出会った人々⑫ 護憲、リベラル、市民派に賭けた国弘正雄氏の夢  宇治敏彦

 元参院議員というより世間的には英語同時通訳の第一人者として知られた国弘正雄氏(84歳)が11月25日、老衰でなくなった。1969年7月、米国のアポロ11号が初の月面着陸に成功した時のテレビ中継で同時通訳をした。また三木武夫氏(元首相)のブレーンとしても1975年11月のランブイエ・サミット(戦後初の主要国サミット)などで活躍した。1989年の参院選挙で社会党から比例で当選。社会党は当時、野党だったが、1993年に自民党の一党支配体制が崩壊し、社会党を含む非自民8党派の細川連立政権が誕生した。ここで国弘議員は大きな試練に直面した。小選挙区制度の導入を軸とする政治改革法案の審議が参院で山場を迎えたとき、与党でありながら政府案に反対票を投じたのである。この時、社会党で青票(反対票)を投じたのは同氏を含めて17人。
 「小選挙区制になったら市川房枝さんのような人でも落選する。昭和4年に尾崎咢堂も反対を唱えています」と国弘氏は言っていた。社会党は本音では小選挙区制導入に反対だったが、与党という立場で賛成せざるを得なかった。それが間違いだ、と国弘氏は最近まで言っていた。当時、野党だった自民党の河野洋平総裁も今になって「小選挙区制の導入は間違いだった」と反省の弁を語っている。
 「変わりゆく日本、アベノミクスとやら、将来につけを回す経済政策と怪しげな英語の演説で誤解を招き、東条内閣の商工大臣を務めた岸信介氏譲りの戦後レジームの改変に突き進む安倍総理に危惧の念を抱いております」――今年、節分の手紙に国弘氏はこう書いていた。
 2009年、筆者が東銀座の画廊で木版画・万葉集展を開催したとき、足を引きずりながら見にきてくれたが、その時の会話の内容はほとんど麻生内閣(当時)批判と、おとなし過ぎる国民や物わかりのよい大手新聞への不満だった。
 護憲、リベラル、市民派として国弘氏が描いていた理想の政治とは、有権者一人一人が「納税者としての権利と義務」という観点から「高い志」を持った政治家を選び、理想的な代議政治を実現することではなかったかと思う。
 「Vote one’s conscience(良心に従って投票せよ)」。国弘氏が三木元首相から秘書官になってくれないかと頼まれたとき、「私は選挙で一度も自民党に投票したことがないし、今後もないでしょうと要請を断ったら、三木さんが珍しく英語でそう言ったんですよ」と、秘話を明かしてくれた。こうした2人の関係こそが国弘氏が求めた理想の政治像の一端だったのかもしれない。
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