国民は不幸です    小榑雅章

安倍内閣の支持率がどんどん下がっている。
今日発表された時事通信の世論調査では、「・・・安倍内閣の支持率は前月比15.2ポイント減の29.9%となった。 2012年12月の第2次安倍政権発足以降、最大の下げ幅で、初めて3割を切った。不支持率も同14.7ポイント増の48.6%で最高となった」と報じている。
むべなるかな、と正直思う。あの尊大な、人を人とも思わぬ内閣総理大臣の態度には、国民は許しがたい思いで来たのだろう。だから、支持できない理由に・・・「首相を信頼できない」が前月比8.7ポイント増の27.5%と急増。前月と今月だけで14.9ポイント増となった。次いで「期待が持てない」21.9%、「政策が駄目」15.8%の順。・・・という結果だ。
だが、問題は、単純ではない。調査結果の続きを見ると、「政党支持率は、自民党が前月比3.9ポイント減の21.1%、民進党は同0.4ポイント減の3.8%。以下、公明党3.2%、共産党2.1%、日本維新の会1.1%と続いた。支持政党なしは同4.5ポイント増の65.3%となった」
なんじゃ、これは。自民党もわずか21%でダメだが、それに代わる受け皿がない。自民党に代わって、政権を任せたいところがない。民進党は、なんと3.8%。だ。100人のうち、たったの4人もいないのだ。この党には、もう国民は失望して、誰も頼りにしていない。
そして、支持政党なしは、なんと65.3%だ。3人に2人は、どこに投票していいか分からない状態なのである。
国民が期待しているのは都民ファーストの小池都知事ではない。別のアンケートでも明確なように、小池氏には、国政は期待していない。
国民は不幸だ。この不幸な状況を誰が打開してくれるのか。
特定秘密保護法、共謀罪、集団的自衛権、そして憲法9条改憲・・・この安倍政権と自民党に代わる勢力を結集してほしい。
支持政党なしは65.3%もいるのだ。民進党も、社会党も自由党もみんな解党して、国民の負託を受けられる民主的な党を結成できないものだろうか。でも出てくるのが、あの失望落胆した民主党幹部の面々では、国民は、投票できないなあ。
国民は不幸です。
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森友・加計選挙をやろう    小榑雅章

日本人の3割しか知らないことを知っていると、ハナタカだそうだが、「李下に冠を正さず」という言葉の国民認知度は7割以上と聞いた。国民の常識である。
加計学園認可については、安倍首相は「自分は一切指示も関与していない、印象操作だ」と、しれっと胸を張っているが、例外中の例外でお友達だけに認可している事実を見れば、直接強権発動などはしなくても、「李下に冠を正した」ことは、誰がみてもわかる。為政者たるもの国民を馬鹿にしてはいけない。
それを恥ずかしげもなく、印象操作だなどと言いはる首相を戴いている日本国民は不幸だ。
これまでは、それこそ安倍さんの手前勝手な印象操作で支持率が高いようだが、いつまでも国民もだまされてはいない。森友・加計選挙をやってみようではないか。

わが日本には「共謀罪」をもつ資格はない   小榑雅章


テロ等準備罪に名前を変えた「共謀罪」も衆議院を通過してしまいました。
諸外国にはみんな「共謀罪」的な法律がある、日本だけがないから、国際条約の批准ができない、と政府は言っています。
そこで一つ伺いたい。戦前の日本には、治安維持法という法律があり、多くの無実の人々が言論・思想を弾圧され、投獄、獄死させられた歴史を持っている、諸外国は、こういう歴史を持っているのですか、と問いたいのです。
かつてのわが日本では、戦争に批判的なことを、茶呑み話で少しでもささやいただけで、治安を脅かしたと警官にしょっ引かれたのです。
その結果、3百万人を越える同朋たちが亡くなりました。近隣諸国にもその10倍ともいわれるほどの被害を与えてしまいました。
残念ながら、私たち日本には言論も思想も封殺し、多くの人々を塗炭の苦しみに突き落とした歴史があるのです。他の諸外国にはない、負の歴史があるからこそ、すこしでもその恐れのあるような共謀罪・テロ等準備罪に反対するのです。
他国では、諸外国では、という論理は、日本には通用しないのです。

安倍さん、9条だけでなく15条も25条も憲法改正したら   小榑雅章

安倍首相は憲法記念日の3日に、憲法を改正すべき項目として9条を挙げて「1項、2項を残しつつ、3項に自衛隊を明文化し、2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」との考えを示した。その理由として、憲法9条については「多くの憲法学者が、自衛隊は違憲としている。それを放置するのはあまりにも無責任だ」として、憲法を改正して自衛隊の根拠を9条に追加して現実に合わせてあげるのだとの考えを強調した。
「憲法学者が、違憲とか違憲状態というのだから、改正して現実に合うように憲法を改正しなければならない」というのだとしたら、改正しなければならない条項は他にもいろいろある。
たとえば、第十五条。
  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
  2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
国民の誰かが、財務省の役人や区役所の窓口担当者を「選定したり、罷免した」ことなど、あるだろうか。また「全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」なんて、だれも信じられないだろう。国会議員の多くは、業界団体、地方地方の要望を背負って当選してくるのだから、「それはダメだ、一部の奉仕者ではない」といわれても、へらへら笑うしかないだろう。
教育勅語教育に感激して、首相夫人が名誉校長になったら財務省も特例をもうけてサービスをする、野党に攻められても、安倍一強のなかで、誰も異を唱えないで下を向いている。だれも憲法違反だ、けしからん、憲法を改正して「公務員は全体の奉仕者ではなく、一部の奉仕者である」とか、「公務員の選定も罷免も出来ません」と改訂しよう、などとは叫ばない。
 第二十条はどうだ。
 この、第3項 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。しかしそれにも関わらず、総理大臣も、大臣たちも公務員たる国会議員の多くが、靖国神社という特別な宗教団体に公式参拝したり榊を奉納したりという宗教的活動をしているのは、憲法違反だと憲法学者もいっている。だから「国及びその機関は、靖国神社は特別に宗教的活動よろしい。公務員も参拝してよい」と憲法改正をすべきなのだが、安倍首相はこのことは何も言わない。
 もっとも重要なのは、第二十五条だ。
  第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
最大の問題は、この「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と日本国憲法に明記されているこのことが、この日本という私たちの国で守られているか、ということだ。
 つい先日、7日の夜中に福岡のアパートが全焼し、6人が亡くなった。違法の木造アパートにでも住まわざるを得なかったほど困窮した人たちだったと言われている。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するような状態ではなかったのだ。
 母子家庭で、保育所がないから勤めに行けない。母子が餓死寸前で見つかったと言う報道もあった。
 日本人の約6人に1人が相対的な貧困層という調査もある。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が増加しているのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用だと分析されている。
 「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と憲法にあっても、なおこういう現実がそこにある。
 現実がこうだから、この二十五条を「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しない。一部の貧乏人は仕方がない」と、憲法改正しようと安倍さんは提案するだろうか。
  憲法というのは、国民の「希望」だ。「目標」だ。「願い」だ。それがあるからその目標に少しでも近づこうと政治も国民も頑張るのだ。「戦争はもう絶対にしない」というのが国民の希望なのだ。
 それをやめて、現実だからそれに合わせるというのでは、それは憲法ではない。そこにはひどい現実しかない。それを少しでもなくそうと言う「希望」も「目標」も「願い」もなくなってしまう。
 安倍という人は、国民の「希望」も「目標」も「願い」も奪い去ろうと言うのか。

あなたの息子を戦死させていいのか―中内功の原点    小榑雅章

 昭和55年2月7日、京都の国立京都国際会館で関西財界セミナーが行われていた。折から、ソ連がアフガニスタンに侵攻していて、基調講演を行った日向方斉関西経済連合会会長は、ソ連の脅威を前提に徴兵研究の必要性を主張した。
 「日本は、本格的な局地紛争の抑止力を保つ必要がある」と説き、「国民一人一人が国を守る心を育成するべきだ」と問題提起した。
 その時、会場から「異議あり」という声を上げたのが、ダイエーの中内功社長だった。第二次世界大戦で一兵卒として召集され、フィリピンの山の中で米軍と闘い、手榴弾で全身に負傷し、九死に一生を得た経験があった。戦争だけはやってはいけない。「あなたは息子さんが戦争に行って戦死してもいいんですか」とつめよった。さらに「わが国は対米追随ではなく、ソ連を仮想敵国とみるべきではない。日本は貿易などで東西の架け橋になるべきだ」と反論した。
 これに対し、日向が激しく反論。さらに他の参加者からも国防費拡張を支持する発言や「憲法を改正して自衛隊を国防隊として内外に認識させるべきだ」などという意見が相次いで、中内さんは孤立した形になった。それえでも一歩も引かなかった。
日向会長には、公私にわたってお世話になっていた大先輩だったが、私はひるまず、主張した、戦争だけは絶対にいかん、と私は何度も中内さんから教えられた。
 いま、安倍首相は憲法改正に前のめりになっている。自分が歴史をつくると意気込んでいる。先週の憲法記念日の5月3日には、「2020年までに憲法9条に自衛隊を書き加える改正を行なう」と言い出した。
 北朝鮮が攻めて来たらどうする、ミサイルを撃ち込まれたら大変だ、尖閣列島を中国に取られていいのか、と国民の恐怖をあおって軍備増強と憲法改正を実現しようとしている。
 本気で、北朝鮮が攻めてくると言うのか、北朝鮮ときちんと話し合ったのか、北朝鮮が何を求めているのか、正面から話し合ったのか。中内さんの言うように「日本は貿易などで東西の架け橋になるべきだ」とは考えないのか。
日本はトランプ大統領の尻馬に乗って、憲法改正の機運に利用しようとしているが、国民を目くらましにし、間違った誘導をしてはならない。
 戦争は絶対にダメなのだ。
 先の戦争で、310万人もの犠牲者を出したことを忘れてはならない。

私たちはいま騙されています    小榑雅章

原稿を書いたり、講演したりして謝礼を頂くことがあります。
その際、必ずマイナンバーの申告を求められます。しかし、私は断ります。もしどうしてもマイナンバーを書かなければならないのなら、原稿料も謝礼もいりません、と伝えます。
それで引っ込むところもあれば、会社の方針なのでなんとかお願いします、と担当者が泣きついてくるところもあります。担当者には気の毒なのですが、でも基本的に私は申告しません。
私は「暮しの手帖」の花森安治編集長に薫陶をうけてきましたが、花森さんだったら、絶対にマイナンバーに反対し、記入などしないと思うからです。花森さんは、国家の都合のよい、国民を管理するようなことには、絶対反対でした。郵便番号ですら反対でした。
マイナンバーなど、まさに庶民の国家管理です。国家の都合のよい方針を押し付け、いつのまにか国民のいのちや暮しをそこなうような国に向かっています。
前の戦争は、何百万の国民を犠牲にし、日本中を焦土と化して国民を塗炭の苦しみに突き落としましたが、国民はそれが聖戦であり正義の戦いだと教えられ、信じ込まされ、必死に戦い我慢してきました。それがみんな嘘でした。間違っていました。国民は管理され、いつの間にかだまされてきたのでした。もう二度とあのような戦争を繰り返してはならないのだ、と花森さんに厳しく教えられました。
いま、私たち日本の国民は、再びだまされ信じ込まされつつあります。
テロが起きたら大変だ、オリンピックをめちゃめちゃにされたらどうすると言われたら、それはそうだとおもい、共謀罪も必要だ、秘密保護法も仕方がない、という人も少なくないでしょう。北朝鮮のミサイルが日本に向けられて発射された、さあ防衛力を増強しなければならない、安保関連法強化だと叫ばれるとそれもそうかと思うでしょう。教育勅語の、親を大切に、兄弟仲良くがなぜ悪い、と居直り、閣議決定されるとそれは反対できないという人もいます。
共謀罪という名前が問題だと言うと、テロ等準備罪、と名前を変えて、オリンピックの対策に絶対必要だと宣伝をする。海外で起こっているテロのニュースを聞けば、やはりテロ防止法は必要かと、国民は思ってしまう。しかし実態は共謀罪で、私たちの心の中まで縛ろうとする。お上の意志に添わぬことが犯罪だということです。
安倍政権になって、もっともらしい理屈をつけて、つぎからつぎと空恐ろしい法律制定や決定を続けています。
これが既成事実になり、国民も違和感がなくなり、当たり前だと信じ込まされつつあるのです。そんな政府の支持率が50%以上もあると言うのだから、国民はもうだまされている、こわいです。

