暮しの手帖の大晦日 小榑雅章

先日、暮しの手帖の社主の大橋鎮子さんに会った。
鎮子さんはいま90歳だが、いまでも毎日のように北新宿の暮しの手帖社に出社している。会話の中で、鎮子さんは「新宿へ通うのは不便だから、やはり銀座がいいわね」と昔を懐かしんだ。
その昔、暮しの手帖社は銀座にあった。東京都中央区銀座西八丁目五番地 日吉ビルというのが所在地だった。創業に際し、花森安治さんが「会社の所在地は銀座だ、全国に発信するのだから、最も名の知れた地名にしなければだめだ」と指示したという。
私が暮しの手帖社に入社したのは昭和35年だったが、日吉ビルの前は掘割ですぐそばに難波橋が架かっていた。私は近くの新橋で生まれ育って、徒歩で会社に通っていたのだが、花森さんに「新橋は江戸じゃないぞ、難波橋というのはナミダ橋がなまって難波橋というようになったので、江戸から旅立ちにするときに、この橋で涙ながらに別れを告げたからナミダ橋と言ったんだ。橋の向こうは江戸のはずれなんだ」と言ってからかわれたものだ。
この銀座にいたころは、当たり前のように、大晦日まで仕事をしていた。除夜の鐘を聞いてもまだ仕事をしていたこともある。
その大晦日の楽しみは、年越し蕎麦だった。蕎麦は銀座よし田のもりそばで、暮しの手帖をつくってくれる青山印刷や有恒社などが差し入れてくれるのである。花森さんから「いくらでも食べていいぞ」と言われた。ほんとうに食べ放題で、若い社員は4枚も5枚も食べた。花森さんは、それをうれしそうに眺めていた。花森さんがうれしそうなので、みんなもあらそって食べた。すると青山印刷の青山社長がそばに寄ってきて、花森さんに見えないように低い声で言った。「こらっ、いい加減にしろ、もうやめてくれ」
いい時代だった。暮しの手帖も伸び盛りだった。鎮子さんが銀座を懐かしむのも、当然だなと思う。




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