「利を見て義を思う」。三重野さんからの手紙  宇治敏彦

 「平成の鬼平」といわれた元日銀総裁の三重野康さんがなくなった。88歳。金融・証券スキャンダルが多発した1991年、新聞社で経済部長をしていた筆者は「銀行の原点とは」(金融不祥事への直言)というテーマで主要な銀行家にインタビューした。トップバッターとして登場してもらったのが三重野日銀総裁だった。バブル退治のために3度も公定歩合を上げたことで「平成の鬼平」と呼ばれた。その一方では地価、株価の暴落後も金融緩和が遅れたため「失われた10年」を生み出すきっかけになったと政界などから批判されるなど、三重野さんの功罪は相半ばしている。
 インタビューで「金融不祥事を防止するには、どうしたらいいと思いますか」と質問すると、総裁は自ら鉛筆で書いた一枚のメモを差し出した(そのメモは私の今も手元にある)。
「『見利思義』」。利を見て義を思う(論語)」と書いてあった。
「資本主義だから企業が利益を追求するのは当然だが、その過程が人間として取るべき筋道である“義”にかなっていないといけない。論語のこの言葉を良くかみしめて基本に立ちかえってほしい」と三重野さんは言った。
三重野総裁は1994年12月に退任したが、ある会合で在任中を回顧して「鬼平も最近は十手を取り上げられ、かなり金融緩和に動いた」と述べた。私は翌年、東京新聞、中日新聞に持っていた「まつりごと異見」というコラムでこの発言を取り上げて「鬼平には鬼平らしさをまっとうしてほしかった」と書いた。すると三重野さんから長い手紙が届いた。
「貴兄のエッセイ拝読。なかなか薬味の利いた文章と思いましたが、長年の友人である大兄でも若干の誤解があるのではないかと思い、筆をとりました」という書き出しで①私の金融政策は中央銀行の使命である物価の安定と金融システムの安定のために一貫してきたつもりです②「物価の安定」とは物価指数の安定ではなく、指数の背後にある経済がバブルの後始末をきちんとつけ、インフレのないバランスのとれた長続きする成長が実現してはじめて真の物価安定を得たと考えます③東京の2信組の処理は中央銀行総裁として正しい選択だったと思っています。ただ2信組はひどいもので、ここまで放置した責任はきびしく問われるべきでしょう(信組には日銀の監督権限は全くありません)。また、この信組を食い物にした人がおれば、それは糾弾されるべきでしょう。しかし、ここまできた以上、ペイオフか、今回の措置しかなく、モラルハザードの問題は大きいにしても、それを考え抜いた上での結論です④情緒論と政治的問題とがごっちゃになって議論されているのは残念です―といったことが書いてありました
「私は今は名誉顧問室に退いて、間違ったことにいちいち反論はしていません。それは現役の任務です。しかし大兄は旧知の人でもあり事実を知っていただきたいと思いまして筆をとりました」と結んであった。
日銀総裁の任期は5年間である。衆院議員の任期4年より1年長くしてあるのは、政治からの独立性を保つためだと聞いたことがある。ナショナルバンクの総裁として独立性を堅持しつつ「物価の安定」と「金融システムの安定」の両面に目配りしてきたとのプライドと自負心を見せ付けた三重野さんの手紙だった。それは何度もご一緒した斗酒なお辞せずの豪快な酒飲みの顔とは違ったバンカーの顔そのものだった。
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