友よし、料理よし、仏よし、天気よし、景色よし  宇治敏彦

 早稲田大学附属高等学院に学んで以来50年以上の付き合いになる友達7人で琵琶湖北部を二日間旅した。JR北陸本線・木ノ本駅に近い北国街道沿いに460年以上続く冨田酒造有限会社がある。その当主が高校同級の冨田光彦君で、早大卒業後、伊藤忠に就職したが、途中で郷里に戻り、家業を継ぐかたわら国立滋賀大学や放送大学で教鞭をとった。現在は奥さんと息子さんに経営を任せて、悠々自適の日々。息子さんは減農薬栽培米を使って手作りの銘酒「七本槍」をつくり続けている。冨田君が真っ先に案内してくれたのは余呉湖畔にある「徳山鮓」という料理屋さんだった。ふな鮨を食べたいという学友たちの希望もあってのことだが、小泉武夫東京農大名誉教授(醸造・発酵学、食文化論)が激賞するだけあって、徳山浩明さん(51歳)の料理は見事なものだった。なかでも余呉湖でとれるうなぎの蒲焼、鮎の一夜干し、子持ち鮎の煮付け、熊の雑炊、ふな鮨づくりの飯を使ったアイスクリームなど、いずれも絶品で、自家製の器で供される料理が出てくるたびに古稀を過ぎた男どもがカメラを構えるほど見た目も素晴らしいお料理だった。
 胃も目も満たされて向かったのは賤ヶ岳(しずがたけ)。ここは1583年4月、豊臣秀吉が福島正則、加藤清正ら7人の武将の活躍で織田信長の宿老・柴田勝家を下し、豊臣政権への足がかりつかんだ戦場跡。冨田酒造の「七本槍」という酒名は、ここに由来する。7分ほどリフトに乗り、あとは杖を頼りに標高423メートルの急坂を登るのだが、北に余呉湖、南に琵琶湖を一望できる景勝地で、「こんな景色の良い所で戦争していたのか」との声が上がる。私はかつて訪ねた中国・旅順の光景を思い出していた。乃木将軍が攻めあぐねた203高地から見た旅順港もまさに賤ヶ岳のように四方に眺望が展開する景勝地だった。賤ヶ岳の上で熟女たちの一団と行き会う。「あら、珍しい男性のご一行?」「高校の同期仲間なんですよ」「あら、私たちと同じじゃん」。いまや女性同士の旅は日常茶飯だが、男性同士の旅は珍しがられるのだろうか。リフトの乗り場近くに加藤清正ら7人の武将の名前を染めこんだ幟が立っていたので我々7人の学友は七本槍気取りで、それぞれの幟の前に立ち記念写真におさまった。
 同夜は菅浦の国民宿舎つづらお荘に泊まり、「七本槍」の冷酒を飲みながら、これまた食べきれない馳走の宴となった。先生や学友のこと、仕事のこと、趣味のこと、健康のことなど話は尽きないが、昔ほど「時間も忘れて」ということがなくなったのは、やはり年をとったということか。
 翌朝も好天で、7人は船をチャーターして竹生島に渡った。ここは夜間、無人島になると聞いた。島内には弁財天もあり、厳島、江ノ島と並んで三大弁財天とか。波止場でスイスから来たという一人の青年に会った。チューリヒの美術館に勤める男性で、日本が大好きでレンタカーを借りて各地を回り、これから福井県小浜に行くのだといっていた。下船後は奥琵琶湖パークウエイを経て観音と薬師の里といわれる古橋周辺に向かい己高庵(ここうあん)で近江牛のしゃぶしゃぶを食した。これもなかなかいける。近くに己高閣、世代閣という二つの文化財収蔵庫があって十一面観音や薬師如来など多くの仏像が展示されている。新潮社のカメラマンをしていた学友の鈴木忠雄君は「こんな間近で仏像を自由に見られるなんて」と喜んでいた。織田信長の社寺焼き討ちは、この近辺の寺にも及んだが、多くの仏像が残っているのは、村人たちが急ぎかくまったからだという。周辺は紅葉の名所として知られるが、同時に石田三成が幼少時に修業した法華寺跡や、関ヶ原の合戦で敗れた三成がかくまわれていたオトチの洞穴がある。地元の人が三成に関してこんな秘話を聞かせてくれた。一般には三成が村民に難儀が及ぶのをはばかり自ら徳川方に捕捉され、京三条河原で生涯を閉じたとなっている。だが、地元の人によると、近隣から婿入りした男が徳川方に密告して捕らえられたのだと。そのためこの周辺では密告した村民の村からは一切婿を取らず、長いこと関係を絶ったそうだ。最近では「人道問題になるので“密告”云々は言わないことにしている」とのことだ。石田三成、明智光秀、吉良上野介など歴史上、とかく評判の悪い人物も地元では名君のように尊敬されているケースがある。実際はどうであったのだろうか?
 ここから北陸本線・高月駅に近い渡岸寺(どうがんじ)に足を伸ばして国宝の十一面観音を拝観した。この名仏を見るのは2度目だが、顔立ちの端麗さ、肢体のしなやかさなどは見るたびに感動する。奈良・秋篠寺の伎芸天を想起させる肢体だが、全体のバランスが取れている仏像としては渡岸寺の十一面観音が飛びぬけている。冨田君のお嬢さん・綾子さんは冨田酒造のPR文の中で「祖父も悩みがあるときは渡岸寺の観音様の前に座るとすうーっと気持ちが落ち着いていくと申しておりました」と書いている。
 旅の最後は、その冨田酒造にお邪魔して奥様から製造酒の説明をうかがいながら学友たちで利き酒をした。搾りたての新酒ということであったが、その酷のあるところが皆気に入った。京都へ足を伸ばす者、東京へ戻る者。二手に分かれて木ノ本駅に来た時は利き酒を重ねて赤くなった男たちの顔が夜の闇ですっかり隠されていた。「友よし、料理よし、仏よし、天気よし、景色よし」の旅を締めくくるように改札口で冨田君が手を振っていた。
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