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出会った人々⑯ 没後40年、棟方志功   宇治敏彦

 板画家・棟方志功が肝臓がんで1975年9月、72歳で亡くなってから今年で40年になる。随所で彼の板画に接するので、もうそんなに時間が経ったのだろうかと愕然とする。
 日本板画院を主宰していた志功に自作の木版画を見てもらおうと故友・岐部堅二君の助けを借りて「ベートーベンに捧ぐ」と題する90センチ四方の作品を手に、予約もせずに東京・荻窪の志功宅を訪ねたのは、半世紀以上前の1958年のことだった。
 志功は不在だったが、間もなくご本人から「立派な、大きな御作拝見よろこびでした。その後の御仕事とともに何卒にこの會に出品くださる様ねがい上げます」(原文のまま)との葉書が届いた。当時、日本橋にあった白木屋デパートで同年秋に開催する第10回日本板画展への応募を促す内容だった。早速、応募して「ベートーベン」板画は一角に飾られた。それからしばらく志功先生と書面を通じての交流が続き、手元には手刷りの版画葉書も残っている。私の「お宝」の一つである。
 破顔一笑、エネルギッシュな製作力、純粋無垢、無鉄砲でいて計画的、何事にも精一杯、大胆不敵で慈悲深い、天才か狂人か、小人ゆえの大作主義…さまざまに矛盾した側面を持ち合わせながら、決して悪人にはなれない大芸術家であった。あるサイン会の時、日付で「昭和」何年と書くべきところを、いつもの癖か版木に書くように反転した文字になってしまったのにも気づかず、終始ニコニコしていたのが印象的だった。
 棟方志功の芸術論で心に残っているのは、彼が1974年11月、米国ワシントン大学で行った「塵も仏だよ」と題する人生最後の講演である。
茶人・千利休が3人の弟子に庭の掃除を頼んだ。一番若い弟子は一生懸命掃いて道をきれいにした。利休は何も言わず、次の弟子に「じゃあお前が掃除せい」といった。次の弟子はきれいになった庭の石に水をかけた。だが利休は何も言わず、3番目の弟子を呼んだ。その弟子は、庭を見て、そこにある木をゆすった。
「そうしたら木の葉がサラサラと水の上に、石の上に落ちました。『オー、ワンダフル! あなたは一番の弟子です』と、利休はいいました。これは一生懸命掃除しても、きれいにするばかりではだめということですねえ。やっぱりそのきれいな中に、ある趣をつけなくてはだめだということですね。一つぐらい足りないところがほしいということですね。一回掃いたところを、もう一度わざとよごすんですね、葉で」(「グッドバイ棟方志功」1976年、講談社)
そういう目で、志功の作品を見ると、また違った印象を受けるに違いない。没後40年経っても棟方志功は、まだまだ生き続けるだろう。

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