芥川賞、直木賞贈賞式で感じたこと  宇治敏彦

 毎年ご案内をいただくので今年も東京會舘で2月22日夜、開かれた芥川賞、直木賞の贈賞式に出席した。特に今年は同窓、同年生まれの黒田夏子さんが「abさんご」で芥川賞を受賞したので、ひとことお祝いと激励を申し上げたいと思った。
 いつも大勢の関係者で一杯になるが、マスコミの一員として興味深いのは、人気の受賞作家ほど編集者たちの長い列ができることである。今年の受賞者は黒田さんのほかに直木賞の朝井リョウ(「何者」で受賞)、安部龍太郎(「等伯」で受賞)の両氏。直木賞選考委員を代表して作家の渡辺淳一の挨拶が会場を沸かせた。23歳と戦後最年少の朝井氏を励ます意味でか「非情な文壇を生き抜くには上品に構えていては駄目だ」と次のように話した。
「編集者も受賞直後は『先生、先生』と寄ってくるが、4、5年すれば誰も来なくなる。そうやって消えていった受賞者がたくさんいる。作家はぎらぎらしていなくては生き残れない。まず家を作りなさい。家をつくるから作家というのだ。女を愛しなさい。私も若い頃、銀座のクラブへいくと、松本清張さんが一角で女を脇にピン札を数えて10万とか渡していた。『ああ、こうやって女を抱くんだな』と思った。また別のバーでは井上靖さんが店のママさんの手を握ったままだった。井上さんが資金を出してつくらせた店だと聞いた。ギラギラしてないと駄目だ」
79歳にしてギラギラしている渡辺氏らしい挨拶と思って聞いていた。その後、懇談になって朝井、安部両氏には長い、長い編集者たちの列が出来た。さて芥川賞の黒田さんは、と見ると、大学の同級生という下重暁子さん(作家、元NHKアナウンサー)と懇談していて編集者たちもほとんど挨拶に来ない。どういうわけだといぶかりながら近寄っていって名刺を出し、「学部は違いますが、私も早稲田で、1937年生まれですから、どうか頑張ってください」と激励した。「私は59年よ」と黒田さんは言う。どうやら早生まれで、卒業が1959年ということらしい。同年だが、河野洋平元衆院議長と同様に早生まれで、卒業は1年先輩ということになる。私が話していても、編集者たちが寄ってこない。どうしてだろうと、また思ってしまった。横書きの「abさんご」はひらがなが多く、確かに読みづらい。
「aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくかと、会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが、きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから、aにもbにもついにむえんだった」
こんな書き出しの長文の詩のような作品だから、芥川賞とはいえ一般受けはしないかもしれない。ましてや渡辺淳一氏がいうギラギラなどとは縁遠い感じだ。出版社の編集者たちにとって今年の芥川賞作家はベストセラーの創造者ではなさそうだ、との直感が黒田さんのところに寄り付かない原因だろう。そう思って、私は「頑張ってくださいよ」と余計応援したくなった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

magazinehaniwa

Author:magazinehaniwa
ブログ雑誌埴輪へようこそ!
埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
連絡先
 magazinehaniwa@yahoo.co.jp

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
FC2カウンター
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR