院任期をにらみながら、いつ解散・総選挙を断行するかだ。次の選挙でも自民党が290議席をキープするのは容易ではない。特に約4割の同党議員が当選1、2回生だ。過去にも「小沢(一郎)ガールズ」とか「小泉(純一郎)チルドレン」といわれた当選1、2回生が次の選挙では多数落選した。「安倍チルドレン」の再選を期することが安定多数を維持できるかどうかのカギになる。
 第2には8月に予定されている東京都議選。現在は127議席の定数のうち自民党が60議席、公明党が23議席で過半数(64議席)を大幅に上回っている。だが小池百合子都知事が立ち上げた政治塾には約4000人が集まっており、同知事は「立候補したい人がたくさんいる。今の政治に不満を持っている方がいかに多いかの表れだ」として「東京大改革」を旗印に地域政党を立ち上げる。小池ブームが続けば、安倍自民党も都議選で苦戦を強いられるだろう。
 第3には、未知数の部分が多いトランプ米政権との付き合い方をはじめ事実上「大統領不在」の韓国や依然、友好関係の深まりが見えない中国との関係など安倍外交が試練の本番を迎える。特に中国とは2017年が日中国交正常化45周年、2018年が日中平和友好条約締結40周年に当たるので、中国側も「これらの記念すべき時までには、日中関係の本格的な改善を図りたい」(程永華駐日大使)としている。しかし日本政府の尖閣諸島国有化、中国の軍事大国化や南沙諸島進出、日中空軍の接近問題、安倍政権下での「改憲ムード」など、さまざまな要因が影響して、1972年9月の国交正常化当時の「日中友好ムード」は望むべくもない。
さらにG7サミットの存在感が薄れつつある。その背景には1999年から開催されているG20(G7に中国、インド、ブラジルなど新興国も加えた財務大臣・中央銀行総裁会議)、あるいは2008年からのG20首脳会合といった多国間首脳会合が定期化してG7の影が薄くなっているのだ。G7サミットは今年5月、イタリアのシシリア島で開催予定だが、昨年の伊勢志摩サミットでそれを提案したレンツィ首相はその後、辞任した。トランプ米大統領は出席してもグローバルな見地からG7をまとめていく役割を果たすかは、はなはだ疑問である。むしろトランプ氏の持論からすれば欧米で盛り上がっている「移民規制」の動きに同調して、それを推進するようサミット宣言に盛り込むべきだと主張しかねない。世界を前向きに引っ張っていくG7の時代は終わって、「自国優先」政策を主張しあう首脳会合にならなければ良いがと筆者は懸念している。
 このように2017年は世界規模でも、近隣外交でも、国内情勢でも、なかなか厳しい一年になる。できるなら安倍首相が過去の豊富な外国訪問経歴を生かして「G7」のまとめ役になるべきだろうが、それには先進国と開発途上国の格差是正策、移民問題や環境問題の解決策、さらにはIS(イスラム国)のテロ撲滅とシリア民主化の推進策など「世界的視野」で日本がどんな先導的役割を果たすことが可能なのかを国民とともに模索しなければならない。世界が「自国優先」主義に走る中で、「国際協調」を如何に維持していくか。それが安倍首相を含めて世界の政治リーダーに課せられた最大の宿題だ
 トランプ大統領はdisaster(災い)という言葉をよく使う。「オバマ前大統領はdisaster」といった具合に。ところが、そのトランプ大統領もdisasterになるかもしれない。就任式のスピーチでは「米国では政治家は豊かになったが、国民は職も工場も失った」と述べた。だが、今アメリカも世界も望んでいるのは米大統領らしい人物である。「トランプ大統領はdisaster」といわれないよう自戒してほしい。
(この原稿は「行政&情報システム」2月号に書いたものをその後の状況に合わせて補強したものです)

