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(出会った人々14)陳舜臣さんからの丁重な手紙  宇治敏彦

 作家の陳舜臣さんが1月21日、90歳でなくなった。陳さんは1924年、台湾出身の貿易商の次男として神戸で生まれ、大阪外語大(現大阪大)に学んだ。一年下に司馬遼太郎がいた。戦後の1948年、台湾で中学校の英語教師をした時期もあるが、神戸に戻って1961年、推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞、作家活動を本格化させた。日中正常化後の1973年、中国の国籍を取ったが、天安門事件(1989年)を批判して1990年には日本国籍を取得した。
 私はお会いしたことはないが、1973年にお聞きしたいことがあって神戸市灘区のご自宅に手紙を出したことがある。1972年9月の日中正常化直前に中国へ取材で出かけたとき胡清和さんという日本語の上手な初老の人が案内役の一人を務めてくれた。田中首相訪中直前だったので、胡さんの住所も聞きださないまま慌ただしく帰国した。一緒にとった記念写真を胡さんに送ってあげたいと思ったが、送り先も職場も分からない。どうしたものかと思っているうちに1年が経った。ある日、週刊誌を見ていたら陳舜臣さんが中国へ取材に出かけた写真が掲載されていた。隣に写っている男性が胡さんによく似ている。Hというイニシャルになっていた。「Hさんは胡清和という人ではありませんか」と陳舜臣さんに手紙を書いた。間もなく、返事が届いた。
 「拝復 お手紙拝誦いたしました。北京から新疆まで私たちに同行して下さったH氏は胡清和氏にまちがいございません。胡氏は廖承志事務所勤務でしたが、国交正常化によって事務所がしだいに縮小され、外交部や対外貿易部などに事務が移行され、現在のところ彼はつぎの職務につくまで待機中のようです。私たちには『華僑旅行社総社』の人という名目でついて来て下さったのですから、宛名は北京市中国華僑旅行社総社業務組で届くと思います。なお胡夫人は北京海淀鎮八一学校 教師 叶(葉)月桃ですから、どちらも『轉交』で行けるはずです。胡氏の口ぶりでは、来年あたり日本へ行くことになりそうだとのこと。私の推測では『中国展』の要員の話があるのではないか、という気がしております。中国旅行から日本に戻ったあと写真ができたら送ろうと思いつつ、まだ胡氏に礼状も出しておりません。コミウリからフィルムがまだ戻っていないのです。なお小生の旅行中にお手紙をいただき、その後、京都でカンヅメになっておりましたので、お返事が大そう遅れました。申訳ございません。おゆるし下さい。敬具 陳舜臣  胡氏とのお写真同封返送申し上げます」
 未知の人間からの問い合わせのこんな親切、丁重なご返事をいただいたのは初めてのことであった。中国の取材旅行から帰国後、京都で缶詰になって作品の執筆に専念していたのであろう。こうした誠実な人間性が陳舜臣さんの小説にもなっていると私は思う。私信だが、あえて公表させていただいた次第だ。陳舜臣先生、お許しください。
 
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