「僕たちはこう生きる」の提言とは   宇治敏彦

 先に吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」についての原稿を「埴輪」に書いたら、それを読んだ人から「文中に『それを受けて『僕たちはこう生きる』という社説を書いた、とありました。どう生きると書いたのですか」と質問を受けた。
 その答えが、この原稿だ。私自身も社説にどう書いたのか、その細部まで覚えていなかったので、昔のスクラップブックの山から懸命に当該の社説の切り抜きを一日がかりで探し出した。ようやく見つかった社説は1995年(平成7年)8月16日付の「東京新聞」「中日新聞」朝刊5面に掲載された「戦後50年」関連の一本もの社説で、タイトルは「僕たちはこう生きる」。
 「いま戦後半世紀を経て、世界の目は、日本人に『君たちはどう生きるか』とあらためて問いかけている」と書いた後、中日新聞社がこの年に招いたドイツのワイツゼッカー前大統領の名古屋における講演内容を引用した。
 「良い政治をしようとするならば、過去の過ちを認識することが非常に大切になってくる」「若い人たちが過去に責任を持っていないことは明白である」
 当時は自民、社会、さきがけ3党の連立政権だったが、村山富市首相(社会党)は8月15日の敗戦記念日に「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えてきました」と、日本の侵略行為について明確に謝罪した。連立を組んでいた自民党がよくこの内容を了承したと思うが、当時の河野洋平自民党総裁をはじめ自民党も懐が深かったのであろう。現在の「安倍自民」では、とても呑めない首相談話だ。もっとも当時の村山社会党も「自衛隊合憲」「安保継続」など基本政策の大転換を余儀なくされていた。
 そこで筆者が書いた「僕たちはこう生きる」の社説では次の3つのことを提言した。
1、 日本の進路、活路はあくまでも「平和の追求」にある。東西冷戦が終わり、本来なら「平和の配当」があるはずだったが、湾岸戦争をはじめとして、さまざまな戦争・紛争が発生した。米ソ両超大国の「力による重し」によって封じられていたパンドラの箱が開いて、混迷が続いているのが今の世界である。だが幸いなことに、多くの国が「力による支配」に戻ろうとは志向していない。むしろ、どうやったら「力以外のルール」を確立できるかに苦渋している。そこに「侵略行為」という戦前の苦い経験と「平和」という戦後半世紀の貴重な経験を兼ね備えた日本の役割がある。
2、 島国根性の日本人、まあまあ主義の日本人、自己判断を避けて「寄らば大樹」の日本人…。そうした伝統的な民族性が、気がついたら、いつの間にか無謀な戦争に突入していたことになったのではないか。他人の判断でなく自分で決定し責任も自分で負う自己責任原則の確立といった‟日本人改造論“も求められている。
3、 平和や民主主義を破壊しようとする動きに対してブレーキをかける健全な市民社会の仕組みがどうしても必要だ。マスメディアの役割も、そこになければならない。

 僕たちは「こう生きる」より「こう生きよう」という呼びかけの意味もあったが、以上の3点は22年後の今日でも基本的には変わらない。もし現在の世界情勢を見て付け加えることがあるとすれば、次の2点であろう。
1、「アメリカン・ファースト」「愛国主義」がはびこる時代にあって「ナショナリズムよりヒューマニズムが世界的に重要な要素になっている」のではないか。他人を敵視するのではなく友達にる。人間だけが持ちうるその特性をもっと大事にしよう。
2、原発事故に放射能漏れ被害、工場立地に伴う大気汚染、地球温暖化による氷山の消滅など「きれいな空気」「美しい自然」が失われていく中で、もう一度、素晴らしい自然を復元するための「クリーン作戦」を積極的推進していこう。
 

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「君たちはどう生きるか」ブームに思う   宇治敏彦

 吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)が最近また話題になっている。同著の漫画本も刊行され、ジュンク堂書店などの店頭では一緒に並べられている。初版は日中戦争が始まった1937年に新潮社から「日本少国民文庫」シリーズの1冊として出版されたもので、私が同著を初めて購読したのは戦後の1962年に刊行された同文庫シリーズの改定版だった。コペル君という「悩める少年」を主人公にした物語だが、叔父さんが地動説を唱えたコペルニクスにちなんでつけたニックネーム。今年はコペルニクスが地動説を最初に発表した年から数えて510年目にあたる。
 15歳のコペル君は学業優秀だが、体操は苦手。しかし点取り虫というわけではなく、野球が好きでポジジョンは二塁手。友達思いで、人気者でもあるが、親友が上級生からいじめられている時に助けられず悩みに悩む。とうとう高熱を出して寝込んでしまうが、叔父さんに示唆されて親友にお詫びの手紙を出した。コペル君のお母さんも、女学校に通っていた頃、湯島天神の階段で数歩先をよたよたしながら上がっていく老婆の荷物を持ってあげようと何度も思いながらも行動に出られなくて、いまだに後悔している話をコペル君にさりげなくした。親友たちがコペル君の見舞いに訪れ、友情は復活した。
 筆者は、大学4年生の時に雑誌「世界」の編集長を経て岩波書店の取締役をやっている吉野氏に会いたいと思っていた。また同書店の創業者・岩波茂雄氏の伝記を読んで、同社で働きたいとも思った。当時、週休二日制で男女同一賃金という先進的な会社は、岩波以外にほとんどなかったと思う。ただし創業者の意向で、編集を希望して入社しても編集にはストレートに行けず、まずは営業などやらされるという。さらに書籍業界に詳しい人によると「岩波は東大、一ツ橋卒業者しか採用しない」という。それならと伝手を頼って創業者とも親しかった学習院長の安倍能成氏を紹介してもらった。そのお蔭で入社試験は受けさせてもらえることになり、ペーパーテストを通過して役員面接までこぎつけた。ところが、ここからがいけなかった。面接室に入ると、正面に岩波雄二郎社長(茂雄氏の次男)、その隣に吉野源三郎氏が座っているのが目に入った瞬間、心身ともガチガチになり、何を喋ったか思い出せないほど緊張してしまった。東大、一ツ橋といった学閥は別にして「これではあかん」と自分で思った。下落合3丁目にお住まいの安倍能成さん宅にも受験の労をとってくださったお礼に伺ったが、先生は不在だった。後日、直筆のお葉書をいただいた。「岩波書店は今年はごくわずかにしか採らぬとのことでした。東京新聞社へお入りの由、御精進と御健康を祈ります」
 後年、小生が東京新聞で論説主幹になった時、一本もので「僕たちはこう生きる」と題する社説を書いたことがある。吉野氏の「君たちはどう生きるか」を引用しつつ、現代の日本人はどう生きるべきかを考察した一文だ。政治学者の故丸山真男氏は吉野氏が亡くなった時の追悼文に「『君たちはどう生きるか』はまさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(雑誌「世界」1981年月号)と書いた。
 第77刷の岩波文庫「君たちはどう生きるか」を求めて、改めて同著を読み直してみた。喜寿にしてコペル君と共に、まだまだ人生には学ぶべきことが多いと思った。

「幸せ」の実感に欠けるバブル経済    宇治 敏彦

「1980年代後半のバブル経済の再来ではないか」と最近、随所で指摘されている。日経平均株価はバブル崩壊後の高値(2万2666円)を更新し、四半世紀ぶりの高値水準にある。地価も人口減少に反比例して上昇傾向を続けており、いつも一等地の例に挙げられる東京・銀座の商業地の地価は、あのバブル期を上回った。首都圏のマンション価格も平均で26年ぶりの高値だという。
 企業の人手不足感は一段と強まり、有効求人倍率はバブル経済下の水準を超えた。失業者数も197万人(今年4月時点)と前年同月比で28万人減少した。一方、訪日外国人の増加で旅行収支の黒字が過去最高となり、海外とのモノやサービスなどの取引状況を表す経常収支は11兆5339億円の黒字を記録した(財務省の4~9月調査)
 バブルはなぜ起こるのか。小林慶一郎慶大教授は①新しい技術や革新的サービスが生まれること②世の中にお金が余っていること―の2点を挙げている(11月日、読売新聞朝刊)。特に同教授は「日本銀行が金融緩和を続けたが、製造業は株式や社債などの直接金融で資金調達できるようになったので、金融機関は貸出先に困った。そこで目を付けたのが不動産などのサービス業だ。融資の際に土地を担保に取るケースが多く、地価の上昇がさらに銀行の融資を膨らませ、バブルを加速させた」と分析している。
 バブルの元凶は日本銀行。特に黒田日銀総裁が長く唱え続けてきた「物価目標2%」にあるというところだろうか。
 しかし、一般庶民の立場からして「バブルの実感」というか、「賃金・ボーナスが上がった」「暮しに余裕が出来た」「レジャーも旅行も楽しめるようになった」「貯金も増えた」といった上方志向の生活を実感できるようになっただろうか?
 大半の人が「ノー」と答えるに違いない。もし「イエス」なら消費がもっと増えるはずだし、2%の物価目標も達成されているはずだ。現実には「財布のひもをきつくしている」「少しでも余裕ができたら医療費や老後のために貯蓄しておく」というのが現実ではないだろうか。
 こうした現実に、たまりかねた安倍晋三首相は経団連幹部などに「3%の賃上げ」要請をしている。これまた筋違いである。首相が今やるべきことは「日銀総裁の更迭」「労働者の実質所得が上がるような環境づくり」「所得の低い人々をサポートする諸政策(教育費、医療費など)の推進」などであるべきだ。民間企業の賃金やボーナスは本来的に労使間の協議によって決められるべきもので、社会主義国のような政府主導の賃金政策は市場経済で動いている日本には、なじまない。
 政府が一般国民の実質的な所得の増加につながる経済政策や所得の低い人々への処方箋を断行しないかぎり、バブル経済は企業の内部留保を増やすだけで終わってしまうだろう。
 

「労働生産性向上」の考え方が根本的に違う日本と欧米   宇治敏彦

 日本の「労働生産性」の低さが内外で話題になって久しいが、これをどう改善するかをめぐって日本的考え方と欧米的考え方では大きな開きがあることが分かってきた。
 その違いについて述べる前に、数値的に日本の労働生産性を他国と比較してみよう。経済協力開発機構(OECD)の2016年の統計によると、日本人の年間平均労働時間は1713時間だが、ドイツでは1363時間で、日本人の方が350時間も長い。1日8時間労働として日本人はドイツ人より約ひと月半(44日間)も多く働いているわけだ。
 その一方、一人当たりの国内総生産(GDP)を「就業率×年間平均労働時間×労働生産性」で比較すると、日本人がドイツよりかなり低水準であることが分かる。ドイツ並みの労働生産性で働いていれば日本では今より35%もGDPが増えるという試算も出ている。
 ミュンヘン大学教授で、ドイツ日本研究所長のフランツ・ヴァルデンベルガー氏は経済同友会のセミナー(今年9月12日)で、次のように述べている。
 「日本の労働生産性が低いのは、生産要素の質や量ではなく、要素配分や使い方の非効率性にある。その構造的要因は日本独特のキャリア形成である。日本の企業経営は内部昇進を前提にしている。内部昇進そのものは他国でも一般的だが、日本のように社内ではなく、外部の労働市場が提供するオプション(他社への転職や企業の外部採用のチャンス)の枠内で決定する傾向が強い。また日本では管理職が転職によってキャリアアップすることは困難である」
 「この状況を生産要素配分のレベルごとに分析すれば、企業レベルでは、社内昇進キャリアも退職という選択肢がない結果、衝突しながら前に進む建設的なコンフリクト文化が育たず、リスク回避行動が増大する。産業レベルでは、社内昇進が技能者や管理職の企業間移動を阻み、適材適所が機能しない。また低い賃金を容認し、M&Aや買収後の企業統合を困難にする」(「経済同友」2017年10月号)
 こうした指摘は、50年以上も企業務めをしている筆者には、よく分かる。経済同友会の6月に発表した「サービス産業生産性革命」の中で「ピンチ(人手不足)をチャンス(変革)に」として①労働時間短縮を実現するためには業界大手が勇気をもって、これまで『当たり前』と思われてきたビジネスモデルを変えていかなければならない②特に生産性向上は不可欠であり、個々人が意識を変化させたときこそ、本当に生産性が向上するのではないだろうか③労使間で「生産性を上げれば賃金は上がる」を共通認識にして労働者の動機づけにつなげ、女性やシニアの労働参画を促進させる環境を整備し、副業やリモートワークなどの推進により人材の流動性を高める―などと提言している。
 日本の経営者やサラリーマンなら「うん、うん」と頷く提言だ。
 だがヴァルデンベルガー氏の生産性向上策は、全然違う。「経済全体にかかわるさまざまな調整や改革が必要になる。中途採用と内部昇進の両方に、平等なキャリアチャンスを与えなければならない。また、新卒一括採用をやめるとともに、生涯雇用ではなく特定の職務のための雇用を行う必要がある。そして、キャリアを会社の物ではなく、従業員らの物にするキャリアオーナーシップを確立しなければならない」
 これは日本の政治家や企業経営者が考える「生産性向上策」とは、相当に距離がある。天地の差というぐらい開きがある。
もはや日本経済の「3種の神器」といわれた「終身雇用」「定期昇給」「企業別労働組合」というシステムは崩壊しているとはいえ、安倍晋三首相が民間企業経営者に「7%の賃上げ」要請をするなど、本来的には独立が尊重されるべき民間企業の労使関係も崩されようとしている。
 ヴァルデンベルガー氏は、日本が企業生産性をドイツ並みに引き上げるには「建設的なコンフリクト文化」を育てることが不可欠だと言っている。だが政府も民間企業も「新卒一括採用の中止」をはじめ「(正規社員、非正規社員を問わない)平等のキャリアチャンス」や「生涯雇用の中止」などを果たして決断できるだろうか。
 同氏は「改革に道筋をつけるには、外資企業が日本企業を買収して自社の人事システムを導入することや、グローバルな人事システムの導入を検討する日系多国籍企業の実験と実証」が必要としている。
 しかし極端な言い方をすれば「社員をみんな正規にするか、みんな非正規にして、実力本位の集合体」にすることは日本の企業文化には、なじまないだろう。それが実現する時が来るとしたら、それは日本が日本でなくなる時かもしれない。

 

