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災害復旧のために党派を変えた政治家  宇治敏彦

 東日本大震災で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。被災地の一つ、岩手県宮古市は故鈴木善幸元首相の選挙区で、水産講習所出身のゼンコーさんは毎年のように「漁港検診」と称して地元の漁港を視察していました。ホタテ、ホヤ、イカなどの魚介類が豊富に獲れる三陸海岸は、まさに海産物の宝庫でしたが、昔から大規模な地震が多く、津波の被害も出ていました。記録に残っているものでは古くは869年、1611年、1677年、1836年、1856年の地震と津波。明治以降では1896年に岩手県綾里湾(りょうりわん)で高さ30メートルの津波で死者2万7000人、また1933年には同じ綾里湾で高さ24メートルの津波で死者約3000人という三陸沖地震がありました。今回も完成したばかりの大型観光船が津波によって宮古市のど真ん中に押し流されている映像をテレビで見ましたが、ゼンコーさんが生きていたらどんなに驚いたことか。
 鈴木善幸氏は1947年(昭和22年)、大日本水産会勤務を経て社会党から衆院に初当選した政治家。同年9月にキャスリーン台風、48年9月にアイオン台風が東北地方を襲い、岩手県も大被害を受けました。そのとき地元民は復興のためにゼンコーさんに吉田茂内閣の民主自由党に鞍替えするよう迫りました。固辞し続けましたが、復興予算を獲得するためという地元の要請に抗しがたく48年12月、社会党(当時は社会革新党に所属)から民主自由党に移籍し、49年1月の衆院選では民自党公認で当選しました。そのときゼンコーさんを吉田首相に引き合わせたのは同じ岩手出身の政治家、小沢佐重喜氏(小沢一郎民主党元代表の父)でした。地元復興のために党派を変えたのが政治家としてよかったのかどうか、ご本人は後年まで逡巡した悩みを語っていました。首相なってから外交面で大問題になったレーガン米大統領との「日米同盟」問題でも、「ゼンコーは社会党の尾てい骨を引きずっているからな」と解説されると皆何となく納得するところがありました。災害復旧と政治信条。私でもその選択を迫られたら大変悩むと思いますが、今回の大被害を見ているとゼンコーさんの選択を是認する気持ちになります。
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