国会事故調にみる美しき?日本文化と新聞の責任  小榑雅章

7月11日に行われた五輪壮行試合と銘打った対ニュージーランド戦の男子サッカーは、1対1の引き分けに終わった。後半26分に先制点を上げながら、終了間際に味方のミスで同点にされてしまった。この試合で、縦横無尽に活躍をした清武弘嗣選手は、試合後「決めるところで決めないと、最後こうなる。点が入らないとしようがない。全員のせい」と悔しさをあらわにしたという。(スポニチ)
別の記事では「試合終了間際の失点で引き分け、ボールを奪われた村松に詰め寄るGK権田」という記述もある。失点の発端は村松がボールを奪われた結果、カウンターを受けた日本は、同点に追いつかれてしまったのだった。
だが、清武は「全員のせい」と言い、権田も「ミスをせめて怒ったのではない」とかばった。
美しきかな、個人の責任は問わない日本の文化! 
ところで、この美しい?日本の文化が問題になっている。
福島第一原発事故を調査する国会事故調査委員会の最終報告書が7月6日に出されたが、その英語版の報告書の冒頭にあるMessage from the Chairmanの中で、黒川委員長が、あの大事故大災害は"Made in Japan."であり、「その根本的原因は日本の文化のしみついた慣習」にある、と記述したからである。
What must be admitted . very painfully . is that this was a disaster "Made in Japan." Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture:
そして、その染みついた慣習の例として「われわれの反射的な従順さ」「権威に対して問いたださない姿勢」「集団主義」「島国根性」などをあげている。
この英文のメッセージを読んだ外国の特派員たちは、早速「原発事故の責任を、日本特有の文化のせいにするな」という記事を書いて発信した。
その一つ、フィナンシャルタイムスのMure Dickie記者はBeware post-crisis ‘Made in Japan’ labelsという記事を書いているが、その中で、次のように記述している。
「福島第一原発の事故を文化的な文脈で説明しようとするのは、本当に危険だ。」
Yet there are real risks to explaining the Fukushima Daiichi crisis in cultural terms.
「文化に極度に注目しすぎると、あの事故につながる決定を実際に下した組織や個人の責任がどこかにとんでしまいかねない。」
Focusing too heavily on culture could merely shift responsibility from the institutions and individuals that actually took the decisions that led to disaster.
事故の原因を「日本文化のせい」だとすると、上述の日本サッカーチームのように個人の責任は問わず、清武選手のいう「全員のせい」になってしまうことと、共通しているように思える。
黒川委員長が、「根本的原因は日本の文化のしみついた慣習」にあるという記述は英文だけで、日本語の報告にはなかったので、日本の新聞各紙には、この日本文化原罪論は登場していない。もし、日本語の報告にもこの記述があったら、当然問題視していた、という言い訳めいた論述が見られる。
しかし、文化論は登場しなくても、「われわれの反射的な従順さ」「権威に対して問いたださない姿勢」からきた「根本の責任を追及しない大甘の体質」は、日本の大新聞の特性ではないか。
国会事故調の報告書の発表を受けて、各紙社説は論評しているので、それを見てみたい。
朝日新聞
  …事故は「人災」である。国会の事故調査委員会(黒川清委員長)がそう結論づけた。
  根本的な原因が政界・官僚・事業者が一体となった原発推進構造と責任感の欠如にある
  という認識は、私たちも同じだ。…
東京新聞
  ・・・事故は東電や政府による「人災」と断じた。原発規制の枠組み見直しは急務だ。
  個々人の資質や能力の問題でなく、組織的、制度的な問題が、このような『人災』を引
  き起こした。この根本原因の解決なくして再発防止は不可能である。…
毎日新聞
  事故は自然災害ではなく「人災」だ。事前に対策を立てる機会が何度もあったのに実行
  されなかった。根本的原因は、日本の高度経済成長期にまでさかのぼった政府、規制当
  局、事業者が一体となった原子力推進体制と、人々の命と社会を守るという責任感の欠
  如にあった−−。
読売新聞
  国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会が、報告書で「事故は自然災害ではな
  「人災」と結論づけた。
   政府と東電は、厳しく受け止めるべきだ。重大事故は起こらないという「安全神話」と
   決別し、原発の安全性向上に全力を挙げねばならない。
どの新聞も、国会事故調の報告書をなぞっているのだから、どこも同じような記述になるのは当然だろう。しかし、「事故は人災」だと断じている。にもかかわらず、どの新聞も根本的な原因が「政界・官僚・事業者」とか「政府、規制当局、事業者」、「政府と東電」というとらえどころのない組織や制度を指さしているのはどうしたことか。これでは日本文化論とまったく同じではないか。
「事故は人災」というなら、「それは誰なんだ」「どこの役所の誰に責任なんだ」「東電のどの社長の責任なんだ」「原子力安全委員会の誰なんだ」と追及するべきではないのか。
大新聞の論説担当者は、事故調の報告書をうのみにする「反射的な従順さ」「権威に対して問いたださない姿勢」という黒川委員長のいう日本文化そのものではないか。
「事故は人災」という意見に同調するなら、それをオウム返しになぞるだけではなく、個人の責任の追及にまで行かなければ、原子力事故を文化のせいにするな、個人の責任をうやむやにしては、原子力事故はまた起こる、という外国の論調の方が、正論だと思えてならない。
太平洋戦争の一億総ざんげみたいな無責任な結論は、もうたくさんだ。
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