物語詩「男と女の交響曲」④完   宇治敏彦

 (この物語詩は前掲の①、②、③から順にお読みください)
 
 「男と女の交響曲」 第4楽章(別れ)
         僕達の間はもうどうにもならないところまで来ていた
         別れるか 結婚するか そのどちらか。

 どうにもならない--------
 南洋のジャングルの中で
 見えない敵と 対峙していた時のように
 前へ進むことも 後ろへ退くことも
 危険このうえない。
 君よ。
 それでも僕達は
 どちらかを選ばなければならないのだ
 彼女は23歳、僕は27歳
 ともに結婚適齢期だから。

 新妻の夜の囁きに始まって
 赤ん坊の泣き声、子どもの病気、買い物
 夫の昇進、親戚付き合い、父兄会。
 夕食の世話と後片付け、カーテンの色、ガス料金、家計簿の赤字。
 ボーナス、総選挙。
 土地の値段が跳ね上がった、洗濯物を干し忘れた
 明日は家中の大掃除をする、隣の赤ん坊が麻疹にかかった。
 背骨が曲がったこと、目尻に皺ができたこと
 髪の毛が抜け始めたこと、二つの乳房が萎んだこと。
 人生が儚くなったこと、といって自殺するわけにもいかないこと。
 --------明日は 私の誕生日。そして銀婚式。
 相手は人民帽の下で白髪になった中国人。

 25年――愛し始めた時もこの女だった
 結婚した時も この女だった
 今も この女であることに変わりない
 クリスマス・イブが 毎年 12月24日にやってくるように。
 「わたしたちには 何度も別れる機会があったはずじゃ
 一枚の離婚届け用紙と印鑑さえ 手元にあれば」

 正札を沢山つけた女ほど男を迷わせる
 公園の夜の帷のなかで
 政治家の仮面を一枚一枚はぐように
 女がつけた正札のひとつひとつを はがし始めると
 はじめは躊躇い やがて 緩やかに
蛇のように 自分から まといついて
女は僕を 受け入れた。

結婚を拒みもせず
決着をつけることも できないまま
求婚者たちは 女の家を食いつぶし(注14)
いまに僕を絞め殺してしまうだろう
その前に僕は ガスの検針屋を装って
女のつけた正札がひとつひとつ
適正価格かどうかを 見極めなければならない。

女は翌朝 僕の会社へ電話をかけてきた
「きのう あなたのベッドに 私のヘアピンを落とさなかったかしら
それとも わたしの大事な髪の毛を」
その夜 小心な僕は
帰宅すると なによりも先に 寝室に駆け込み
そっと 掛け布団をはいでみる
髪の毛一本さえ 少しの風で飛ばされないように。
気まぐれな気休めの神が 僕を安心させようと
ピンも毛も どこかへ隠してしまったのだろうか
女が訊ねた品物はなく
掛け布団の裏側についた 赤い小さな 一つのシミが
きのうの夜の真実(できごと)を語っていた。

またその翌朝も 事務所に短い電話があった
「ベッドに ヘアピンと髪の毛がなかったかしら」
その夜 再び掛け布団を そーつと はいでみる
前夜の 小さな赤い血は
既に醜く変色し 僕の心を迷わせた
“あれは真(まこと)の愛なのか”

3ヵ月前までの僕たちは――
東西の冷たい対立も知らなければ 局地戦争の前兆にも気づかず
毎日 毎日を 期待と希望の一切れ 一切れで積み重ねていた
ふくよかな胸を包む白い手をはがしとる無頼漢(ならずもの)
最も小さな秘密と 最も大きな夢との交流
しかし今は それさえも
活字と写真と広告とで埋まった一枚の新聞紙の記憶でしかない
『池田首相は週末静養のため 14日午後3時過ぎ 東京・信濃町の私邸を 自動車で出発--------』
『きのう16日は 35度という ことし最高の暑さを記録した。お天気相談所の話によると これは中国大陸にあった高気圧が日本海に 張り出してきたためで--------』
『血統書つき雄シェパード(生後3ヵ月ぐらい)をお持ちの方は 適当な値段でお譲りください--------』

半年前に僕たちは――
完全に他人だった。
互いに名前さえ知らず
まして君のなかに どれだけの位置を占めていたか 知るはずもない
僕という存在。
神宮外苑の木立から離れた空き地の真ん中に
スポーツセンターが新しく建ったのを 憶えているだろう
その前に特設スタンドが出来て
国産の戦車や小型ミサイルが
不協和音を残して 2人の目の前を通過していく
兵隊の表情は 一人一人に個性がなくて
腕や足の欠けた人形のように どれもこれも
泥か鉛の塊に過ぎなかった
その中に君の兄さんもいた。

君の家は かつて貴族だった。
君の父上は この間の戦争が終わった時 こう呟いたと 君から聞いた
「わたしは これまで 上の方ばかりに目を注いできたが
これからは 下界のことにも 気をつけなければならない」(注15)
そして君の兄さんは いま
その下界のなかで 働いている
いや これから働こうとしている
泥と鉛の兵隊として
平和と記憶の破壊者として。

汝の第1の軍隊は富であり
第2の軍隊は愛欲であり
第3の軍隊は嫌悪である
汝の第4の軍隊は疑惑であり
第5の軍隊は恐怖であり
最後の軍隊は 破壊である。(注16)