共謀罪も秘密保護法も安保関連法も教育勅語も    小榑雅章

原稿を書いたり、講演したりして謝礼を頂くことがあります。
その際、必ずマイナンバーの申告を求められます。しかし、私は断ります。もしどうしてもマイナンバーを書かなければならないのなら、原稿料も謝礼もいりません、と伝えます。
それで引っ込むところもあれば、会社の方針なのでなんとかお願いします、と担当者が泣きついてくるところもあります。担当者には気の毒なのですが、でも基本的に私は申告しません。
私は「暮しの手帖」の花森安治編集長に薫陶をうけてきましたが、花森さんだったら、絶対にマイナンバーに反対し、記入などしないと思うからです。花森さんは、国家の都合のよい、国民を管理するようなことには、絶対反対でした。郵便番号ですら反対でした。
マイナンバーなど、まさに庶民の国家管理です。国家の都合のよい方針を押し付け、いつのまにか国民のいのちや暮しをそこなうような国に向かっています。前の戦争は、何百万の国民を犠牲にし、焦土と化して国民を塗炭の苦しみに突き落としましたが、国民はそれが聖戦であり正義の戦いだと教えられ、信じ込まされてきました。もう二度とあのような戦争を繰り返してはならないのだ、と花森さんに厳しく教えられました。
いま、私たち日本の国民も、だまされ信じ込まされつつあります。テロが起きたら大変だ、オリンピックをめちゃめちゃにされたらどうすると言われたら、それはそうだとおもい、共謀罪も必要だ、秘密保護法も仕方がない、という人も少なくないでしょう。北朝鮮のミサイルが日本に向けられて発射された、さあ防衛力を増強しなければならない、安保関連法強化だと叫ばれるとそれもそうかと思うでしょう。教育勅語の親を大切に、兄弟仲良くがなぜ悪い、と居直り、閣議決定されるとそれは反対できないという人もいます。
安倍政権になって、もっともらしい理屈をつけて、つぎからつぎと空恐ろしい法律制定や決定を続けています。
これが既成事実になり、国民も違和感がなくなり、当たり前だと信じ込まされつつあるのです。
そんな政府の支持率が60%もあると言うのだから、国民はもうだまされている、こわいです。

忖度などではない、武器だ。強制だ    小榑雅章

いま話題になっている森友学園騒ぎで、忖度(そんたく)という言葉が、やたらと飛び交っています。
「忖度」を辞書で引くと、「他人の気持ちを推し量ること」と書いてあります。
相手の気持ちを推し量って、「この人にはこういうことをしてもらいたいのだから、その気持ちに答えてあげなければ」と、勝手にそうして上げる、ということです。ということは、森友学園が、不当に認可され、異常に安い価格で国有財産が売却されたのは、財務省や国交省、文科省や、大阪府のお役人たちの忖度だ、ということになるのでしょう。
いつも尊大で、えらそうにしているお役人たちが、いったい、誰の気持ちを忖度しているのでしょうか。よほど怖い人、自分たちの生殺与奪の権力のある御方でなければ、お役人たちは忖度などしないでしょう。得体のしれない籠池理事長などのことなど、歯牙にもかけないはずです。その、こわーい相手は、誰でもわかっているように、安倍内閣総理大臣であります。
首相夫人の安倍昭恵先生が森友学園の「瑞穂の国記念小学院」の名誉校長なのですから、忖度して当然なのです。いまでは、名誉校長は辞任なさったようですが、こ小学校設立が認可され、国有地が格安で認可される異常な過程では、安倍昭恵名誉校長の時期でした。
安倍首相は、一切関与もしていないと明言しています。相手が勝手に思ってやったことは、知るはずがない、止めることもやめさせることも出来るはずがないではないか、と開き直っています。
国会でもここは押し問答で、自分は何ら関与していないと言い張る首相は、胸を張っています。
前置きが長くなりましたが、ここで申し上げたいのは、じつはこの点なのです。
忖度などと、わけのわからないあいまいな言葉で追及しても痛くもかゆくもないから、平気で胸を張って強弁していられるのです。
しかし、社会心理学からみたら、この状況は、「忖度」などではないということです。名誉校長安倍内閣総理大臣夫人という肩書は、武器なのです。ぐさっと刺す槍や刀なのです。
「影響力の武器」というベストセラーを著したロバート・チャルディーニという社会心理学者は、私たち人間は、「無意識のうちに影響力の武器を利用し、決断を下してしまう」と言っています。武器として、6つ上げていますが、その中の一つとして、「権威」を挙げています。
権威とは、何らかの理由によって相手を「権威がある」と判断すると、その人の発言に対して、従ってしまうという性質の事です。飛ぶ鳥を落とす勢いの首相には逆らえないのです。
またB.H.レイブンとJ.R.Pフレンチは、相手を言いなりにさせるパワーは、「その人が自分に対し影響力をもっていると認識をしたら発生する」と発表しています。
自分の昇進か左遷かを決める権限のある人の意向に背くようなことはしないのは当たり前です。わざわざ心理学を持ち出すまでもない、当たり前のことです。関与しようがしまいが、名誉校長が安倍内閣総理大臣夫人という肩書そのものが、パワーであり武器なのです。
まだ何年も権力者でありつづけそうな長期政権のワンマンのご意向を無視したら、たちまちやりに串刺しにされるかもしれない、怖い相手です。
安倍さんは、自分のその力を知っているからこそ、平気でうそぶいて強弁しているのです。その安倍政権を国民の多数が支持していると言う現実が、じつはいちばん怖い、こわいです。

創価学会は共謀罪を許すのか    小榑雅章

戦後70年以上も、私たちは新憲法のもとで、主権在民の民主主義を貫き、自由に暮らしてきました。その自由が脅かされています。
いまの安倍政権がゴリ押ししようといる共謀罪には、絶対反対です。
戦前、治安維持法というひどい法律のために、日本には、思想の自由も集会の自由も信教の自由もありませんでした。政府や軍事に批判的な言辞や集会や、個人の考えまですべて統制管理されていました。
アタマの中で、「こんな戦争はもういやだ、はやくおわらないかなあ」と一人秘かに考えることは出来ても、うっかり他人にしゃべったりして、お上に漏れたら、治安維持法違反でたちまち監獄に入れられました。共謀罪は、まさにその治安維持法なのです。共謀罪が評判が悪いので、政府は急きょ「テロ等準備罪」と名前を変え、テロ対策だと、治安維持法ではないと取り繕っていますが、明確に治安維持法です。
その「テロ等準備罪」は、昨日21日に閣議決定されました。
今日22日には、自民党の二階俊博、公明党の井上義久両幹事長は今国会の成立を目指す方針で一致したと報じられています。
創価学会を支持母体とする公明党は、本気でこの法律を通すつもりなのでしょうか。
創価学会は、治安維持法の下、どれほど思想・信教の自由を迫害されてきたか、その迫害の歴史を創価学会自身のホームページに、つぎのように記しています。
「戦争に突き進む日本の軍部政府は、昭和10年代後半から、本格的に思想の統制に乗り出し、やがて、国家神道を全国民に強制するという暴挙に出ます。 
牧口会長は、これに真っ向から抵抗。各地で活発に座談会を開催し、軍国思想を堂々と批判し、仏法の正義を説き続けたのです。迫害は必至でした。特高警察は、1943(昭和18)年7月6日、牧口会長・戸田城聖理事長をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕、投獄したのです。
真冬に暖房もない極寒の独房、栄養失調になるほどのわずかな食事、連日の厳しい取り調べ――それでも牧口会長は、信念を曲げることなく、不屈の闘争を貫きます。しかし、牢獄での過酷な日々は、70歳を超えていた牧口会長の体を確実にむしばんでいきました。
1944(昭和19)年10月13日付で獄中から家族にあてた手紙。『三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです』との、信仰への確信にあふれた言葉が、牧口会長の絶筆になりました。1月後の、11月18日。牧口会長は獄中で亡くなります。73歳でした。
多くの宗教者や思想家が、迫害に屈して軍国主義を賛美した暗い時代にあって、牧口会長が貫いた不屈の”精神“は、いまなお、不滅の光を放っています」http://www2.sokanet.jp/download/kofushi/chronicle11_01.pdf
公明党や、創価学会の人々に問いたい。
牧田初代会長、戸田城聖理事長をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪で投獄された、迫害の歴史を無視して、いま、治安維持法と同じ共謀罪「テロ等準備罪」法を成立させていいのですか。

安倍首相の訓示とゆでガエル    小榑雅章

昨日、3月19日、安倍晋三首相は、防衛大学校の卒業式で、「北朝鮮による核・ミサイル開発や、南西諸島で急増する中国軍機の領空接近を念頭に、『こうした現実から目を背けることはできない。安全保障環境が厳しさを増す中、わが国自身の防衛力を強化し、自らが果たしうる役割の拡大を図っていかなければならない』と強調した」という。(産経ニュース)
こういわれると、安倍首相のいうことはもっともだ、防衛力は増強せねばならん、と思う人も少なくない。だから少し落ち気味だと言っても、安倍内閣の支持率は60%近い。大変つよい支持だ。
この安倍さんの態度を見て、私はゆでガエルのたとえを思い出す。
カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、ぬるい温度の水に入れて、少しずつ熱すると、カエルはその温度変化に気づかず、いつの間にか、ゆであがって死んでしまうというたとえ話である。
実際には、カエルはこうはならないようだが、人間は北朝鮮のミサイル実験や、中国の尖閣列島の話を繰り返されると、やはり軍備増強はしないと、という気にさせられてくる、そんな気がして仕方がない。まさにゆでガエルだ。
第二次世界大戦、太平洋戦争もそうだ。どう考えても、絶対戦う相手ではない。
戦艦も鉄砲も戦車も、兵器のほとんどは鉄からできているが、1940年の粗鋼生産量をみると、米国は6076万トンだが、日本はその9分の1の685万トンに過ぎない。輸送力の原動力になる自動車の保有台数は米国は3245万台に対し、日本はわずか15万。216倍だ。横綱に小学生が挑戦するようなものだ。
こんなに力の差がある相手に、戦いを始めたのは日本だ。まさに狂気としか言えない。
しかし、国民は熱狂して支持した。このキチガイ沙汰をバンザイをして喜んだ。
その結果、300万人もの国民が死に、日本中は焼け野原になり、食料も着るものもなくなり、庶民は塗炭の苦しみを味あわされた。
なぜだ。なぜ反対しなかったのか。
敗戦後、「国民がみんなあの戦争に賛成した。だから、国民みんながわるかった。一億総ざんげだ」という意見があった。
そして、結局、あのたくさんの国民を死なせた戦争の責任は誰なのか、うやむやになったままだ。
やっぱり、おかしい。
国民をぬるま湯につけて、かまゆでの火を燃やした連中がいるはずなのに、おかしい。
いま、安倍さんの話がもっともだ、軍備増強は必要だと思っている人は、ゆでガエルと一億総ざんげを思い出して、ほっぺたをつねってみてほしい。

