代議士と猿の類似性 宇治敏彦

 国際協力機構(JICA)と日本政治総合研究所の依頼で時々、発展途上国の人たちに「民主主義とジャーナリズム」「民主政治と選挙報道」などついて講義している。今年も7月と9月にネパール、アフガニスタン、南部スーダン、ケニア、イエメン、パレスチナの議会関係者や政府要人を対象にレクチャアしたが、こちらが勉強になることも多い。
 私の話すことは、だいたい次のような点が中心だ。
①、 日本で議会(国会)が開設されたのは1890年(明治23年)で、当時、新聞記者は議場内の取材が出来なかった。そこで記者団が団結して直接取材の要求運動を起こして国会内での取材が許されたのが記者クラブ制度の始まりだった。しかし、記者クラブ制度が欧米からとかく批判されるように、太平洋戦争中は軍部の「大本営発表」を鵜呑みにして日本軍の勝利を過大報道するなど戦争遂行に協力する過ちを犯した。その反省として戦後は「言論の自由」などを保障した新憲法のもとで新聞倫理綱領をつくり、国民の「知る権利」に応える真実の報道に努力してきた。
②、 日本における選挙権は1890年当時、税金を15円以上納める25歳以上の男性に限られていた。1925年に普通選挙法が成立し、納税条項は撤廃され、25歳以上の男性全員に選挙権が付与された。しかし女性にも選挙権が付与されたのは日本の敗戦後のことで、1945年に20歳以上の男女全員が選挙権を得た。
③、 この間、政党政治が停滞するにつれて軍部が権力を強め、中堅若手軍人によるテロも続発した。特に1940年に民政党の斉藤隆夫代議士が「反軍演説」をしたところ軍部が猛反発し、各政党も抵抗できず、斉藤は議員を除名された。この年、各政党はこぞって解党し、一国一党ともいうべき「大政翼賛会」が結成された。ここから日本敗戦の1945年までが日本の近現代史でも暗黒の時代だった。そういうことが再来しないように日本の政党政治は健全性を維持しなければならない。
 そういう話をする中で「議員たちは国政を考えるより、自分の次の当選を最優先に考えがちだ」と述べ、大野伴睦元自民党副総裁の名言「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちれば只の人」を紹介する。9月のレクチャアでもそういったら、イエメン議会の広報・メディア部門長のムタハール氏がすかさず言った。「イエメンには『代議士は選挙に落ちれば猿になる』という言葉があります」。猿のように騒ぎ出すということだろうか。大伴旅人の歌(万葉集巻3の344)に「あな醜く賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似る」(なんとも醜いことよ、利口ぶって酒飲まない人をよく見ると猿に似ているな)とある。猿は愛嬌や可愛さもあるが、軽蔑の目で見られがちだ。猿にならないよう日本の議員にも頑張ってもらいたいが、最近の国会議員たちの怠慢ぶりを目にすると、落選しなくとも既に猿になっているのではないかと危惧したくなる。
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