花森さんの辞世のことば 小榑雅章

暮しの手帖52号

昭和53年1978年1月14日の夜に花森さんは亡くなられました。心筋梗塞でした。
前日の13日の夜遅くまで、暮しの手帖の編集部で仕事をし、暮しの手帖第2世紀52号を校了させて帰宅。その翌日の14日は、めずらしく、会社を休まれました。亡くなられたのは、その晩ですから、まさにペンを握ったまま亡くなったというべきでしょう。
さすが花森さんらしい最期だ、さぞ本望だろう、などと新聞には識者の談話が載っていましたが、私は、むしろ、無念だったのではないかと思っています。
突然のことですから、辞世のことばなどありませんし、また、わざわざそのようなものを残すような人ではありません。
でもご本人のお考えとは別に、思わずもらした吐息があったのです。
1月10日、編集部(第3スタジオ)の作業机に陣取って、花森さんは「食前食後」というグラビア頁の割付(レイアウト)をしていました。
「食前食後」と言うのは原稿用紙1、2枚程度の短い随筆や珍風景、面白見聞記など、写真や挿絵をふんだんに使って30編ばかりを8頁にちりばめた頁です。まじめな記事や実用的な記事の多い暮しの手帖の中では、いわばほっとした息抜きの頁で、全国の読者からのたくさんの投書や編集部総がかりで書いた記事で構成します。編集部員にとって、小さな原稿でも、花森さんがすべて読んで選別するのですから、原稿が採用されるのはうれしいし、反対に、なんだこんなものを書いて、と叱られるのは、こわいです。
私はこの「食前食後」の担当でしたから、花森さんの前に座って、割付を手伝っていました。花森さんが、「トップはどれにする」と聞きます。「春らしい記事がないな」とつぶやきます。原稿のそろえ方がわるい、下ごしらえが足らない、というシグナルです。1月25日発売の早春号ですから、当然、季節感が必要ですが、たしかにそれに合うような記事がありません。
そのとき、花森さんが「まあいいわ、僕が書くよ」と原稿を書き出しました。
花森さんが「食前食後」の原稿を書くということはめったにないことです。まずありません。だから、おや、どうしたんだろ、と花森さんを見つめました。
万年筆をとって、ほんの数分で書いた原稿を私にぽんと渡して、「これをトップにしよう、写真を探せ」と言いました。
その文章を全文、つぎに写します。「早春と青春」という題のこの小文は、無署名で掲載されているので、花森さんの文章だとは知られていません。亡くなられる数日前に記されたこの文章は、自らの来し方を省み、思わずもらしたため息のような辞世のことばだと思っています。

     早春と青春

まだ風は肌をさし、道からは冷気がひ
しひしと立ち上る、あきらかに冬なの
に、空気のどこかに、よくよく気をつ
けると、ほんのかすかな、甘い気配が
ふっとかすめるような、春は、待つこ
ころにときめきがある。
青春は、待たずにいきなりやってきて
胸をしめつけ、わびしく、苦しく、さ
わがしく、気がつけば、もう一気に過
ぎ去っていて、遠ざかる年月の長さだ
け、悔いと羨やみを残していく。
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感動しました。

読ませていただきました。
花森さんの文章の衝撃、
どう受け止めれば良いのかと思いました。

青春の疾走の苦しみを書き、
その次の行には世を去ることの思いを書く
というその跳躍に、
大げさでなく、ぎゅーんと虚空を渡る時のような
感覚を覚えました。

このような衝撃の文章を
目の前で書かれ、渡されたときに
小榑さんが感じられた気持ちが
伝わってくるような気がしました。
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埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
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