鉄が勝つか、木が勝つか    宇治 敏彦

 昨年出版した拙著「版画でたどる万葉さんぽ」(新評論社)に三重塔再建に賭けた法輪寺(奈良県斑鳩町)の井上慶覚和尚(故人)の熱意について書いた。この塔は世界最古の木造の三重塔といわれたが、1944年(昭和19年)7月、落雷で全焼した。筆者は高校時代に法輪寺に何日もお世話になり、当時は健在だった慶覚和上から三重塔再建への熱意をうかがった。和上の「夢」という揮毫を便箋にして再建費の一助にしたいというので、筆者は慶覚さんの書を版画に彫るなど、ささやかな協力をさせてもらった。作家の幸田文さんは私財を投じて協力し、東京から斑鳩に移り住んだほどだった。三重塔は1975年(昭和50年)3月に創建当時の姿で再建されたが、残念なことに井上慶覚さんは、その6年前亡くなっていた。
 以上が私の書いた一文の概要だが、昨年末、これを読んだ長谷川隆さん(共同通信社OB)から「伊東光晴氏が『技能に生きる世界』という一文で法輪寺の三重塔再建に関する裏話を書いていますよ」と教えてくれた。彼が親切に贈ってくれた「君たちの生きる社会」(伊東光晴、ちくま文庫、1978年)からその部分を引用する。
 「設計者は竹島卓一博士。つくった棟梁は、法隆寺大工西岡常一さんです。しかし、ここに問題がありました。先代の住職さん(注:井上慶覚さんのこと)は西岡さんに、あなたの思いどおりにつくりなさいといったのだそうです。しかし竹島博士の設計図を見たとき、西岡さんは、このとおりやれというのならばやめさせてもらいますといってことわったのです」
 「現代の構造力学上からいうと、昔の設計図に無理がある」と竹島博士は「補強として鉄を使う設計図を描いた」。これに対して西岡大工は「なるほど鉄は力が強い。しかし生命力がない。(近くの)法華寺の三重塔は明治30年の解体修理で鉄のボルトが使われたが、すでに錆びてねじやまがきかなくなっていて塔をゆがめる原因になった」という。
 長い論争の結果、「必要最低限の鉄材をつかう」ことで妥協した。西岡氏は法輪寺三重塔の建設材として樹齢1500年のヒノキを求め日本に限らず台湾まで行ったという。「私の考えが正しいか、竹島先生の考えが正しいか、それはやがて歴史が証明するであろう」と言った、と伊東氏は同著に書いている。
 設計者が正しいか、大工の棟梁が正しいか――。残念ながら両氏だけでなく、私も含めて、その「判定」は後世の日本人に委ねる以外にない。

世界はどこまで「逆流」するのか    宇治 敏彦

 2017年(平成29年)という新しい年がスタートした。日本各地では初日の出も見られ、穏やかな天候の正月となった。しかし、世界を見ると、元日の未明にトルコの首都イスタンブールのナイトクラブでは乱射事件があり100人以上の市民が死傷した。地元知事は「サンタクロースの格好をしたテロリストによる残虐行為」と公表した。このクラブもあるボスボラス海峡沿いの道を筆者も数年前に何回か通ったことがあり、他人事のように思えなかった。トルコではエルドアン大統領の独裁政権に対する不満が高まっており、テロ行為も近年、急増している。
 前日の大晦日にはイラクの首都バクダッドの市場で爆発事件が2件あり、買い物客ら25人が死亡した。過激派組織「イスラム国」(IS)系のメディアは「イスラム系シーア派を狙った」とする犯行声明を出した。
 21世紀は米国における同時多発テロ(2001年9月11日)で幕を開けたが、15年以上たっても、テロ事件は収まるどころか、ますます増えそうな気配ではないか。
 そうした現象に輪をかけるのが米国のトランプ新大統領の「自国優先主義」ではないかと私は危惧している。「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」というトランプ氏の発想は、メキシコなどからの移民急増で白人たちの職が奪われ、経済的にも米国の企業が疲弊していることへの対抗策から生まれたものと思えるが、トランプ発言の影響は単に米国内にとどまらず欧州やアジアにも波及している。人道主義の立場で難民受け入れに積極的だった西ドイツのメルケル首相も最近は孤立化を指摘され、秋のドイツ総選挙(下院選挙)で安泰とは言えないとまで欧州のマスコミは報じている。
 第2次世界大戦が終わった直後は国連の力も強く、日本が鳩山一郎政権の下で国連加盟を果たした1956年(昭和31年)までは、日本人の多くも「国連中心主義」という神話を信じ切っていた。また、もう一つの神話として「民主主義国同士での戦争は起きない」とされ、そう信じられていた。だが1982年(昭和57年)4月のフォークランド戦争(イギリスとアルゼンチンの間で起きたフォークランド諸島をめぐる領有権争い)が勃発すると、その神話もぐらついた。
 トランプ大統領をはじめ世界中の指導者たちが「自国優先主義」をし始めたら「国際協調」「国連中心主義」「人命重視」の風潮は大幅に後退を余儀なくされ、G7サミットもG20サミットも有名無実化するのではないか。こうした「逆流」を止める政治指導者が出て来ないものか。「国境を超えて人命ファーストでいこう」という政治家を育てることが急務だ。そのために私たちも国際世論を盛り上げていこう。年頭に当たっての私の思いである。
 