教育勅語ってなんですか?   小榑雅章


若い友人から、「教育勅語ってなんですか?」と聞かれて、言葉に詰まった。
もう当の昔に死語になったと思っていた教育勅語という言葉が、近頃頻繁に登場する。安倍首相の昭恵夫人が名誉校長を務める大阪の学校法人森友学園が、幼稚園児に教育勅語を暗唱させているというのだ。
新聞によると、安倍首相は、妻が名誉校長に就任していることについて、国会での質問に答えて、
「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」と説明。また、同学園が「安倍晋三記念小学校」の寄付者銘板に名前を刻印して顕彰する、との文言で寄付金を集めていたことを知っているかとの福島氏の問いには、「いま話をうかがって初めて知った」と答弁した。
  そのうえで「私の考え方に非常に共鳴している方から、(2007年に内閣総辞職して)首相を辞めた時に『安倍晋三小学校にしたい』という話があったがお断りした。まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするのはふさわしくない。私が死んだ後であればまた別だけれど、私の郷土の先輩である、例えば吉田松陰先生の名前をつけられたらどうかという話をした」とも語った。(朝日新聞2月17日電子版)
国会では、土地の払い下げ金額が、常識はずれの安さだと連日問題にされているが、本当はそれより教育勅語の方がずっと深刻な問題だ。この新聞記事のように、われわれの総理大臣が『安倍晋三小学校にしたい』と言われ、まだ生きているから遠慮するが、死後ならいいというのだから、教育勅語を信奉する学校法人と思想信条を同じくしているわけだ。これは、驚くべきことだ。天地がひっくり返るほどの大事件である。
戦前、小学生だった頃、校庭の一隅に奉安殿という特別な宝蔵庫のような建物があり、その中に天皇、皇后両陛下のご真影(写真)と教育勅語が安置されていた。それはまことに尊いもので、生徒たちは登下校の際には、奉安殿に向かって一礼せよとしつけられていた。
教育勅語とは、天長節や紀元節などの式典には、校長先生が厳かに奉読する天皇陛下のお言葉で、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ルコト・・・」と全文を暗記させられたが、さて正確な知識となると、記憶が遠すぎて定かでない。広辞苑を開いて教育勅語の項を見ると、
明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示した勅語。教育の淵源を皇祖皇宗の遺訓に求める。一八九〇年(明治二三)一〇月三〇日発布。一九四八年、国会で排除・失効を決議。正式文書では、「教育ニ関スル勅語」。
教育の淵源を皇祖皇宗の遺訓に求める、と言われても、今の人にはチンプンカンプンだろう。
この日本は天皇陛下の祖先がおつくりになったもので、以来、深く厚く徳を施されてきた。臣民(国民)は心を一つにして忠孝に励み、代々長く、この美しい伝統をつづけてきた。これぞ、わが「国体の精華にして教育の淵源・・・
少しでも今の人にも通じるようにと思ったが、とても無理だ。大体この国を天皇の祖先、天照大神がつくったという説明や国体とはなんだということを抜きに言葉だけ言い換えようとしても、意味がない。
要するに、自由で多様な言論を封じ、国論を統一するために発されたもので、戦争推進の要因にもなった重要な勅語だった。天皇のための戦争のために国土は焼かれ、何百万もの国民が死んだ。もうこんなことは繰り返してはならない。だから戦後の国会で、教育勅語は「排除・失効を決議」され、天皇の国ではなく、国民主権を明確に謳った新憲法がつくられたのだった。
その教育勅語を、大阪の森友学園では幼児や生徒に暗唱させているというのだから、なんともおぞましい。しかも安倍晋三小学校にしたいと言われたり、昭恵夫人が名誉校長になったり、平成29年4月開校するという小学校の土地を、国が9割引きの大ディスカウントで払い下げたというのだから、ただごとではない。
総理大臣は、憲法を遵守する義務がある。当然、排除・失効した教育勅語を信奉する学校法人などに関わってはならないのは、自明のことだ。


「花森安治の仕事展」開催中    小榑雅章

花森安治展

   ぼくは
   編集者である
   ぼくには
   一本の
   ペンがある
これは、2月12日から東京の世田谷美術館で開催されている、「花森安治の仕事展」のポスターで、東京の地下鉄の中吊り広告にも掲示された。
花森安治美術展、でもなく、表紙画展でもない。仕事展とは奇妙だが、暮しの手帖編集長として、雑誌はもとより、自身発行したすべての出版物の表紙も装丁も、挿絵もデザインも、広告も、ぜ~んぶ自身で手掛け制作した。この美術的才能だけなら他にもおられるだろうが、花森さんは、企画から取材、インタビュー、写真、文章、見出し、レイアウト、翻訳、経営・・・、あらゆることに真剣に、その卓越した才能で取り組んだ。その結晶が暮しの手帖だった。
だから美術展でもなく、表紙画展でもなく、仕事展になった。
この展覧会には、花森さんの少年時代から、松江高校、東大、兵隊、大政翼賛会時代の資料もたくさん展示されて、その数740点になるという。展示には、私もいろいろ協力したが、知らないことや、はじめて目にする貴重な資料がたくさんある。
ご興味がおありでしたら、ぜひご覧いただけたら幸いです。
花森安治の仕事展 
世田谷美術館 2017年2月11日から4月9日(月曜休館) 入場料1000円)
   碧南市藤井達吉現代美術館 2017年4月18日から5月21日
   高岡市美術館 2017年6月16日から7月30日
   岩手県立美術館 2017年9月2日から10月15日
なお、世田谷美術館で、講演会があります。
 3月11日(土)14時から15時30分 「父・花森安治のこと」 土井藍生(花森さんのご長女)
 3月18日(土)14時から15時30分 「花森安治の暮しの手帖」 小榑雅章





高浜原発の想定外   小榑雅章

1月17日に阪神大震災について、想定外のことばかりだったと書きました。
想定外は、どんなことにも起きる。
原子力発電にも想定外が必ず起きる。それが心配です。
昨日1月20日。関西電力高浜原発の再稼働にむけての工事をしていた大型クレーンが倒れ、核燃料プールのある燃料取扱建屋など二つの建物の一部が壊れる事故が起きました。
「現場では、100メートル以上あるクレーン1台が、西から東に向かって建物にもたれかかるように倒れ、建物の形に沿ってぐにゃりと曲がっていた。燃料取扱建屋と原子炉補助建屋のうち、鉄筋コンクリート製屋根の端に取り付けられている金属製笠木(かさぎ)が破損したという。」(毎日新聞)
記者会見した高浜原発の担当者は、当時吹いていた強風について「風力による影響を計算したうえで大丈夫と判断していた。ただ風向きは検討していなかった」と述べた、と言います。ここでもまた、想定外です。
「心配をおかけし、誠に申し訳ない」と謝罪したということですが、謝ってすむことではありません。
あらためて言います。
想定外は起こるのです。どんな場合も、必ず起きます。
しかし原子力の事故は、もし起こったら取り返しがつかないのです。
何十兆円ものお金がかかり、それでも元には戻らない。故郷に帰れない人がたくさんいるのです。
絶対に想定外が起こってはだめなのです。
それを防ぐ手立ては、ただ一つしかありません。稼働しない。稼働させない。廃炉にすること。
想定外は許されません。誰も責任はとれないのです。



阪神大震災の教訓は何か   小榑雅章

1月17日、22年前に阪神大震災がその日です。早朝から、あの時の震災のシーンや、今後の備えについての報道が流れていました。消防や警察の活動や市役所などの対応や、電気ガス水道などについてどうだったか、の報道を見ながら、正直、何か違和感を感じます。釈然としないのです。
この朝、5時47分、私は新神戸の駅近くのマンションの6階で就寝中、突然突き上げられるように揺れてベッドから落とされました。そばにあった食器戸棚が倒れてきて、茶碗やコップのくだける音が響きました。危うく下敷きになるところでした。これは大地震だとは分かりましたが、まだ真っ暗です。停電はしていましたが電話は通じました。会社に電話をして、すぐ行くからと連絡しました。
私の勤め先は、ラジオの放送局で、災害時には的確な情報を流す使命があります。急いで駆け付けなければなりません。
放送局まで歩いて約30分。あちこちの家がつぶれたり傾いたりしていました。寝間着姿の人たちが呆然とたたずんでいます。
消防署の建物が損壊していました。消防自動車は動けません。
えらいことです。一刻も早く、震災の状況や避難や救援の情報を放送しなければなりません。そのために、兵庫県庁や神戸市役所から直通のFAXが設置されているのです。
やっとのことで中突堤にある放送局にたどり着きました。局舎は損傷していましたが、放送は継続していました。
ところが、肝心の放送すべき情報がありません。情報が送られてくるはずのFAXはうんともすんとも言わない。
痺れを切らして、私は社員の乗ってきたバイクを借りて、県庁に行きました。時間は9時半。
がらんとしています。ほとんど人がいません。情報を送ってくるはずの部屋に行くと、ガチャガチャの惨状で、誰もいない。10時になっても誰も来ない。これではいくら待っても情報が送られてくるはずはありません。
通勤したくても電車もバスも動かないのだから、県庁のお役人たちはほとんどいないのです。
知事もいません。局長もいません。迎えに行くはずの車が行けない。道路は至るところ瓦礫で車が通れない。高速道路は崩壊している。
神戸市役所に行きましたが、やはり同じです。
警察も行きましたが同じです。消防署も壊れている。
つまり、平時とは全く違うのです。大地震は、人々がいる昼間に起こるとは限らない。通勤前だったり夜中だったりしたら、対応する人間がいないのです。
テレビで放映される救助や消火活動の訓練をみて、私が違和感を感じるのは、現実には人がいないんだよ、建物も壊れているし、電車も動かないんだよ、ということなのです。
日頃の訓練は重要です。大いに準備はすべきなのです。しかし、平時とは全く違うのです。準備のしようがないほど、想定外のことが起こるのです。現実は、何が起こるかわからない、だから安心だとか、万全などというわけにはいかない、ということです。
念のため付け加えると、原子力発電所が安全であると、本気で思っているのでしょうか。避難経路や準備は万全だと言って再稼働を決めた人は、責任がとれるのでしょうか。

二人誌埴輪「いま言わずして」 発刊しました    小榑雅章

いま言わずして
二人誌埴輪「いま言わずして」宇治敏彦・小榑雅章著 三恵社刊(定価1500円+税)

