「埴輪」復刊の辞 宇治敏彦/小榑雅章

「埴輪」復刊の辞 宇治敏彦 

「心より出ずる、再び心に至らんことを」―今から42年前の1958年(昭和33年)4月、小榑雅章、宇治敏彦の2人が雑誌「埴輪」を創刊したとき編集後記に書いたベートーベンの言葉である。いま再び心に至らんことを願って共に72歳にして「埴輪」を復刊することにした。2人は早稲田大学附属高等学院で河出朋久君が中心になった同人雑誌「筆のつどい」の準備会で知り合い、やがて2人雑誌「埴輪」を始めた。その後、小榑は大学の国文科、宇治は英文科に進んだが、交友は深まり、宇治の英文科の学友であった岐部堅二、今関健一、勝田裕之、今井啓一、金原忠雄も途中から「埴輪」同人に加わった。当初はガリ版刷りの手作りだったが、11号からは岐部の知り合いの印刷屋に発注した。早大を巣立ってそれぞれ社会人になってからも、この同人誌は続き、1970年(昭和45年)1月発刊の第23号まで続いて、爾来、40年休刊状態にあった。
 それをここに来て復刊しようというのは小榑も宇治も古希を過ぎて、多少時間に余裕が出来たこともあるが、同時に肉体的限界も感じ始めているからだ。
かつて「埴輪」同人で放談会をやったとき「我々は『閉ざされた民主主義世代』である」との認識で一致した。日中戦争が始まった1937年生まれが同人の中心だったこともあるが、軍国・愛国少年として少年時代を送ったわれわれは1945年の日本敗戦を境にいわゆる「黒塗り教科書」で民主主義教育を受け始めた。昨日まで「三歩下がって師の影を踏まず」の儒教思想と教育勅語に明け暮れてきたのが、一夜にして「人間はみな平等」のデモクラシー社会に転換を余儀なくされたのである。生活苦を除けば、このデモクラシーは素晴らしく、中学校の副読本「新しい憲法のはなし」もわれわれに大きな希望を与えてくれた。と同時に、この180度の価値観の転換は、一夜にして軍国主義教育から巧みに民主教育者に変わった大人への不信感ともなった。しかも絶対平和主義は長く続かなかった。米国が対ソ連政策から冷戦対策の一環として日本の非武装政策を放棄させ、日本を共産主義への防波堤にする軍拡作戦へと誘導していったからである。われわれの絶対平和主義、理想の民主主義世代はたかだか3年間ぐらいで終焉を迎えたのではなかろうか。「閉ざされた民主主義世代」と呼ぶ所以である。
だが、まだそのことを引きずっている。靖国神社と聞くだけで拒否反応があるし、ヒロシマと聞くだけで痛みを感じる。死ななくてもよかった日本人の多くが尊い命を落としたのではないか。なぜ無条件降伏まで引っ張る必要があったのか。東京裁判によらずとも自らの判断で戦争責任を明確にする措置は取れなかったのか。「与えられた民主主義」を上回る民主主義をなぜ日本人自身がつくれなかったのか―などなど。そうした疑問に自分自身が答えていく責務を痛感する昨今である。宇治は「あと35年、日本が戦争に直接参加しなかったら『不戦100年』が達成される。そうしたら日本国がノーベル平和賞を受けるだろう」と新聞の社説に書いた。これも「閉ざされた民主主義」世代の一員としての遺言である。米国がオバマ政権に代わったことは日本にとっても好機だ。ガンジー主義が見直されているように私たちもいま1945年8月にもう一度返る時ではないか。

また二人で雑誌「埴輪」がはじめられるうれしさ 小榑雅章

最近、しきりと花森さんの夢を見ます。暮しの手帖の花森安治さんです。
夢の中で、たいてい私は、叱られています。「君はなんにもものを知らんな」「こんなこともわからないのか」「こんな原稿で通ると思っているのか、同人雑誌をつくっているのじゃないぞ」・・・
私は怒鳴り声がアタマの上を通り過ぎていくのを、じっと待っています。そのうち、花森さんはあきれはてたのか、疲れたのか、ため息をついて立ち上がり、立ち去ります。私は、そっと首をもたげて周りを見回すと、編集部全員の目がこちらに向けられて、なんというやつだ、だめだなあというささやきが聞こえてくるような雰囲気です。恥ずかしいな、参ったなあ・・・このへんでたいてい目が覚めます。目が覚めたとき、私の胸の中は、懐かしさとあたたかさで満ち溢れ、思わず「花森さん」と呼びかけてしまいます。そして暗闇の中で、半世紀も前の日々を思い出し、しばらくして、いつの間にかまた寝入ってしまいます。
私は、自分の生き方やものの考え方、捉えかた、文章の書き方、いや、箸の上げ下ろしから口のきき方まで、生きる術のほとんどを、花森さんから学びました。
昭和35年4月に暮しの手帖編集部に入社してから花森さんの亡くなる昭和53年1月までの18年間、朝から晩まで一緒の時を過ごしました。
日本の高度成長期のこの時期に起こったことは、有頂天な日本人をつくり、バブルへと向かいます。この間にあって、一人の熱い血の、しかし冷徹なジャーナリスト花森安治が時流をどのように捉え、どのように判断し、どのような意見を開陳していったか、それをふり返ることは、これからの日本にとっても、とても重要なことのような気がしています。
思い出すまま、気ままに、花森さんや昭和の時代の暮しの手帖のことを中心に、このブログで語れたらいいな(たぶん他のことも記すでしょうが)と思っています。

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