難しい「投票基準」 結局は「自分を信じる」以外にない?   宇治敏彦

 総選挙の投票日が迫って来た(既に不在投票を済ませた方もいるでしょうが)。「貴方の投票基準は何ですか?」と質問を受けると、正直なところウーンと呻ってしまう。「政党(支持政党)」「候補者(人柄と公約)」「政策(憲法、経済、原発など)」「理想と現実(公約と実際政治の落差)」「候補者や知人からの依頼」など様々な要素が入り混じって、高い買い物をするときのように「一票」の行使先に迷う。
 著名な歴史学者は「次善の一票を」と新聞に書いていた。また「埴輪」の愛読者で、よく感想を送ってくださるMKさんは「結局は政党で選ぶより公約をどれだけ実現できるか見極め人で選ぶことにしよう」とのご意見を寄せている。
 ネット上に「Y!みんなの政治(早大マニフェスト研究所監修、選挙ドットコム企画協力)」と題する興味深い自己診断占いが出ている。「憲法」「外交・安保」「経済・財政」「原発」「政局・その他」の設問に対する自分の選択を打ち込むと、どの政党との相性がよいかを即座に診断してくれるというものだ。ちなみに小生がやってみると、「社民」「共産」「立憲民主」への近似率が高く、「自民」「希望」「公明」とは距離感があることが具体的数値(パーセント)で現れた。
 政策面での選択を再確認する意味では、参考になる自己診断表といえよう。
 だが選挙は政策だけの選択を求めているわけではない。政策をどう国政に反映していくか。その総合力を問う機会でもある。それだけに、私は迷っている。「私の理想からいえばA候補が良いが、当選はおぼつかない。とすれば死票になるA候補より次善のB候補に投票することが現実的な行為なのか?」「しかし、そのB候補の所属政党も第一党ないしは与党(連立政権で)になる可能性は低い」「では第3の選択として事前の世論調査で当選圏とみられるC候補に投ずるか? しかし、それは自分の政治思想を裏切ることになるから止めておこう」
 そうこうするうちに投票日が来る。「棄権」という選択肢もあるが、それだけは避けたい。日本国の国民としての権利と義務は果たしていきたい。
 そうした一票一票が積み重なって全体の選挙結果となり、多数党が政権を握る。その全体結果が果たして日本の選択としてベストであるのかどうか。戦後の国政選挙を振り返って「国民は何を選んでいるのか」と疑問に思うこと多々ある。(ネット上のメールマガジン「オルタ」に、そのテーマで過去の国政選挙に関する分析を連載していますので、ご覧くだされば幸いです)
 特に今回の衆院選は、改憲問題が主テーマの一つとなっている。「戦後の平和主義」が問われていると言っても過言ではない。各紙の選挙世論調査では、米国に対する北朝鮮の過剰な威嚇行動が安倍自民党を利している傾向が出ている。政府がネット上にも流している北朝鮮のミサイル通過に関する「国民保護情報」なども国民を神経過敏にしているのではないか。日本国民は、冷静に対応し、戦後70年以上にわたり堅持してきた「不戦主義」「平和主義」の重要性を改めて考えて一票を投じて欲しい。私自身の投票行動も、その点に関しては1ミリのブレもない。その限りでは「次善の一票」は念頭にない。結局は自らを信じて投票する以外にない。

保・保対決の混戦衆院選挙 メイ首相を真似て解散した安倍首相だが・・・ 宇治 敏彦  

 いよいよ衆院選挙が始まった。安倍晋三首相は、野党側の選挙準備が整わないうちに、と臨時国会での冒頭解散に踏み切った。だが、いささか計算違いをしていたのではないだろうか。都民ファーストでの東京都議選勝利の余勢をかつて「希望の党」を結成し,国政での安倍退陣を迫る小池百合子東京都知事。「希望の党」「立憲民主党」「無所属」と3分解した旧民進党。依然「モリカケ」問題が尾を引いて回復傾向が見えない内閣支持率(NHKの10月1日発表の世論調査では安倍不支持が44%、支持が37%)。                     
◆           ◆              ◆
 「勝てる」と踏んで今年6月に議会を解散し総選挙に臨んだ英国のメイ首相。彼女は欧州連合(EU)からの離脱を問うとして総選挙を前倒ししたのだが、結果は保守党の過半数割れで、労働党との連立を余儀なくされた。10月4日、マンチェスターで開催された保守党大会でメイ首相は「申し訳ない。私の責任です」と陳謝すると同時に社会的弱者対策の強化や大学授業料の据え置きなど労働党支持者向けの政策を打ち出さざるを得なくなった。しかも、この大会ではメイ演説の最中にコメディアンの男性が「早く辞任しろ」との紙を掲げて壇上の首相に迫るハプニングまで起き、狼狽したメイ首相が演説を継続するのに苦慮する場面も報道された。
 安倍首相もメイ首相と同様に「勝てる」チャンスと思って冒頭解散を決断したのだが、小池人気の「希望の党」などの挑戦で、かなりの苦戦を強いられるのではないだろうか。
 衆院解散後に2つの会合に出席した。一つは日本政治総合研究所(白鳥令所長)が10月5日にプレスセンターで開催した「総選挙の見通しとその後の日本政治」と題する在日外国大使や報道人向けのセミナーで、政治学者、ジャーナリスト5人が見解を述べた。白鳥令氏(東海大名誉教授)は今回総選挙の特徴を「乱連立」「アド・ホック(その場かぎり)政党の登場」「単一争点」と捉え、「選挙結果は地滑り的勝利と先例のないほどの敗北になるかもしれない」と予測した。
 また神志名泰裕氏(元NHK解説委員長)は、選挙予測として①野党乱立に伴う現状維持(自民党280議席台)②自民党が30議席以上減らすも単独過半数(233)は維持する③自民党が地滑り的敗北をきたして自公連立でも過半数維持出来ず―の3例を挙げ、「私は第2のケースを予測している」と述べた。自民が30から50議席減なら「当然、安倍首相の責任論が浮上する」というのが神志奈氏の観測である。
 筆者は主として選挙争点についての分析を頼まれていたので、6つの争点について説明した。①安倍政権の継続か政権交代か②消費税の再引き上げ問題③原発の是非④改憲か護憲か⑤北朝鮮対策⑥日本再建策(人口減少、老齢化と日本力)。
 この中で憲法問題について私は「安倍自民党総裁は本気で改憲に取り組む覚悟なのだろうか? 改憲発議には衆参両院で3分の2が必要だが、安倍氏は今回の総選挙での獲得目標を過半数の233議席と言った。本当に改憲したいなら定数(465議席)の3分の2の310議席が目標と言うべきだ」と述べた。
同時に、今回の総選挙は「戦後」が問われる選挙になるとの見解を述べた。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を主張しており、それはアメリカのトランプ大統領が唱えている「アメリカン・ファースト」にも通ずる国家保守主義であり、その是非が「今回選挙の最大の争点だろう」と話した。こうした選択選挙だからこそ「希望の党」党首である小池氏は、公示までに都知事を止めて衆院選に立候補すべきだとも主張した。
もう一つの会合は、10月8日に日本記者クラブで開かれた与野党8党首の討論会である。その詳細は各紙に報道されているので省略するが、保・保・革新の3極対立の構図とはいえ、結局は「安倍」対「小池」という保守対決の競い合いになるのではないか、と直感した。「希望の党」は国政選挙へ初挑戦だが、小池百合子という政治家のパフォーマンスと人気が続かない限り自民党と競り合うのは難しい。アベノミクスに対抗して「ユリノミクス」(ベーシックインカム導入により低所得層の可処分所得を増やすなど)などを唱えているが、最終的には有権者の選択が「既存の安倍政治」か「未知数の小池政治」かに絞られていくだろう。
会場で配布された各党の公約を読むと、外交・安保、経済政策のほかに「月曜午前を半休にする『シャインニングマンデー』(仮称)の普及促進」(公明党)、「犬や猫の『殺処分ゼロ』を義務づける法案を制定する」(希望の党)、「政党助成金を廃止します」(共産党)、「自衛隊内部の人権侵害を防ぐため『自衛官オンブズマン』制度の創設を目指します」(社民党)などユニークなアイデアも散見する。
だが、結局は「保・保対決」の選択になりそうだ。
投票率がどうなるかも気になる。前回2014年の衆院選では18歳選挙権が初適用されたが、投票率は52.6%と戦後最低だった。「にわか解散」「小池新党」「民進党の解体」などで有権者の多くが戸惑っているに違いないが、民主国家の基盤は選挙によって成り立っている以上、10月22日の投票日には投票に出かけて、「一票」を行使しようではありませんか。

民族か、宗教か、人間愛か。深まるミャンマー危機   宇治 敏彦

 ミャンマー西部ラカイン州に暮らす少数民族ロヒンギャの人々が迫害を受け、隣国バングラデシュに緊急避難している問題は、いっこうに打開策が見えない。アウン・サン・スー・チー女史(国家顧問兼外相で事実上の最高指導者)も9月19日の演説で「あらゆる人への人権侵害を非難する」と一般論を述べるとともに、ロヒンギャ難民についても「国籍確認の手続きを進め、受け入れる用意がある」と、ミャンマー国籍を持たないロヒンギャをミャンマー国民として受け入れる可能性を示唆した。
 しかし長年、民主化運動を推進してきてノーベル平和賞を受賞し、2年前に名実ともにミャンマーの最高指導者になったスー・チー女史の発言にしては歯切れが悪い印象をまぬがれない。国民の9割を占める仏教徒に配慮しているのかもしれないが、本来なら「一日も早くロヒンギャの人々の国籍取得を実現し、ミャンマー国民として誇りをもって国家に貢献してほしい」と発言すべきだろう。
 2年前、仕事でミャンマーを訪れた時、同国には135民族が暮らしていると知って驚いた。アメリカや中国も多民族国家だが、同じアジアでも人口13億の中国が55民族だから、人口5100万のミャンマーが135民族というのは、いかに「多民族国家」であるかを示している。その背景には東側はラオスやタイ、北は中国、西側はインドやバングラデシュという5か国に隣接している地理的状況も影響しているだろう。
 いま問題になっているロヒンギャも、もともとは19世紀にインドやバングラデシュから移って来たイスラム教徒といわれている。ラカイン州周辺に暮らすロヒンギャは約100万人といわれてきたが、既に40万人強が治安部隊などの襲撃を受けて家も焼き払われ、隣国のバングラに避難した。9月24日の朝日新聞朝刊によると、日本にも100人近いロヒンギャが避難しているが、難民認定を受けたのは18人にとどまっているという。
なぜロヒンギャの人々は、虐待されるのか。
 2つの理由がある。1つは「ホワイト・ペーパー」と呼ばれる国籍確認証明書がロヒンギャには交付されていないこと。つまり彼らはミャンマー国民ではなく、バングラなどからの「不法移民」という位置づけなのだ。国籍法を改正して長年ミャンマーに居住しているロヒンギャにもホワイト・ペーパーを交付したら良いではないかと思うが、軍や仏教徒の反対が強く、そう簡単にはいかない。スー・チー女史が19日の演説で「国籍付与」に言及しながらも確約しなかったのは、軍や仏教徒への配慮からに違いない。
 もう一つは宗教対立。特に国民の9割が仏教徒というミャンマーでは、ロヒンギャを自国民と認めたくない人びとが多いようだ。これはミャンマーに限らない。2年前、ミャンマーのヤンゴンで開催された国際新聞編集者協会(IPI)第64回総会に出席した際に出会ったスリランカのジャーナリスト、マノリ・カルガンピティヤさん(サバミヤ新聞編集者で人権活動家)は、次のような話をしてくれた。
 「2016年1月、コロンボ南西部で開かれた仏教集団の会合で反イスラム機運が盛り上がってイスラム教徒の商店や家が焼かれ、4人が死亡、80人がけがをした」
 彼女の話によると、スリランカでは人口の約7割が仏教徒で、イスラム教徒とのいざこざが絶えないという。「お互いにヘイトスピーチを止めるよう新聞でも書いているのですが」と強調していたが――。
 この大会にパネラーとして登壇した立正佼成会の庭野光祥次代会長は「人間の弱いところを救うのが宗教の役割であり、宗教間の対話も重要」と強調していたが、ミャンマーやスリランカの現実世界では「宗教」が対立や紛争の要因になっているのだ。「民族」も同じような一面がある。イラクからの独立の賛否を問うイラク北部の自治政府「クルディスタン地域政府」(KRG)による住民投票が25日に行われる。その行方も「民族」「国家」「宗教」問題に大きな影響を与えよう。
 筆者の意見は、こうだ。「民族とは、両親から引き継がれるもので、自分が生まれる前から定められており、誕生後に国籍は変えることが出来ても民族まで変えることは出来ない」「宗教は先祖から引き継ぐことも出来るが、主として成長後の自分の判断で選択ができる」。そういう側面を勘案すると「民族対立は、根が深いバックランドがあって、それを克服し融和を図るのは簡単なことではない」。一方、「宗教対立は個人個人の信仰心しだいでは変更や融和が『民族対立』よりやさしいかもしれない」。そうした中で何が「対立」解決の糸口になるのか。「それは民族も宗教も超えたところにある『人間愛』ではないのか」」
 

フェイクニュースをどうしたら見抜けるか   宇治 敏彦

 「新聞で見分けるフェイク 知るファクト」。今年の新聞週間(10月15日~21日)の代表標語である。横浜の田村美穂さん(無職、64歳)がつくったもので、10月17日、広島で開かれる第70回新聞大会で披露される。
 さまざまな情報伝達手段が世界中に普及し、無数の情報が国境を超えて飛び交っている今日、どの情報が正確(ファクト)で、どの情報が虚偽(フェイク)なのかを見分けることが非常に困難になっている。
 意識的に偽のニュースや情報を流す行為も行われているし、また偽ニュースを流して商売にしている人たちもいるというから驚きだ。毎日新聞が報じた「偽ニュース『売れる』。米サイト最盛期、ライター20人」という記事(8月10日朝刊)によると、米国で「フェイクニュース王」と呼ばれていたロサンゼルスのジェスティン・クーラー(41歳)という人物はネット上で「ナショナル・リポート」という名称でフェイクニュース(偽の記事)を流してきたという。
 たとえば昨年も米大統領選名中に「ヒラリー・クリントン氏のメール問題を捜査していた連邦捜査局(FBI)捜査員が、妻と無理心中した」といった偽ニュースを流し、フェイスブック上では閲覧数が150万回を超えた。閲覧数が増えると広告収入も増える仕組みで、クーラー氏は最盛期には20人のライターを抱え、年間60万ドル(約6600万円)を稼いでいたという。
 こうしたフェイクニュースが大統領選にも大きな影響を与え、トランプ当選、クリントン落選の一因になったともみられる。毎日新聞のリポートによれば、クーラー氏は大統領選後に反省して今はフェイクニュースを流すのを止めたという。しかし、自ら反省して偽情報の発信や流失を止めた人は、ごく一部で、世界中には毎日、無数のフェイク情報が発信されていると見るべきだろう。
 それは日本でも例外でないと思うが、幸い日本では日刊新聞が「ファクト報道」第一主義を堅持していることが救いだ。筆者も2000年、改定に関わった「新聞倫理綱領」(2000年6月21日制定)の一項目では「正確と公正」を掲げ、次のようにうたっている。
 「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」
 日本の新聞界では、細かい誤報でもそれが正確でないと確認された場合は訂正記事を出し、社内的処分を行うことが慣例となっている。「あくまでも正確を期そう」という歴史的慣習が定着している限り、日本ではアメリカほどには虚報は流れないだろうと筆者は信じている。
 だが、新聞購読者が減少を続け、ネット利用者が増大していく傾向の中で、いつまでも「日本は大丈夫」と胸を張ることは出来ない時代が到来しているのかもしれない。「ネット社会の中で『見分けるフェイク、知るファクト』をいかに確立するか」。それが大きな課題になって来た。
 