このブログ雑誌「埴輪」をご愛読くださり、まことにありがたく存じます。
どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。
このブログ「埴輪」は、ごらんのように宇治敏彦と小榑雅章の同人二人の雑誌です。
ブログの「埴輪」を始めたのは、2010年3月7日でしたから、この春で丸7年になります。長いような短いような道のりですが、じつは二人でガリ版刷りの二人雑誌「埴輪」を始めたのは1958年(昭和33年)でした。それから考えると、来年で60年もの歳月を経ているということになります。その間、いろいろ紆余曲折はありましたが、60年も続く二人雑誌は、世界中探してもそんなにたくさんはないのではないか、と秘かに思っています。
今年、同人二人は傘寿を迎えます。歳はとっても、一向に悟りも開けず、煩悩はおさまらず、おろおろ悩み、世の流れに一喜一憂、悲憤慷慨しています。それをこのブログで吐露することにしているので、読者諸兄にはご迷惑なことと存じます。
昨年の夏の終わりごろ、この辺で、これまでいったい何を言挙げしてきたのか、振り返ってみよう、そして、出来れば少しはまともな小文を選んで、活字の本にしたいな、という話になりました。もともと活字の世界で育った二人にとって、インターネットとかブログの世界は、ふわふわしていて手に取ることもできないので、なんとなく頼りないのです。だがら、いつでも手に取れる固い触感の活字本が、なんとなく落ち着くアナログ人間なのです。
このブログの埴輪には、宇治は181篇、小榑は94編の小文を発表しています。(小榑は怠けています) この二人の小文の中から、それぞれ30編ずつ自選をしました。
これに加えて、宇治の得意の版画やペン画などの宇治美術館から10編を選んで、活字活版の単行本を発行することになりました。
こうしてできたのが、上の写真の「いま言わずして」という二人の小冊子で、この新年に発行しました。
宇治は、発刊について、この本のまえがきの中で、つぎのように述べています。
・・・戦後民主主義の打破・克服」を目指す安倍一強政治が長期化する中で、多くの日本人の間に「大勢順応」「長いものにまかれろ」「今日一日を無事に暮らせたら」といった現状容認体質が蔓延していて、あの戦争で失った私たちの家族や先輩など三〇〇万人以上の尊い命と引き換えに獲得した「平和」と「自由」が次第に狭められていくのではないか、と二人は強く危惧しています。この冊子に「いま言わずして」との題名を付けたのも近年、弱体化が指摘されるジャーナリズムの世界にあって「戦後民主主義の頑固な信奉者がどっこい生きている」ことを示したい思いがあるからです。・・・
思いだけが強くこもっていますが、250頁ほどの小冊子で、部数もわずかしか刷っていません。もし、読んでみてもいいとお思いの方がいらっしゃったら、下記までご連絡ください。定価1500円です。(送料不要)
連絡先magazinehaniwa@yahoo.co.jp 雑誌埴輪「いま言わずして」



映画「クワイ河に虹をかけた男」と終戦記念日   小榑雅章

今年もまた、8月15日が来る。
昭和20年1945年8月15日、日本がアメリカや中国などの連合国に降伏し、負けた敗戦の日だ。この8月15日を終戦記念日と言うが、じっさいは、敗戦記念日だ。
敗戦と言わずに終戦、退却と言わず転進、全滅ではなく玉砕。あってほしくないことはなかったことにしよう、呼び名も変えればごまかせる。
この姑息な、責任逃れの恥ずかしい国は、わが日本国なのだ、お前もその恥知らずの日本人の一人なのだぞ、と胸倉をつかんだのは、「クワイ河に虹をかけた男」という映画である。
先日、8月10日の夜、宇治さんに誘われてプレスセンターで、この映画を観た。
制作KSB瀬戸内海放送のこの映画は、説明によると、次のような映画だ。
太平洋戦争時に旧日本軍が建設し、「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道の贖罪と和解に尽力した元陸軍通訳だった永瀬隆さんを追ったドキュメンタリー。アジア太平洋戦争時、タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道建設に陸軍通訳としてタイ側に派遣された永瀬隆さん。多くの捕虜やアジア人が動員された建設工事で永瀬さんは、強制労働、拷問、伝染病死といった現実を目の当たりにする。戦後、鉄道建設の犠牲者の慰霊に駆り立てられた永瀬さんは、妻とともに巡礼を開始。130回以上にわたるタイ訪問により、元捕虜との和解事業や平和基金の創設など、「ナガセ」の名は欧米、アジアでも広く知られることとなった。2011年に93歳で亡くなるまで、真の和解を目指し続けた永瀬隆さんの姿が描かれる。監督は永瀬さんの出身地・岡山の地元放送局記者で永瀬さんの晩年20年を追い続けた満田康弘。

この「死の鉄道」と呼ばれた泰緬鉄道については、うっすらとした記憶があるが、情けないことに、ほとんど知らなかった。何が「死の鉄道」なのか、この映画を観て、こういうことだったのかと知らされた。
太平洋戦争の最中の1942年7月、日本軍はビルマ・インド方面への陸上補給路を確保するために、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に着手した。この建設工事にはイギリス・オーストラリア・オランダなどの連合国捕虜6万人余と25万人以上の現地アジア人労働者が強制的に働かされた。10年はかかると言われた415kmのルートをわずか1年3ヵ月で完成させるために、強制労働、拷問、乏しい食糧の中の長時間労働、コレラ、赤痢など伝染病により、捕虜約1万3千人、現地労働者数万人(推定)の犠牲を出した。

映画では、連合国捕虜として泰緬鉄道建設工事に強制労働させられ、塗炭の苦しみを味わった旧イギリス軍の兵士が登場する。そして、あの残虐な強制、虐待、拷問、飢餓を絶対許さない。日本は国として、一片の謝罪も償いもない、あの過酷な強制労働で、13000人余もの兵士が殺されたのだ、絶対に許せない、と強い口調で糾弾する。
捕虜兵士と同時に、現地アジア人労働者が過酷な使役によって25万人以上も犠牲者になっているのだ。この人たちにも、日本国は、何の謝罪もない。補償もない。
いったい、この国はなんという国なのだ。あの戦争のために、あれほど残虐な、非道なことをしたのに、まったく知らぬ顔で見向きもしない。
敗戦を終戦と姑息に言い換えて、事実から目をそらし、なかったことにしたいと思うのだろう。
しかし、事実は厳然とあるのだ。被害を受けたたくさんの人々がいるのだ。苦しんで死んでいった人たちがいるのだ。
それに目をそらし、知らん顔をして何もしない日本という国に対し、永瀬さんは奔走し訴えたが、何もしない。国にどんなに腹を立ても何もしないなら、おれがやる。おれが謝り、慰霊し、援助すると独力で自費で、135回もタイを訪れ、奨学金を出し、施設を作って援助を続けてきた。
この永瀬さんをすばらしい、えらい、と思うことは誰も同じだろう。
お前はどうだ、誉めるだけか。日本人として恥ずかしくないのか。
日本国はえらそうに経済大国だ、東京オリンピックだ、アベノミクスだと胸を張っているが、これほど多くの国に迷惑をかけ、多くの人々を塗炭の苦しみに突き落としてきたのだぞ。
8月15日は、日本国とは何だ、日本人とはこんな無責任なのか、自問する日だ。

映画「クワイ河に虹をかけた男」上映は東京中野 ポレポレ東中野
2016.8.27(土)公開 03-3371-0088








宇治敏彦新著「版画でたどる万葉さんぽ」   小榑雅章

万葉さんぽ

宇治敏彦著「版画でたどる万葉さんぽ」新評論刊(定価1800円+税)

 埴輪の同人宇治敏彦さんが、新しく本を出しました。
「版画でたどる 万葉さんぽ」という本です。このブログには、宇治さんの「宇治美術館」があるので、みなさんもご存じのとおり、版画の名人です。同時に万葉集にも通じる達人でもあります。
この本は、カラーの版画がふんだんに掲載されている、楽しい美しい本です。でもおなじ同人が誉めても説得力がありません。
この本の巻頭で、平安文学の泰斗で、日本語の最も著名な国語学者の山口仲美先生が、この本がユニークで如何に素晴らしいかを寄せてくださっているので、それを転載させていただきます。このすいせん文を読むと、きっと誰もが、この「版画でたどる 万葉さんぽ」という本を読みたくなりますよ。

癒しの本版画――すいせん文にかえて  山口仲美(日本語学者、埼玉大学名誉教授)
エピソード入りの文章
宇治さんと知り合ったのは、今から二〇年余り前のこと。日本語の現在・未来をどうするかということを審議する国語審議会(当時)という行政機関の会議の席でした。宇治さんは東京新聞の論説主幹。「日本語」に対する考え方が似ていたので、ときどき会話を交わすようになりました。
あるとき、宇治さんはモゴモゴと言いました。
「僕は、仕事の合間に版画を彫っています。今度個展を開きますので、よかつたら見に来てください。」
絵が好きな私は、興味津々で出かけました。銀座の画廊でした。そのときにふと漏らした私の感想がこの本のなかに出てきたので、思わず赤面してしまいました。詳しくは、本文でお楽しみください。
こんなふうに、この本は、版画にまつわるエピソードが挿入されています。エピソードには、版画を通して出会った政界人・経済人をはじめ、作家や住職といったさまざまな人物が登場し、それもこの本の魅力になっています。もちろん、エピソードのほかに、この本の主題である万葉集の歌の意味、作者をめぐる人間模様、詠まれた場所などが分かりやすく、親しみやすく記されています。だから、スルスルと引き込まれ、サラサラと最後まで読んでしまいます。

素朴な書体でかかれた歌
さて、この本の一番の特色は、万葉集の歌と絵の版面です。まず、歌は素朴で味わいのある楷書体で彫られています。流れるような行書体や草書体ではなく、「益荒男振」と言われる万葉集の作風にもビシッと合っている楷書体。しかも、歌を記す文字が、何よりも大切に取り扱われています。
歌が絵に邪魔されて、読めないなんてことはありません。たとえば、「夕されば 小倉の山に臥す鹿の 今夜は嗚かず 寝ねにけらしも」という万葉集の歌があります。顔を寄せて愛しく思い合う二頭の鹿の絵の上に、この歌が彫られています。しかも、歌の句と句の間には行間を感じさせる空間をつくって、読みやすくする工夫がなされています。読みやすい書体、歌を前面に押し出した構図には、宇治さんの強いメッセージを感じます。「万葉集の歌をじっくり味わってくださいよ!」というメッセージです。宇治さんの万葉集の歌への愛が伝わってきます。

