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憲法9条はどのように誕生したのか    小榑雅章

 一月ほど前の6月4日、衆院憲法審査会は憲法学者3氏を参考人として招き、立憲主義などをテーマに意見聴取と質疑を行ないました。この席で、集団的自衛権の行使容認について見解を問われた3氏全員が「憲法違反だ」と明言しました。
 時事通信の記事によると、「招かれたのは早大教授の長谷部恭男氏と笹田栄司氏、慶大名誉教授の小林節氏。長谷部氏は、安倍政権が進める安全保障法制整備について「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないし、法的な安定性を大きく揺るがすものだ」と批判した。
 小林氏も「憲法9条2項で軍隊と交戦権が与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くことは憲法9条違反だ」と強調し、9条改正を訴えた。笹田氏は、従来の憲法解釈に関し「ガラス細工で、ぎりぎりのところで保ってきていた」とした上で、集団的自衛権行使については「違憲だ」と述べた。」
(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201506/2015060400318)
 自民党推薦の長谷部氏をはじめ、3氏全員がそろって「憲法9条違反」と断じたことは、国民の間に大きな衝撃を与えました。この憲法審査会を境に、潮目が大きく変わってきたといいます。
 ところで、この憲法9条がどのような経緯で誕生したのか、ご存知でしょうか。アメリカの押しつけだ、いや日本国民の敗戦の反省から生じたものだ、などいろいろ意見が分かれています。
 同人宇治敏彦は、先にご紹介した新著「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」の中で、「マッカーサー三原則(マッカーサーノート)」と題して、憲法9条の誕生の経緯を詳しく記述しています。重要なことですので、筆者にことわってその記述の全文を下記に転載させていただきます。ぜひご参考にしていただけたらと存じます。
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マッカーサー三原則(マッカーサーノート)

 マッカーサー三原則とは,一九四六年二月三日、マッカーサー元帥が日本国憲法草案に関してコートニー・ホイットニー(Courtney Whitney,1897~1969・陸軍の将官)GHQ民政局長に示した三つの方針、いわゆる「マッカーサー・ノート」のことである。
 第一は天皇制。「天皇は国の元首の地位にあり、皇位は世襲される。職務と権限は憲法に従って行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする」
 第二は戦争放棄。「国権の発動たる戦争は廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争、さらには自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸空海軍を持つ権能は、将来も与えられることなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」
 第三は封建制度の廃止。「日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き一代以上に及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度にならうこと」(大友一郎編「日本国憲法制定経過に関する年表と主要な文書」私家版)
 松本丞治国務相を中心にまとめた日本側の憲法改正要綱に、マッカーサー元帥が「現状維持にすぎない」と強い不満を表明した結果だった。
 二月一三日、ホイットニーは吉田外相と松本国務相を訪ね、松本案は承認できないとして、マッカーサー・ノートに肉付けした11章92条からなる憲法改正案(マッカーサー草案)を日本側に提示した。幣原内閣は、同二六日の閣議でマッカーサー草案に沿って起草することを決め、三月二日には脱稿してGHQに提出している。そして六日、憲法改正草案要綱が日本政府とGHQから同時に発表された。松本国務相らがまとめた日本案は見る影もなかったが、ただ一つ、立法府の一院制については、松本からの強い反対を踏まえてGHQも二院制採用に譲歩した。六月からはじまった芦田均(第四七代総理大臣)を委員長とする憲法改正小委員会の審議では、何回にもわたって修正が行われている。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
ご存じのとおり、これが現行の憲法九条だが、審議の途中で「芦田修正」が加えられている。事実、第二項の「前項の目的を達するため」という文言が芦田の提案で付加された。
 芦田はその経緯について、後年(1957年一二月)、憲法調査会(高柳賢三会長)で「ひとつの含意をもって」提案したと証言した。その含意とは、「自衛のためであれば 陸空海軍その他の戦力を保持できる」と解釈できるようにしたということである。だが、一九九五年に公表された芦田小委員会の秘密議事録には「含意」の意味は記録されていない。したがって吉田首相などは、一九四六年、国会で「自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」と答弁している。「戦力なき軍隊」という吉田の国会答弁は流行語にもなったが、吉田は細川隆元との対談で、「戦力なき軍隊」の真意について次のように説明している。
「実際、日本はそうあるべきだと思うんですよ。今日ね、再軍備しようたって、それは非常な金ですわね。(中略)イギリスだって、イギリスの真ん中にアメリカの航空隊がいるんですしね。ドイツ、フランスはもちろんのこと、一国をもって独立を守るなんてしゃれたことを言ったって、今日はもう時代が違って、それはできない話だと思うんですね。共同防衛といいますかね。コレクティブ・ディフェンスというのが原則であると思うんです。他国の援助を加えて、初めてここに戦力ある軍隊ができるんで、一国だけでイギリスといえども、フランスといえども、あるいはドイツ、アメリカまでも含めて、戦力なき軍隊といったほうが正しくありませんかね。日本ばかしじゃなくて。ですから戦力なき軍隊を持っているからといって、不名誉でも何でもないとあたしは思うんです。時代が違うんですからね」(細川隆元『隆元のわが宰相論』山手書房、一九七八年)