 

出会った人々23 「人間党」をつくりたかった羽田孜元首相   宇治 敏彦

 羽田孜元首相が8月28日、82歳で亡くなった。
 日本の政界で「人が良い政治家は誰か」と問われれば筆者は、羽田孜氏か伊東正義氏(大平内閣の官房長官)をあげる。異論は少ないに違いない。
金丸信・元自民党副総裁(故人)は、旧田中派の3人を次のように表現した。「平時の羽田、乱世の小沢(一郎)、大乱世の梶山(静六)」。これも絶妙な表現だと話題になったが、羽田氏が総理大臣になったのは皮肉にも政界が大乱世の時代であった。
 1993年(平成5年)に大ブームを巻き起こした細川護煕政権は非自民非共産の8党派による連立で、羽田氏も新生党の党首として同政権では副総理兼外務大臣を務めた。細川政権の使命は「政治改革」で、野に下った自民党(河野洋平総裁)との合意で政治改革4法を成立させた。小選挙区比例代表並立制の導入や政党助成金の交付などである。
 だが、その直後に突然のように「国民福祉税」構想(3年後に7%の国民福祉税を導入するというプラン)を打ち出したので、与党内でも社会党などが猛反発した。これを境に細川政権は急速に内部分裂をきたした。しかも細川首相は佐川急便からの1億円借り入れや義父名義のNTT株取得問題で窮地に立ち、約8か月で政権を投げ出した。
 その後に登場したのが第80代首相の羽田氏である。
 しかし、この時点では社会党も野党に転じたので羽田内閣は39年ぶりの少数与党政権となった。こういうときは解散・総選挙によって打開の道を探るのが常道だが、小選挙区制の施行を前に中選挙区制の下で解散するのは「政治改革つぶし」と世論からも集中砲火を浴びるのが目に見えていたので、総辞職に踏み切った。在任期間は64日間と戦後の超短命内閣に終わった。
 羽田氏にまつわるエピソードを一つ。小沢一郎氏らと自民党を離党して「政治改革」を旗印に新生党を立ち上げ、細川政権をつくり、細川退陣後は自らの政権となったが、政治的実績はゼロに等しかった。その後は自民党と社会党が組んで村山富市氏(社会党)を首相とする「びっくりの連立政権」が誕生し、政界は1955年体制の秩序が完全に崩壊した。小沢一郎氏が1994年に今度は自民党の海部俊樹氏を党首に担ぎ出して新進党を立ち上げた。しかし新進党も3年後の1997年末には6党に大分裂をきたし、小沢氏は自由党、羽田氏は太陽党を結成し、自民党離党以来の小沢―羽田連合もついに破局をきたした。
 この時の「太陽党」というのが、いかにも羽田氏らしいネーミングだが、実は「人間党」というのが最初の案だった。しかし、選挙に詳しい事務局員から「立候補者の一覧が新聞などに掲載される際に党派の個所で『新人間』『現人間』『元人間』とかというのは、いかがなものですか」と異論が出され、「太陽党」に落ちついた。
 28日、本当に「元人間」になってしまった羽田孜さん。貴方のような「人の良い政治家」がいなくなった今日の政界に、もう一度舞い戻ってきていただけませんか。

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(出会った人々)㉒                                          超高齢社会のトップランナーだった日野原重明さん  宇治 敏彦

 105歳で亡くなった日野原重明・聖路加国際病院名誉院長には小生が東京新聞代表を務めていた当時の2004年10月1日(飯野ホール)と20005年12月10日(日比谷公会堂)の2回、「東京新聞フォーラム」で講演していただいた。
 その時、印象に残ったことを書きとめておきたい。
1、「3年先まで講演依頼で手帖が埋まっているんですよ」と言って、実際に手帳を見せていただいた。親しかった瀬戸内寂聴さん(作家)が「あの方は亡くならないものだとばかり思っていた」(18日、東京新聞夕刊)と感想を漏らしているように、心身とも元気な大先生だったから恐らく今年の手帖も体調を崩されるまでは講演日程で埋まっていたはずだ。
2、ご高齢なので座って講演いただける机、椅子、固定マイクを当方で用意していたが、「私は立ってしゃべりたい」とハンドマイクで1時間余のお話をこなされた。それも棒立ちではなく、壇上で満席の会場を見回しながら右へ左へと活発に移動しつつ話されるのだった。
3、90歳過ぎて念願のオーケストラの指揮者を体験したことや高齢者のソフトボールチームを結成して監督になったことなど、身振り手振りで楽しく話されるので、聴衆の多くは驚きを隠せないと同時に、日野原講話のマジックに完全にはまっているように思えた。
4、一日の食事は「朝食はコーヒー、牛乳など。昼食はクッキー2枚、夜は御茶碗にご飯半分とおかず」。消費するエネルギーに対して「これで十分」というお話しだった。
5、日比谷公会堂には出入り口に階段がある。講演後に階段下までお見送りしたが、トントンと軽い足取りで御独りで身軽に降りていく姿は、とても90歳前半のお年寄りとは思えなかった。
 日野原さんの訃報が報じられた日に筆者は、たまたまフォーリンプレスセンターで開催された大内尉義・虎の門病院長(日本老年医学会理事長)の「高齢者は『75歳以上』」と題する講演会に参加していた。1956年のWTO提言の基づく高齢者の定義は「老年(高齢)前期(young-old)が65歳~74歳(現在は前期高齢者と呼ばれる)」「老年(高齢)後期(old-old)は75歳~89歳で後期高齢者」「超高齢者(extremely old)は90歳以上(超高齢者)」となっている。
だが「平均寿命が著しく伸びたことで、この定義は現状に合わなくなっている」というのが大内院長らの認識だ。男性だと64歳→80歳、女性だと68歳→86歳で、「高齢者、特に前期高齢者は、まだまだ若く活動的な人が多い」という。そこで大内先生らは「日本老年学会(甲斐一郎理事長)と合同で「高齢者に関する定義検討会」を2013年に立ち上げ、このほど新しい「高齢者定義」に関する提言をまとめた。
 それは「75歳以上を『高齢者』と定義する」というもので、具体的には「65歳~74歳は准高齢者(pre-old)」「75歳~89歳は高齢者(old)」「90歳以上は超高齢者(oldest-oldまたはsuper-old)」というわけだ。
 「准高齢者を新たに設定することは、最長寿国日本において元気で活動性の高い年齢層の幅が広がったことを世界に発信する契機になるだけでなく、国民の感覚に即した意識改革の契機になる」と大内先生(68歳)はいう。社会保障政策への影響をはじめ是正が必要な現実的問題を内包していることは確かだが、日本における超高齢化現象の加速を勘案すると、大内先生らの意見に国も自治体も真摯に耳を傾け、再検討する機会であろう。
 筆者が何よりも驚いたのは故日野原氏のような100歳以上の日本人が2012年は5万人だったのが2025年には30万人、さらに2060年には65万人になると推計されていることだ。若者1.2人で1人のお年寄り(65歳以上)を見る時代が2060年には来ると言われるが、そのうち60万人は100歳以上とは想像もつかない。
 まさに日野原重明さんは「超高齢社会・日本」のトップランナーないしはモデルみたいな人物だったのだ。先生の死を契機に私たちは「元気で活力に富んだ超高齢化国家」をいかに造っていくかを考える時を迎えている。

出会った人々㉑ 宏池会を陰で支えた木村貢さん   宇治 敏彦

 池田勇人元首相の秘書を経て虎の門・自転車振興会館5階にあった宏池会(池田派)の事務局長になり、前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一各氏などの歴代会長時代に政治資金集めや政治家のサポートなど陰で同派を支えてきた木村貢氏が6月16日、90歳で亡くなった。以前は毎年1月11日の鈴木善幸・元首相の誕生日に、鈴木氏を囲んで堀内光雄(元通産相、元宏池会会長)、瓦力(元防衛庁長官)両議員や木村氏を交えて担当記者OBで会食していたが、政治家側は皆、鬼籍に入ってしまい、集まるきっかけがなくなった。木村さんは、ここ数年、青梅方面の施設で家族と離れて療養していたが、訃報に接して筆者が思ったのは「池田、大平、鈴木、宮澤という4人の総理大臣や前尾という名衆院議長を輩出した名門派閥の時代は終わったなあ」という実感だった。
 10年前、木村氏の著作「総理の品格」(徳間書店)の出版記念会を前記のメンバー(善幸さんは2004年亡くなったが)で開催し、「2作目に期待して」と万年筆を贈った時には、照れくさそうにしながらも満面の笑みを浮かべていたキーさん(木村さんの愛称)の姿が浮かんでくる。
 その本には木村さんでなければ書けないエピソードがいくつも紹介されている。大平首相が1980年(昭和55年)の衆参ダブル選挙の最中に心臓病で70歳にして虎ノ門病院で亡くなった直後の秘話もその一つ。
 「大平の遺体を霊安室に移すまで、息子さんと一緒に病室にいたとき、何とはなしに私は枕の下を見た。すると、何かを包んだハンカチが出てきた。薄緑色のハンカチだった。何だろうと思って取り出して見ると、何かを記した紙のようなものが包まれている。気にはなったが、私はそれを開けなかった。それより――そうだ、これをお守りにしようと思った。そこで私は、それを家に持って帰った。何か困ったことが起こったとき、このハンカチに相談すれば大平先生の声が聞けるのではないか」
 私も個人的にキーさんからこの話を聞いたことがあるが、その時はハンカチでなくスカーフだった。ともあれ病人を励ますために誰かから贈られたものであろう。志げ子夫人以外の女性からだったろうと推察される。何が書いてあったのか。「総理の品格」では「そのハンカチはいまも持っている。わが家にある。だが、開けたことは一度もない。お守りだから中に何が入っていようとかまわない」と付記している。でも開けなかったとは信じがたい。中身について洩らさなかったのは生涯、政治家秘書に徹した木村貢の生き方そのものといえよう。
 木村さんは画家の平山郁夫氏(故人)と広島の小学校で同窓だった。そのせいで「家には平山さんからいただいた絵が一枚あるのです。我が家の宝物です」と自慢していた。
 「宝物」と「お守り」の話をもっと聞きたかったが、それも不可能になった。

「終活」への準備運動    宇治 敏彦

 今年9月で満80歳を迎える小生は、そろそろ「終活」を考えるべき時期なのだろうか。表題に「『終活』への準備運動」と書いたが、そもそも「終活」が「人生の終末に向けて自ら準備すること」を意味する表現だから、「死への準備の準備」みたいな題で、こんなタイトルを即座に付けること自体が「ああ、まだ現世に未練を持っている証拠だなあ」と思ったりする。
 やっている「終活」準備を列記してみよう。
1、本の整理。
自宅とプレスセンターの事務所にある蔵書のうち政治関係で、小生が執筆活動に使わなくなったもの(著名政治家の個人全集など)を順次、知り合いの政治学者数人に差し上げている。衆参両院議員選挙、統一地方選挙のデータ類も数年内には使い終わると思われるので、使用後は国政選挙・地方選挙を研究している別の学者に贈呈することを約束した。
問題は、刊行されている出版物以外のデータ類である。筆者は政治部の駆け出し記者時代に内閣の憲法調査会(高柳賢三会長)を担当していたので、その当時のスクラップやデータも一部残っている。たとえば同調査会のメンバーたちに出した憲法改正の是非に関するアンケート調査で、中曽根康弘元首相をはじめ当時、同調査会の委員をしていた人達が自筆で書いてきた回答文が残っている。一度、獨協大学の政治学者にお譲りしたのだが、戦後70年とか日本国憲法施行70年といった節目の年を迎えて、テレビで憲法問題を何回も取り上げているドキュメンタリー工房の鈴木昭典代表(86歳)や青山学院大の憲法学者などから「ぜひ見せて欲しい」というので、現物を獨協大教授から戻していただいたケースもある。いずれまた再度差し上げるつもりだが、この種の生データはどうしたらよいか迷っている。
2、著作・スクラップ・写真の整理。
自分の著作は共著も含めると20冊以上になり、最低部数は保管している。記事スクラップも支局時代のものを含めて最低限にとどめているが、これも本棚のかなりの部分を占めている。写真は一応、家族もの、社内関係、社外の交友、海外取材などに分類したが、ゴルフの写真が結構残っている。さて、これらはどうするか。家族関係は家の者が扱いを決めるだろうが、小生自身のジャーナリストとしての活動の足跡は、家族には残されても持て余す存在だろう。
3、木版画の整理。
学生のことから木版画を彫ることを趣味としてきたので自宅と事務所に彫り終えた版木がかなり残っている。近年は万葉集版画を、この「埴輪」のほかに「暮らすめいと」(東京新聞の関連紙)、「メールマガジン・オルタ」(加藤宣幸氏発刊)、「ENERGY for the FUTURE」(エネルギー関連の雑誌)に掲載してもらっているので版木の数もまだ増え続けるだろう。それを処分する気にはまだなれない。
4、事務所
日本プレスセンタービルの8階にはキュービクルという小部屋中心の事務所が並んでいる。筆者は自宅に本や資料を収容しきれなくなって1995年11月からプレスセンターに小部屋を借りている。仕事場としては快適だが、最近は同じ階に部屋を借りていた元NHKのU氏とか元日経記者のT氏とか知遇を得ていた記者たちが高齢などを理由に引き払い、寂しさを感じている。「自分はいつまで借りていようか」と時々考えるようになった。