「昭和8年」を学び直そう   宇治敏彦

 横浜市中区日本大通りにある「ニュースパーク」(新聞博物館)で開催中の企画展「こんな時代があった 報道写真『昭和8年』」を見に行った。日本電報通信社(電通の前身)が昭和8年(1933年)に加盟社などに配信した内外の報道写真など約150点が展示されていた。この年、ドイツで台頭したヒトラー首相の動向や国際連盟総会で脱退を表明して日本国民から拍手喝采された松岡洋右全権(後に近衛内閣で外相)の表情をはじめ、パリで始まった毒ガス防御マスクの実習風景とか、日本での最初の防空演習の模様など、世界が「戦争へ、戦争へ」と走り出そうとしていた昭和8年という年を浮き彫りにしている。
 筆者は昨年、「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」(新評論)という本を上梓し、その出版記念会の挨拶で「昭和8年を学び直そう」と参会者に呼びかけた。
それというのも昭和8年に京大法学部4年生だった筆者の父は「滝川事件」に遭遇して、就職先に苦慮していた。この年に出版された滝川幸辰京大法学部教授の著書「刑法読本」が「アカではないか」(共産党寄りではないか)と噂になり、内務省が発禁処分にした。ときの文部大臣・鳩山一郎は「赤い教授」を弾劾し、滝川教授の退官を要求した。法学部教授会がこれを拒否すると、文部省は滝川教授を休職処分とした。それに反発した大学や学生たちの反対運動が全国的に広がり、政府は思想弾圧を一段と強めていった。
小学校の国語教科書は大正7年からの「ハナ ハト マメ マス」が「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」に変わり、国威発揚型の色合いを強めていった。その国の政府が戦争志向を強める時は、必ずと言っていいほど思想・言論・教育・結社の自由を制限する方向に進んでいく。教科書の変化に象徴されるように長野県では「赤化教員の一斉検挙」があり、作家・小林多喜二が取り調べ中に虐殺されるなど、さまざまな思想弾圧が行われ始めた。それは日本の関東軍が河北侵入を開始したのとも軌を一にしていた。
私は昨年もこの「埴輪」に「昭和8年の教訓に学ぶ」という一文を書いたが、今回のニュースパークでの「昭和8年」写真展を見て、日本をはじめ世界全体が第2次世界大戦へと助走を始めた年ではないかと改めて思った。
同年12月23日、明仁皇太子(現天皇)が誕生している。「御名 明仁 御称号 継宮」と掲示する写真も展示されている。
歴史を学ぶ上で一見の価値ある展覧会と思う。(この写真展は12月25日までニュースパークで開催中。月曜休館)

「背広姿の万葉板画家」とでも言いますか?   宇治敏彦

 今から6年前に、このブログ雑誌「埴輪」がスタートした時、編集長の小榑雅章さんが小生の万葉板画を「宇治美術館」と称してパソコン上に掲載してくれた。時には仏像やお祭りのペン画も交えながら、今回で100回目の「美術館」になる。
 なぜ「万葉集」を版画に彫るのかと聞かれることがある。大伴家持らによって編纂された奈良時代の日本最古の「国民歌集」は、全20巻、約4500首と、そのボリュームもさることながら、天皇・皇族・貴族から下級官僚・兵士・農民・乙女に至るまで職業や身分を問わず私たちの先祖が、人生の喜びや悲しみを率直に歌い込んでいるのが最大の魅力だ。学生時代から棟方志功、川上澄生といった版画家(棟方さんは「板画道」と言っていたが)の作品に魅かれて「板画で万葉の歌を現代に蘇らせることが出来たら」と思ったのがきっかけだった。
 東京新聞の代表をしていた2004年当時に文芸春秋社がどこで聞き込んだか、「第二の人生 暮らしの設計図」というテーマで臨時増刊号をつくるので「版画と万葉集」について一文を書いてほしいと頼んできた。月刊「文藝春秋」(同年7月臨時増刊号)に「萬葉集を板画に彫る」と題して掲載された。その中で私は次のように結んだ。
 「板画の面白いところは、油絵と違って一度彫ったら手直しできないことだ。やり直しのきかない人生に似ている。彫り損なったら、それを逆にいかして作品にしていく開き直りの姿勢もときには必要になる。棟方志功の作品にも彫り損ねた箇所がいくつも見つかる。それを気にしないおおらかさが、また好感がもてる。最近の悩みは、本職の新聞社の仕事が多忙を極めて、なかなか板画づくりを楽しめないこと。しかし、趣味に定年はないから焦らない。本職の定年のときが来たら、趣味の本職が始まるのを今から楽しみにしている」
 現在は、まさに「結びの言葉」通りで、午前中は新聞社の相談役室に顔をだし、午後は日本プレスセンタービル8階の小部屋で万葉板画づくりに勤しんでいる。「背広の板画家」と冷やかす人もいるが、今年6月に二冊目の万葉板画集「版画でたどる万葉さんぽ」(新評論社)を上梓することが出来た。
 「いつ彫るのか」「一作品つくるのにどれくらい時間がかかるのか」とは、よく受ける質問だが、「ほぼ毎日彫ってます。気が向けば朝も自宅で彫っているので、娘に『木クズの掃除が大変』と叱られています」「作品の大きさや内容にもよりますので締め切りは決めていません」と答えている。もし御関心があれば東京新聞の関連紙「暮らすめいと」に毎月掲載している「万葉のこころ」をご覧ください。

