出会った人々⑮ ユーモアで首相を支えた鈴木さちさん  宇治敏彦

 海外出張先のミャンマーで鈴木善幸元首相のさち夫人(95歳)がなくなったとの報道に接した。そういえば大平正芳元首相の志げ子夫人が1990年になくなった時も筆者は東欧に出張中だった。さち夫人は「金平糖」というニックネームの大平夫人(島柱次・元NHK会長が大平夫人に付けた愛称で、「すぐ角を出す」という意味)とは対照的で、ユーモアに富み、何時でも、だれにも明るく接する賢婦人だった。俳句をはじめ趣味でも多彩な人で、晩年は緑内障が悪化して失明したにもかかわらず、入院先の病院でも看護婦さんたちに常に冗談を飛ばして人気者だったという。
 まだ鈴木氏が自民党総務会長の時代から毎年正月には大勢の人が東京・世田谷の経堂にある鈴木邸に集まった。「カラカラ亭」と呼ばれていた。善幸さんが愛したジョニ赤の水割りをカラカラと音を立てながら飲むので、何時しかそう呼ばれるようになった。ある年の正月に日経の宏池会担当だったM記者が大学生の息子さんを連れて年賀の挨拶に来た。M氏は身長が150センチ後半で男性としては小柄なのに、彼の息子さんは180センチ近い長身だった。挨拶する親子にさち夫人は、息子さんの方を見て即座に言ったものだ。「あなた、お米を縦に食べて育ったのでしょ」。
 巧まずしてユーモアが出るのは、ご主人の鈴木氏に対しても同じだった。前尾繁三郎氏が宏池会会長になって佐藤栄作首相(自民党総裁)の総裁3選阻止に立ち上がったとき、鈴木氏は選挙参謀だった。東京・芝のプリンスホテルに泊まり込んで指揮を取ったが、惨敗して「佐藤3選」を阻止できなかった。その夜、経堂のカラカラ亭に夜回りすると、間もなく帰宅した善幸さんにさち夫人は、即座にこう言った。「前尾先生も貴方のズボンの皺ほど票がお取りになれればよろしゅうございましたのにね」。思わず善幸さんも苦笑いしたが、これは最大の慰労の言葉だと筆者は思った。実は、この時の総裁選で、前尾氏は本格的に「佐藤打倒」の意思がなく、総裁選直前には鈴木氏らに「打ち方止め」を指示していた。それだけに参謀役の鈴木氏は、苦渋していたのだった。
 政治家にとって家族は、選挙の時、「戦友」のような存在だが、鈴木元首相にとってさち夫人は、常時「戦友」の存在だったと思う。再選確実と言われた中で1982年11月、突然の辞意表明した鈴木首相の心境について、さち夫人は「(自民党内の怨念政治にスットプをかけるため)一緒に滝壺に落ちましょう、という心境でした」と語っていた。
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