花森安治生誕100年と土井藍生さんの思い出  小榑雅章

花森安治戯文集1

花森安治さんが生まれたのは、明治44年(1911年)10月25日です。
だから、今年は生誕100年に当たるというので、いくつかの本が出版されています。
その一つが、「花森安治戯文集1」で、帯には「生誕100年記念出版」と銘打ってあります。この本には、1954年に河出書房から出版された「逆立ちの世の中」を中心に、花森さんが「暮しの手帖」以外の「雑誌および新聞に寄稿した文章(コラム、エッセイ、対談、インタビュー)」(本書注)が収められています。
それに加えて、「あとがき」として、一人娘の土井藍生(あおい)さんの「思い出すことなど・父花森安治」という一文が掲載されています。
この藍生さんの「あとがき」が、とてもいい文章で、秀逸です。花森さんは公私を峻別していましたから、暮しの手帖の編集部の花森さんの公の姿とはまったく別の、私の花森安治像が、藍生さんの文章でいきいきと現出されています。
病気がちの小学生だった藍生さんのために、花森さんは童話を読んで聞かせてくれたというのです。そして「はい、今日はここまで。いい子にして寝ていたら、明日続きをよんであげる」と出かけて行ったそうです。
編集部では仕事第一、親が死んでも仕事優先、と常々言われてきました。
私は、自分の娘が生まれる、というその日も、もちろん編集部の仕事をしていました。でも気になって仕方がない。花森さんに言えば、もしかしたら帰っていいよ、と言ってくれるかもしれない、と淡い期待をもって勇を鼓して話すと、「そうか」と言ったきりでした。その花森さんが、若かりし頃には、こんな普通の父親役をこなしていたなんて驚きです。
晩年になって、男の子の孫が出来たあとの花森さんについて、藍生さんはこんな風に書いています。
「子どもは何でも欲しがるもの、それを我慢させるのが親の役目だと、私には偉そうに申しておきながら、孫息子の望はすべて叶えておりました。/朝食の席でメロンが話題になったとき、メロンは好きかと聞かれた息子が『しばらく食べてないから分からない』と答えました。その晩、父が箱入りのメロンを抱えて帰ってきたことは言うまでもありません」…「息子は希望するものを次々と持って帰ってくる父のことを『おじいちゃんはデパートにお勤めしているのでしょう』と申して、私たちが否定しても信じがたい様子でした」…
こういう花森さんの姿を知ることが、私などにとってはどれほどうれしいことかわかりません。偉くて遠かった花森さんがずっと近くにまで寄ってきて下さった感じです。
いまこういうことが書けるのは藍生さんしかいません。藍生さんにありがとうと言いたいです。
ところで、肝心の「逆立ちの世の中」です。
正直に言うと、この「逆立ちの世の中」を読みながら、すごく違和感を感じて、なかなか読み進めませんでした。読むのがしんどいのです。不肖の弟子が、大師匠の文章にしんどいとは何事か、と叱責されるでしょう。
でもしんどいのです。
なぜかと考えました。
私が花森さんから「文章はこう書け」と教えられたこととは、違う文章だと思えて仕方がないからです。花森さんから、無駄だ、冗長だ、と赤ペンで削られたような文章が、たくさんあるように思えるのです。
お前、そんな畏れ多いことを言える身分か、と自分でも思います。
でも暮しの手帖に書かれた花森さんの文章は、言葉を選び抜いた、もっととぎすまされた文章です。
それが、とことん突き詰められたのが、「一銭五厘の旗」のような短い文章を改行してつないでいく、詩のような文章になる、読者に分かってもらおう理解してもらおうと痛切に思うと、こういうかたちの文章になると、花森さんの口から何回も聞きました。
暮しの手帖を武器に、この世の中の暮しを変えるんだ、とずっと教えられました。
花森安治という署名入りの原稿も、無署名の原稿も、原稿料をもらうためではなく、暮しを守り、世の中を変えるための文章でした。
私は、そう教えられてきました。
だから、同じ花森安治の文章でも、「逆立ちの世の中」と暮しの手帖の文章とは違うと感じました。
念のために言いますが、内容のことではありません。あくまで文章のことです。
*花森安治戯文集1 LLPブックエンド発行 2500円+税

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