ドキュメンタリー映画「抗い」を見よう   宇治敏彦

 「国家とは何か?」「国民とは何か?」「民族とは何か?」「戦争とは何か?」「権力とは何か?」―――。さまざまな「何か?」を考えさせられるドキュメンタリー映画を日本記者クラブでの試写会でみた。「抗い 記録作家 林えいだい」(RKB毎日放送。西嶋真司監督)。
 福岡県筑豊炭鉱で戦前・戦中に日本に徴用された朝鮮人たちの重労働や悲劇を中心に「戦争」「民族」「公害」などを長年取材し、国家権力の横暴がもたらす非条理を追及し続けてきた記録作家、林えいだい氏(82歳)を映像で追い続けてきた1時間半の記録映画だ。
 林さんは1933年12月、福岡県香春町に奈良時代から続く神社の神主(林寅治)の子として生を受けた。9歳の時、父は非業の死を遂げた。当時、筑豊炭鉱に強制労働に駆り出されていた朝鮮人たちが厳しい生活に耐えきれず脱走するのを気の毒に思って匿っていたのが発覚し、当時の特高警察から拷問を受けて命を落としたのだ。これが林えいじ少年を「反権力」に向かわせた最初のきっかけだった。早大中退後、帰省し炭鉱夫、地方公務員を経て37歳でフリーの記録作家への道に入った。以後、45年間に50冊以上のルポルタージュを発表しているが、その多くは「清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録」(岩波書店)「証言・樺太朝鮮人虐殺事件」(風媒社)「地図にないアリラン峠 強制連行の足跡をたどる旅」(明石書店)など戦前・戦中の日本の対外進出政策で犠牲になった被害者に関する取材記録である。
 映画では、筑豊炭鉱から脱走した朝鮮人労働者たちが「アリラン峠」と呼ばれた山道で行き倒れた様子を追っている。気の毒がった人たちが大きな石を選んで墓石とした。そうした石が今も山中にゴロゴロ転がっている。また1945年、一機の重爆特攻機が飛び立つ直前に放火された際に、朝鮮人飛行士(当時は山川という日本名)が無実の罪を着せられ日本軍に射殺された。映画は、その真実に迫ろうとする林氏の取材ぶりも詳しく追っている。
 戦後のテーマとしては、九州における炭鉱公害の実態を戦前の足尾銅山鉱害と重ね合わせて追及していく林氏の取材実績が描かれている。
 「僕は現場に身を置いて考える悪い癖がある」「名もなき民衆の声なき声を、しかと歴史にとどめていくことが、僕自身が生きている証しなのかもしれない」「時間とお金の無駄遣いだと友人に笑われるが、これが僕の方式であり生き方だ」。重い癌と闘い抗がん剤の副作用でペンが持てないほどだが、セロテープで万年筆を指に巻き付けて執筆をつづける林さんの姿に、同じ物書きの後輩として「自分なんかまだまだ生ぬるい。温室で仕事しているのではないか」と反省を込めて自戒した。
 「歴史の教訓に学ばない民族は 結局は自滅の道を歩むしかない。」
 映画の最後に掲示される林氏の言葉は、今日の日本にも当てはまる。
 見終わった後、しばし言葉を失っていた。一緒に鑑賞した小榑雅章君も沈黙していた。
(「抗い」は2017年1月下旬、シアター・イメージフォーラムで公開される)
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