「廃炉」判断が遅れた東電幹部  宇治敏彦

 東日本大震災が発生した3月11日、不幸なことに東京電力のトップ3人が東京にいなかった。取締役会長の勝俣恒久氏と取締役副社長の鼓紀男氏は北京、取締役社長の清水正孝氏は関西にいたという。もちろん3人がいなくてもほかに副社長が5人、常務が9人いる大組織だから通常業務の決定には何の支障もなかったであろう。だが今回の震災では福島第一原発の放射能漏れという危機事態に見舞われ、主要炉を「廃炉」にするかどうかという難しい経営判断を迫られたのだ。北京にいた鼓副社長は、その原発担当。もともと12日帰国予定だったが、同行者によると何とか早めの飛行機が取れないかと努力したようだ。だが成田空港の閉鎖などで当初日程通りの帰国となった。また関西にいた清水社長は名古屋まで来てヘリコプターで帰京しようとしたが、うまくいかず、自衛隊機に乗せてもらったという。
 結局、東電は水素爆発を起こした1号機には12日に、同じく水素爆発を起こした3号機には13日、燃料棒が露出した2号機には14日にそれぞれ海水を注入する措置をとった。海水注入は「廃炉」を覚悟しなければならないから、東電幹部は逡巡したに違いない。900万キロワットの発電能力装置を駄目にするのだから経営陣としては何とか海水注入以外の措置はないものかと思ったであろう。結果論といわれるかもしれないが、震災直後から海水を注入して「炉心溶融」に対応した冷却措置に踏み切っていたら、被害の拡大をもっと食い止めることができたのではないか。
 原発事故防止の3原則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」だが、今回は「冷やす」ことが遅れたために周辺住民だけでなく日本国内、ひいては世界各国にまで放射能不安を拡散させてしまった。東電が震災直後に米側に救済支援を打診したら米側は「廃炉」前提の措置を回答してきたので東電側が躊躇したという伝聞もある。阪神大震災の際にはスーパーダイエーの中内功会長兼社長が真っ先に神戸に乗り込んで陣頭指揮をとり、対応が遅れた村山富市首相ら政府との差が話題になったものだ。
 米スリーマイル島原発事故(1979年)では事故後の核燃料の除去作業に11年の歳月と10億ドル(約800億円)を要し、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では鉛や粘土を上空から投下して放射性物質を閉じ込め、さらにコンクリートで固めたという。福島原発で幸い放射能の放出を最小限に食い止められたとして、その後を「廃炉」にする場合、まだまだ多くの作業と費用を必要とする。「どうなっているんだ」と東電幹部をしかりつけた菅首相も、震災時に東京にいなかった東電幹部も国民の安全と日本の名誉回復のために最大限の努力をしてほしい。 
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