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東北に「顔晴」が来る日はいつか?  宇治敏彦

 16年前の冬、阪神大震災が発生したとき我が友、小榑雅章君は神戸で兵庫エフエムラジオの社長をしていた。その時の経緯は彼が、このブログ雑誌「埴輪」に書いているので省略するが、「ジャーナリストなら震災の現場を見なければ」と案内役を買って出てくれたので、震災から約ひと月後に長田区など神戸市内の被災地を一緒に見て回った。「野田北部自治会」という看板が立っていた地域周辺は、まさにガレキの山だった。三宮駅に近い喫茶店ニシムラコーヒーも山小屋風の特徴ある表側はかろうじて残っていたが、後ろ半分は崩れていた。長田区にコの字型に建った高層市営住宅は余震で倒壊の恐れがあったため家具などの運び出しが出来ないまま解体された。神の加護があってしかるべき生田神社の社殿もぺシャンコに崩壊していた。自然災害の脅威を眼前に言葉も出なかった。
 その夜、小榑君が市内の寿司屋に案内してくれた。カウンターの片隅に一枚の色紙が立て掛けてあった。「顔晴」と墨書してある。「宇治君、何て読むか知ってる?」と彼が問う。「かおはれ」「かおばれ」「がんせい」――。いろいろ考えてが、降参した。「こうなった時が神戸の復興がなった時でもあるんだろうな」。そういって「がんばれ」と読むんだと教えてくれた。なるほど。「頑張れ」と「晴れやかな顔の回復」がかけてあるのだった。
 当時、まだオリックスに在籍していたイチロー選手も「頑張れ神戸」と縫いこんだユニフォームを着て、この年のプロ野球で活躍した。あれから神戸は、見事に復旧した。だが復興を果たしたか、というと、必ずしもそうではないようだ。16年経っても家族や大事な人を失った人々の心の傷は根深いと聞いた。外見上、「顔晴」に見えても「心晴」とまではいかないのは無理もない。東日本大震災で被災した人々が「顔晴」になるまでには長い時間を要するだろう。ましてや「心晴」になれる道のりは、もっともっと遠い。私たちに出来るサポートは、こうした人々の物心両面の痛みをいつまでも共有することではないかと思う。
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