破壊――
原子爆弾、ミサイル、別れの手紙、離婚届け、バズーカ砲、男の自慰行為(注17)
溜息と戦争の行進のなかで 結ばれた者同士が
結ばれない愛を 嘆き暮らす。

刑務所の赤レンガの 厚い壁の前に立って
なかに 何があるのだろうと 覗き込んだ時
思わず 君は 撥ねのけた
窃盗、傷害、詐欺、強盗、殺人、死体遺棄、贈収賄--------。
逆さまの世界で 働いてきた人々が
僕の叔父や君の兄上と一緒に
荷運び作業をしたり
気の進まないフットボールの球を蹴ったり
アルマイトの皿で食事する。なぜ見たがるの!
君は 撥ねのけた
なぜ 恐れるのだろう。
何を 怖がるのだろう。

僕たちとは
同じ世界の中の 別の部屋の中に
生活している 人達だからか。
入口に立っている看守の顔が
あまりにも 醜い痣で いっぱいだからか。
それとも 教会の塔のように鋭い 鉄門の突端が
2人の胸に突き刺さるのが 恐ろしいからか。

鉄門をこじ開けると 事務所があり
看守の制止を振り切って進むと 雑草だらけの運動場が見え
その片隅で 君の父上と僕の母とが
囚人の魂たちに見守られながら いがみ合っていた
「待ってほしい」と君は再び懇願した
焦らせ 苛立たせる以外に
僕を止まらせる方法がないことを 知っていたから。

怒りに燃えて 今こそ立ち上がった!
この心棒が折れ曲がる前に
2人の車体は快楽に蝕まれ
君は拒絶が意味のない嘆息であったことを打ち明けた。

あの狡猾さ あのだらしなさ あの幇間(たいこもち) あの女々しさ あの2枚舌。
それらを自分の美徳と心得ている求婚者たち
わずかに 流れる良心の涙も
カラーテレビ用の強いライトを浴びれば
ドーラン化粧のうえで すぐに乾ききってしまおう。
ただ一人 酒杯を酌み交わそうではないか
酒場やバーやキャバレーで
君達と酒を飲み ダンスを踊ることは
美酒を毒杯に変え
美女を狂犬に変え
甘夢を自殺に変え
結婚式を墓場に変えてみせるから。

怒りに燃えて 再び立ち上がろう!
狡猾と羞恥が
死刑台への階段を 消防夫のように 駆け上がる
破壊の連続が 山彦となって
雄と雌の心の端から端へと 響きわたり
恥らいを押し倒し 喜びのケルンを築く
消防夫の足音が 喜びのケルンを築く。

「わかってほしい」
エンゲージリングと結婚届け用紙のために
2人の胸までも
金メッキ指輪の鋳型に はめこみたくないのだ
それ以上の世界を 望むことが出来なくて
20年前の責任を果たせなかったと 非難されたくないから。
「あなたの失敗は 女性の正札(注18)を全部はがしとって
その代わりの保証を与えなかったことよ」
一本の征矢が野武士の頭蓋骨を突き抜けていく。

どうにもならない--------
進むことも 退くことも。
しかし やはり 明日の一番電車で
2人は 北と東に 別れることになるだろう
恋と愛と生活が それぞれ違った次元に棲む生き物で
恋は 同化作用の真似事に過ぎず
愛は 教育勅語から生まれた精神訓
そして生活は 北極の氷上に咲く現実の花であるからに。

さようなら 愛する人(注19)
愛は続いても 恋は終わった
僕らの間から 生活は育たない。
さあ帰っておくれ さあ帰っておくれ
さようなら最も愛する人 さようなら永遠に友達でいられない人
さあ帰っておくれ。
さあ帰っておくれ。
さあ帰っておくれ。


 終章(エピローグ)

STRONG, STRONG AND MORE STRONG!(強く、強く、さらに強く)
太陽と地位と生活が 僕に 心の愛を教え
夜と孤独と戦争が 肉の交わりを教えた
心の愛に満ち足りている時は 肉を求めて彷徨い
欲情を満たしたあとは 清水を求めて彷徨う。
オアシスを経て 死都と死都とを結ぶ
7つコブの駱駝――この動物が見つからないかぎり
男の浮気が続き 女の迷いは絶えない。

若者は 美しいものを愛し
より美しいものが現われれば
前の誓いを打ち破っても 新しい愛に熱中する
しかし 初めの愛が偽りでなかったとすれば
それだけに 既に2つの愛の
混乱と破壊の作業が始まっている
「懐妊と求愛」
「堕胎と接吻」
たとえ それが逆さまの世界であれ。

僕の場合 10代の愛は 美につながり
美は均整と豊饒によって 構成されていた
また20代の場合
恋は常に
叡智の渓谷を 巧みに流れ行く
情欲の筏であった。
                           (完)
                
(注14)ホーマー「オデッセウス」
(注15)ベートーベン書簡集
(注16)ブッダの言葉「スッタニパータ」
(注17)ジェームス・ジョイス「ユリシーズ」
(注18)「女性に正札」伊藤尚志「上から下まで」
(注19)中野重治「雨の品川駅」、T、S、エリオット「荒地」
(詩文中に今日では不適切な表現も含まれていますが、創作時点の意向を尊重して残してあります。ご了解ください)
(1963年7月27日完稿、1966年2月20日改作)
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