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好きな言葉①「シャッターは指で押すな 心で押せ」  宇治敏彦

 55年前の1960年(昭和35年)春、東京新聞の記者になり、研修期間を終えて赴任した先は群馬県前橋支局だった。当時は「バック便」といって翌日朝刊の「群馬版」用原稿とともに写真ネガや焼き付け写真を同封した大封筒を両毛線の新前橋駅まで毎日夕方までに届けることになっていた。高崎経由の指定車両で上野駅まで運ばれ、そこからオートバイで内幸町の本社デスクに届く仕組みである。今なら写真もカメラで撮ったものを即デスクの手元に転送できるが、アナログ時代の60年代は支局の暗室で写真の現像・焼き付けをしてからバック便にのせる方式が採用されていた。
シャッターは心で押せ
 前橋に旅発つ前に本社カメラマンがいろいろなことを教えてくれたが、今でも心に残る言葉は「シャッターは指で押すな 心で押せ」だった。自分も小学生のころからベビーパールの3×4cm版カメラで風景を撮るのが好きだったから、季節ものの写真がないときなどは支局長から「宇治君、何か撮ってこい」と取材にいかされた。東京新聞には石井幸之助という名カメラマンがいて東京オリンピック(1964年)の写真などは、スポーツ写真というより芸術作品のようだった。特にスポーツ選手の長い影の写真などがいまでも目に焼き付いている。
 1984年、大手町の三井物産人口池で育ったカルガモ親子を追い続けた鍔山英次カメラマンは、7羽の子ガモが母ガモの合図で交通量の激しい内堀通りを列をなして無事に渡り切って皇居のお堀に飛び込むまでを見事に紙面化して話題になった。鍔山先輩はカメラマンたちが母子カモの行進を邪魔しないよう20メートル以上離れようと各社に提案し、道路の横断が始まったら「行け。早く行くんだ」と祈りながらシャッターを押したという。まさに「指」でなく「心」で押したのだ。
 20年前、阪神大震災が起きたとき全国から物見遊山ではないが、カメラ片手に現地を訪れる人たちがいて大火災のあった長田区などでは「撮影お断り」の張り紙を出した。この時、東京新聞カメラマンが撮影し、AP通信を通じて世界に配信された写真は、瓦礫の中にかがみながら一心に祈る一女性の姿だった。倒壊したビルや高速道路の写真もさることながら無心に祈る女性の姿が震災の凄さを読者に訴えたのだった。この時のカメラマンも「心」でシャッターを切ったのだろう。
 「シャッターは指で押すな 心で押せ」。地方で広報研修会の講師に招かれた時には必ず紹介するフレーズの一つだ。しかし私自身に関していえば、これが「心」で押した一枚です、と自負する写真は、まだ撮れていない。
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