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旧社会党の同窓会だった曽我祐次氏の出版記念会  宇治敏彦

 社民党の前身、日本社会党の副書記長などを務めた「影の実力者」、曽我祐次氏(88歳)が「多情仏心わが日本社会党興亡史」(社会評論社)という大著を著し、その出版記念会が5月17日、神田の日本教育会館で開かれた。140人も集まり、会場の雰囲気は1955年体制時代を懐かしむ旧社会党関係者の同窓会という感じだったが、同時に集団的自衛権をはじめ右傾化路線を突っ走る安倍政権に対してブレーキをかけなければ、との決意がみなぎっていた。
 社会党は「二本社会党」と皮肉られたように左右両派のイデオロギー対立が激しかった。その中で曽我氏は一貫して佐々木派(佐々木更三委員長の率いた左派)に属し、中国との交流に力を入れてきた実力者だった。早稲田第2高等学院から早大に進み、在学中の1947年、発足間もない日本社会党に入党。都本部書記長、委員長として活躍した非議員の活動家だった。拙著「実写1955年体制」でも紹介したが、私が曽我氏の舌鋒に接したのは1964年2月の社会党大会だった。構造改革論を展開した右派の実力者、江田三郎氏を攻撃する目的で、江田氏と仲の良かった佐藤昇氏(書記局)執筆の論文「日本共産党の新綱領草案を評す」(党機関紙『社会新報』に掲載)について「佐藤氏は以前、共産党員だった。そういう人物の論文を社会党の機関紙に載せるとは何事か」と執行部を攻撃した。これがきっかけになって佐々木派などの江田批判はエスカレートしていった。
 曽我氏の著書は「美濃部革新都政誕生の裏話(宮本顕治共産党委員長が美濃部氏の女性問題を懸念していた)」「日中国交回復で逃した大役(本来なら中国は社会党を橋渡し役に使うはずなのに、社会党ではソ連に情報が漏れることを懸念して公明党の竹入委員長に橋渡し役を頼んだのではないか)」など曽我氏でなければ語れない裏話がいっぱい詰まっている。
 社会党の功罪については次の5点を列記している。①、平和、人権、生活を守り発展させた②、議会制民主主義を守り、地方自治の発展に寄与した③、イデオロギー過剰で観念論争が多く、政策提案、大衆運動も不足した④、情勢を先取りした政権戦略と政策を持ちえず、保守の壁を破れなかった⑤、現実と斬り結ぶリアルポリティックスの覇者でなければならない。
 本来なら今こそ社会党の出番であるべきだった。出版記念会には社民党の吉田忠智党首も出席していたが、いかんせん少数政党では安倍政権とまともに戦えない。最近は若手の政治学者の間で社会党を再評価し、研究し直す動きが出ていると聞く。社会党の今日的蘇生を一番願っているのは88歳の曽我氏に違いない。
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