サム・ジェームソン記者の死を悼む  宇治敏彦

 4月19日朝、国際経営センターの益子秀男社長から「サム・ジェームソンが今朝2時に北里大学病院でなくなった。出血性脳梗塞と肺炎だった」と連絡があった。76歳。米国ペンシルバニア州出身。ノースウエスタン大ジャーナリズム学部で修士課程終了後、シカゴ・トリビューン記者になり、1963年東京支局長、71年ロサンゼルス・タイムズ東京支局長、96年フリーに。この間、外国特派員協会会長、世界平和研究所客員研究員、産経新聞コラムニストなどを務めた。南ドイツ新聞元東京特派員ゲプハルト・ヒルシャーさんとともに戦後日本の取材が半世紀に及ぶ親日派ジャーナリストだった。
 小泉純一郎内閣当時の2006年6月6日、日本記者クラブで「変わった首相のプラス・マイナス」というテーマで講演した。毎年8月15日の終戦記念日における天皇陛下と小泉首相の言葉を比較した資料を配布して「小泉首相のコメントには戦争賛美のニュアンスが感じられる」と論評したのにはジャーナリストとしての鋭い感性を感じた。
 1974年10月22日、外国特派員協会が当時の田中角栄首相を招いたとき、月刊『文藝春秋』での立花隆レポートを取り上げて「田中金脈」問題を最初に追及した記者としても知られている。
彼はまたジョークや駄洒落が得意だった。一部はこのブログ雑誌『埴輪』でも以前紹介したが、読売新聞調査研究本部の客員研究員になったときのことだ。「日本に来て最初にお世話になったのが日経、次が産経。2,3と来たから次は死刑と思ったが、読売にお世話になります」。「歴代首相で名前と違うのは佐藤栄作。佐藤無策でしたよ」。
数年前、白金の彼のマンションに近い「さくらさくら」という京料理店でご馳走になった。お返しに日本記者クラブで会食した際、「次は上野公園の韻松亭で桜を見ながら」と約束したのだが、実現しないうちに逝ってしまった。近く刊行される拙著でも「日米同盟」に関する部分で彼のコメントが登場する。生涯独身で、仲間内では「サムはホモか」と噂になったこともあるが、彼が聞いたら駄洒落をとばすだろう。「ホンモんじゃないよ」。
彼の親友で、これまた大の親日家だったハンス・ベアワルド米UCLA教授は2,010年6月2日になくなっている。いまごろは天国で再会を喜び合い、大平正芳元首相や中曽根康弘元首相ら親しかった政治家たちの思い出話に花を咲かせていると思いたい。
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