アニメや漫画の規制についての花森安治の意見 小榑雅章

東京都が、アニメなどに登場する18歳未満の架空の人物の性描写を規制対象にする、青少年健全育成条例の改正案を都議会に提出し、反対・賛成の意見が多くよせられ、問題化している。3月19日に継続審査とすることに決めたようだが、中止になったわけではなく、6月の都議会で可否が決められるという。
漫画家や出版界は絶対反対、言論の自由を守れ、と都庁に押しかけているし、マスコミも、規制の基準があいまいな点を危惧し、言論の自由の観点から、規制には抑制的な論調が目立つ。
このような規制が条例化されようとする背景には、子どもを対象とした過激な漫画・アニメがあふれており、昨年の児童ポルノ事件は全国で前年比約4割増の935件とこれまでで最も多くなっているという実情がある。
こういうアニメやポルノなどの規制について、どう考えるべきか、花森さんが暮しの手帖2世紀3号「番組提供者の責任について」(1969年)で、つぎのように発言している。
すこし長くなるが、引用する。
           ★
(前略)
ある日の夕刊を見ていたら、下のほうに、小さな記事があった。
   警視庁防犯部は四日、先月二十九日から東映系で封切られているアニメーション・ドラマ「浮世絵千一夜」の の六場面がワイセツの疑いがあるとして、東映の畑種治郎興業部長、映倫池田義信常任管理委員らを警視庁へ呼   び、これら場面をカットするよう警告。東映、映倫側では、同日協議した結果、午後九時までに都内で上映されている三十七館のフィルムをカットした。
 これは読売新聞の記事だが、朝日新聞にもやはり、一段の、小さい記事が出ていて、最後に、こういう文章がある。
   大手五社配給の映画で、一般公開のあと警視庁がワイセツの疑いで警告、カットさせたのは初めて。
 これを読んだとき、来たな、とおもった。なんだか、背筋がうすら寒くなってきた。
 この感じは、戦前の検閲というものを知らない人には、わからないかもしれない。
 戦前は、なにを発表するにも、検閲というものがあった。
 外国映画など、ずたずたにカットされて、そのあと継ぎ合せても、さっぱり筋の通らないものになってから公開されたりした。
 検閲にひっかかったのは、そのころの言葉で、一つは<アカ>つまり左翼的思想の盛られているもの、それと<エロ>であった。
 劇場へ行くと、観客席の後のほうに、必ず「臨監席」というのがついていた。
 たいていそこには、制服制帽でサーベルを吊った警官が、むつかしい顔をして、前もって提出された台本と、舞台のやりとりを聞きくらべていた。すこしでも違ったセリフが出ると、チェックするためである。
浅草あたりのレビュー小屋では、踊り子の下ばきが、股下何寸以上ときめられて、「臨監席」から、それを監視していた。
 演説会があると、必ず警官が立会って、すこしでも「不穏な」言葉が出てくると、とたんに立ち上って、大きな声で「弁士注意」と叫び、それでも聞きいれないときは、「弁士中止」と叫んで、それ以上演説をつづけさせなかった。
 雑誌は、いたるところ○○や×××や、ヽヽゝゝの連続であった。
           ★
 警視庁がこんどワイセツだといって、カットさせたのは、それなりに理由があったにちがいない。
 こういうとき、警視庁はけしからんといって責めるのは、たやすいことである。しかし、ほんとうは、そういう口実を警視庁に与えるような映画を作るほうが、責められなければならないのではないか。
 その記事を読んでギョッとしたぼくも、やがて、たびたび警視庁がカットさせる事件が起ってくると、慣れてしまって、ギコッともせず、背筋が寒くもならず、ああまたか、ぐらいになってしまうだろう。
           ★
 話をはじめに戻そう。
このごろのテレビには、ひどい番組がちらちらしている。それに、だんだんみんなが慣れてくる。
 慣れてきたのでは、刺激がなくなるから、もっと露骨な番組が出てくる。
 それにも慣れてくる。番組は、また一だんとすさまじくなる。
 また慣れてくる。
 そのうち、警視庁あたりが割りこんでくる。警告を発する。
 スポンサーと局を呼んで、中止を命ずる。
 きっとそうなる、というつもりはない。しかし、そうならないと、誰がいえるか。
 <言論の自由>というのは、どんな政府にも、ほんとはありがたくないものである。最近のソ聯とチェコをみても、このことはじつにハッキリしている。
 しかし、いきなり言論を圧迫しょうとすると、これは抵抗が多い、ヘタをすると、政府のほうがひっくりかえる。
 そこで悪がしこい政府は、<言論>は後まわしにして、<エロ>に手をつける。そうして、<干渉>に慣れさせる。みんなが慣れてしまえば、言論もたやすくおさえつけられる。
 もちろん、テレビの番組で、はじめてそういうことが起ったとき、世の中は騒然となるだろう。
 言論の自由を圧迫するのか、表現の自由を踏みにじるのかと、唇をふるわせ、テーブルをたたくだろう。
 しかし、それでは手遅れである。
 はじめてのときはショックでも、二度三度と重なってくると例によって、慣れてしまう。
 はじめはいきり立っていても、結局、中止を命ぜられたのではあわないから、はじめから、そういう目にあわないようなものを作ろう、と心がけるようになる。
一度、そんないじけた風が出来てしまうと、ほんとうにこちらが正しくて、はっきり声を大きくしていわなければならないことが起ってきても、それをいう勇気がなくなる。
 平たい言葉でいって「だんだんものがいえなくなる」、そういう時代になりそうな気配があるのに、わざわざ、バカ気た番組を、くる日もくる日も羅列して、政府などにロをださせる絶好の口実をつくっている。
 そんなことが、どうしてわからないのだろうか。
 いつでも、一にぎりのオッチョコチョイのはね上りが、起爆回路を開いてやっている。
 ひと事ではないから、だまって見ていられないのである。(後略)







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