花森さんの絶筆「人間の手について」 その1 小榑雅章

人間の手について 小

いまは違うでしょうが、私たちの時代は、原稿を書くのは鉛筆でした。
書き始める前に、Bか2Bの鉛筆を何本か、肥後守というナイフできれいに削りながら、どんな書き出しにしようか考えていました。
鉛筆の削り方にもやり方があって、六角形の角を削り上げるのではなく、平らな面を切り口をそろえるように削るのです。
その削り方について、花森さんは、じぶんの小学生時代を思い出して、こう書いています。
「ぼくたちは削った面が六つになるように、そしてその面と面が、ぴちっと一直線になるように、削ろうとしました」「まず、六つの面を、ほぼおなじ大きさに削るには、一つの面を一度削り始めたら芯のところまで、ナイフをとめてはいけない。一気に削ってしまう。そして、つぎの面もおなじように、一気にさきまで削ってしまう。そして六つの面ができ上がったときに、どの面もおなじ大きさで、削り口が、ほぼおなじ位置から出発していて、どの面も、ピカピカと光っている、そういうふうに削りたかったのです」
この文章は、暮しの手帖2世紀52号に掲載されている「人間の手について」という署名記事の中にあります。この「人間の手について」は、先にあげた「花森さんの辞世のことば」の三日後、亡くなられる前日の1月13日に書き上げられた花森さんの絶筆です。
この企画の担当も私でした。編集会議に出した私の「子どもに肥後守を使わせよう」という企画が採用されたからでした。「これには言いたいことがある、原稿はぼくが書こう」と花森さんは言いました。
当時、怪我をすると危ないから子どもにナイフをもたせるな、という声が大きくなり、非行の原因にもなりかねないという警察の意見にも後押しされて、学校や子どもたちの身辺からナイフの姿が消えようとしていました。鉛筆を削るのも、手回しや電動の鉛筆削りがどんどん普及してきていました。当時の日本には約2万4700校の小学校があるということでしたが、私たちは、北は北海道から南は沖縄まで、地域を分散させて13校を選び、それぞれの小学校にはどんな備品がどのくらいあるのかを調べたところ、この一三校のうち一二校までが、教室に鉛筆削りを常備していることが分りました。
暮しの手帖52号のほかの頁はすべて出来上がっていて、最後の編集が、この企画でした。発行日が迫り、締め切りもぎりぎりでした。
花森さんは、ふつうは万年筆で原稿を書きます。1字1字ていねいに書きます。しかし、急ぐときや長い原稿は、口述することも少なくありません。この原稿も口述でした。
花森さんは疲れていました。疲労困憊でした。ほんとうに気力をふりしぼって、口述を始めました。そして、暮しの手帖8頁分、400字詰の原稿用紙で40枚ちかい分量の原稿を仕上げました。
これもいまでは考えられないことですが、原稿を印刷屋に持って行き、1字1字活字を拾って版を組んでもらい、ためし刷りをして、それをもとに割付をし、カットや見出しを入れ、その間、何回も印刷屋と往復をして、やっと校了にたどり着くのです。
その割付も、校正も取材も下調べも、みんな私のチームの役割でした。何日も徹夜に近いような日が続いていて、みんなも疲れていました。
夜10時を過ぎたころ、すべての作業が終わりに近づいて、いよいよ校了です。
ところが、完璧にぴったり割り付けたつもりの最後の行が、1行たりません。
ふつうはどの頁も、最後の行までびっしりと活字が埋まっています。そのように工夫をして割り付けるように、花森さんから厳しくしつけられていました。だから、改行をしたり書き足したりして不足の行を埋めてしまいます。例外はありません。
しかし、これは花森さんの原稿なので勝手に改行したり書き足したりは出来ません。
花森さんはスタジオの隅の椅子に腰掛けて、目をつぶっていました。誰の目にも疲れ切っているのがわかります。私は意を決して「1行たりません」と言いに行きました。
薄目をあけて、しばらくの間があり、「そのままでいい、余韻だ」と言いました。
「えっ」まったく想像もしていなかったことばです。1行不足などと言うことはあってはならないことだから、「そのままでいい」などという答えはありえないことでした。
そばにいたデスクの大橋芳子さんもおどろいて、私と顔を見合わせました。
「余韻ですか、わかりました」不満げな私のつぶやきにも、花森さんは目をつぶっていました。
だから「人間の手について」の最後の頁、109頁の最後の1行は空白です。
「余韻だ」これが私の聞いた花森さんの最後のことばでした。
花森さんは、この翌日の夜、亡くなられました。
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