 そのほか背広など衣類や本棚や机など家具類は、小生の死後に家族が処理してくれるだろうが、なるべくならあまり面倒を掛けたくないので、余計なものは買わないように心掛けている。
 東京新聞が6月10日付け朝刊「考える広場」で「終活しますか?」を特集した。その中で倉本聡さん(脚本家)は、子どもがいないので「ほっておくと法定相続ということになり、それにはまらないものは国に没収されてしまう」というので、真剣に終活を始めたと明かしている。「年を取るにつれ、今まで身に付いてきたものをどんどん捨てている感じはありますね。一首の断捨離です。平たくいえば、お客にこびる姿勢じゃなくて、自分がおかしければいい」
 一方、仏教思想家ひろ さちさん(80歳)は、終活は何もしていないという。「子供には『お父さんが死んだら、お骨はどうしてもいいよ』と言っています。死んだ瞬間に極楽浄土に行き、阿弥陀仏の弟子になると信じています」
 死に至る過程や死を迎える覚悟は、人それぞれだから、どれがベストの道というのは難しい。要は、いつ死が訪れても後悔がないよう毎日を真剣に生きること。それが私の「終活」だと思っている。

安倍首相の改憲「曲球(くせだま)」にどう対応すべきか   宇治 敏彦

 「安倍首相発明の改憲案には意表を突かれた」(文芸評論家・斉藤美奈子さん。10日付東京新聞朝刊「本音のコラム」)、「今回の9条改憲提案は、安倍さんが投げた曲球だと思います」(国際政治学が専門の加藤朗桜美林大学教授。9日付朝日新聞朝刊)などなど、安倍首相が5月3日(憲法記念日)の読売新聞紙上で明らかにした「改憲構想」が各方面に大きな波紋を投げかけています。
 安倍発言の骨子は「東京五輪・パラリンピックが開催される2020年施行を目指して①9条(戦争放棄)の1項、2項を維持したうえで、自衛隊に関する条文を追加する②教育無償化に関する日本維新の会の提案を歓迎する」というものです。
 なるほど「曲球」、あるいは「癖球」ですね。なぜかといえば、第一に連立を組んでいる公明党の「加憲」案や野党第一党の民進党内にもある「自衛隊明記論」(たとえば前原誠司氏の「9条3項、あるいは10条で自衛隊について明記する案」)などに配慮していること。
第二に、世論の取り込みのために「9条1項および2項には手をつけない」と明言していること。そして第三には「教育無償化」など9条以外のテーマでも日本維新の会など野党の改憲案に同調していることです。
 「読売新聞はさすが腰巾着、9日の社説でも『各党は、生産的な改正論議を展開してもらいたい』などと、ふんぞり返って書いている」と前掲の斉藤さんは指摘しますが、時事通信OBの杉浦正章氏は毎朝発信しているブログ「今朝のニュース解説」(11日)で次のように言及しています。
 「安倍が唐突に見える決断を下した背景を見れば、読売が絡んでいるという見方が濃厚だ。読売OB筋によると『どうもナベさんの進言が利いたらしい』とのことだ。読売新聞グループ本社主筆渡辺恒雄が首相に最近進言したというのだ」
 読売は既に同社としての「憲法改正試案」を作成(1991年以来、数回にわたり紙面で公表)しており、その第12条で国防に関して(1)自衛のための軍隊の保持(2)その最高指揮官は首相(3)国民に軍隊参加を強制しない、と規定しています。自公連立で衆参両院において3分の2を占めているうちに「改憲に着手すべきだ」と渡辺主筆が安倍首相にハッパをかけるのも十分あり得ることでしょう。安倍3選が可能な情勢になり、しかも2020年の東京五輪のお祭り騒ぎと一体化すれば、憲法改正という自民党結党以来の「宿題」も実現できるとあおったかもしれないと、筆者は想像しています。
 自民党内には「行政の長たる総理大臣には、もう少し慎重であっていただきたかった」(船田元・自民党憲法改正推進本部長代行)、「戦力を保持しないという9条2項が生きていては、自衛隊が警察なのか軍隊なのか答えが出ない」(石破茂・前地方創生相)など安倍首相の改憲発言に懸念、ないし異論をはさむ向きもあります。しかし、「当面9条改正は考えない」としてきたハト派集団の宏池会会長・岸田文雄外相は「いろいろな意見、考え方が示されるのは議論の活性化という点で意味がある」と安倍発言に困惑の表情ながら全否定の態度は示していません。やはり「安倍一強政治」の中で総理総裁に歯向かうことは与党幹部、主要閣僚といえども至難というのが現状のようです。
 野党第一党の民進党も前記のように9条改憲論者を党内に抱えて蓮舫代表が身動きできない状況です。
 筆者は、今日のようなナショナリズ再台頭の時代こそ日本は9条改憲をステップにする「武の政治」に偏るのではなく、戦後70年守られてきた平和憲法の「文の政治」による英知とリーダーシップを発揮すべきだ思います。
 幸いフランスの大統領選挙では反EU(欧州連合)を訴えた極右・国民戦線のルペン女史ではなく、EU統合推進派の中道・独立系の若手政治家(39歳)マクロン前経済相が勝利したことで、ヨーロッパ分裂の危機や右派台頭は一旦回避されました。メルケル独首相やEU首脳が喜んだのも無理はありません。また韓国の大統領選挙でも革新系野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)氏が対抗馬2人に大差をつけて当選しました。文大統領は10日、就任演説を行い、「私の心は統合と共存の新しい世の中を切り開いていく青写真で満ちている」「条件が整えば、平壌にも行く。朝鮮半島の平和定着のためなら、私が出来る全てのことをする」などと決意表明しました。
 この2つの大統領選結果に見られるような「文の政治」志向がいま地球規模で求められているのです。安倍首相の「9条改憲提案」に対して私は次の3点を逆提案します。
1、 トランプ米大統領の「アメリカ第一主義」に代表される世界的な「自国中心主義」の台頭に歯止めをかけ、冷戦終結後の「国際協調主義」機運を復活させるために、日本は「不戦の誓い」である憲法9条(戦争放棄)の精神に基づいて戦争・紛争には関係ない「経済」「技術」「人的支援」などの側面で、こうした協力が出来るという「日本の世界サポート計画」をまとめ、各国に提示してはどうだろうか。
北朝鮮に対しても、同国が核開発など軍事面での威嚇行動を停止すれば、経済的支援の用意があることを具体的に表明してはどうか。
2、 いま世界が「自国主義」に走っている底流にあるものとして「貧富の格差」「未来への不安」「人種差別」などがあります。それらの解決に向けて日本が「1億総活躍社会」規模でなく「地球総活躍社会」への提言やその推進のための組織作りに旗振り役を買って出てはどうだろうか。
3、 「過激派テロ」「難民・移民の急増」という問題が解決しない限り世界的な安定は至難の業です。「視線を上げて世界、未来を見つめながら、どういう国にしていきたいのか、平和で安全で繁栄している日本をどう守っていくのか、どう理想に近づけていくのか、それぞれが考える憲法論議にしていきたい」(3日の読売新聞での安倍首相インタビューでの発言)のであれば、まずは戦後70余年にわたり平和憲法の下で努力してきた日本の実績を世界に喧伝し、「平和憲法」イコール「国の発展」であるとの「模範」を誇示してはどうか。
 論客の田中秀征氏(元経済企画庁長官)は安倍提案への疑問として「9条の1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むのは明らかに矛盾」(9日付朝日朝刊)と強調しています。その通りですが、その点を追及するだけでは「安倍流曲玉」を跳ね返せないでしょう。条文表現の問題という視点を超えて、「不戦国家日本」という信念を貫く度胸や高い理念、具体策を提示することこそが安倍首相への返球になるい違いありません。

「大宏池会」構想は実現可能か    宇治 敏彦

  故池田勇人元首相が結成した自民党内の派閥「宏池会」がことし結成60周年を迎えた。池田氏を筆頭に大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、麻生太郎各氏といった総理大臣や河野洋平自民党総裁などを輩出してきた名門派閥で、現在は岸田文雄外相が会長を務めている。岸田派は46人で、平成10年に分裂した麻生派(麻生太郎副総理兼財務相)が45人。さらに自転車事故で大怪我をして現在リハビリ中の谷垣禎一前自民党幹事長を中心にする元宏池会系グループが約20人いる。こうした宏池会系の議員たちの間で「60年前の原点に戻って大同団結してはどうか」という声が出ており、「大宏池会」が実現するかどうかが政界で話題になっている。もし「大宏池会」が出来れば、安倍首相の出身派閥・細田派(97人)を抜く100人超の最大派閥になるだけに安倍総裁の任期延長にも大きく影響するだろう。
  筆者は昭和30年代後半に池田総理番から政治記者としてスタートし、前尾派、大平派、鈴木派、宮澤派と長く宏池会を担当したOBとして宏池会グループの今後には無関心でいられない。
  「宏池会」とは一体どういう政治集団で、何を目指してきたのか。そして現在の岸田派を中心とする上記グループは池田元首相が目指した政治路線をきちんと引き継いでいるのかなどについて論考し、果たして「大宏池会」が実現するかどうかを展望してみよう。
  「高光の榭(うてな)に休息して宏池に臨む」。後漢の碩学・馬融の言葉から陽明学者・安岡正篤氏が命名した宏池会という派閥は、池田氏が中心になって昭和32年(1957年)に結成した政治集団だ。アメリカ大使館前の短波放送ビル5階に事務所を構え、事務局長には旧大蔵省で池田氏と同期だった田村敏雄氏(非議員)が座った。昭和33年5月の第28回総選挙では自民党が287議席(社会党は166議席)を獲得し、第2次岸信介内閣がスタート。55人を当選させた宏池会も大派閥で、池田氏は当然、主要閣僚に起用されるものと想定していた。ところが岸内閣は岸派、佐藤(栄作)派、河野(一郎)派、大野(伴睦)派が主流4派で、池田派は非主流だったこともあり、同氏には無任所国務相というポストしか回って来なかった。池田氏は当然、面白くなかったに違いない。岸氏は戦前からのエリート商工省官僚OBであるのに対して池田氏は大蔵官僚OBとはいえ難病で長く休職していたこともあって自ら「赤ゲット官僚」「赤切符組」(非エリート)というほどエリート官僚とはほど遠く、税の専門家という程度で、岸首相とは肌合いも人生観も大きく違っていた。
  岸内閣は警職法改正案に続き日米安保条約の改定を強行し、池田勇人、三木武夫、灘尾弘吉の3氏が同年末、閣僚辞任という行動に出た。岸首相は大野伴睦氏に「次は君に譲るから」という趣旨の空証文を書いて政権維持を図ろうとしたが、国会議事堂を幾重にも取り囲む「岸を倒せ」「アンポ粉砕」の大規模デモに抗しきれず、国会での新安保自然承認と引き換えに退陣した。それに先立ち1960年7月14日に行われた後継自民党総裁選挙には池田氏のほか石井光次郎、藤山愛一郎、松村謙三各氏も立候補し、決選投票で池田氏が石井氏を破り、新総理・総裁となった。ここで筆者が感心するのは、宏池会という派閥が有効に機能し、池田氏が前尾繁三郎、大平正芳両氏らの助言・苦言を抵抗なく全面的に受け入れたことである。「寛容と忍耐」「低姿勢」という基本姿勢をはじめ「総理大臣在任中はゴルフにいかない」「昼食はカレーライス」「料亭通いはしない」などなど。池田勇人という政治家がもともと謙虚で低姿勢な人物でないことは、それまでの国会での失言(「中小企業の一つや二つ倒産しても」「貧乏人は麦飯を食え」)でも明らかで、大平、宮澤といった知恵者揃いの元秘書官たちが考案したアイデアだった(ただ後年、池田氏のお嬢さんの一人から聞いた話では「麦飯発言をした昭和25年当時、我が家では実際に麦飯を食べていました」という)。池田氏は合理主義者の側面が強く、池田番記者にご馳走してくれるときでも「残したらもったいないよ。料金は同じなんだから」と言っていた。これは拙著(「実写1955年体制」第一法規)にも書いたことだが、1962年に開業したばかりのホテルオークラで記者団との忘年会をやった時も「さあ全部食べていこうじゃないか。まだ大分残っているよ。値段は同じなんだから」とだみ声で急き立てられたことを覚えている。師弟相通ずるというか、子分の大平官房長官(当時)にも同じようなところがあって、駒込の大平邸で夜回りを終わると、「じゃあ、またな」といって応接室や玄関の電灯を自ら消して回った。
  「所得倍増政策」が池田内閣の公約だった。当初は「月給2倍論」と言っていた。しかし、「月給」というとサラリーマンなどに限定されることから、日本全体の国民所得(名目GNP)を10年で倍増するという政策になった。その理論づけは木曜会という識者の勉強会で行われた。元大蔵官僚の田村事務局長が集めた主要メンバーは下村治(日本開発銀行理事)、星野直樹(元満州国総務長官)、高橋亀吉(経済評論家)、平田敬一郎(日本開発銀行総裁)各氏らだった。実は岸信介氏も首相時代に福田赳夫農林大臣(当時)の入れ知恵で「所得倍増10年計画」を吹聴したことがあった。しかし、これは途中で計画倒れに終わった。
  池田首相は1960年9月の記者会見で所得倍増計画について次のように語っている。
 「10年間に国民所得を倍にするには1年に7.2%の経済成長が必要だ。過去5年間の成長率は年9%なので十分達成可能だ」。そして現実には5年で倍増が達成されたのだった。さらに完全失業率1.1%、有効求人倍率0.8%と戦後の夢であった「完全雇用」が1964年には達成し、国際経済面では日本のOECD(経済開発協力機構)加盟やIMF(国際通貨基金)8条国移行も実現したほか、池田・ケネディー日米首脳のヨット会談を経て日米貿易経済合同委員会が定期的に開催されるようになった。
  池田首相が喉頭がんで退陣した1964年(昭和39年)には東海道新幹線や東京モノレールの開業、名神高速道路の開通、そして東京オリンピックの開催があり、日本人の多くは「経済大国」入りを実感した。「安保反対」デモでの東大生・樺美智子さんの死に象徴される暗い時代の風景から「所得倍増」で日本人の気持ちを明るく一転させた池田政治は、高く評価されてよい。
  もともと戦後政治には吉田茂政権に代表される「保守本流政治」と、鳩山一郎、岸信介政権に代表される「戦後脱却・独立重視政治」の流れがあった。前者は①親米②軽武装③自由主義経済、の路線であり、後者は①憲法改正②反共③自主防衛強化、の路線だった。
  その後の歴代政権を振り返ってみると、1955年体制時代(自社2大政党時代)から西暦2000年の小渕恵三内閣までは圧倒的に前者が優勢だった。だが小渕氏の死後は森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、安倍晋三内閣と後者の潮流が優勢となって、今日まで続いている。安倍首相は米国のトランプ大統領と蜜月関係を構築し、当分は「安倍一強」が続く情勢だ。今年は小泉政権の在職期間も超え、さらに2020年の東京オリンピックも見据えて総裁任期の延長を活用し3選に挑む可能性も大きい。
  最近の「大宏池会」構想は、当然こうした政治状況を踏まえての動きだが、肝心なことは誰がその「大宏池会」を引っ張っていけるかである。候補は3人いる。麻生太郎副総理兼財務相、岸田文雄外相、谷垣禎一前幹事長。だが、このうち谷垣氏は長期入院中で、残るは麻生氏か岸田氏だ。間をとって「麻生会長、岸田総理総裁候補」という案も浮上している。年齢的にも政治キャリア上も、麻生氏が派閥の会長で、そのかわり総理総裁候補は岸田氏というのは、確かに100人の大派閥となれば一つの形がつくれるだろう。
  問題は、その岸田氏に対して「血筋は申し分ないが、総理総裁を目指そうという覇気が感じられない」「安倍首相に従順で、禅譲狙いというのではいかがなものか」「大宏池会を率いていくだけの実力が備わっているのか」など厳しい声が聞こえてくる。最近の週刊誌(週刊新潮)でも「総裁選に意欲の岸田外相が官邸の外務省イジメに白旗」という記事を掲載していた。日米首脳会談の日程調整や韓国の慰安婦像撤去問題なども官邸主導で岸田外相は蚊帳の外に置かれているというのだ。岸田氏の知人が「ポスト安倍への意欲を聞いたら『永遠の総裁候補だったりしてー』と答えたので、思わずズッコケた」と漏らしている(同誌)。
10年前に宏池会が「宏池会の50年 そして未来へ」という冊子を発行した。その中の若手議員座談会で岸田氏は、こう言っている。
  「良質な中間層の厚みは、民主主義社会の基本です。それがないと民主主義は育たないので、しっかり考えていかなければならない。経済の拡大を図りながら、具体的な政策でできるだけ格差を感じさせないような制度を作っていく」
 まさに吉田茂の系統を引き継ぐ「保守本流」の理念である。最大の問題は、理念は良し、されど政治指導者としての岸田文雄氏の「存在感」は何処にということであろう。祖父も父も国会議員経験者で、故宮澤喜一元首相ら宮澤一家とは縁戚という血筋の良さから、ひたすら安倍首相からの禅譲待ちとの姿勢では政権は取れないだろうし、「大宏池会」も実るまい。すべては岸田氏本人が戦闘モードに大変身するかどうかにかかっている。
  また最近の情報では、「大宏池会」構想の陰の主役は古賀誠・元自民党幹事長(宏池会名誉会長)で、同氏の狙いは同じ九州の同志、麻生副総理の「ポスト安倍狙い」という復帰作戦だというから、魑魅魍魎の工作が背後ではなされていて、先が読めないところだ。
 (この原稿は「安保研リポート」3月24日号に掲載したものを一部手直ししました)

