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北方領土返還への決め手は何か   宇治敏彦

 メドベージェフ大統領をはじめロシア要人の相次ぐ北方領土訪問、これに対する菅直人首相の「許しがたい暴挙」発言と、日ロ関係が北方領土問題をきっかけに急速に冷え込んでいる。「日本固有の領土」である北方領土の円満な返還が、こんな状況では遠のくばかりだ。もっと成算のある日ロ関係を構築できないものか。
 1月に、ある新年会で東郷和彦氏(京都産業大学世界問題研究所長、元外務省欧亜局長)と行き合った。日ソ、日ロ外交に直接かかわってきたロシア通である。北方領土問題の先行きを率直に聞いてみた。「北方領土返還は無限大に遠のきましたね。チャンスを逸しました。歴代政権が強く出なかった」と東郷氏は言った。
 そこで私の「仮説」をぶつけてみた。中国の経済・軍事大国化によって米中関係が東西冷戦時代の米ソ関係に取って代わるかもしれない。そうすると焦るロシアは米ロ関係の重要性を世界に再認識させるため、さまざまな微笑外交に出てくる可能性があるのではないか。「その一環としてロシアが日本に北方領土問題で譲歩してくる可能性はありませんか」。
 「あるでしょうね。しかし北方領土を日本に返すほどの代償を払う気持ちはロシア側には全くないと思いますよ」。東郷氏の返答は、北方領土問題が現状で固まってしまったかのような諦観さえ感じさせた。
 私は改めて橋本(龍太郎)・エリツィン時代の日ロ蜜月時代を思い起こした。1997年(平成9年)11月、東シベリアのクラスノヤルスクで行われた両首脳の会談で「2000年末までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意。翌98年4月、川奈での首脳会談では橋本首相が北方領土に関する日本の領有権を確認したうえで国境線の画定を提案した。こうした明るい雰囲気に同年5月下旬、札幌で開催された論説責任者会議(新聞協会主催)で北海道新聞の柏木榮論説主幹は「北方領土は2、3年内に日本に返ってくる見通しが強まった」と発言したほどだ。しかし、7月参院選で敗北の責任をとり橋本首相は退陣、エリツィン大統領も99年末に辞任、プーチン首相が大統領代行に就任した。その後、森喜朗首相時代にもプーチン大統領との個人的関係は良かった。森氏の父親・茂喜氏は石川県根上町(現在は能美市)の町長を9期連続無競争で務めた人物で、日ソ交流に尽力し、遺骨の一部が本人の遺志でロシアのシェレホフ市の墓に埋葬されている。2001年にプーチン大統領も墓参している。こうした個人的な人間関係で領土問題に関しても橋本・エリツィン協議の続編が期待されたが、森政権も短命に終わった。そして2002年、小泉純一郎内閣時代の鈴木宗男事件。国後島の「日本人とロシア人の友好の家(いわゆるムネオハウス)」建設をめぐる入札問題で政局は荒れた。今から振り返れば、友好の家構想自体は良かったが、惜しむらくは入札疑惑で国後島における日ロ親善の動きが以後ストップしてしまったことだ。
 その間にロシアの「実効支配」「不法占拠の既成事実化」がどんどん進んでしまった。政権交代があり、民主党・鳩山由紀夫内閣が誕生したとき日ロ改善―北方領土返還交渉の期待が再びよみがえった。祖父・鳩山一郎首相のもとで日ソ国交回復が実現(1956年)したし、長男・紀一郎氏はモスクワ大学に留学中など「鳩山家とロシアの関係」は日ロ親善の増進に大きな武器になると思われたからだ。しかし、鳩山首相はそれに至る以前に退陣に追い込まれてしまった。
 こうしてみると東郷氏のいうように北方領土返還のチャンスを日本側は何回もつぶしてきた。北風と太陽のように「日本固有の領土」という国際世論喚起と日ロ協力、特に北方4島への具体的協力の両面を通じて、領土交渉の促進ムードを地道につくる以外にないが、橋本-エリツィン、森-プーチンといった個人的な人間関係は、今の菅首相にはない。日本国内のロシア人脈を総動員することから始めるしかないだろう。
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