歌の雰囲気をかもしだす絵
歌に添えられている絵が、また楽しいんですね。歌の持つ雰囲気をうまく伝えてくる。
来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じといふものを
これは、女流歌人・大伴坂上郎女の茶目っ気あふれる歌。「あなたは、来るつもりと言っても、来ない時があるでしょ。まして、来ないつもりと言うんですから、来ると思って待つことなんてしないわ。来ないつもりって言うんですから」という意味です。ホントは来てほしいから、こんな茶化した歌を詠んで贈っているのです。
この歌に描かれた絵は何だと思います? いかにもすっとぼけた埴輪の版画なんです。「ちちんぷいぷい、どうか来てくれますように」なんて、ユーモラスに祈っている姿に見える立ち姿の埴輪です。歌に対する宇治さんの解釈が絵に投影されているのですが、それが誠に余裕とユーモアにあふれていて、見る人の心を癒してくれます。
相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後に 額つくがごと
という笠女郎の片思いの歌があります。「私を思ってもくれない人のことを思うなんて、大寺の餓鬼像の後ろから地にひれ伏して拝むようなものよ」という破れかぶれの面白さのある歌です。この歌に添えられた絵は何か? 西大寺の邪鬼像をモデルにしたような餓鬼が描かれているのですが、奇妙なおかしさがにじみ出ている版画となっています。餓鬼にしては太りすぎている。餓魂の顔にしては怖くない。「俺って、そんなにダメ?」って情なさそうに問いかけてくる間抜け面です。歌のもつ、投げ出したようなおどけた雰囲気が見事にとらえられているのです。
明るさで歌を包み込む絵もあります。天智天皇が、妻の額田王や彼女の元の夫・大海人皇子を含んだ一行を引き連れて、薬草狩りのために蒲生野に行楽したときのこと。額田王は、元の夫が「愛しているよ」とばかりに袖を振るのを見て、「禁野の番人が見るわ、あなたが袖を振っているのを」といった内容の歌を詠みます。すると、元の夫は答えます、「人妻だと知りながらも袖を振るのは、美しい君が忘れられないからさ」といった内容の歌を。かなりきわどい内容の歌の贈答ですが、天智天皇の前で二人は堂々と詠んでいます。こうした内容の贈答歌にどんな絵柄を添えるか? ひらけた野原に鳥が飛び、地面にはたくさんの薬草が生えている。空には太陽が描かれ、地上にさんさんと光をふり注いでいる。画面の手前には元の夫の振っている片袖が大きく描かれている。こんな絵を添えているのです。なんとものどかで明るい光景。今の夫の前でも、私たちは恥ずかしくない清い関係ですといった歌の雰囲気を巧みにとらえた絵柄なのです。だからこそ、二人のきわどい贈答歌は、肯定され一層明るい輝きをはなって読者の心に訴えてきます。

歌と絵の融合
宇治さんの木版画は、歌と一緒に味わったときにもっとも効果を発揮します。たとえば、表情。宇治さんの彫った人物や動物たちの表情は、いくつかの解釈を許す幅の広さをもっています。ところが、じっと見ているうちに、「この馬、すごく困っている!」と特定の表情を強く感じはじめるのです。そこに書かれた歌の意味が作用してくるからです。
「柵越しに麦を食べてしまう馬が飼い主にひどく叱られるように、僕も彼女の親にすごく罵られるけれど、困ったなあ、僕は彼女が恋しくてたまらないんだもん」といった内容の歌とともに示された馬は、困惑の表情を鮮明に表しはじめるのです。
歌と絵が融合して互いを生かし合って幸せな関係を築いているのが、宇治さんの版画絵です。それは、見る者に深い癒しを与えてくれます。       二〇一六年三月三日記す




花森さんだったら、こう言うだろう「三菱自動車は悪い。しかし国はもっと悪い」   小榑雅章

三菱自動車は5月18日、燃費データ偽装の責任を取り、相川哲郎社長と中尾龍吾副社長が6月24日に辞任すると発表した。
三菱自動車は1月ほど前の4月20日に、国が定めた「惰行法」と呼ばれる測定方法を使わなかったというのだ。軽自動車の燃費テストで、燃費性能を故意に改ざんし、燃費を実態より良く見せていたと発表し、大騒ぎになっていた。開発段階から実際に車を走らせて得た実測値を使用せず、燃費が有利になる推定値を繰り返し使って燃費の目標を達成したと見なし、開発を続けていたことが分かった。
国土交通省は、実態解明を進めるため、三菱自動車本社に立ち入り検査を行う、と発表した。

新聞もテレビも、このニュースを当たり前のように報道しているが、なにかおかしくないか。
三菱自動車は悪い。当然だ。このままでは倒産もありうるというので、日産に救済合併してもらい、なんとか命脈を永らえている。社長も辞任するというのも、当然だろう。
だが、肝心なことが論じられていない。
国の責任だ。
国が定めた「惰行法」と呼ばれる測定方法を使わなかったから、わるいというのだ。三菱は、勝手に自分に都合のいいようにデータを改ざんした。自動車の燃費テストは、そんないい加減なものなのか。国は、テストの方法を規定し、実際のテストは各社の勝手に任せている。国はその結果をただ鵜呑みにして、承認しているというのは、そりゃなんだ。全くの性善説で、メーカーの言ってくることはすべて正しいと信じているだけではないか。
そして、この期に及んで、さも正義の味方みたいに、国土交通省は「実態解明を進めるため、三菱自動車本社に立ち入り検査を行う」というのだ。冗談ではない。国土交通省こそ、この不祥事の元凶であり、共同責任者だということを、新聞もマスコミももっと追究しなければならない。
いま、朝ドラの「とと姉ちゃん」は、暮しの手帖の創設者の一人、大橋鎭子さんがモデルだが、その暮しの手帖は商品テストで有名だ。東芝や日立や三菱、松下(ナショナル)などの洗濯機や冷蔵庫や掃除機の品質テストを毎号のように行い、その結果を誌上で実名あげて発表した。
消費者は、その結果を見てから購入銘柄を決めたので、メーカーは戦々恐々だった。
暮しの手帖のテストは、厳正だった。
第一に、テストする製品は、メーカーから提供されたものではない。全部自前で複数購入する。しかも、ディスカウントされた商品は買わない。正規のねだんで、販売店も1か所でなく数か所にわけて購入する。メーカーに、それはたまたま欠陥だったなどと、などと言われないためである。
テストは、すべて自分たち暮しの手帖のテスターが行う。メーカには一切無関係でテストする。あくまで客観的に公正な評価が必要だからだ。
しかもテストは、実際に即して行う。たとえば、ベビーカーのテストは、ランニングマシンのように動くベルトの上に置いて何キロ動かした、などというテストはしない。じっさいの道は、平らなベルトのような道ではない。アスファルトともあれば砂利道もある、平らな道も坂道も段差もある。いろいろな道を100キロ実際に押した。そうしたら、実にあちこち壊れた。平らなベルトの道を動かしても、こういうことは何も起こらない。洗濯機は、洗濯物を実際にセンタクして、布の傷み具合や汚れの落ち方を調べるのだ。トースターのテストでは、もちろん本物のパンを焼く。99号ではじっさいに四万三千八八枚ものパンを焼いてテストした。
どの場合も、メーカーとはまったく関係なく、暮しの手帖が独自に行う。
それが商品テストというものだ。
ところが、今回の国の燃費テストというのは何だ。
国はテストの方法だけを決めて、あとはメーカーが勝手にテストし、自分が勝手に都合のいい数字を作り、その数値を報告する。国はハイそうですか、と受理するだけだ。
こんなアホなことで、国は、自動車の性能を保証しているというのか。メーカーの言うことはすべて正しいと、思っているのか。そんなおめでたいことで、国民を、消費者を守っていると言えるのか。
暮しの手帖編集長の花森安治さんは、企業と商品テストについて、つぎのように言っている。
「ものを作ったり売ったりするのは、けっして慈善事業でもなければ、趣味道楽でもない。はっきりいってゼニをもうけるためである。私たちの暮しに役に立とうと立つまいと、売れるものなら何でも売るし、売れそうにないものでさえ、無理やりに売ってしまいもする、それで当りまえである。」
その上で「<商品テスト>は、はっきり商品名をあげて、よしあしを公表する。もし、そのテストが信頼されていたら、よいと判定された商品は売れるし、おすすめできないと言われた商品は、売れなくなる。/メーカーに主義主張はない。売れるものを作るだけである。よい商品を作れば売れる、となれば、一生けんめいよい商品を作る」(暮しの手帖100号1969年4月)
企業というのは、ゼニをもうけるためにものをつくっているのである。慈善事業でもなければ、趣味道楽でもないのだ。それを、性善説だ、企業はウソなどつかない、と床の間に構えていて、いうとおりにしないのが悪い、とお殿様のようにのたまわっているのだから、そんなおめでたいお殿様に税金で月給を払う必要はないのだ。無駄銭だ。
新聞にも、マスコミにも、なにが問題なのか、何が本当に悪いのかを見抜く力がないのか。
三菱自動車はもちろん悪いが、そんな三菱を自由にやらせている国の方がもっと悪いということを追及してくれなければ、ジャーナリストだとは言えない。


国を守るとは、何を守るのか   小榑雅章

今日は、憲法記念日です。
新聞もテレビも、この日前後には、憲法問題を特集しています。
そういう日だから、逆に憲法については発言したくないのですが、今年は選挙の争点にもなりそうだし、安倍政権のあまりのひどさに、やはり黙っていられなくなりました。
私の言いたいのは、きわめて単純です。
むずかしいことを考えると本質が見えなくなります。
一番単純なこと、「もう絶対に戦争はしてはだめだ」ということです。
憲法9条は、二度と戦争はイヤだ、という国民の痛切な思いからつくられたのです。たくさんの人の生命と汗と涙の上に、やっと獲得したものなのです。
アメリカから押し付けられたとか、自主憲法ではないからとか、アホなことを言っている向きもあるようですが、その人たちはあの戦争がどれほどひどい苦しいつらい結果をもたらしたか、知っているのですか。
私の父親は、一兵卒として36歳で召集され、昭和20年7月1日にフィリピンで戦死しました。
<お国のために><お国を守るために>戦った名誉の戦死だ、誇らしいことだと言われました。
なにが名誉の戦死だ、36歳のロートルまで戦場に駆り立て戦死をさせ、女房と4人の子供を路頭に迷ませて、飢えさせ、寒さに震えさせて、何が誇りなんだ。
その<お国のために>というのは、なんですか。
<お国を守るために>というのは、何を守るのですか。
日本の国土のことですか。
日本国民のことですか。
日本の国民や国土のことだったら、戦争はそれをめちゃくちゃにしてしまったではないですか。
沖縄は文字通り全島が戦場になり、約10万人もの住民が亡くなりました。
東京も大阪も名古屋も、日本中の主だった都市には米軍の飛行機が襲来し、膨大な数の焼夷弾を落としていきました。焼夷弾は、燃えやすい油などが詰まっていて落下すると一瞬にして燃え上がって飛び散り、多くの家屋などを焼き、人々を殺傷させました。
戦闘員でもない日本のふつうの国民が空襲のために、全国で後50万人とも100万人ともいう人が、亡くなりました。3月10日の東京大空襲でわが家も焼かれましたが、この空襲で約10万人も死にました。
お国のため、国を守るために、というのは、国民の生命や財産を守るためではなく、それを犠牲にして何をまもるのですか。お国のためというその国とは何ですか。国民ではないのですか。
戦前は、国体護持、つまり天皇制を守る、そのために、醜の御楯(天皇のために自分を犠牲にしてもお守りする)となるのだ、と言われました。(今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは-万葉集4373)
そして、日本は敗戦し、国民の多くの生命が犠牲になり、町は破壊されました。
国は天皇のものではなく、国民みんなのものだ、何よりも国民を大切にする国家でなければならない、それを実現するための憲法が、いまの日本国憲法なのです。改めて言います。まさに国民の生命と汗と涙の上に、やっと獲得したものなのです。
念のために、日本国憲法の三つの基本原則をおさらいします。
第一に、国民主権→天皇は象徴であり、主権は国民にある。
第2に、基本的人権の尊重→この権利は最大限に尊重される必要があり、侵すことのできない永久の権利。
第3に、平和主義→「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定めている。
中学校でも習うような憲法の基本を、いま改めて持ち出したのは、この3原則が脅かされようとしているのです。安倍内閣は、憲法改正を選挙の争点だと言っています。
あの、太平洋戦争の多大な国民の犠牲や甚大な国土の破壊の反省の上に、やっと獲得したこの3原則を、私たちは失おうとしているのです。
また戦争をするような国になってもいいのですか。
二度と戦争をしないという、不戦の誓いは、もうなかったことにするのですか。
今日の憲法の日などを云々するよりも、大事なのは6月の参議院選挙だと強く思っています。


