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花森さんの絶筆「人間の手について」 その2  小榑雅章


「人間の手について」は、「東京に誠之小学校という、古い小学校があります」という書き出しで始まります。このあと、この小学校の説明などして、「この学校は、どんな道具を持っているか簡単に書いてみましょう」とつながり、さらにその数行後から次のように始まります。
「この学校には、ピアノが五台あります。
ふつうのオルガンが一一台あります。そして、音楽教室には、一人が一台は使えるように、四五台のデスクオルガンがあります。デスクオルガンというのは、机のフタをあけたら、鍵盤があらわれてオルガンになる、フタを閉めたら、ふつうの机として使えるというものです。
テレビは、各教室に一台ずつ、白黒ですが三三台あります。それからカラーは、視聴覚教室に二台あります。オーバーヘッドプロジェクターは、一二、三台あるはずです。各教室には、電動の鉛筆削り器が一台ずつそなえつけられています。そのほかドッジボールが百コ以上、サッカー用のボールが四〇コあります」
こういう学校の道具の説明が、誠之小学校につづいて、全国から選んだほかの12校についても順番にていねいに書かれています。この延々とした道具の羅列が、いったいどういう意味を持つのか、花森さんなら、きっとするどい見事な展開があるのだろうと、読者は期待を持って、少し退屈でもがまんして読み進めてくれたと思います。
今回、あらためて何度もこの「人間の手について」を読み返してみて、切なくてつらくなりました。花森さんはどんなに苦しかったのだろう、こんな原稿は書きたくないと放りだしたかったのだろう、と思いました。
まことに不遜なことですが、あえて言っておきたいのです。「人間の手について」は花森安治の原稿としたら、どんなに贔屓目に見ても、出来のよい原稿とは言えないです。それが絶筆になるなんて、花森さんにとってもまことに不本意なことだったでしょう。
そんな不本意な原稿にしてしまった責任の大半は、私にあります。原因は明確です。貧弱な取材で、内容を充実させる材料がほとんどなかったからです。この取材も材料集めも私の責任でした。「人間の手について」は8頁にわたって展開していますが、じっさいは花森さんが頭の中からしぼり出し、ふくらませてやっと8頁を埋めたのでした。このことはどんなに大変だったことだろうと思うと、いまさらながら申し訳ない気持ちでいっぱいです。
花森さんは暮しの手帖の主宰者です。編集長であると同時に経営者です。定期刊行物であり、どんなことがあっても締め切りは守らなければならない。からだを極限まで酷使し、疲れきっている。
こんなとき、ふつうのひとなら他の人間に書かせるか、適当な予備の原稿で埋めるかするでしょう。でも花森安治という人は、そういうことはしないのです。
時間がもう少しあれば、「こんないい加減な取材でまともな原稿が書けると思ってるのか、やり直しだ」と怒鳴られるところですが、その時間もありませんでした。
無理してでも、粗末な素材を引き伸ばしふくらませて8頁を埋めなければならなかったのでした。
でもなぜ署名原稿にしたのかと思ってしまいます。署名原稿でなくてもよかったのではないかと思うのです。じつは、暮しの手帖の記事の中には、無記名ですが花森さんの原稿が少なくないのです。しかし、切迫していました。とにかく1分でも早く仕上げなければなりませんでした。
にもかかわらず、記事をふくらませる材料に乏しいとなれば、花森さん自身の個人的思い出や個人の意見(それは以下に述べるように傾聴すべきものですが)を何度もくりかえし盛り込まなければなりませんでした。
               *
「人間の手について」で花森さんが言い残しておきたいことはどんなことだったのか。花森さんの原稿を抜粋するなんてとんでもないことですが、あえて一部を抜き出します。
「鉛筆は書けたらいいので、どんなふうに削ろうと、勉強には関係がないはずだとおっしゃるかたも、けっして少なくないとおもっています。
だからこそ、それをいわなければならないのです。そんなふうにおっしゃるかたの<勉強>とはいったいなんでしょうか。ぼくがいま、くどくどと、いかにしてナイフで一本の鉛筆を削るか、についていってきた、それも大きな<勉強>なのです。それは人間の手の勉強です。あるいは、人間の手の勉強をとおして、こころの勉強だと思うからです。・・・」
「小学校や中学校の義務教育で、必要なのは、いわゆる読み書き算盤はもちろんですが、こういった人間の手を、大切に育て上げる教育ではないでしょうか。
ナイフが使えない不器用な手、ひもが結べない手、紙の枚数が数えられない手、箸がきちんと持てない手、いまの世の中は、どれだけ人間の手を、圧殺しようとしていることでしょう。・・・」
「人間の手のわざを、封じないようにしたいというのは、つまりは、人間の持っているいろんな感覚を、マヒさせてしまわないように、ひいては、自分の身のまわり、人と人とのつながり、世の中のこと、そういったことにも、なにが美しいのか、なにがみにくいのか、という美意識をつちかっていくことなのです・・・」
「人間の手わざは、みんな自分でなにかを作り出す喜びというものに、つながっています。ところが、いくらよくできた鉛筆削り器でも、それを使って鉛筆を削ったとき、なにかを作り出したというよろこびがあるでしょうか」
              



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