震災は日本人の人間性を向上させただろうか?   宇治 敏彦

 東日本大震災から3月11日で6年が経つ。東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故も加わって、まだ故郷に帰れない人々も多い。政府は原発事故で避難指示を出した地域のうち福島県の浪江町、川俣町、飯館村については3月31日、富岡町については4月1日、それぞれ帰還困難区域を除き帰還を認めることになった。その一方、大熊町、双葉町では依然、解除の見通しが立っていない。チェルノブイリ原発事故跡地が依然、居住不能なのと同様に、東電原発事故がいかに日本人の暮らしに大きな被害を与えたかを改めて思い知らされる。
 しかし悪いのは東電だけではない。被災者やその関係者から補助金をむしり取ろうと目論む日本人が結構いることだ。なかでも純粋無垢と思われる子供たちの間で、そういう行為が「いじめ」として行われていた事実に接し、筆者は「日本人は進歩しているのだろうか?」と疑ってしまう。最近、東電原発事故で横浜市に避難した中学一年の男子生徒が「つらいことがあっても自殺を考えないでください」と全国のいじめ被害者に呼びかける手記を発表して話題になった。
 この少年は横浜に避難した小学六年生当時に仲間の生徒たちから「補助金ゆすり」のように合計150万円を脅し取られ、不登校に陥った。これを特殊例と言えないほどに各地で被災者いじめが行われてきた。
 また3月8日の中日新聞朝刊の記事によれば、日本に難民申請中のバングラデシユ人の男性2人が人材派遣会社を名乗る日本人から「福島第一原発事故の除染に従事すればビザが延長される」と嘘の説明を受けて、福島県飯館村で除染作業に携わっていたという。
 いじめ、詐欺、窃盗、婦女暴行などなど、さまざまな悪事が震災と原発事故を「絶好の舞台」にして行われてきたことを私たちは看過してはならない。こうした報道に接して私が思い出すのは6年前に「埴輪」同人の小榑雅章君と二人で震災直後の宮城県石巻市や福島県飯館村などを視察した時のことだ。飯館村の広報紙には「避難したいが、その間に農機具などが盗まれないようにするにはどうしたらよいのか」といった相談が寄せられているとの記事が載っていた。
 「地震、雷、火事、おやじ」。昔から「怖いもの」として口伝されてきたが、本当に怖いのは、災難を悪事のチャンスと捉える「精神の腐敗」ではないだろうか。「俺おれ詐欺」なども含めて、終戦直後の昭和20年代に比べたら、はるかに物質的に豊かになっているのに、子どもの世代も含めて精神的に腐敗していく素地が広がっているとしたら、日本の未来は決して明るくない。

安倍首相はトランプ大統領を叱ることが出来るか  宇治敏彦

 首脳同士が個人的にも親しくなるのは大いに結構なことだが、ワシントンやフロリダでのトランプ大統領に対する安倍晋三首相の破顔一笑ぶりを見ていると、「この人、アメリカに苦言を呈することは出来るのだろうか」と心配になる。現に同大統領がイスラム圏7か国からの入国禁止令を発したことに共同記者会見で米紙記者からコメントを求められ、安倍首相は「入国管理、難民政策、移民政策はその国の内政問題なので、コメントは差し控えたい」と逃げていた。同じ問題で英国のメイ首相は先のトランプ大統領との会談で「間違っている」と明言した。
 もちろん入国対象者がテロリストの疑いがあれば入国拒否をするのは当然だが、イスラム圏7か国という一般的基準で「入国拒否」をするのはイスラム教信者を不当に差別するという「信仰の自由に反する行為」そのもので、米国の裁判所さえトランプ大統領の決定に反旗を翻した。せめて安倍首相には「具体的ケースについてはコメントを避けるが、信仰の自由は国境を超えて守られるべきだというのが私の信条です」というぐらいのコメントはしてほしいところだった。
 山口二郎法政大教授が新聞のコラムで「架空ゴルフ場密談」と題して、次のようなことを書いていた。
 (安倍首相)「まずはマスコミを手なずけるのが上策です。やつらにはすしを食わせれば、たちまち尻尾を振ってきます」
 (トランプ大統領)「じゃあ、インフラ資金よりも先に、日本一のすし職人をワシントンに送ってくれ。日本政府の資金でな」
 (首相)「お安いご用で。この際、ネタはヒラメがいいでしょう。上の顔色ばかりうかがう理想的な魚ですから」(2月12日、東京新聞朝刊「本音のコラム」)
 きつーいジョークだが、安倍首相が今回の首脳会談で環太平洋連携協定(TPP)からの米国の離脱に関して「それはおかしいですよ」と言った形跡はうかがえない。トランプ大統領は「安倍首相とはケミストリーがあう(気があう)」とおだてた。確かに安倍首相はオバマ前大統領とは、日本の自民党対米国の民主党という政治信条の違いもさることながらケミストリーが合わない点がみられた。首相とケミストリーがあうのはロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領だとみられてきた。
 日米関係や国際関係が順調なときはよい。しかし、今年は世界がさまざまな側面で激動しそうだ。特にトランプ大統領は、常識から外れて(いや事実から外れて)自説を主張する性格の持ち主だ。大統領就任式典の参加者はオバマ大統領の就任式を上回って史上最高だったと本人やスポークスマンが平気で嘘を発表する。記者会見では、「ヒラメの記者」は指名するが、反対論を書く報道機関は無視する。安倍首相が「政府に反論するマスコミにも耳を傾けることが政権運営の王道ですよ」とトランプ大統領を叱る場面を見られる日が来るだろうか?

トランプ氏がdisasterにならねばよいが  宇治敏彦

 アメリカでトランプ政権がスタートした。米国内外で「反トランプ」デモが起きるなど早くも波高しだ。政治家経験は州知事も上下両院議員も行政府幹部も経験ゼロで、いきなり大国のトップリーダーだから、環太平洋経済連携協定(TPP)の不承認、オバマケアの取り消しなど、やることも冒頭から荒っぽい。
TPP参加予定12か国の国内総生産(GDP)は約3100兆円(世界の約4割)だが、そのうちの6割が米国だからTPPはトランプ大統領の不承認サインで「死に体」になった。TPPの国会承認に汗をかいてきた安倍晋三首相とすれば「簡単にTPPを破棄されてはたまらない」というのが本音だろう。
 こうした米新大統領の言動は、一言でいえば「アメリカ・ファースト(米国第一)」の考え方だ。つまり「貧富の格差拡大」「失業問題の深刻化」「急増する移民対策」「生ぬるいテロ対策」など白人中心に高まる米国民の不平・不満解決を政権の最優先課題と考えている。
「自国優先」主義は欧州でも拡大している。昨年6月、英国が国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決定し、首相退陣につながったのを契機に「グローバリズム(地球規模の政治)」より「自国優先思潮」がほかの欧州諸国にも拡散し始めた。イタリアでは同12月、「実質的な一院制への移行や、エネルギー政策の権限を国の専権事項にする」などの憲法改正の是非を問う国民投票が大差で否決され、レンツィ首相が辞任した。今年は3月にオランダで総選挙、5月にフランスの大統領選挙、秋にはドイツ連邦議会選挙が予定されているが、いずれも「イスラム教徒排斥」「難民受け入れの規制」「反EU」などを掲げる右派勢力が台頭する機運だ。人道主義の立場から難民の受け入れに積極的だったドイツのメルケル首相の地位も決して安泰とは言えない。
 「まず自国民を大事にしろ」「移民は自国にとってチャンスでなく負担だ」(フランス国民戦線のルペン党首など)という主張がポピュリズム(大衆迎合主義)とも重なって国民の支持を増やしつつある。こうした傾向はアジアでも広がりを見せている。お隣の韓国では朴槿恵大統領が友人女性による国政介入疑惑で国民の猛反発を受け「死に体」状態になっている。
 世界を見廻して、目下のところ安定政権ないしは長期政権を維持しているのはロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領、シリアのアサド大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、そして日本の安倍首相などそう多くはない。安倍首相の在職日数(第1次内閣時代を含む)は昨年12月、中曽根康弘氏を抜いて戦後首相では歴代4位になった。波乱が無ければ今年は小泉純一郎氏の在職日数も追い越す。内閣支持率も50%台で安定している。
 しかし、この「高値安定」が2017年以降も続くかといえば、不透明な部分が多い。3つの流動要因がある。第1は、既に2年以上経過した衆院任期をにらみながら、いつ解散・総選挙を断行するかだ。次の選挙でも自民党が290議席をキープするのは容易ではない。特に約4割の同党議員が当選1、2回生だ。過去にも「小沢(一郎)ガールズ」とか「小泉(純一郎)チルドレン」といわれた当選1、2回生が次の選挙では多数落選した。「安倍チルドレン」の再選を期することが安定多数を維持できるかどうかのカギになる。
 第2には8月に予定されている東京都議選。現在は127議席の定数のうち自民党が60議席、公明党が23議席で過半数(64議席)を大幅に上回っている。だが小池百合子都知事が立ち上げた政治塾には約4000人が集まっており、同知事は「立候補したい人がたくさんいる。今の政治に不満を持っている方がいかに多いかの表れだ」として「東京大改革」を旗印に地域政党を立ち上げる。小池ブームが続けば、安倍自民党も都議選で苦戦を強いられるだろう。
 第3には、未知数の部分が多いトランプ米政権との付き合い方をはじめ事実上「大統領不在」の韓国や依然、友好関係の深まりが見えない中国との関係など安倍外交が試練の本番を迎える。特に中国とは2017年が日中国交正常化45周年、2018年が日中平和友好条約締結40周年に当たるので、中国側も「これらの記念すべき時までには、日中関係の本格的な改善を図りたい」(程永華駐日大使)としている。しかし日本政府の尖閣諸島国有化、中国の軍事大国化や南沙諸島進出、日中空軍の接近問題、安倍政権下での「改憲ムード」など、さまざまな要因が影響して、1972年9月の国交正常化当時の「日中友好ムード」は望むべくもない。
さらにG7サミットの存在感が薄れつつある。その背景には1999年から開催されているG20(G7に中国、インド、ブラジルなど新興国も加えた財務大臣・中央銀行総裁会議)、あるいは2008年からのG20首脳会合といった多国間首脳会合が定期化してG7の影が薄くなっているのだ。G7サミットは今年5月、イタリアのシシリア島で開催予定だが、昨年の伊勢志摩サミットでそれを提案したレンツィ首相はその後、辞任した。トランプ米大統領は出席してもグローバルな見地からG7をまとめていく役割を果たすかは、はなはだ疑問である。むしろトランプ氏の持論からすれば欧米で盛り上がっている「移民規制」の動きに同調して、それを推進するようサミット宣言に盛り込むべきだと主張しかねない。世界を前向きに引っ張っていくG7の時代は終わって、「自国優先」政策を主張しあう首脳会合にならなければ良いがと筆者は懸念している。
 このように2017年は世界規模でも、近隣外交でも、国内情勢でも、なかなか厳しい一年になる。できるなら安倍首相が過去の豊富な外国訪問経歴を生かして「G7」のまとめ役になるべきだろうが、それには先進国と開発途上国の格差是正策、移民問題や環境問題の解決策、さらにはIS(イスラム国)のテロ撲滅とシリア民主化の推進策など「世界的視野」で日本がどんな先導的役割を果たすことが可能なのかを国民とともに模索しなければならない。世界が「自国優先」主義に走る中で、「国際協調」を如何に維持していくか。それが安倍首相を含めて世界の政治リーダーに課せられた最大の宿題だ
 トランプ大統領はdisaster(災い)という言葉をよく使う。「オバマ前大統領はdisaster」といった具合に。ところが、そのトランプ大統領もdisasterになるかもしれない。就任式のスピーチでは「米国では政治家は豊かになったが、国民は職も工場も失った」と述べた。だが、今アメリカも世界も望んでいるのは米大統領らしい人物である。「トランプ大統領はdisaster」といわれないよう自戒してほしい。
(この原稿は「行政&情報システム」2月号に書いたものをその後の状況に合わせて補強したものです)

