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喜寿3人組、快晴の奈良を行く  宇治敏彦

早稲田高等学院時代の同窓生で、ともに喜寿を迎えた小榑雅章(埴輪同人で元暮しの手帳編集部、元ダイエー役員)、松田光敏(明治安田生命OB)両君と一緒に秋の古都・奈良を3日間、旅した。私にとって奈良は14年ぶりだったが、今まで気づかなかったことを発見する貴重な旅でもあった。
 1日目。昼近くにJR奈良駅に降りたった。駅舎は既に近代化し、相輪を持つ旧駅舎は観光案内所として保存されていた。まずは腹ごしらえと、猿沢の池を少し南に下った平宗奈良店で柿の葉ずしと鮎焼きずしを食して、元興寺(がんごうじ)へ向かった。
 万葉歌人・大伴坂上郎女(おおとものさかのえのいらつめ)が、こううたっている。
「故郷(ふるさと)の飛鳥はあれどあをによし平城(なら)の明日香を見らくし好(よ)しも」(奈良遷都によって古郷となった飛鳥もよいけれども、奈良の明日香も素晴らしい)
 この寺は飛鳥にある飛鳥寺の分身といわれ、坂上郎女が歌を詠んだ天平5年(733)には現在の奈良町全域に匹敵するほど大きな領地を持つ南都七大寺の一つだったという。境内には多数の石仏があるが、その前にヒガンバナが一輪咲いており、思わずカメラのシャッターを押した。松田君は長谷寺を総本山とする真言宗豊山派の信徒だが、「元興寺は長谷寺とも関係があるようで」と喜んでいた。
 興福寺では阿修羅像を中心とする八部衆立像、薬師如来仏頭、板彫十二神将などを鑑賞した。版画やペン画を趣味とし仏頭などを版画に彫った筆者として無心になれる時間だった。板彫十二神将前で「宇治君も彫ってみたら」と小榑君が言った。右手を大きくかざし、右足一本で踏ん張りながら怒声をあげる迷企羅大将像(平安時代)は、彫ってみたい一像だ。ついで東大寺、戒壇院と回ったが、大仏殿の賑わいと四天王像がある戒壇院の静寂さは極めて対照的だった。1956年夏、奈良を巡った時の私家本「奈良素描」を帰宅後にひも解いてみたら「東大寺の近くは子供達の世界だ」「(戒壇院)堂内には私の前に一人の拝観者があっただけだ」と書いており、賑わいと静寂という対照的風景は60年近く経っても変わっていない。3人は天極堂で葛きりを食して疲れを癒した。
 2日目。橿原神宮前駅近くでレンタカーを借り、松田君の運転で飛鳥を回った。高松塚壁画館、石舞台、岡寺、万葉文化館、飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、天武・持統天皇陵、橿原神宮など。私にとって大半は再訪だったが、岡寺は初参拝。男の最後の厄年である85歳までは間があるが、日本最初の厄除け霊場として知られる寺なので、3人とも目いっぱいの厄除け祈願をした。本尊の如意輪観音像は高さ4.8mで塑像としては日本最大。日本、インド、中国3国の土で弘法大師が造られたというが、なかなか立派で尊厳があり、長い急坂を登ってきたかいがあった。
 3日目は法隆寺、中宮寺。早大1年生の夏、法隆寺の夏季大学に参加して、法輪寺に4泊した。当時の井上慶覚・法輪寺和上から1948年に落雷で三重塔が消失した経緯をうかがい、和上の「夢」という揮毫を版画に彫って便箋にし寺の販売用に後日、和上にお届けした。塔再建に1ミリぐらいは協力できたかと思う。毎朝、法隆寺まで歩いて通い、大岡実博士らから中門の建築様式などについて講義を受けた。前記の私家本に法隆寺のことをこう書いていた。
 「法隆寺は調和の世界である。松と白砂、飛鳥瓦とエンタシスの柱、築地の土塀と瓦の門、、、。さまざまの調和があちこちに散在する」
 今回は、雲一つないブルーの空と五重塔や金堂が見事に調和していた。あえて快晴の空が画面の大部分を占めるように工夫して法隆寺をカメラに収めた。
 百済観音像を久しぶりに見て、胸に抱えていた謎が解けた気がした。なぜ2mを超す長身で、両脇から見ると身長に比して極端に薄っぺらと見える不均衡な仏像を造ったのだろうか?「木に合わせて像を彫った」。先に仏像のイメージがあったのではなく、初めに木材があって、それに合わせて仏師が彫ったのではないか。以前、読んだある学者(名前を忘れたが)の説明を思い出した。「飛鳥時代の仏像の造り方は今と著しく違っている。山から切ってきた木が長ければ、長い仏に、短ければ短い仏に」。なるほど。夏目漱石の「夢十夜」にこんな一話がある。寺の山門で運慶が仁王を彫っているというので見に行くと、ノミの使いがいかにも無造作でまるで仁王像が木の中に埋まっているのを掘り出しているだけに見えた。そこで自分も家へ帰って薪材を片っ端から掘ってみたが仁王は埋まっていなかったという寓話だ。百済観音を彫った飛鳥時代の仏師は、まさに2メートル以上のクスノキを「掘る」ようにして「彫った」ではないだろうか。
 旧友との楽しい旅は、久しぶりに内省の旅でもあった。2人は昨年、ともに最愛の奥さんをなくしている。奈良の旅は慰霊と祈りの旅だったに違いないが、同時に2人の新たな出発点になってほしいというのが拙友の切なる願いである。
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