安保闘争と「依ってきたる所以」そして花森安治 小榑雅章

いまから52年前、1960年5月、6月の日本は騒然としていた。
国論を二分する日米安全保障条約改定の新条約案が、5月19日に衆議院の特別委員会で、警察官の力を借りて強行採決された。翌20日には衆議院を通過したが、これには与党自民党の中からも強い反対の声が上がり、石橋湛山や河野一郎、三木武夫などが欠席や棄権をした。
アメリカのアイゼンハワー大統領が6月19日に来日する予定なので、それまでに新条約を承認しておきたいためのきわめて強引な強行採決だった。
市民の間でも、在日米軍とその基地の固定化正当化を意図する新安保条約に反対の世論は強く、くりかえし反対デモが行われていたが、この強行採決は「民主主義を破壊するものだ」と、さらに激しい反対運動が連日繰り広げられた。何事にもことなかれ、長いものには巻かれろ主義の日本人にはきわめて稀な、多くの国民をまきこんだ激しい闘争行動であった。
そして、6月15日夕刻、「国会請願デモに押し掛けた全学連主流派約七千人は衆議院南通用門に殺到、門にツナをかけてこじあけるなど再三国会構内へ突入をはかり、これを阻止する警官と乱闘した。」…「午後五時廿分ごろ参院第二通用門を埋めていた全学連主流、同反主流と国民会議神奈川県代表などのデモ隊に維新行動隊のノボリをたてた右翼の車が突っこみ、大乱闘となった。この二つの乱闘事件で、十六日午前零分半現在東京消防庁の調べによると、東大文科四年生、樺美智子さん(二二)が死亡、病院で手当てをうけた重軽傷者四百八十一人、このほか多数の負傷者があるみこみである。(6月16日朝日新聞朝刊1面)
この日の反対行動は東京の国会周辺だけでなく、全国で行われていた。
「警察庁の調べによると、全国の状況はつぎの通り。生産点の職場大会とストは全国の一万百九カ所で行なわれ、六十四万九千人がこれに参加した。また集会は五百十八カ所、四十四万七千人。デモ五百カ所、四十一万三千人が各所で行なわれたが、東京を除いては比較的平穏だった。」(同紙同頁)
この結果、アイゼンハワー大統領の来日は中止になった。
7社共同宣言
問題は、6月17日付の朝刊各紙に掲載された7社共同宣言である。
「暴力を排し、議会主義を守れ」と大書した共同宣言は「六月十五日夜の国会内外における流血事件は、その事の依ってきたる所以は別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。われわれは、日本の将来に対して、今日ほど、深い憂慮をもつことはない。/民主主義は言論を以て争われるべきものである。その理由のいかんを問わず、またいかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許されるべきではない。…」と続く。そして最後に「ここにわれわれは、政府与党と野党が、国民の熱望に応え、議会主義を守るという一点に一致し、今日国民が抱く常ならざる憂慮を除き去ることを心から訴えるものである。」と結ぶ。
とにかく暴力はよくない。なんでもいいから、とにかく暴力はやめて議会にもどれ、議会主義を守れ、というのである。
もっともらしい言説だ。
この共同宣言をみて、花森安治さんは怒った。
「新聞は、相撲の行司ではない。新聞はジャーナリズムだ。その新聞が<その事の依ってきたる所以は別として>とは何ごとか。<依ってきたる所以>こそ、ジャーナリストにとって最も重要なことで、新聞の追求すべき最大の使命ではないか。それを<別として>、何をしようというのか」
花森さんは、大声でどなるかと思ったが、むしろ静かにつぶやくように、怒りを吐き出していた。
連日の安保闘争の報道に、暮しの手帖の編集部もおちおちしておられず、みな夜も寝不足になっていた。
花森さんに「デモに行きたい」と私が申し出ると、「君は暮しの手帖の編集者だ、馬鹿なことを言うな、いまは仕事に専念しろ、もし、本当に必要だという事態になったら、デモではなくて、暮しの手帖の誌面で闘うのだ。その時は、<依ってきたる所以>を初めから終わりまで全頁全誌面をさいて検証し、自分たちの主張をして闘うのだ」
それを聞いて、からだがカーッと熱くなった。
それから半世紀。新聞の軌跡をみるにつけ、<その事の依ってきたる所以は別として>と宣言したあの時に、新聞はジャーナリズムとしての使命を見失ったのではないか、という気がしてならない。


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