鉄が勝つか、木が勝つか    宇治 敏彦

 昨年出版した拙著「版画でたどる万葉さんぽ」(新評論社)に三重塔再建に賭けた法輪寺(奈良県斑鳩町)の井上慶覚和尚(故人)の熱意について書いた。この塔は世界最古の木造の三重塔といわれたが、1944年(昭和19年)7月、落雷で全焼した。筆者は高校時代に法輪寺に何日もお世話になり、当時は健在だった慶覚和上から三重塔再建への熱意をうかがった。和上の「夢」という揮毫を便箋にして再建費の一助にしたいというので、筆者は慶覚さんの書を版画に彫るなど、ささやかな協力をさせてもらった。作家の幸田文さんは私財を投じて協力し、東京から斑鳩に移り住んだほどだった。三重塔は1975年(昭和50年)3月に創建当時の姿で再建されたが、残念なことに井上慶覚さんは、その6年前亡くなっていた。
 以上が私の書いた一文の概要だが、昨年末、これを読んだ長谷川隆さん(共同通信社OB)から「伊東光晴氏が『技能に生きる世界』という一文で法輪寺の三重塔再建に関する裏話を書いていますよ」と教えてくれた。彼が親切に贈ってくれた「君たちの生きる社会」(伊東光晴、ちくま文庫、1978年)からその部分を引用する。
 「設計者は竹島卓一博士。つくった棟梁は、法隆寺大工西岡常一さんです。しかし、ここに問題がありました。先代の住職さん(注:井上慶覚さんのこと)は西岡さんに、あなたの思いどおりにつくりなさいといったのだそうです。しかし竹島博士の設計図を見たとき、西岡さんは、このとおりやれというのならばやめさせてもらいますといってことわったのです」
 「現代の構造力学上からいうと、昔の設計図に無理がある」と竹島博士は「補強として鉄を使う設計図を描いた」。これに対して西岡大工は「なるほど鉄は力が強い。しかし生命力がない。(近くの)法華寺の三重塔は明治30年の解体修理で鉄のボルトが使われたが、すでに錆びてねじやまがきかなくなっていて塔をゆがめる原因になった」という。
 長い論争の結果、「必要最低限の鉄材をつかう」ことで妥協した。西岡氏は法輪寺三重塔の建設材として樹齢1500年のヒノキを求め日本に限らず台湾まで行ったという。「私の考えが正しいか、竹島先生の考えが正しいか、それはやがて歴史が証明するであろう」と言った、と伊東氏は同著に書いている。
 設計者が正しいか、大工の棟梁が正しいか――。残念ながら両氏だけでなく、私も含めて、その「判定」は後世の日本人に委ねる以外にない。

世界はどこまで「逆流」するのか    宇治 敏彦

 2017年(平成29年)という新しい年がスタートした。日本各地では初日の出も見られ、穏やかな天候の正月となった。しかし、世界を見ると、元日の未明にトルコの首都イスタンブールのナイトクラブでは乱射事件があり100人以上の市民が死傷した。地元知事は「サンタクロースの格好をしたテロリストによる残虐行為」と公表した。このクラブもあるボスボラス海峡沿いの道を筆者も数年前に何回か通ったことがあり、他人事のように思えなかった。トルコではエルドアン大統領の独裁政権に対する不満が高まっており、テロ行為も近年、急増している。
 前日の大晦日にはイラクの首都バクダッドの市場で爆発事件が2件あり、買い物客ら25人が死亡した。過激派組織「イスラム国」(IS)系のメディアは「イスラム系シーア派を狙った」とする犯行声明を出した。
 21世紀は米国における同時多発テロ(2001年9月11日)で幕を開けたが、15年以上たっても、テロ事件は収まるどころか、ますます増えそうな気配ではないか。
 そうした現象に輪をかけるのが米国のトランプ新大統領の「自国優先主義」ではないかと私は危惧している。「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」というトランプ氏の発想は、メキシコなどからの移民急増で白人たちの職が奪われ、経済的にも米国の企業が疲弊していることへの対抗策から生まれたものと思えるが、トランプ発言の影響は単に米国内にとどまらず欧州やアジアにも波及している。人道主義の立場で難民受け入れに積極的だった西ドイツのメルケル首相も最近は孤立化を指摘され、秋のドイツ総選挙(下院選挙)で安泰とは言えないとまで欧州のマスコミは報じている。
 第2次世界大戦が終わった直後は国連の力も強く、日本が鳩山一郎政権の下で国連加盟を果たした1956年(昭和31年)までは、日本人の多くも「国連中心主義」という神話を信じ切っていた。また、もう一つの神話として「民主主義国同士での戦争は起きない」とされ、そう信じられていた。だが1982年(昭和57年)4月のフォークランド戦争(イギリスとアルゼンチンの間で起きたフォークランド諸島をめぐる領有権争い)が勃発すると、その神話もぐらついた。
 トランプ大統領をはじめ世界中の指導者たちが「自国優先主義」をし始めたら「国際協調」「国連中心主義」「人命重視」の風潮は大幅に後退を余儀なくされ、G7サミットもG20サミットも有名無実化するのではないか。こうした「逆流」を止める政治指導者が出て来ないものか。「国境を超えて人命ファーストでいこう」という政治家を育てることが急務だ。そのために私たちも国際世論を盛り上げていこう。年頭に当たっての私の思いである。
 

「昭和8年」を学び直そう   宇治敏彦

 横浜市中区日本大通りにある「ニュースパーク」(新聞博物館)で開催中の企画展「こんな時代があった 報道写真『昭和8年』」を見に行った。日本電報通信社(電通の前身)が昭和8年(1933年)に加盟社などに配信した内外の報道写真など約150点が展示されていた。この年、ドイツで台頭したヒトラー首相の動向や国際連盟総会で脱退を表明して日本国民から拍手喝采された松岡洋右全権(後に近衛内閣で外相)の表情をはじめ、パリで始まった毒ガス防御マスクの実習風景とか、日本での最初の防空演習の模様など、世界が「戦争へ、戦争へ」と走り出そうとしていた昭和8年という年を浮き彫りにしている。
 筆者は昨年、「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」(新評論)という本を上梓し、その出版記念会の挨拶で「昭和8年を学び直そう」と参会者に呼びかけた。
それというのも昭和8年に京大法学部4年生だった筆者の父は「滝川事件」に遭遇して、就職先に苦慮していた。この年に出版された滝川幸辰京大法学部教授の著書「刑法読本」が「アカではないか」(共産党寄りではないか)と噂になり、内務省が発禁処分にした。ときの文部大臣・鳩山一郎は「赤い教授」を弾劾し、滝川教授の退官を要求した。法学部教授会がこれを拒否すると、文部省は滝川教授を休職処分とした。それに反発した大学や学生たちの反対運動が全国的に広がり、政府は思想弾圧を一段と強めていった。
小学校の国語教科書は大正7年からの「ハナ ハト マメ マス」が「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」に変わり、国威発揚型の色合いを強めていった。その国の政府が戦争志向を強める時は、必ずと言っていいほど思想・言論・教育・結社の自由を制限する方向に進んでいく。教科書の変化に象徴されるように長野県では「赤化教員の一斉検挙」があり、作家・小林多喜二が取り調べ中に虐殺されるなど、さまざまな思想弾圧が行われ始めた。それは日本の関東軍が河北侵入を開始したのとも軌を一にしていた。
私は昨年もこの「埴輪」に「昭和8年の教訓に学ぶ」という一文を書いたが、今回のニュースパークでの「昭和8年」写真展を見て、日本をはじめ世界全体が第2次世界大戦へと助走を始めた年ではないかと改めて思った。
同年12月23日、明仁皇太子(現天皇)が誕生している。「御名 明仁 御称号 継宮」と掲示する写真も展示されている。
歴史を学ぶ上で一見の価値ある展覧会と思う。(この写真展は12月25日までニュースパークで開催中。月曜休館)

「背広姿の万葉板画家」とでも言いますか?   宇治敏彦

 今から6年前に、このブログ雑誌「埴輪」がスタートした時、編集長の小榑雅章さんが小生の万葉板画を「宇治美術館」と称してパソコン上に掲載してくれた。時には仏像やお祭りのペン画も交えながら、今回で100回目の「美術館」になる。
 なぜ「万葉集」を版画に彫るのかと聞かれることがある。大伴家持らによって編纂された奈良時代の日本最古の「国民歌集」は、全20巻、約4500首と、そのボリュームもさることながら、天皇・皇族・貴族から下級官僚・兵士・農民・乙女に至るまで職業や身分を問わず私たちの先祖が、人生の喜びや悲しみを率直に歌い込んでいるのが最大の魅力だ。学生時代から棟方志功、川上澄生といった版画家(棟方さんは「板画道」と言っていたが)の作品に魅かれて「板画で万葉の歌を現代に蘇らせることが出来たら」と思ったのがきっかけだった。
 東京新聞の代表をしていた2004年当時に文芸春秋社がどこで聞き込んだか、「第二の人生 暮らしの設計図」というテーマで臨時増刊号をつくるので「版画と万葉集」について一文を書いてほしいと頼んできた。月刊「文藝春秋」(同年7月臨時増刊号)に「萬葉集を板画に彫る」と題して掲載された。その中で私は次のように結んだ。
 「板画の面白いところは、油絵と違って一度彫ったら手直しできないことだ。やり直しのきかない人生に似ている。彫り損なったら、それを逆にいかして作品にしていく開き直りの姿勢もときには必要になる。棟方志功の作品にも彫り損ねた箇所がいくつも見つかる。それを気にしないおおらかさが、また好感がもてる。最近の悩みは、本職の新聞社の仕事が多忙を極めて、なかなか板画づくりを楽しめないこと。しかし、趣味に定年はないから焦らない。本職の定年のときが来たら、趣味の本職が始まるのを今から楽しみにしている」
 現在は、まさに「結びの言葉」通りで、午前中は新聞社の相談役室に顔をだし、午後は日本プレスセンタービル8階の小部屋で万葉板画づくりに勤しんでいる。「背広の板画家」と冷やかす人もいるが、今年6月に二冊目の万葉板画集「版画でたどる万葉さんぽ」(新評論社)を上梓することが出来た。
 「いつ彫るのか」「一作品つくるのにどれくらい時間がかかるのか」とは、よく受ける質問だが、「ほぼ毎日彫ってます。気が向けば朝も自宅で彫っているので、娘に『木クズの掃除が大変』と叱られています」「作品の大きさや内容にもよりますので締め切りは決めていません」と答えている。もし御関心があれば東京新聞の関連紙「暮らすめいと」に毎月掲載している「万葉のこころ」をご覧ください。

ドキュメンタリー映画「抗い」を見よう   宇治敏彦

 「国家とは何か?」「国民とは何か?」「民族とは何か?」「戦争とは何か?」「権力とは何か?」―――。さまざまな「何か?」を考えさせられるドキュメンタリー映画を日本記者クラブでの試写会でみた。「抗い 記録作家 林えいだい」(RKB毎日放送。西嶋真司監督)。
 福岡県筑豊炭鉱で戦前・戦中に日本に徴用された朝鮮人たちの重労働や悲劇を中心に「戦争」「民族」「公害」などを長年取材し、国家権力の横暴がもたらす非条理を追及し続けてきた記録作家、林えいだい氏(82歳)を映像で追い続けてきた1時間半の記録映画だ。
 林さんは1933年12月、福岡県香春町に奈良時代から続く神社の神主(林寅治)の子として生を受けた。9歳の時、父は非業の死を遂げた。当時、筑豊炭鉱に強制労働に駆り出されていた朝鮮人たちが厳しい生活に耐えきれず脱走するのを気の毒に思って匿っていたのが発覚し、当時の特高警察から拷問を受けて命を落としたのだ。これが林えいじ少年を「反権力」に向かわせた最初のきっかけだった。早大中退後、帰省し炭鉱夫、地方公務員を経て37歳でフリーの記録作家への道に入った。以後、45年間に50冊以上のルポルタージュを発表しているが、その多くは「清算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録」(岩波書店)「証言・樺太朝鮮人虐殺事件」(風媒社)「地図にないアリラン峠 強制連行の足跡をたどる旅」(明石書店)など戦前・戦中の日本の対外進出政策で犠牲になった被害者に関する取材記録である。
 映画では、筑豊炭鉱から脱走した朝鮮人労働者たちが「アリラン峠」と呼ばれた山道で行き倒れた様子を追っている。気の毒がった人たちが大きな石を選んで墓石とした。そうした石が今も山中にゴロゴロ転がっている。また1945年、一機の重爆特攻機が飛び立つ直前に放火された際に、朝鮮人飛行士(当時は山川という日本名)が無実の罪を着せられ日本軍に射殺された。映画は、その真実に迫ろうとする林氏の取材ぶりも詳しく追っている。
 戦後のテーマとしては、九州における炭鉱公害の実態を戦前の足尾銅山鉱害と重ね合わせて追及していく林氏の取材実績が描かれている。
 「僕は現場に身を置いて考える悪い癖がある」「名もなき民衆の声なき声を、しかと歴史にとどめていくことが、僕自身が生きている証しなのかもしれない」「時間とお金の無駄遣いだと友人に笑われるが、これが僕の方式であり生き方だ」。重い癌と闘い抗がん剤の副作用でペンが持てないほどだが、セロテープで万年筆を指に巻き付けて執筆をつづける林さんの姿に、同じ物書きの後輩として「自分なんかまだまだ生ぬるい。温室で仕事しているのではないか」と反省を込めて自戒した。
 「歴史の教訓に学ばない民族は 結局は自滅の道を歩むしかない。」
 映画の最後に掲示される林氏の言葉は、今日の日本にも当てはまる。
 見終わった後、しばし言葉を失っていた。一緒に鑑賞した小榑雅章君も沈黙していた。
(「抗い」は2017年1月下旬、シアター・イメージフォーラムで公開される)