中国や北朝鮮が攻めて来たらどうするのか?  小榑雅章

4月3日に掲載した「トランプ氏の発言は、正直だ」の記事に対し、「では、お前は、どうしたらいいと思っているのか、日米安保がなくなったら、日本もアメリカに頼らず、もっと軍備を増強すべし、ということなのか?」と、問われている。
北朝鮮が攻めて来たらどうする。どうやって国を守るのだ。
日本がターゲットになって、ミサイルが飛んでくるかもしれない。どうする。
中国が、尖閣列島を武力で奪い取るかもしれない。どうする。国を守らなければならん。
北朝鮮が核武装するのだったら、日本も国を守るために核兵器をもつべきではないか。
こんな議論が、大真面目に論じられるようになっている。
少し前までは、タブー視されていたことや、ささやき声で語られていたことが、表舞台で、識者と言われるもっともらしい面々が、大声で論じている。
なんだこりゃ。日本はいつの間にか、あの大東亜戦争の時代の戻ったのか。
先の戦争の結果、日本はどんな惨状になったのか、もう忘れたのか。たった70年前の悲劇を思い出さないのか。
75年前に、日本は米国や中国はじめ多くの国と戦争を始めた。海外に侵攻し、多大な迷惑をかけた。そしてわが国の230万人もの男たちは戦死をした。戦いは海外だけでなく、日本中が米軍の飛行機から落とされた焼夷弾や原子爆弾によって、270万戸もの家々が焼かれ、女や子供も含む80万人ともいわれる人々が死亡し、1千万人もの民間人が被災した。そして日本は戦争に負けた。
なんで、こんな目に合わなければならなかったのか。
すべては、「お国のため」「お国を守るため」だった。「お国のため」に死に、「お国のため」に家を焼かれ、「お国のため」に飢えた。
もうこんなバカな戦争は止めよう、もう国民の暮しを破壊するような戦争は、金輪際しないぞ、と決意した。あの戦争に負けた時に、みんなそう思った。
もう、あの決意は忘れたのか。また「お国のため」「お国を守るため」に戦うのか。そしてまた、国民が死に、国民が焼かれるのか。
その守るべき「お国」とは何なんだ。お国とは国民のことではないのか。国民が犠牲になって、守るべき「お国」とは何なんだ。
あえて問いたい。戦争とは殺し合いだ。戦争をして、何百万何千万の国民を殺し、断固死守するという「お国」とは何なんだ。


トランプ氏の発言は、正直だ   小榑雅章

アメリカの大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏が、「日本での米軍の駐留経費負担を大幅に増額しない場合は撤退させる」「日本や韓国による核兵器の保有を容認する」と表明。日米安保条約については、「米国が攻撃されても日本は何もしない。日本が攻撃されれば米国は全力で駆けつけねばならず、片務的だ」「日米安保条約は再交渉すべきだ」と主張している。
これを受けて、日本の中でも、あわてふためいていろいろな意見が出されている。
「安保法制に反対なんかするから、アメリカが怒るんだ、反対なんかするな、国益を損なうではないか」
「アメリカに逃げられたら大変だ、日本だけでは中国に対抗できない。もっと予算を組んで、アメリカに駐留してもらい、守ってもらわなければならない」
「どだい、アメリカは占領軍だ、この際、アメリカ軍は出て行ってもらって、強い本当の日本軍をつくるべきだ」
このような発言の主は、中国や北朝鮮が日本を攻めてきたら、それをアメリカが守って戦ってくれる、と本気で思っているのだろうか。
アメリカにとって、日本は他国よりも大切な国だと、勝手に思い込んでいるのではないか。思い上がるのもほどほどにしたほうがいい。
その意味で、トランプ氏は、正直だ。
1953年に、竹島を韓国が武力行使によって占拠したが、米軍は何もしなかったし、いまもしない。
1957年、ソ連国境警備隊は歯舞諸島に上陸、それ以降実効支配をしているが、アメリカは何もしていない。
念のために言うが、竹島も歯舞も、日本の固有領土だと政府は宣言しているのだ。
1951年9月8日に署名された旧日米安保条約には、「駐留アメリカ軍は、極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻」にも援助すると明記されているにもかかわらず、ソ連や韓国の武力侵攻に対し、何もしなかった。
アメリカは、火種を拾って、火の粉を浴びるようなことはしないのである。当然のことだ。
翻って現今、アメリカにとって、中国は日本よりはるかに重要な国であり、絶対に戦争をしたくない国になっている。
まず経済関係で、米中間の貿易額が、1979年に25億米ドルだったのが、2013年には5000億米ドルを越えている。200倍だ。いまや米中はお互いに欠かせない経済のパートナーであり、米国にとって中国は最大の輸入相手国、中国にとって米国は最大の輸出相手国である。
また戦争相手としたら、核武装をし、巨大な軍備を持ち、広大な国土の中国を相手にしたら、アメリカは負けないまでも疲弊し消耗して、政権はもたない。
アメリカは、自国が攻撃されたのならいざ知らず、遠いアジアの強大な国家と戦うというのか。中東で失敗したアメリカは、もう戦争は絶対にしたくないのだ。
ついこの間の3月29日に、安全保障関連法が施行したが、これでアメリカは日本を守ってくれるという期待過剰な妄想から、目を覚ましたほうがいい。
トランプ氏は、本音を言っているのである。


NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」と暮しの手帖、花森さん、鎭子さん  小榑雅章

今日3月21日、北朝鮮が、ミサイルかロケット弾とみられる5発を日本海に向けて発射し、大騒ぎになっている。
中谷防衛大臣は、「北朝鮮は、今月に入って弾道ミサイルの発射を繰り返しており、現在の朝鮮半島の情勢を踏まえれば、さらなる挑発行動に出ることも否定できない。情報収集や分析、警戒監視を継続していく」と述べた。
先の18日には、すでに、北朝鮮が弾道ミサイルの発射を繰り返す可能性があるとして、政府が破壊措置命令を出し、東京・市ヶ谷の防衛省には、航空自衛隊の迎撃ミサイル、PAC3の発射機などを配備、万が一の場合に備えることになっている、と報道されている。
たいへんな事態が迫っているが、それに対し、政府は万全の態勢を取っているから、国民は安心せよ、ということだ。
さすが、安倍政府。頼りになる。
また、安倍晋三首相は同じ今日、防衛大学校の卒業式の訓示で、北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射を繰り返していることについて「重大な脅威であり断じて容認できない」と非難。南西地域での領空・領海侵犯の増大など、日本を取り巻く安全保障環境の悪化を挙げ「子や孫の世代に平和な日本を引き渡すため強固な基盤を築く。そのことを考え抜いた末の結論が平和安全法制だ」と述べ、安保関連法整備の意義を改めて強調した。(毎日新聞)
という。
いま我が国は、北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射、南西地域での領空・領海侵犯の増大など重大な脅威にさらされており、安全保障環境は悪化し、安保関連法整備が重要だといわれると、「そりゃ、えらいことだ、よろしく頼む」と国民は思ってしまう。
        ***
話はぜんぜん違うが、4月4日から、NHKの新しい朝ドラが始まる。タイトルは「とと姉ちゃん」。暮しの手帖の創業者、大橋鎭子さんの伝記が下敷きのドラマで、「とと姉ちゃん」の「とと」は父親のこと、早くに亡くなった父親の代りに、母親と二人の妹を幸せにするためにがんばる「お父さんみたいな姉ちゃん」という意味である。
当然、暮しの手帖社が舞台になり、鎭子さんとともに花森安治編集長も主人公だ。
私も請われて、このドラマ制作に協力をしているが、ここで描かれる花森さん(ドラマでは花山伊佐次=唐沢寿明さん)がどのように演じられるのか、正直はらはらしている。

花森さんは、戦後すぐの昭和23年に暮しの手帖を創刊しているが、その時に「この国の人々の暮しを少しでもよくするための雑誌をつくる」「あのバカな戦争を、国民は正しい戦争だとだまされて戦わされ、たくさんの人が死んでいった。もうだまされない国民にならなければならない。そのための雑誌をつくる」「それが暮しの手帖だ」と創刊し、発言し続けた。
花森さんは、昭和23年から、亡くなった昭和53年までの30年間に152冊の暮しの手帖を創っているが、そのすべての号には、この創刊の思いが込められている。
国は、最初から国民をだましつづけた。戦争といわず事変と言いくるめ、大東亜共栄圏建設とかアジア植民地の解放にための聖戦であり、正義の戦いだとだまし続けた。連戦連勝と叫び続け、敗北を転進、全滅を玉砕、そして最後の最後も「敗戦」といわずに「終戦」と言いくるめた。
そのために数百万の男たちが戦場で死に、国土を焦土と化し家を焼かれて、無辜の市民が100万人もなくなった。
国民はだまされ続けた。もうだまされないぞ。
文頭に引用した、今日、3月21日の、安倍首相や中田の防衛大臣の言を、もう一度読み直してもらいたい。
北朝鮮の弾道ミサイルが本気で飛んでくるのか。それがまるでありうるかのように「破壊措置命令を出し、東京・市ヶ谷の防衛省には、航空自衛隊の迎撃ミサイル、PAC3の発射機などを配備」とはなんだ。「南西地域での領空・領海侵犯の増大など重大な脅威にさらされており」と煽り立てているが、どこにどれだけ、誰に対し、どれほどの重大な脅威が生じているのか、そのためにどれほどの安全保障環境は悪化しているのか」きちんと教えてほしい。ただただ脅威を煽り立て、国民を不安にさせて、安保関連法整備が重要だと思いこませようとしているとしか思えない。
われわれは本当に騙されていないか、立ち止まって考えてみる必要があるのではないか。国民はだまされ続けた。もうだまされないぞ。
花森さんが、いまペンを握っていたら、間違いなく発言しているはずだ。


