出会った人々⑪ 中馬清福氏の死を悼む   宇治敏彦

(この原稿は日本新聞協会に依頼されて11月1日、79歳で死去した中馬清福信濃毎日新聞論説顧問=元朝日新聞専務=の追悼文として同4日付の新聞協会報用に書いたものです。中馬氏のお別れ会は12月1日、信毎主催で長野市内で開催されほかほか同17日、朝日OB主催で東京・日本プレスセンターでも開かれます。埴輪同人の小榑雅章君も「暮しの手帖」編集部時代から中馬氏と親しく、2人揃って深い哀悼の意を表します)
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 新聞界は貴重な人を失った。21世紀にふさわしい新聞倫理綱領をという渡邊恒雄新聞協会長(当時)の提案で1999年秋から7か月かけて新綱領検討小委員会が開催されたが、その責任者が中馬さんだった。小委の一員として参加した筆者の記憶では国民の「知る権利」、販売の拡張合戦、広告の品位などが問題視されていた時で記者行動規範に販売、広告のことまで入れるべきかが大議論になった。
 だが後に「新聞力」を造語した中馬氏は販売、広告も含めてのプレスコードにすべきだと「品位と節度」の一項目も追加した。賢明な判断だった。この時の仕事ぶりが信濃毎日の小坂健介相談役(当時社長)の目にとまり、朝日専務の後、信毎主筆にスカウトされた。朝日の同僚から「都落ち」と冷やかされたと聞くが全国紙、地方紙双方の編集・論説責任者として健筆をふるえたことで、ご本人は充実した新聞人生活を実感していた。特に信毎では毎月2回「考」と題する論評を書き、地元読者と勉強会を開くなど長野に溶け込んでいた。生まれは薩摩ながら、「堅実」「不戦」「護憲」「自立した市民」「権力の抑制」といった中馬精神が信州の風土と合致したのだろう。昨秋、新聞協会の鳥居元吉顧問と共に招かれて無言館や上田城をめぐり長野市内の中馬さんご推奨の店で懇談したことが懐かしい思い出になってしまった。 ともに二十代の駆け出し時代に「伝説の記者」といわれた須田貞一氏(元北海道新聞論説委員)のお宅で新聞論を語り合って以来、半世紀以上の付き合いだった。政治記者、論説主幹、編集担当取締役、国際新聞編集者協会(IPI)理事など共通の場で社の枠を超えたおつきあいをしていただいたことを感謝したい。
 だが入院先に2度お見舞いした時にも話し合ったことだが、「総与党化」「近隣国との悪い関係」「報道規制の動き」といった今日的状況の中で中馬さんの筆は、まだまだ求められていたはずだ。
 今春、論説顧問に退いたのを機にプレスセンタービル8階に小部屋を借り、これから専門の安全保障問題や読み残した本をひも解こうとしていた。小生の部屋と隣近所なので引っ越しの際に「今後は頻繁に会えるね」と喜び合った。だが残念なことに中馬氏がこの部屋に籠る姿を見ることはなかった。6月にもらった手紙に「あまりの没論理ぶりに『これで日本は大丈夫か』との悩みは深くなるばかりです」とあった。
 中馬さん、長いことお疲れさまでした。でも本心を言えば「早く戻っていらっしゃい」です。
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