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春と秋、桜と紅葉、青春と赤秋、若さと老い  宇治敏彦

 今年は京都への旅で満開の桜、盛りの紅葉の両方を見る幸運に恵まれた。桜は円山公園や祇園白川のしだれ桜が見事だったが、なんといっても北野天満宮に近い平野神社の桜が最高だった。地元の人が「桜の博物館」と自慢するように魁桜、平野妹背桜、寝覚桜、胡蝶桜、虎の尾桜、嵐山桜などなど50種、400本の桜が平野神社の境内で一斉に花開く4月上旬の見事さは「陸の竜宮城」ともいうべき華やかさである。桜茶を飲みながら空の晴天が桜のパレードで狭まっている様を見上げていると、源氏物語の光源氏の世界や、豊臣秀吉が催した醍醐の花見は、かくあったかもしれないと思った。
 一方、紅葉はこれまで見た中で長岡京の光明寺が最高と思っているが、今秋訪ねた栂野の高山寺、高尾の神護寺、周山の常照皇寺は、いずれも山寺で、山ごと紅葉の景観が楽しめた。
 万葉集に春と秋の優劣を歌った額田王の一首がある。「冬ごもり春さり来れば鳴かざりし鳥も来鳴きぬ 咲かざりし花も咲けれど山を茂み入りても取らず草深み取りても見ず 秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてそしのふ青きをば置きてそ嘆く そこし恨めし秋山われは」。春山は茂っており草むらも深いので花を手折ることもできないが、秋山は紅葉を手に「まだ青いわ」と嘆くこともできるので、私は春より秋が好きという歌意。
 拙著「木版画 萬葉秀歌」(蒼天社出版)に書いたことだが、万葉板画を趣味とする私としては秋の紅葉をテーマにすることが多いせいか、額田王と同様に春よりは秋指向である。
 人生の上では春は青春、秋は熟年ないしは老年に譬えられることが多い。俳優・仲代達也氏の妻で若手俳優の養成機関「無名塾」をつくった故宮崎恭子さん(女優、脚本家)は「青春」の反対語として「赤秋」という言葉を造語した。青春の反対が老年、老後ではあまりにも侘しいとの思いからだったようだ。確かに真っ赤に燃える紅葉を見ていると、自分の年齢を忘れて、まだまだ頑張るぞという気持ちにもなるから不思議だ。かつて太平洋戦争の末期に特攻隊として短い人生を終えた若者たちを「散華」と表現する。もともとは仏教用語で、法要の際に紙型の蓮の花弁を撒くことを指すが、「華と散る」と解して特攻隊員に使われるようになった。この場合の華は桜であって紅葉ではない。花の盛りが短いことも影響しているだろう。
 マッカーサー元帥の座右の銘だったサムエル・ウルマンの詩「青春」には、こうある。
「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる」。今年6月には冨田光彦、小寺健一、島山博明、11月には小榑雅章といった早稲田大学付属高等学院の学友と旅をした。私たちは既に「赤秋」の年齢にある。「散華」という体験をしなかった幸せと同時に、ウルマンの詩を想起した。
 「年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味」。
来年もまた四季の花見に出かけよう。
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