コロンビア大統領へのノーベル平和賞効果や如何に   宇治敏彦

 ノルウェーのノーベル委員会は、粋な計らいをしたものだ。10月2日に南米コロンビアで実施された和平合意を問う国民投票で反対派が勝利していなかったら今回のサントス・コロンビア大統領への平和賞授与はなかったかもしれない。いわば「コロンビアの国内合意を促す奨励賞」の意味合いが強いというべきだろう。
 何しろ52年間も内戦が続いている国である。1959年のキューバ革命に触発されて誕生したコロンビア革命軍(FARC)との内紛で約700万人(現人口の7分の1)が避難民となり、26万人以上の犠牲者を出した。当然、革命軍への反発は吹き出すが、一方で貧富の格差拡大に抵抗する革命軍を支持する農民や貧しい層もたくさんいる。
 だからこそ和平合意を問う国民投票も「反対」(50%)、「賛成」(49%)という僅差だったのだろう。否決の背景には「FARCに譲歩し過ぎだ」(選挙に勝てなくとも上下両院に合計10議席を与えるなど)といったサントス政権の妥協姿勢に不満があるからといわれるが、これだけの僅差ということはFARC支持派も根強い証拠だ。
 ノーベル委員会は「このまま放置しておいたら、英国で6月、欧州連合(EU)離脱を僅差で選択した国民投票の結果と同様に、混乱の拡大を招く」と懸念して、サントス大統領が和平努力をあきらめずFARCとの再交渉に頑張るよう焚きつける「激励賞」の意味合いを込めたのであろう。
 ノーベル平和賞が起爆剤になってサントス政権とFARCの再交渉が成功することを一地球市民として切望する。と同時に、次は深刻度を強めるシリア内戦をなんとかしなければならない。米国とロシアによる停戦合意が失敗に終わり、オバマ政権は協議の打ち切りをロシアに通告した。根源はアサド政権とシリア反体制派の争いだが、現実は米ロの代理戦争になっているだけに、ある意味ではコロンビアより質が悪い。2011年に始まった反政府デモにシリアのアサド大統領が武力弾圧をしたことがきっかけだが、コロンビアのように半世紀も内戦が続くとすれば、今世紀の後半にはシリアという国家は有名無実化しているだろう。過激派組織「イスラム国」(IS)の活動も絡んで、アサド大統領自身が身を引くことを決意しない限り新展開は見えてこないだろう。ノーベル委員会もシリアについては出番がない。本来は国連の出番だが、米ロ対決の様相では実効ある提案は出てこないだろう。
 せめてコロンビアの和平の動きやノーベル平和賞を契機に、全世界の人々がシリア問題に思いをいたして、アサド大統領に「和平」実現へのプレッシャーを強く働きかけていくべきではないか。

親日派が沈黙している中国政府の内部事情   宇治敏彦

  中国の建国67年を祝う中国大使館主催のパーティーが9月29日夜、赤坂見附のホテル・ニューオータニで開催された。約1500人の参会者で賑わい、例年通り舞台のすぐ脇には創価学会の池田大作名誉会長のひときわ大きな花輪が飾られていた。来賓あいさつはなく、程永華駐日大使の冒頭あいさつと乾杯の音頭で、あとは青島ビールに北京ダックや餃子、焼売などの料理で懇談という形式だった。
 日本の創価大学留学生で、日本人と全く変わらない流暢な日本語を話す程大使だが、挨拶は中国語で、その和文訳が両脇のスクリーンに映し出される仕組みになっていた。挨拶の内容は、中国経済が6.7%成長で順調に発展していることを強調し、対日関係では4つの政治的文書(戦略的互恵関係など)を堅持して経済関係の発展などに努めたいとの内容だった。最後の乾杯の音頭だけは、さすがに日本語を使った。
 政界、経済界をはじめ多くの著名人の姿があったが、安倍晋三首相の姿はなかった。こうした中で筆者が感じたのは、人は沢山集まってくるのだが、日中正常化が実現した1970年代のあの熱気は全く感じられず、なぜかよそよしい空気が漂っていることだった。勿論、この背景には野田佳彦民主党政権時代に日本が尖閣諸島の国有化を閣議決定して以来の「日中冬の時代」があるのだが、それにしても程大使も含めて中国側の親日派が、ずーっと沈黙を決め込んでいることも大きく影響しているのではないかと憶測した。
 正常化前後には廖承志中日友好協会長をはじめ多くの親日派・知日派が周恩来首相ら首脳に直に日中関係に関して進言、時には直言して、それが対日政策に反映されることがあった。しかし、今は習近平体制のもとで王毅外相(元日本駐在大使)、唐家璇中日友好協会会長をはじめ多くの親日派・知日派が頑なに中国の原則論に固執し、柔軟性を欠いている。やはり「御身大切に」というのか、政権の枠内でしか行動しない。
 そこが筆者にとっては不満である。パーティ―の終わりがけに程大使と握手しながら「大使、何とか日中関係を良くしましょうよ」と話しかけた。大使は筆者の手を握ったままで「来年が日中正常化45周年ですから」としきりに強調した。彼も本心では何とか正常化直後のような良好な両国関係に戻したいと願っているだろう。「マスコミも協力しますよ」と告げて私は会場を後にした。
 

「金食い虫」もんじゅの悲劇   宇治敏彦

 一時は「夢の原子炉」とまで言われた高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が廃炉に向けて動き出した。福井県の西川一誠知事らは存続を希望しているが、政府は年内に廃炉を正式決定の運びだ。
 当然だと思う。むしろ遅きに失したというべきだろう。1994年に「臨海」(核分裂が持続する状態)に達して本格稼働に入ってから今年で22年になるが、この間、原子炉を動かせたのは延べ250日間しかない。「夢の原子炉」というより「幻の原子炉」と言った方が的確だろう。
 しかも、この間に歴代内閣が使った金は1兆円以上で、運転が停止しても毎年200億円の維持費を要する「金食い虫」だった。炉は停止中でも固まりやすい性質があるナトリウムを温めるため毎月1億円以上の電気代が必要だという。何でこんなにも無駄なことが長期間行われてきたのだろう。
 1995年12月にナトリウム漏れを起こして運転中止になった2年後、原子力委員会の内部に高速増殖炉懇談会がつくられた。その席で吉岡斉九大教授(科学技術史が専門)は「もんじゅを博物館にして技術保存し、技術者は学芸員として再雇用してはどうか」と提案したという(9月23日、毎日新聞朝刊)
 だが、地元の福井県をはじめ関係者の反対が強く、吉岡案は見向きもされなかった。いま廃炉後のもんじゅについて核廃棄物減量の研究拠点に転用すれば地元経済にも寄与するのではないかとの案も浮かんでいる。
 ただ廃炉にすると言っても3000億円超の費用がかかるといわれている(再稼働させる場合には少なくとも5800億円が必要と文科省は見ている)。福島の東京電力福島第一原発の廃炉でも2兆円かかるといわれてきたが、賠償費用を含めて既に6兆円が使われている。もんじゅの廃炉費用も3000億円では済むまい。
 お金だけの問題ではない。1995年のナトリウム漏れ事故後には当時の動燃が撮影現場のビデオを隠蔽したことが発覚し、その責任を感じたのか対外広報担当だった総務部次長(当時)が自殺する事件まで起きている。また消火作業の際に水をいれたバケツリレーをしたということで「そんな原始的作業で作業者が二次災害に巻き込まれたら、どうするんだ」という非難の声も聞かれた。
 「夢の原子炉」は、あまりにも高い授業料だった。原子力発電に関しても、いま一度考え直す必要に迫られている。

金利操作だけで経済は良くならない   宇治敏彦

 日本銀行が9月21日の金融政策決定会合で、金融緩和政策の部分的修正を決定した。その主な内容は①物価上昇率2%目標を超えるまで新たな金融緩和策を継続する②「年80兆円ずつ保有残高を増やす」との国債買い入れペースを「おおむね80兆円を目途に」と変更する③「7~12年程度」としていた国債の平均残存期間を廃止する―などだ。その理由について黒田東彦日銀総裁は「原油安」「2014年4月の消費税率アップ」「新興国経済の減速」という3つの理由を指摘した。
 しかし、筆者の率直な印象は「金利政策で経済全体の構造を変えようという日銀の発想自体に土台無理があるのではないか」という点である。マイナス金利政策を3年半続けても「2%の物価目標」が達成できないのは、日銀の役割の限界を国民に見せつけたに等しい。行天豊雄・国際通貨研究所理事長が「中央銀行にできることは限られている。検証したからすぐにでも必要な対策が打てるわけじゃない。日銀だけじゃどうしょうもない」(9月20日、日経新聞朝刊)とコメントしているように、安倍政権自体が経済政策の内容や規模を大幅に変えないかぎり、日銀の金利政策はゴマメの歯ぎしりに終わるだろう。
 安倍晋三内閣の支持率は50%台後半から60%前半と極めて高い。だが、その中で期待感が逆転している項目が「経済政策」だ。たとえば共同通信社が9月17,18日に実施した全国電話世論調査では、安倍内閣支持率は55.7%(不支持30.0%)で8月調査より3%近く支持が上昇している。ところが「経済政策」では「期待できる」が10.9%に対し「期待できない」は28.6%と悲観論が3倍近い。8月調査より「期待できない」が10%近く増えている。
 言い換えれば景気は良くない。個人は財布の紐を締めているから消費が低迷している。マイナス金利では貯蓄する気にもならない。将来不安が拡大しているから「2%の物価目標」など達成できるはずがないのだ。
 安倍首相は今春の春闘時に「企業はもっと賃上げを」と経団連幹部らに発破を掛けた。しかし、こうした「官製春闘」は邪道である。政府は本来、民間企業の労使交渉に口を差し挟むべきでない。かつての太田薫―岩井章コンビといった総評全盛期なら、その首相発言だけで大問題になったであろう。
 むしろ安倍政権が今までに取り組むべき問題は「同一労働同一賃金」「正規社員と非正規社員の格差解消」「外国人労働力の有用活用」といった社会構造・労働環境の改善であった。それを軽視して日銀の金利政策頼みにしても、物価上昇率2%が達成されるはずがあるまい。
 黒田日銀総裁も「サプライズ戦略」なんて用語は使わないほうがよい。かつて大幅な金融緩和を求めた政府・自民党首脳に敢然と立ち向かい「平成の鬼平」とのあだ名を付けられた三重野康日銀総裁が懐かしくなってくる。

利根川の落ち鮎を食べながらの前橋支局OB会   宇治敏彦

 9月の3連休を利用して群馬県渋川市大正橋脇の落合簗(おちあいやな)で、1960年代(昭和30年代後半)に東京新聞前橋支局に勤務した男たち6人が落ち鮎を肴に昔話をする会合が開かれた。このOB会は1997年以来、伊香保や赤城などで何回かもたれ、八ッ場ダム工事現場の視察などもしたが、今回は少し趣向を変えて渋川通信部の経験者でもある倉林昭次幹事(89歳)の御世話で9月一杯が限度という落ち鮎を味わう会になった。これが最後かもしれないというので当初は12人が参加予定だった。しかし、そこは「腰が痛くて」とか「親戚で不祝儀があって」などと年配者らしい事情が重なって当日には参加者が半減した。
 JR渋川駅からタクシーで15分程度の利根川河川敷にある落合簗からは榛名山が一望出来る。川風を受けながらの会食は賑やかな昔話とともに楽しい時間があっという間に過ぎていった。子持ち鮎の塩焼き2本、魚でん1本、フライ1本、酢の物などに鮎酒。一番うまいのは、やはり塩焼きであった。鮎酒は初めて飲んだ。焼いた鮎を丸ごと1本入れる横長の特製容器で供される燗酒だが、後で中の鮎を食してみたところ、これはそう感心する味ではなかった。
 3連休のせいか、170人は座れるという大座敷もほぼ満席だった。年長ぞろいの我々の個室には椅子も用意されて、瞬く間に3時間が過ぎた。話といえば当然、同僚たちが現役として活躍していた支局時代のことだが、やはり谷川岳遭難者の取材が皆の記憶に強く残っていた。谷川岳一の倉沢で宙吊りになった登山者(遺体)を収容する手掛かりがなく、最終的には自衛隊が出動して銃でザイルを撃ち、遺体を収容した事件が最も有名だ。そのほかにも谷川のマチガ沢でヘたった女性登山者を男性リーダーがザイルを持っていなかったので、自分の革バンドをはずして引き上げようとして起こした事件もあった。バンドが古かったので、引き上げる途中で切れてしまったのだ。リーダーは過失致死容疑で沼田署に送検されたが、最終的には前橋地検で起訴猶予処分になった。
 当時、東京新聞の前橋支局長だった宮路一男氏(故人)が山好きだったこともあって、谷川で事件があると、すぐに沼田通信部の応援に駆り出された。後に私の後任として前橋支局に赴任してきた成川隆顕氏(日本山岳会幹部で、今年から始まった祝日「山の日」の推進役の一人)のような山登りのプロにとっては谷川取材は何の苦もなかったろうが、正直いって運動嫌いの私のような者には谷川岳の遭難事件取材は苦手だった。その成川氏から山の話だけでなく、東京オリンピックの時、マラソンのアベベ選手を取材した時の秘話などを聞いているうちに鮎料理もすべてお腹の中に納まって、OB会はお開きとなった。
 さて来年は、OB会を開けるかどうか分からない。だが皆が元気なうちは、私たちジャーナリスト人生の原点で、決して経済的には豊かではなかったものの、毎日がピカピカと輝いていた支局仲間の会を持ちたいものだと思っている。

安倍晋三長期政権の良し悪し    宇治敏彦

 7月の参院選に勝利して8月3日に第3次再改造内閣を発足させた安倍晋三首相の在職期間が年内に中曽根康弘元首相の在職期間(満5年)に並び、来年6月には小泉純一郎元首相の5年5か月も追い越そうとしている。戦後の総理大臣で在職期間の長さからいえば1位が佐藤栄作氏(7年8か月)、2位が吉田茂氏(7年2か月)だが、ひょっとしたらこの2人を追い抜いて戦後最長の内閣総理大臣になる可能性も出てきた。
二階俊博自民党幹事長は、早くも自民党総裁任期(現在は2期6年間)の改定論(3期9年間に)を示唆している。安倍総裁の任期は2018年9月で切れる。任期延長がなければ、ここで安倍政権は終わり、小泉、中曽根両政権を超えても、佐藤、吉田政権には及ばない戦後3位に留まる。
 旧田中角栄系の二階幹事長が、なぜ安倍総裁の任期延長を唱えているのだろう。一つには2020年夏の東京オリンピック・パラリンピックを安倍政権下で実現してもいいのではないかとの思い。もう一つには2018年12月で任期切れになる次期衆院選挙や2019年夏の次期参院選を、このところの国政選挙で勝利している安倍首相の下でやるのが自民党には得策との読み。勿論この他にも「安倍任期延長」を主導することで二階氏が安倍首相に貸しをつくり、党内での自らの政治的影響力を強めたいとの思惑もある。
 同じ旧田中派系でも石破茂氏は二階幹事長と対照的に「反安倍」の動きを強めている。8月の内閣改造で安倍首相から閣内にとどまって欲しいとの要請を受けたが、それを断って無役に転じた。今後は水月会という派閥を足場に次期総裁選に備える覚悟で、自らの思いを出版する準備に取り掛かっており、もちろん「総裁任期延長論」には反対している。
 こうした中で安倍首相が今後、どういう戦略に出てくるかを政治記者OBとして予測してみよう。いま安倍首相が内心、一番実現したいと思っていることはプーチン・ロシア大統領との首脳会談(12月に安倍首相の選挙区・山口県で開催)で日ロ平和条約の締結に目途を付けることであろう。これが実現すれば1956年(昭和31年)、鳩山一郎首相が日ソ国交回復を実現してからの懸案事項になっていた北方領土返還問題、日ロ平和条約の締結が60年ぶりに前進することになる。鳩山退陣後の岸信介政権における「日米安保条約」改定につぐ「新安保法制」の強行成立と合わせて、安倍政権は「一内閣一仕事」でなく「一内閣二仕事」を成し遂げた大宰相という声が自民党や経済界、さらに保守的な団体や右寄りの論壇から噴出してくることは目に見えている。現在40%台の内閣支持率も50%を超すかもしれない。
 そのときに安倍首相が目論む次の手は、衆院の早期解散だ。2017年夏には東京都議選が予定されているが、都議選とのダブル選挙を決断するかもしれない。そこで勝利すれば、2018年9月の総裁任期切れは「延長」に傾くのが自然の流れだろう。
 「そう安倍氏の思惑通りに進むかい?」という反論があるだろう。確かに「政界は一寸先が闇」といわれるように何が起こるか分からない世界である。首相自身の健康問題をはじめ「米国の新大統領誕生による日米関係、世界情勢の変化」「中国や北朝鮮のさらなる軍事的行動」「アベノミクスの不成功」「大規模震災の発生」など諸々の不安定要因も否定できない。だが現時点では「これが安倍政権崩壊のきっかけになる」と断言できるものはない。ひょっとしたら吉田、佐藤という長期政権を追い越して安倍政権が8年間の戦後最長政権になるかもしれないという想定も頭の片隅に置いておくべきだろう。
 最近は政治家だけでなく国民全体が「今日一日、無事に過ごせれば、それで納得」といった「劣化現象」が目立ってきた。あの3年半の民主党政権の失敗がいまだに尾を引いているようだが、そろそろ日本の進むべき本道を考え直す風が吹き始めても良いころではないだろうか。その責任の一端が私たちマスコミ人にあることは、もちろん強く自覚している。

天皇の「生前退位」のご意向表明に思うこと    宇治敏彦

8月9日、ビデオメッセージで国民に伝えられた天皇陛下の「お気持ち」は、憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」が求めている「天皇の仕事」と、ご自身の年齢・健康・子孫への思いといった「人間・明仁(あきひと)」との谷間で悩まれた結果であったろう。
 「80歳を超え、身体の衰えを考慮する時、全身全霊で象徴の務めを果たすのが難しくなると案じている」というお気持ちは、よくわかる。特に「戦後70年」に当たった昨年8月15日の全国戦没者追悼式で正午の時報前に「お言葉」を読み始めてしまい、改めて時報後にやり直したといった間違えも精神的に堪えられたに違いない。共同通信、朝日、読売の世論調査で80%以上の人が天皇の「生前退位」というお気持ちを理解できるとしているのも自然なことだろう。
 しかし天皇は、「公務代行」とか「摂政」という形を望んでいない。お言葉でも「摂政を置いても、天皇が務めを果たせないことに変わりはない」とし、きちんと後継天皇を決めてほしいと希望しておられる。父親の昭和天皇は皇太子時代に、大正天皇が病気になり亡くなるまでの5年間、摂政を務められた。だが学友たちによれば現天皇は「責任感が強い」「真面目で何事にも真剣」「嘘を嫌う」などの性格から、摂政では「日本国および日本国民統合の象徴」という仕事を全うできないと考えておられるのだろう。
 自らが昭和天皇の死去に伴い平成天皇になったのは55歳の時。それから28年経って皇太子も56歳と、ご自分の即位年齢を超えている。遅くとも自らの在位期間が30年間になるころには譲位できないものか。そんな思いが「お言葉」冒頭の「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます」という表現になっているのではなかろうか。
 だが、現行憲法に基づく皇室典範では「崩じたとき」以外の天皇交代を認めていないので、「生前退位」を実現するには当然ながら典範改正か特別立法が必要になる。
ここからが問題だ。「女系天皇を認めるか」「譲位後に皇太子がいなくなるので皇太弟を設けるか」といった議論のほかに、次の2つの問題があると私は思っている。
 一つ目。皇室典範の改正に着手することが改憲ムードをあおることになるかもしれないとの危惧だ。先の参院選で改憲勢力が衆参両院で3分の2を占める国会では今後、憲法審査会が憲法改正への具体的手順を検討し始める。憲法改正は安倍晋三首相の悲願である。天皇の思いとは別に、「生前退位」問題に便乗して改憲ムードを高めようとする動きが保守陣営から出てきても不思議ではない。現に作家の高村薫さんは「(天皇の)お気持ちは痛いほどわかるが、大変なことになったというのが率直な感想だ。天皇陛下と昭和天皇は戦争の犠牲者を悼み、平和への思いを表明し続けることで大きな役割を果たしてきた。平和憲法と共に天皇という存在があったのに、場合によっては憲法の見直しまで考える必要が出てくる。個人的には公務を減らしてでも今の陛下に天皇でいてほしい」とコメントしている(8月9日、毎日新聞朝刊)。一般人にも同じ思いがある。「退位は慎重に検討してほしい」と、千葉県在住の男性、酒井弘之さん(無職、80歳)が朝日新聞にこんな投稿をしていた。「陛下は、少年時代だったとはいえ戦争の時代をくぐられた。戦争を体験された最後の天皇である。戦争の反省に立って生まれた新憲法下で即位された最初の天皇でもある。戦後70年の平和を象徴されるお方である。憲法にある通り、天皇陛下は『国民統合の象徴』である。この象徴制が動揺を来さないように、退位については慎重に検討申し上げるべきではないだろうか」(8月10日、朝日新聞朝刊の声欄)
 皇室典範の改正が憲法改正にまで発展していくことは天皇も不本意だろう。政府も国民も難しい対応を迫られている。
 二つ目。これは天皇が持っている「二つの顔」、すなわち国民統合の象徴という「機関としての天皇」の顔と「人間としての天皇」」という顔をいかに調和させていくかである。
 昭和天皇が死去されて平成がスタートした翌日の1989年1月8日から5回にわたり東京新聞・中日新聞1面に「新象徴天皇」という企画を5回連載した。その1回目で私は、昭和天皇が敗戦直後の1945年(昭和20年)9月9日付で皇太子(現天皇)に送った手紙を紹介した。
 「敗因について一言いはしてくれ。我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどったことである。⋯⋯⋯明治天皇の時には山縣、大山、山本等の如き陸海軍の名将があったが、
今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国の如く軍人がバッコして対局を考へず、進むを知って退くことを知らなかった」(原文のまま)
 と同時マッカーサー元帥との初会見(同年9月27日)の際の天皇の発言も再録した。「責任はすべて自分にある。自分は国民が戦争遂行にあたって政治、軍事の両面で行ったすべての決定と行動に対して、すべての責任を負う者として、あなたが代表する連合国の裁定に委ねるためここに来た」
 ここに「二つの顔」が垣間見える。現天皇も父上の「戦争責任」に対する贖罪の意味も含めて内外で戦没者や犠牲者に深い哀悼の意を表する行動を美智子皇后とともに続けてこられた。また東日本大震災、阪神淡路大震災といった自然災害の現場を訪ねては被災者とその家族たちに膝を接する距離で慰労する姿に国民は深い感動を覚えた。「機関としての天皇」と「人間としての天皇」がマッチしていた。皇太子が天皇に即位しても、今上天皇の精神は引き継がれていくだろう。ただ戦争の悲惨さを自ら体験された天皇と戦後の高度経済成長期に誕生した皇太子では、やはり「お気持ち」に開きが生ずるのは当然だ。先の80歳の男性の投書のように「退位は慎重に」と願う気持ちもよく分かる。
 「国民は何より陛下に一人の人間としてお幸せであってほしいと思うのではないか」(学友のコメント)という側面と、「公務を減らしてでも今の陛下に天皇でいてほしい」(高村薫さん)という要望との狭間で、天皇も国民も双方が納得できる結論を見出すのは至難の業に近い。だが、その決着を付けなければならない時が迫っている。

小池百合子都知事を誕生させた有権者の心理とは  宇治敏彦

 内閣総理大臣は「国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」(日本国憲法第67条)とあるように間接民主主義による選出だが、東京都知事をはじめ地方自治体の首長は有権者の一票がそのまま結果に反映する直接民主主義で選ばれる。
 7月31日の東京都知事選挙で、小池百合子氏は前回の知事選で舛添要一氏が獲得した220万票を約70万票上回る291万票の大量得票で当選し、東京初の女性知事になった。ただ得票率で見ると、歴代14位の44%にとどまった。これは候補者が21人と都知事選では最多だったことと自民・公明両党推薦の増田寛也氏、民進党など野党4党推薦の鳥越俊太郎氏など有力候補が揃ったことの影響だろう。
それにしても当初は自民党東京都連に同党の推薦を申請し、途中で返上して「独自の戦い」に挑んだ小池氏の戦略とは、いかなるものだったのだろう。そして有権者は、なぜ「小池知事」に雪崩をうっていったのだろうか?
 自民党は7月初旬まで公認候補として前総務省事務次官の桜井俊氏(アイドルグループ「嵐」の桜井翔の父親)を担ぎ出そうと画策していた。「真面目な高級官僚」「著名タレントの父」という要素で都知事選勝利は濃厚視されていた。安倍晋三首相が直接、声を掛ければ断るわけにはいくまい、との見方も強かった。だが、桜井氏は「家族に迷惑かけたくない」と固辞した。自民党はやむなく同じ官僚出身(元建設省紛争調整官)で岩手県知事3期、総務大臣経験者の増田氏に出馬を働きかけた。ここから小池氏の出馬戦略が加速していった。「自民党を敵に回すことで、都民を味方につける」という計算だ。
 7月31日、筆者は近くの広尾小学校へ投票に出かけながら、こんなことを考えた。
「小池候補に投票する人は、恐らく①女性の有力候補である②キャスター出身の現職衆院議員である③本来なら自民党候補として出るはずが、あえて自民と喧嘩して非政党色を鮮明にした④石原慎太郎元都知事の『厚化粧の女』発言に『今日は薄化粧できました』と機転で切り返した⓹猪瀬、舛添と2代続いたカネがらみ知事にはならないだろう、といった期待感を抱いているのではないか」と。
 「鳥越候補に投票する都民は『反安倍』『護憲』が第一の選択基準だろう」
 「増田候補に投票する有権者は『がちがちの自民支持者』『自民党共同推薦の公明党・創価学会関係者』『体質的に小池百合子嫌い』の人たちではないだろうか」
 要するに「景気・雇用対策」「直下型大震災対策」「4年後の東京オリンピック対策」「深刻さを増す待機児童問題」といった政策的争点よりも、有力3候補の「経歴」または「人間性と、そのイメージ」が主たる投票基準になっているのではないかと思った。
 その点、事前の世論調査で「小池優勢、追う増田、鳥越」と出たことは、政治記者感覚でいえば「有権者は皆よく見ているな」と感じた。告示前日の7月13日の日本記者クラブで行われた立候補予定者の共同会見(この時点では宇都宮健児氏も参加していた)で私が注目したのは直前に立候補を表明した鳥越氏の言動だった。「決意をボードで示してください」と司会に促されて各候補が公約や決意を書いて出席者に示したが、鳥越氏のボードには「ガン検診100%の達成」とあった。私だけでないと思うが、「ああ、これじゃ駄目だな」と思ったジャーナリストは多かったはずだ。これが都政への公約だろうか? 高い知名度と民進党など野党の応援という2つの「武器」でいけると思ったのだろうが、都政改革への具体策は何ら持ち合わせていなかった。しかも同夜、立候補を取りやめて鳥越支持を表明した宇都宮氏が求めていた「中央卸売市場の豊洲移転反対」などは採用しなかったことや鳥越氏の女性スキャンダル報道も影響して、宇都宮氏は一回も鳥越氏の応援演説に行かなかった。前回2年前の都知事選で約98万票を獲得し、舛添氏についで2位だった宇都宮氏も鳥越候補の人物像を見誤っていた。むしろ宇都宮氏は、自らが出馬すべきだったろう。
 さらに増田氏についていえば、日本生産性本部の会合などで「消滅可能都市」など岩手県知事経験者として日本の人口急減事態に警鐘鳴らしてきた実績は、私個人はよく承知しているが、一般都民は「増田って誰だ」という印象を抱いたかもしれない。7月19日夜、都市センターホテルで「故堀内光雄氏を偲ぶ会と堀内詔子衆院議員を励ます会」という会合が開かれたが、その席にもタスキ掛けで飛び入り参加した増田氏は「私は東京生まれです」と何度も強調していた。元岩手県知事といった印象を薄めようとの思惑があったのだろうが、「いまさら、それを強調しても」と聞いていた筆者には異様に思えた。東電の社外取締役だったという経歴も、脱原発を求める都民には違和感があったろう。
 そのころ小池候補は、黒川紀章氏が2007年の都知事選に立候補したとき開発したガラス窓の選挙カーに乗って、グリーンの「戦闘服」でグリーンのスカーフやハンカチを振る支援者を地滑り的に拡大していった。自民党東京都連が「増田候補以外の候補を応援したら処分する」との文書を流したことも、同党都連の石原伸晃会長、内田茂幹事長らの「権威主義」「強権政治」を印象づけて逆効果をもたらした。
 小池百合子氏が環境庁長官だった2003年当時、何回か話を聞く機会があったが、当時はおしゃれな「クールビズ」を開発し、町の景観保全も兼ねて電柱の地中化を図る「無電柱化」運動や通勤ラッシュ緩和のための山手線の2階建て電車導入プランなども披露していた。思いつきのようであって、それを継続してきたことは馬鹿にできない。マスコミの投票日出口調査によると、自民党支持層の5割以上が小池氏に投票し、増田氏への投票は4割未満だった。
 以上見てきたように当初は一見、無謀な挑戦に見えた小池氏の立候補だったが、実は他の候補よりはるかに計算された戦略があり、1100万有権者もしだいに小池戦略に吸い込まれていったというのが実態だろう。
問題は、これから小池知事が「都民ファースト」精神を今後どこまで具体化できるかだ。
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