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高倉健、菅原文太の共通点   宇治敏彦

 最近相次いでなくなった昭和の大スター、高倉健、菅原文太のお二人には銀幕以外でお会いしたことはない。だが、こんなところから2人の人間味が伝って来るというエピソードを紹介しておきたいと思って、あえて筆を執った。
 山梨県北杜市にヒュッテ・エミールという小さなオーベルジュがある。JR小海線の甲斐大泉駅から北へ徒歩5分ほどの場所だ。部屋数は3部屋しかないが、高倉健が気に入って、よく一人で泊まりに来るとヒュッテの主人が言っていた。なるほど1階の暖炉がある応接サロンには高倉健の署名入りアルバムや自筆の手紙などが無造作に置かれていた。ここの主人はもともと関西の人だが若い頃、オートバイや自転車で全国旅行をした際、この地が気に入って「将来ここにヒュッテをつくる」と決意したそうで、作家・高橋治の小説にも登場する。2階の部屋からは南に富士山、北に八ヶ岳が望める景色の宿でもある。「健さんは食事の際もほかのお客さんの邪魔にならないよう目立たない格好で一人静かに片隅で食事していました」と主人が言っていた。高倉健から送られてきた礼状は、主人にとって宝物であった。
 一方、菅原文太に惚れていたのは政治家の故伊東正義・元外相。1981年の「日米同盟」騒ぎで外相を辞任した時、「銑次の心境だ」と漏らした。銑次とは当時、NHKTVで放映されていた大河ドラマ「獅子の時代」で菅原文太が演じた会津藩士のことで、根っからの会津人である伊東氏は、反骨の武士・銑次と二重写しの菅原に大いに意気投合した。旧農林官僚の伊東氏が河野一郎農相に睨まれて名古屋営林局長に左遷されたとき愛知、岐阜の部下たちが伊東氏を慕って同氏が没するまで毎年会合を開いていた。そのメンバーの一人に岐阜県高山市国府町に住む木下行雄さん(現在90歳)がいた。木下さんが中日新聞の読者であることから筆者も30年以上お付き合いしているが、菅原文太が1983年、その高山市に2階建ての山荘を建てるのを手伝ったのが木下さんの弟さんだった。菅原文太はこの飛騨・清見村の山荘を足場に無農薬野菜づくりをやっていた。そんなわけで伊東―菅原―伊東の元部下(木下)といった交流関係が長く長く続いた。
 高倉健、菅原文太に共通するのは、このように大俳優ぶらずに一般市民との付き合い、人間関係を大事したことではなかったろうかと私は思っている。
 
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