出会った人々⑬ バランス感覚に優れていた科学者・北沢宏一氏  宇治敏彦

 急性肝不全のため今年9月、71歳でなくなった北沢宏一・東京都市大学長は、ひとことで言えばバランス感覚のとれた科学者だった。東日本大震災時の原発事故では福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の委員長を務めた。それ以前から時々、会食しながら懇談する機会を得たが、東京電力福島第一原発事故から間もなくのこと中国大使館へご一緒した車中で「やはり神風というものはあるのですね」とつぶやいたのが、いまだに耳に残っている。その「神風」のことは発言者の名前は伏せてあるが、以前、この「埴輪」で紹介したことがある。繰り返しになるが、概略を紹介しておく。
 「元寇(蒙古襲来)のときに2度の神風で元が敗退したが、福島でも神風で救われた。一つは放射能漏れ事故当時、冬型の西風が吹いていて海側に放射能が拡散した。もし逆の東から西への風だったら福島県は大被害を受けたでしょう。もう一つは大きな余震がなかったこと。米国からの救援隊が一番心配していたのは4号機のプールに入っていた大量の使用済み核燃料のことでした。強い余震でプールの水がなくなったら大変だ、と憂慮していたが、幸い大きな余震が来なかった」
 北沢氏は、よくfail-safeという言葉を使った。万一の事故でも安全装置が機能する仕組み、という意味だが、福島第一原発でも本来ならfail-safeの役目を果たすはずだった予備電源が機能しなかった。原子力関係の学者が「想定外」と言ったが、自分たちの「想定不足」(勉強不足)というべきだった。「浦島太郎のように竜宮城へいっても無事に帰ってこられる仕組みが原発には必要ですね」。北沢氏はそう漏らした。
 今年3月、福島の事故から満3年にあたり日本記者クラブで北沢氏の総括を聞いた。
 「原発の再稼働が本当に必要だろうか。事故が再び起きるかもしれない。もし起きたら日本は守銭奴の国であったという歴史しか残らない。そういう国家になってもいいのだろうか」
 北沢氏の専門は高温超電導で、超電導技術による日本の発展に期待をかけていた。東大教授、科学技術振興機構理事長などを務めたが、いわゆる「専門バカ」が多い原発関連学者などと違って幅広い知識を備えた科学者だったと思う。ノーベル物理学賞(1949年)の湯川秀樹氏が後年、アインシュタインやオッペンハイマーらから原子爆弾を発明したことの罪悪感を聞かされて「反原爆」運動に専念したように、北沢氏には原発再稼働の危険性などに関して大所高所からのご意見番役をもっと果たしてほしかった。
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