4年に1度の今日2月29日は暮しの手帖の大切な日 小榑雅章

今日2月29日は、4年に1度のうるう日である。
その4年に1度回ってくるこの日は、暮しの手帖社にとって、忘れられない記念日なのだ。
勝利の記念日である。

暮しの手帖1世紀87号で「〈火事〉をテストする」という記事を発表した。
実際の一戸建ての家を実験場にして、いろいろな火災を起こして、どんなふうに燃えてゆくのか、どう消したらいいのかの実験を行ったのである。
たとえば、火の入ったフライパンを床に落としたら、どのように火は燃え広がってゆくのか、それを消火するにはどうしたらいいのか、というテストだ。他にもいろんなケースを行ったが、その中の一つに、石油ストーブが倒れた時に、板の間の場合、タタミの場合、じゅうたんの場合などの燃え方を調べた。石油ストーブが火になるというのは、つまり灯油が燃えるのである。その結果、板の間の場合、油が燃え広がって一番危なく、タタミやじゅうたんの床は、油を吸い込むので、燃え広がらないことが分かった。つまり板の間に石油ストーブを置くのなら、下にじゅうたんを敷きなさいという結論が出た。
同時に、石油ストーブから火が出た場合は、油に水は禁物という常識とは違って、水をざあっとかければ確実に消えることが分かった、と発表した。私もこの火事のテストの担当であり、毎日、東京の三鷹にある自治省消防研究所に通って実験を行った。
折から世の中では、石油ストーブがブームになって、毎年10%近く普及率が上がり、この年には63%もの家庭で、暖房用に石油ストーブが使われるようになっていた。
それにつれて、石油ストーブによる火災も増大していた。87号の「石油ストーブの火には水が有効」という情報を、より広く伝えるために、翌年2月発行の93号で、再び「もし石油ストーブから火がでたとき、どうしたらよいか」に限って、再び60回もテストを繰り返し行なった。その結論は、万一石油ストーブが倒れたら「とにかく引き起こすこと、どうしても引きおこせないと見たら、すぐバケツ一杯の水をかけること」と発表した。60回の実験で、100%水で消火できた結果の発表だった。
これに対し、東京消防庁は「まず毛布をかぶせて炎をおさえる。そのあと水をかける」と指導していたので、暮しの手帖の結論に「素人が何を言うか、ケシカラン」と怒り出した。
これが新聞に取り上げられ、「燃えさかる‟水かけ論争“石油ストーブから火が出たら まずバケツか毛布か、実験派暮しの手帖対経験派東京消防庁」という大きな記事になった(朝日新聞43.2.7)。他のマスコミもいっせいに「水かけ論争」として取り上げたので、自治省消防庁が公開実験を行うことになった。
公開実験は2月21日22日に行われ、2月29日に結果が発表された。新聞は、大きな見出し「効果あるバケツ/石油ストーブ‟水かけ論争”軍配は「暮しの手帖」優勢」と報道した。その日のNHKニュースは、つぎのように伝えた。
NHKニュース 
 水をかける方が効果があることが、消防庁の実験で分かりました。これは石油ストーブが倒れて火が出た場合、バケツに一、二杯の水をかければ消すことが出来るという雑誌暮しの手帖社と水より毛布をかぶせる方が先という消防関係者の間で意見が分かれたため、消防庁が今月の21日と22日の2日間、東京三鷹の消防研究所で公開実験をして、今日その結果を公表したものです。
 実験は、火のついた石油ストーブを29回倒して水と毛布とどちらが消火に効果を上げるかをしらべ、これとともにモデルハウスの床を畳ばりにした場合とリノリウムばりにした場合とでは、消火にどのくらいの違いがあるかについてもしらべました。
 その結果、まず水による場合は、炎が1m30cmの高さになるまでにバケツ一杯の水を石油ストーブの芯をめがけて一挙にかければ充分に消える。しかし毛布の場合には、炎の高さが一mを越え、広がりは直径60cm以上になると、火の勢いを抑えることが出来ても、完全に消し止めることは難しく、石油ストーブが倒れて火が出た時には、まず水をかけることが消火の上で効き目があることがわかりました。
また床の材質をみますと、タタミではストーブから漏れた油がタタミに染み込みなかなか広がらず、石油ストーブの置き場所はリノリウムよりタタミの部屋のほうが安全であることが確かめられました。
 消防庁では、この実験の結果によって石油ストーブのそばには必ず、水を満たしたバケツを置く、石油ストーブはせきるだけ畳の上に置く、リノリウムや板張りの部屋で使う場合必ずじゅうたんを敷くようにすることなどを一般に呼びかけることになりました。
「この実験の結果によって石油ストーブのそばには必ず、水を満たしたバケツを置く」というこの消防庁の結論のニュースを、花森さんをはじめ編集部みんなで聞いた。
このとき、花森さんは、つぎのように語った。
人生というものは捨てたもんじゃない、ちゃんとやっていれば、いつかそれは報いられる。
こんな幸福なことはない。そういう意味で、ぼくとしても今日は非常に記念すべきで、4年に1回しか来ないのが幸いだよ。ぼくは4年ごとに、この日はどんなに忙しくても、この日は盛大に祝うと同時に、そしてやはりちゃんとしたことをしようと、反省する日にしたいな。------
花森さんが逝って、38年になる。今日の記念日、花森さんの墓前でともに祝った。
君らは、ちゃんと自省してるか?という花森さんの声が聞こえてくるような気がして、首をすくめた。


北朝鮮への独自制裁策と安倍政権の情報操作 小榑雅章

政府は本日19日午後、臨時閣議を開き、過去に解除した制裁の復活や、人的往来を制限する対象者の追加など北朝鮮への独自制裁の強化策を決定した、という。
政府は、これまでも、何回も「独自制裁の強化策」を、やったやったと宣伝しているが、北朝鮮はとんと「困った、反省します」というような風情はみせない。
これまでの政府の発表をうのみにすれば、北朝鮮は世界から孤立し、国交のあるのは中国とロシアぐらいで、日本からの援助がなければ、北朝鮮はすぐにでも音を上げるはずだ、との口ぶりだった。
北の人民は住むところも貧しく、食料も乏しく飢えて大量の餓死者が出るのではないか、という報道なので、これはたいへんだとも思ったが、テレビの画面では高層ビルが立ち並び、まるまると血色よさげな人々の姿が映っている。いやあれはやらせで、実態は違うともいうが、あの高価なミサイルの打ち上げを行ったり、サッカーの選手が活躍したりするのは、やらせとは言えまい。いやあれは苛斂誅求、人民の犠牲の上に成り立っているのだ、とかぶせてくる。
それならば、今年の冬あたり、大量の難民が押し寄せてくるのではないかとも危惧していたが、その気配のかけらもない。
北朝鮮が孤立していて、在日朝鮮人の日本からの送金なので飢えをしのいでいるのなら、もうとっくに効き目はあるし、なぜ効き目がないのか、結局のところ、これらの報道は本当なのかと首をかしげざるを得ない。
本当に孤立しているのかと、少し調べてみたら、とんでもない。
北朝鮮と国交のある国は、なんと世界中163カ国にもなるというではないか。なんとそのなかには、イギリス 、イタリア 、オーストリア 、スイス 、スウェーデン 、ドイツ 、などの西欧諸国やインド もパキスタンもインドネシアもアジアも中東もアフリカも南米も、世界中と交流しているというのだから、日本が制裁を行ったところで痛くもかゆくもないではないか。
それでも、やってるやってると言わなければ格好がつかないと言うのだろうが、やはり大事なことが疎かにされていることを言わなければならない。
つまり、国民へ間違った情報を流し、国民の目をふさぎ、感ちがいさせているという大罪を犯しているということだ。一種の情報操作で、国民をミスリードさせているのだ。
こういうことが、一番怖い。安倍内閣の世論操作、情報操作は非常に巧妙だ。これまでアベノミクスという造語を作り出し、それがさもこの国に繁栄をもたらすかのような空気を、巧みに醸成してきた。実態はめちゃくちゃだ。うたい文句の3本の矢が中途半端で、肝心の第3の矢がまだ全く何の成果もあげていないのに、いつの間にか新第3の矢にすり替えている。
アベノミクスは、大成功だ大成功だと演出を展開し、国民の支持率は高い。
この世論操作の神輿を担いでいる新聞やテレビの体たらくもひどいが、その報道機関につぎつぎと圧力をかけてきている安倍政権の悪辣さを、国民はもっと知るべきなのだ。
だまされない国民にならなければ、また一億総ざんげになる。

放送局の電波を止めるかも、言論統制なんて簡単さ  小榑雅章

2月8日の衆院予算委員会で、放送局の免許権限を持つ高市早苗総務相が、「行政指導しても全く改善されず繰り返される場合、何の対応もしないと約束をするわけにはいかない」と答え、政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性があることに言及した。15日の今日も同じような発言を続けている。
電波を止めると言う放送局の存廃につながる権限を行使する可能性もある、という権限者の大臣の発言だけに看過できない。
私は、神戸の民間放送局の責任者だったことがある。その当時、監督官庁だった郵政省に、一部の変更をお願いしたところ、その尊大で、人を人とも思わぬ横柄な態度に、どれほど泣かされたかわからない。お前は何さまと思っているんじゃ、とわめきたくなるような屈辱を味わったが、相手は電波の許認可権を握っているお役人だ。仮にも私はその放送会社の社長だったが、ご意向に沿うようにお追従をいいつづけた、ご機嫌を損ねないように、ただひたすら頭を下げ続けたのである。
放送局が電波を止められたら、放送局でなくなる。会社がつぶれる、社員も路頭に迷うのだ。この恐怖がどれほど放送局を委縮させるか、わかるだろうか。時の政府の意向で、その可能性もあるから気をつけろ、と言われたら、放送局としたら「へへえー、ご意向に従いまする」と言うしかない。言論の自由なんてとんでもない。社内で一斉に、危ないことは一切禁止、無難に、おだやかにと牙を抜かれた状態になる。
政府は、「政治的公平性が問題だ」という。高市総務大臣が「行政指導しても全く改善されず繰り返される場合、何の対応もしないと約束をするわけにはいかない」と言うのだが、政治的公平とはなんだ。それこそ問題だ、という識者もいる。私もそれが問題だと思う。しかし、安倍内閣としては、そんな面倒なことをとやかく言う必要はない。「電波など止めませんよ、でも可能性は否定しませんよ」と、さも当たり前のことをさらっとつぶやいていれば、それだけで十分。あとは放送局が勝手に恐れ入って自粛するのを、高みの見物していればいいのである。
放送局は電波を止められるからたいへんだ、その点、新聞社は大丈夫、などと思っていたら、それは権力の恐さを知らない。売り上げ部数が減り続けている新聞社としたら、頼りは広告だ。それを止められたらどうなるか、そんなことはないよ、と経営者は考えているのだろうか。
花森安治さんは、それを見通して、暮しの手帖を広告のない雑誌に作り上げた。
「暮しの手帖が広告を取らないのは、商品テストのためだと思われているが、それよりも、相手は国家だ。権力だ。国家に対抗するためには、弱みを握られてはいけない。敵はしたたかで強大だ。ジャーナリストは、死にもの狂いで、権力に対峙しなければならない。
ジャーナリストに、その覚悟があるのかどうか、その方が問題なのだ」と語っていた。
ジャーナリズムの、覚悟が問われている。

北朝鮮弾道ミサイルと安倍内閣の世論操作  小榑雅章

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和菓子1個用の手作り紙袋  小榑雅章

甘いものが好きである。とくに、あんこものが大好物だ。
近くにうまい和菓子屋がある。大の男が甘いもの好きなどというのは、なんとなく恥ずかしいと思い、いつもは横目で見ながら通り過ぎるのだが、その日は、勇を鼓して入った。うまそうな大福やどらやき、おはぎ、生菓子が並んでいる。うまいぞうまいぞと手招きしているようだ。思わず顔がほころぶ。どれにしようか。お遣い物にするわけではないので沢山はいらない。さりとて1個くださいというわけにもいくまい。男子の沽券に係わる。とは言いながら、日持ちもしないのをたくさん買うのも無駄だし、健康にもよくない。
少々気がひけたが,店員さんに1個からでも大丈夫ですかと聞いたら、もちろん1個から大丈夫ですよ、とにこやかに言ってくれた。そこでどら焼きを一つにみたらし団子を一つ・生菓子を一つ買って帰宅した。帰って手提げのビニール袋の中を見てびっくり。それぞれの菓子が別々に簡単に包装されており,特に生菓子は一つだけが入る紙袋におさまっている。(写真)よくよく見るとその小さな紙袋は,その店の包装紙を切って張り合わせた手作りのようである。

