映画「南京!南京!」を観て思ったこと  宇治敏彦

 中国の南京という都市には、いろいろな思い出がある。日中正常化が実現して6年後の1978年11月、中国人のものの考え方を取材しようとカメラマンの栗原武宣氏と2人で約3週間、中国各地を訪れた。出発前に当時の名古屋市長・本山政雄氏から南京市革命委員会主任(南京市長)の儲江氏にあてた「友好都市提携」に関する書簡を預かっていった。当時は日中友好ムードが全国的に盛り上がり、友好都市を結ぶ動きが活発化していた。南京で周伯藩副主任と会見し、本山市長の書簡を手渡すと同時に名古屋に対する南京市の印象などを聞いてみた。周副主任は南京市長が年内に名古屋市を訪問して正式に友好都市提携をしたいと述べるとともに、交換する記念動植物に南京としては「おしどり」「水杉」などを考えていることを明らかにした。このニュースは翌日の中日新聞に1面トップで扱われ、私は図らずも両市の提携にいささかのお手伝いをすることができた。
 また画家の亜明氏など南京の著名な芸術家と懇談の機会をもったが、その席で女流書家の蕭嫺さんは私のために「書芸許多情 邦交又一新」(書芸は多情を許す。国の交わりもまた一新された)と半切にしたためてくれた。
 1997年9月、日中正常化25周年を記念して各紙の論説責任者で訪中した際にも南京を訪れた。このときは南京大虐殺記念館を見学したが、ここで大虐殺の被害者が「30万人」という中国側の主張をめぐって息詰まるような場面があった。訪中団の一人が「30万人という数は多すぎるのではないか」と発言したのに対して、記念館の朱成山館長がこう反論したのだ。
 「もし私たち中国人が『原爆は広島や長崎に落ちなかった』とか『原爆の被害者は数万人に過ぎなかった』と言ったら、あなた方はどう反応しますか。一部の日本人が『南京大虐殺はなかった』とか、被害者の数を少なくいうのは、多くの人を殺され、家を焼かれた南京の人々には絶対納得できません」
 朱館長の強い反論を聞きながら、私は思った。「中国がいう30万人という数字に第一義的な意味があるのではない。多くの罪のない中国人を殺し強姦し、家を破壊し物資を強奪した日本軍の行為。その大虐殺は戦争だから、という名目で許されることではない。もとより日本兵をそうした行為に駆り立てた戦争および戦争責任者は許されるはずがない」。
 同年2月中国共産党青年組織の新聞「中国青年報」が初めて実施した対日意識調査(平均25歳の約1万5000人の回答結果)によると「日本と聞いて連想するもの」(複数回答)のトップは「南京大虐殺」(83.9%)で、「日本侵略者と抗日戦争」(81.3%)を上回る高率だった。南京大虐殺記念館が中国の「青少年教育基地」に指定されているとはいえ、いかに南京大虐殺が中国の若者たちに強烈なショックを与えているかを物語る。
 最近、私は中国人の監督・陸川氏がつくった「南京!南京!」という映画を試写会で観た。1937年12月、日本軍が南京を攻略したときの中国民間人に対する虐殺、強姦行為がテーマだが、ドイツ人ジョン・ラーベが委員長として活躍した南京安全区国際委員会のシーンでは、相次ぐ日本兵の横暴行為に同じ日本人として『これがわれわれの誇るべき先祖なのか』『戦争とは何でもありを許容する行為なのか』など重い気持ちでただただ先人たちの残虐行為を直視する以外になかった。唯一、良心的な日本兵が一人登場し、最後には自殺するのが救いといえば救いであった。1937年(昭和12年)7月には廬溝橋事件が発生し、日中戦争が始まった。私が生まれた年でもある。アウシュビッツ収容所でドイツ軍によって約1400万人のユダヤ系市民が虐殺された事件とともに、南京大虐殺は人類の汚点として記録されている。その年に生を得た一日本人として、なすべき使命は何なのか――。
福島原発事故で節電中の猛暑に、南京の9月の暑さも尋常ではなかったことをあらためて思い出しながら、そんなことを考える日々である。
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