吉田の考えが実によく出ている。要するに、「戦力なき軍隊」論とは自衛隊違憲論をかわすための強弁(詭弁?)と同時に、一国単独主義の安保・防衛政策は時代遅れという外交官的な感覚からくる持論でもあった。
 GHQは、芦田修正に強い関心と懸念を示した。自衛のためとはいえ軍隊が復活し、戦前のように日本政治をコントロールするようになることは危険であると感じたのであろう。軍の責任者が閣僚になることを禁止する、すなわち「文民統制」(シビリアン・コントロール)条項を新憲法に追加するよう日本に迫った。それが現憲法六六条での「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定である。憲法学者の西修駒澤大教授は、「芦田修正は日本側の思惑をはるかに超えて、文民条項の新たな誕生という大きな副産物を生み出した」(読売新聞、一九九五年九月三〇日付朝刊)と評価している。
 こうした経過を経て誕生した日本国憲法(一九四六年一一月三日公布、一九四七年五月三日施行)を、GHQからの「押しつけ」と見るかどうかの議論が長く続いている。また、自民党など保守政党の自主憲法制定論の根拠の一つにもなっている。
「押しつけ」という表現を使ったのは岸信介、松本丞治らで、松本は一九五四年七月、自民党憲法調査会総会に出席して憲法草案作成の経過について口述した。このときの速記録によると、憲法全体についてではなく、第九条に関して「押しつけ」という表現を使っている。
「軍の廃止は最初向こうからこしらえて押しつけ(、、、、)て来たので、これに対してこちらは相当反抗したのでありますが、それをこちらの意思で何か軍の廃止をしたいからと言ったからマッカーサーがそういうことを書いたのだろうと言われるのは、前後まったく転倒している。はなはだしい間違いだと思います」
 第九条の発想は幣原首相の提案ではなく、マッカーサー元帥側からの「押しつけ」だというのだ。日本国憲法の制定経過を調べてみると、松本が中心となって取りまとめた日本案はマッカーサー元帥およびGHQ側から「保守的」としてことごとく退うけられたほか、「戦争の放棄」に関しては、幣原首相がマッカーサー元帥との会談において基本認識で一致した経緯などを十分承知していなかったこともあって、松本の怒りやいら立ちが随所から伝わってくる。そのため、松本は「押しつけ」という表現を使ったのであろう。
 この「押しつけ」かどうかについては、当時、内閣法制局参事官として憲法改正作業にかかわった佐藤功(一九一五~二〇〇六・上智大学名誉教授)成蹊大教授が新聞へのインタビューで次のように語っている。
「確かにGHQが原案をつくり、修正も、全部その承認が必要だった。それをけしからんというなら、戦争をやらなければよかった。しかし、その枠の中で、相当多数の条項が自発的に修正された。それを司令部は承認した。日本側が何もできなかったということではない」(朝日新聞、一九九五年九月三〇日付朝刊)
 手続き的には、マッカーサー草案を受けて幣原内閣がGHQと修正協議を行い、一九四六年三月、憲法改正草案として発表している。そして、同年七月から衆議院、貴族院での約一〇〇日審議を経て成立し、一一月三日に公布された。」したがって、立法手続き上から「押しつけ」と断定するには無理がある。
 問題は、何をもって「押しつけ」と見るかであり、日本側が最初からGHQ案的な内容の草案を提出していたら、松本が指摘するような「押しつけ」はなかったであろう。だが、それほどの大改革という認識は当時の日本側指導者にはまったくなかった、いやできなかったというのが正確なところだろう。新右翼団体「一水会」の鈴木邦男顧問は、安倍晋三首相が示している憲法改正への意欲について「自由のない自主憲法になるよりは、自由のある押し付け憲法の方がいい。形じゃない」(毎日新聞、二〇一四年三月一日付朝刊)とコメントしている。
 筆者は現役記者時代に内閣の憲法調査会(高柳賢三会長)を答申まで取材したが、今でも一番印象に残っているのは、事務局で参事官を務めていた大友一郎が、筆者のインタビューに答えた次の言葉である。
「マッカーサー・ノートなどで示された『戦争放棄』の表現は最終的条文になるまでさまざまに変化しているが、最初は『戦争の放棄(renounce)』ではなく『戦争は廃止する(is Abolished)』と受動形だった。なぜ受動形なのか。私は長く考え続けた。原子爆弾といった人類を破滅に導く新兵器の誕生に伴い、もはや戦争は廃止される時代になった、との時代認識からではないか」
 それは、一九四六年一月二四日の幣原・マッカーサー会談で両者が一致した「戦争放棄」の認識をそのまま表現した英語ではないか、というのが大友の結論だった。一九九八年、憲法九条制定経過の再検証を東京新聞、中日新聞に掲載するため、大友と第一生命ビルの「マッカーサー執務室」で会った。そのとき、大友は次のような感想を筆者に漏らした。
「日本のイニシアチブでできた憲法ではないが、第九条については、日本の首相の提案を米側が取り入れたことを若者たちに分かってもらいたい。私も米側の草案を見たときはおやっと思った記憶があるが、九条に背く行為はすべきでない。九条の精神を生かす国連の成長が待たれますね」

 現在、安倍政権下で集団的自衛権の立法化作業が進んでいるが、日本も含めて世界各国首脳に求められているのは「war is abolished」という時代認識ではないかと思う。



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