出会った人々⑦決して偉ぶらなかった政治家・河上民雄氏  宇治敏彦

 父親が偉すぎると子どもがぐれてしまうケースをたくさん見てきたが、「十字架委員長」といわれた河上丈太郎元社会党委員長を父親に持つ河上民雄氏(東海大名誉教授、元社会党国際局長)は、まったく逆で、死ぬまで父親を心底尊敬していた。父親の死後、自らも衆院議員になったが、選挙民や官僚たちにも偉ぶることが全くなく、穏やかな伝道師、学究者という印象だった。昨年、87歳でなくなり、一周忌に当たる今秋、霞が関ビルで偲ぶ会が開かれた。河上氏は社会党右派に所属していたが、偲ぶ会には旧河上派の面々だけでなく、左派佐々木派の幹部だった曽我祐次氏まで顔を出し、交友の広さを示した。
 国会議員としての活動で河上氏が特に力を入れたのは中国や北朝鮮など社会主義国との関係改善だったが、なかでも第18富士山丸事件(1983年、日本の冷凍貨物船にこっそり乗り込んで密航を試みた北朝鮮兵士を直ちに帰還させなかったとの理由から紅粉勇船長らが北朝鮮に7年間抑留された事件)で、自ら訪朝し釈放に奔走した。紅粉船長は熱心なクリスチャンで、そのことが日本基督教団銀座教会に所属する河上氏の心を強く動かしたに違いない。
 生前の河上氏を囲んで霞が関ビルで政治学者のジェラルド・カーティス氏や経済人、マスコミ関係者などによる勉強会が定期的に開かれたが、私の印象に強く残っているのは政治家として河上氏が手本にしていたのは父親の河上丈太郎氏は例外として、一番は自民党の石橋湛山元首相ということだった。その理由について河上氏は、こう語っている(「河上民雄 20世紀の回想」新時代社)
1、 石橋氏が戦後パージにあっていたころ、「日本はそのうちコメが余って困るときが来る」という話をした。当時は米不足の時代だったから「この人は何を言っているのか」と思ったが、やがて減反政策をしなければならない時代になり、石橋氏の先見の明に驚かされた。
2、 「小日本主義」はもともと東洋経済新報社の社是だったが、それを発展させたのが湛山だった。朝鮮・台湾といった植民地との貿易が利益を生み出さず、むしろ日本には負担になると説いた。1943年のカイロ宣言では日本が植民地を放棄し4つの島に戻るべきだと主張した。経済学者の中山伊知郎氏は「せめて朝鮮ぐらいは残してほしい」と言ったが、湛山は「いやそうでない。4つの島でこそ日本は始めて繁栄する」と譲らなかった。中山氏は後に「議論で湛山に敗れたが、歴史の中でもう一度敗れた」と語っている。
3、 1945年10月、湛山は「靖国神社廃止の議」を発表している。「同神社を残せば日本民族怨念の象徴になる。占領軍に取り壊されるより、日本人自ら涙しながら取り壊そう」と訴えた。しかも湛山は1944年、次男を戦争で失っている。
 筆者も新聞紙上で石橋湛山に関して何回も取り上げたが、その度に河上氏から手紙をもらった。ちなみに筆まめな政界人は伊東正義(自民)、河上民雄(社会)氏が両雄ではないかと思うほど、このお二人からは多くの私信をいただいた。
 もう一つのエピソード。河上氏は勝海舟ファンだった。筆者は以前上梓した「政治記者の定点観測」(行研)で勝海舟と福沢諭吉の比較論を書いたことがある。福沢は「やせ我慢の説」で、勝が西郷隆盛との談判により江戸開城を決断し、江戸の町を戦火にさらさなかったのはまことに立派だが、その後、維新政府の高官となった。赤穂浪士のような「二君にまみえず」「武士は食わねど高楊枝」の精神を失ったのは遺憾だという趣旨のことを書いた。それに対して勝は「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張に候」(信念でやっているのだから批判はご随意に)と返信している。この二人は万延元年(1860年)咸臨丸に乗って一緒にアメリカに旅立った。そのときの勝について福沢は「勝麟太郎という人は艦長木村の次にいて指揮官であるが、至極船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかった」(福翁自伝)と冷やかした。一方、勝は明治維新の際の福沢について「あの時は何でも本所辺にかくれておったそうナ。弱い男だからネ。それで、あとから、何とかかんとか言うのサ」(海舟座談)とこき下ろしている。
 面白いことに宮沢喜一元首相は福沢諭吉ファンで、中曽根康弘元首相は勝海舟ファンだった。思想信条的に何となく分かる。そこで私は河上さんもハト派宮沢氏と同様に福沢派かと思っていた。ところが、勝派だった。
 「福沢が聖書の言葉をひいて『キリスト教は親不孝を勧めている』と非難したことがあります。そのとき勝は『知人にキリスト教の信仰の篤いアメリカ人がいるが、親子仲むつまじく生活している』と反論しました」「すなわち福沢は書籍からのみの知識を吸収して、書籍からの知識だけで理論をつくる傾向があったのです。これに対し、勝は自分が体験したところから理論をつくる傾向がありました」(河上民雄 20世紀の回想)
 河上民雄氏にはクリスチャン魂が生涯浸み込んでいたのである。
スポンサーサイト
プロフィール

magazinehaniwa

Author:magazinehaniwa
ブログ雑誌埴輪へようこそ!
埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
連絡先
 magazinehaniwa@yahoo.co.jp

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
FC2カウンター
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR