戦没画学生慰霊美術館「無言館」のこと  小榑雅章

先週の週末、宇治さんと一緒に信州上田の無言館に行った。
塩田平をのぞむ丘陵に建てられたこの無言館には、先の戦争で命を絶たれた多くの画学生たちの遺族が大事に守り続けてきた画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示されている。無念にも画業半ばで戦場に散った画学生たちの「生きた証」を今に残したいと、自ら出征経験のある画家、野見山暁治氏と館主の窪島誠一郎氏が、全国を歩き蒐集して展示したという。戦没画学生慰霊美術館「無言館」は、第53回菊池寛賞も受賞し、テレビや新聞にもとりあげられて、ひろく知られている美術館であるが、私はこれまで訪ってはいなかった。
展示作品には、東京美術学校の学生や出身者の作品が多いが、私立の美校生もいる。この中にはやがて世に出て華々しい評価を受けるはずの優れた才能の若者たちが少なからずいたであろう。それだけに志半ばで戦死した無念さがしのばれるが、作品からその能力の高さや無念さを読み取る力量は私にはない。
無念さやあわれさを感じるのは、作品に添えて控えめに掲示されている作者や作品のエピソードを読んでである。窪島誠一郎氏の筆になるであろうその挿話は、まことに名文である。遺族から聞き取った言葉だけでなく、窪島氏自身の思いもこめられているからであろう、痛切に胸に迫る。文章の持つ力の大きさを、あらためて感じた。
そして、私がもっとも胸を突かれたのは、たんたんと事実を告げたつぎの文言だった。
「蜂谷清 昭和20年7月1日 フィリピン レイテ島で戦死。22歳」
この同じ昭和20年7月1日、私の父も、同じフィリピンで戦死した。蜂谷さんと父は、戦地のどこかで会っただろうか、見ず知らずでもすれ違ったかもしれない。
蜂谷清さんは、「祖母の像」というみごとな作品を残した。そして窪島氏らの尽力で多くの人に慰霊されている。狭量にも、私はうらやましいとおもった。
無名の市井人だった父は、何を残したのか。残した家財はすべて焼夷弾に焼かれて灰燼に帰した。
そのとき、私が思い出したのは、花森安治さんの書いた「無名戦士の墓」という文章の末尾の数行である。
   「この墓には、どういうわけか一字も文字が書かれていない。しかし『祖国のために
    勇敢に戦って死んだ無名の人たちここに眠る』といったふうの言葉だったら、むしろ、
    なんにもない、このままの方がよい。
    どんなに帰りたかったろう。ぼくならそう書いてあげたい。」
無名戦士の父は、母や息子の私たちのもとへ、どんなに帰りたかったことだろう。それなのに、父のことを思い出すこともめったになくなっていた。今夜は、父のことを思って、静かに酒を酌もう。

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