最近は,独り住まいの人が多くなり,コンビニなどでも飲み物だけとか100円程度のお菓子1個だけ購入するのは当たり前だと聞いてはいたが、売る人に申し訳ないような、恥ずかしいような感じがしていた。でもそういう時代になったのか、とある種、取り残されたような感慨にとらわれた。
後日,再度この和菓子店を訪れて尋ねてみた。
あの1個用の紙包みは,やはり手の空いた時に大きな包装紙を切って、手作りしているそうだ。1個だけとか,ちょっとだけ買って下さるお客様が多くなってきたのと,他のお店で,やっているのを見ておしゃれだなと思って、2年ほど前からやり始めたそうだ。
この店の名は、つる瀬千駄木店。つる瀬本店は昭和5年に湯島天神のお膝元で創業した銘店だが、湯島の本店では,1個用の紙包みはやっていないようで、2代目が平成になってから開店したこの千駄木店のみの試みだそうである。
1個包装の店はほかにも沢山あるのだろうが、男子の沽券などとカビの生えたような世代から見ると、あの小さい1人用の手作り紙袋は、ほっこり優しさを感じさせてくれて、生菓子の鹿の子も一段とうまかった。

埴輪同人の宇治敏彦がテレビ出演し、「戦後70年」について熱く語りました      小榑雅章

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宇治敏彦さんが、TBS CS放送「ニュースの視点」に出演し、約40分間にわたって新著『政の言葉から読み解く戦後70年』の内容に沿って、話をしました。
 戦後70年の「政」の世界を、「政」(まつりごと)にまつわる言葉からひもとき、解説し意見を述べています。また戦後100年へ向けて、熱く提言しています。
新評論社のHPから、この放送が全編みられますので、ぜひ下記にアクセスしてご覧いただけたら幸いです。
http://www.shinhyoron.co.jp/1818.html


無責任な川内原発再稼働  小榑雅章

8月11日午前10時半、九州電力は、鹿児島県の川内原発1号機の原子炉を再稼働させた。
これに先立ち、安倍晋三首相は9日、長崎市で記者会見し、「何よりも安全を最優先させる。…福島の苛酷な事故を踏まえ、世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合しない限り、原発の再稼働はさせない方針だ」と強調している。
これを聞くと、「川内原発は絶対安全だから、再稼働させた。だから安心しろ」ということになる。
ところが、肝心の原子力規制庁のホームページに記載されている新基準をみると、
「この新規制基準は原子力施設の設置や運転等の可否を判断するためのものです。しかし、これを満たすことによって絶対的な安全性が確保できるわけではありません」
えっつ、安全性は確保されていないのかよ、そんなのありか、それなのに、安倍さんは、「何よりも安全を最優先させる」と明言しているじゃないか、まるで詐欺だよ。
もしも万一、大事故が起こったら、誰が責任取るのだろう。当然、安倍首相は責任とるのだろうな、と思ったら、原子力発電稼働の責任は九州電力だから、事故の責任も電力会社だという。おまけに避難の計画や実行は、各自治体が担うというのだ。えええっ、国立競技場とおなじで、責任が誰なのか全くわからない。これはもうめちゃくちゃ。
「事故は起こらない」ことを前提にしていた原発安全神話が、福島でもろくも潰えた時、原発を動かしている限り、事故は起こる、ということを国民は痛感した。だから原発再稼働には反対が圧倒的に多い。それでも、この国には、なぜか、原発にしがみつく集団がいる。よほど甘い蜜があるのだろう。どうしても原発を動かそうとさけんでベースロード電源とやらにしてしまった。
事故は起こることを前提にしなければならなくなって、万一の時に住民避難はどうする、なんとか対応せなあかん。緊急避難は災害対応だから、それは政府でも電力会社でもなく、自治体の仕事だということになった。大雨による土砂災害と原発過酷事故が一緒なのかいな。これがまかり通るとは、この国のいい加減さにあきれて悲しくなる。
福島で最も混乱したのが、住民の避難であった。どこにどうして逃げたらいいのか、誰もわからない。放射能は目にも見えない、匂いもしない、風向きによっても危険か安全かどんどん変わる。放射能が降り注ぐ中、住民はどのように迅速に避難したらよいというのか。それが市町村の役割だという。そんなこと出来るわけないじゃないか、返上するとなぜ言わないのだろう。小さな市町村にどれほどの能力と人力があるというのだ。
川内原発の地元である出水市は、原発から半径5~30キロ圏の緊急時防護措置準備区域(UPZ)に2万2000人が暮らす。いざというときには、屋内退避や避難、甲状腺被ばくを抑える安定ヨウ素剤の服用などが求められる地域だ。
 南日本新聞によると、この出水市で開かれた住民説明会で、市の担当者は、伊佐市や霧島市など避難先への複数のルートを紹介。「放射性物質は五感で感じられない。不安だと思うが、冷静沈着に」と呼び掛けた。しかし住民から、「風で避難先へ放射性物質が流れたら、計画は役に立たない」と意見があった。そうしたら、県の職員は「避難先で汚染の数値が出た場合、新たな避難先を県で調整して提示する」と答えたという。何をのんびりしたことを言っているのか。そんな悠長な時間はない。
大体、大災害時には、県庁職員自身が被災者になることも多く、怪我をしたり道路が渋滞したりして登庁もままならない。阪神大震災の時には、職員も登庁できず、当日はがらんどうだった。県庁や市役所の建物も被災、一部損壊して、しばらく使い物にならなかった。
原発が破壊され、放射能がどんどん飛散しているような大事故の時には、県庁や市役所も被災し職員も大混乱だということを前提にしたほうがいい。そんな中、職員たちは無傷で整然と「新たな避難先を県で調整して提示する」などということができるはずがないのである。つまり避難計画などないに等しいのだ。
また、これも南日本新聞の記事(2015-06-30)からだが、「九州電力川内原発(薩摩川内市)の重大事故時に、要援護者や移動手段を持たない住民を避難輸送するバスや運転手を確保するため、鹿児島県は29日、県バス協会と原発から半径30キロ圏内の協会加盟事業者33社を相手に協定を結んだと発表した。」
鹿児島県は契約を結んだことで責任逃れのアリバイ作りにはなるだろうが、実際は絵に描いた餅だということは、誰にもわかる。
現に重大事故が起こっている。地域には放射能が降り注いでいるのだ。だから避難する必要がある。そんな危険なところへ、誰がバスを運転していくのか。契約は会社がするが、実際に現地に行くのは運転手だ。
これについて、8月11日の朝日新聞がつぎのように取り上げている。

自治体はバスなどで周辺住民を避難させる。しかし、被曝(ひばく)の恐れがある地域に、民間バスの運転手を強制的に向かわせる制度はない。11日に九州電力川内原発が再稼働する予定だが、住民の避難計画は運転手の善意が頼みだ。
福井県の関西電力美浜原発で事故が起き、放射性物質が外部に漏れ出た――。
 7月12日、こんな想定の防災訓練が滋賀県長浜市であった。滋賀県の長浜市と高島市は福井県内の原発の半径30キロ圏(緊急時防護措置準備区域=UPZ)にあり、圏内に約5万8千人が住む。
 訓練には住民503人が参加した。最寄りの小中学校や体育館に集まり、バス14台に分乗して県立長浜ドームまで避難した。
 2011年3月の福島第一原発の事故後、12年9月に原子力災害対策特別措置法が改正された。これを受け、原子力規制委員会が定めた原子力災害対策指針の中で、原発の半径30キロ圏の自治体は避難計画の策定を義務づけられた。
 長浜市と高島市の場合、原発事故が起きると住民はまず屋内に退避する。地上1メートルの高さで毎時20マイクロシーベルトを超える放射線が観測された場合、1週間以内に滋賀県内や大阪府、和歌山県に避難する計画だ。
 移動手段はバスが原則。自家用車だと渋滞や避難先の駐車場不足が懸念されるためだ。滋賀県は13年12月に県バス協会と協定を結んだ。県内の観光バス約500台を避難用にあて、住民をピストン輸送する計画を立てている。
 しかし、訓練でバスを運転した湖国バスの西沢正勝さん(52)は「放射線は目に見えない。安全か危険か現場で判断できない」と戸惑う。滋賀観光バスの馬場兼蔵・安全統括部長は「運転手に業務命令を出すのは難しい。勇気を持って行って来いとしか言えない」。滋賀県原子力防災室の入江建幸参事も「運転手の善意に頼るほかない」という。
 災害対策基本法86条は、災害時に知事が運送事業者に被災者の運送を要請できると規定している。要請に応じない場合は「指示」できると定めているが、「強い意思表示に過ぎない」(内閣府)。従わなくても罰則はない。

児玉誉士夫と大野伴睦の日韓修復への思い  小榑雅章

安倍首相の戦後70年談話が、間もなく発表されるという。
その中で、日韓関係にも触れるだろうが、また物議を醸すのではないかと注目されている。
その安倍さんに、ぜひ読んでもらいたいエピソードがある。
児玉誉士夫という人物をご存じだろうか。
若い人にはなじみがないだろうが、日本の右翼運動家で、戦後の「政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれて、日本の政財界に大きな影響力を持っていた人物である。暴力団・錦政会の顧問でもあり、CIAエージェントであったともいわれる。
その児玉誉士夫が、日韓関係の修復について、自民党の副総裁を六期も務めた大物、大野伴睦とのやりとりを、宇治敏彦が新著の中で紹介している。(「政(まつりごと)の言葉で読み解く戦後70年」51頁)
これがじつに興味深いので、その部分を以下に転載させていただく。
           ***
難航した日韓基本条約交渉についても、右翼の児玉誉士夫が「大野先生こそ第一の功労者」と、こんな秘話を語っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   私は先ず岸先生を説き、河野先生を説き、次に大野先生を説いた。その折、先生は話半ばに、急に腹を立て「君、よく聞け よ、僕のこの歯は前が全部入れ歯だが、これは誰の所為だと思う(中略)。終戦後、韓国人が日本でうんと暴れたんだ。そこで俺は国会で韓国人の取り締まりについて発言したんだ。ところが、それを恨まれ、名古屋の旅行先で若い多数の韓国人に突然部屋に暴れ込まれ、俺は殴られて歯を折られてしまったんだ、若い者が大勢でこの老人を殴ったんだよ。その俺が、今更なんで韓国の問題に協力せねばならんのだ。」こういった調子で自分の話に全然乗ってくれない。そこで自分が「先生、韓国は日本に数十年取られておりました。それを正しい事だと言えるでしょうか。日本は又、大正一二年の大震災の折、韓国人にどんなひどい事をしたかご記憶でしょう。先生の恨みは数本の歯にすぎません。然し、韓国人の日本に対する恨みは、関東大震災の時のことだけでも、先生の歯に比較しようもないほど深いものだと思います」。(中略)
   先生は突然、胡坐をかかれていたのをピタリと正座になおされ、膝に手をおいて、食い入るような目で、私を見つめていたが、「児玉君、勘弁しろ、僕は少し間違っていた。日韓問題は大野伴睦が引き受けたぞ」。(『大野伴睦―小伝と追想記』大野伴睦先生追想録刊行会、一九七〇年、非売品)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   日韓交渉における大野の活躍ぶりはここに記すまでもないが、こうした浪花節的な言動が大野の持ち味であり、それは官僚出身の政治家には見られない党人派の特徴だった。「伴ちゃん」(大野伴睦)、「角さん」(田中角栄)、といった具合に一般大衆から愛称でのも党人派で、佐藤栄作(元運輸官僚)は総理大臣のとき、「私も栄ちゃんと呼ばれたい」と大野の追悼会で語ったことがある。自民党全盛期に大野派に集った国会議員は、その大半が党人派だった。




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埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
連絡先
 magazinehaniwa@yahoo.co.jp

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