昭和8年(1933年)の教訓に学ぶ 宇治敏彦

  先に拙著(「政の言葉から読み解く戦後70年」新評論)の出版記念会があったとき、私はお礼の挨拶の中で「思想動向調査」という昭和期に発行された文部省思想局(当時)のマル秘文書「思想調査資料」を参会者に示して「昭和8年(1933年)について改めて研究すべきときではないか」と問題提起した。
  まず、昭和8年とは、どんな年だったか、概略を列記してみよう。
1月1日 日本軍が山海関で中国軍と衝突。関東軍が出動して3日に山海関を占領。
1月10日 東京商大教授・大塚金之助検挙、12日、河上肇検挙。
1月30日 ヒトラー、ドイツ首相に就任。3月5日の総選挙でナチス党が288議席の過半数(社
      民党は120、共産党は81議席)を獲得。
2月4日 長野県で教員などの一斉検挙始まる。4月までに65校、138人検挙(長野県教員赤
     化事件)
2月20日 閣議で国際連盟が日本軍の満州撤退対日勧告案(リットン報告)を採択した場合は
      連盟脱退を決定。作家・小林多喜二が検挙され、築地署で虐殺(31歳)
2月23日 日満軍、熱河省へ侵攻。
2月24日 国際連盟がリットン報告を42対1で採択。松岡洋祐日本代表が抗議して退場。
3月3日 三陸地方に大地震・大津波。死者約3,000人、流失倒壊家屋約7000戸。
3月27日 内田康哉外相が国際連盟脱退を通告。
4月10日 英国、日印通商条約破棄を通告。関東軍、華北へ侵入開始。
4月22日 文部省、京大の滝川幸辰教授の「刑法読本」を共産主義的であるとして辞任要求。
      5月26日、休職発令。法学部長以下が抗議して辞表を提出(滝川事件)。7月1日、
      京大、東大の学生らが滝川事件に関連して大学自由擁護連盟を結成。
6月   内務省が検閲制度の強化と出版警察の拡充をはかる。
8月9日 第1回関東防空大演習。同11日、信濃毎日新聞の社説に桐生悠々が「関東防空
     演習を嗤う」を執筆し問題化。
10月14日 ドイツが国際連盟脱退を通告。
11月28日 野呂栄太郎、検挙さる。翌年、獄死。
12月9日 陸軍・海軍が「軍部批判は軍民離間の行動で黙視できない」と共同声明。
12月23日 皇太子明仁(現天皇)誕生。

 こうした略史を見ただけで、日本が「軍部独走」のもとに、いかに国民の「自由を拘束」し「言論の自由」を弾圧し、国際的にも「孤立」していったかが一目瞭然だ。
 この昭和8年に私の父(宇治伸雄)は京大法学部に在学していた。当時、趣味で川柳をやっていた父は「三月は主義も引っ込む地獄かな」などと学生たちの苦しい立場を詠んでいる。父時自身も翌年の卒業時期に就職先がなく、名古屋タイムズ(後に新愛知と合併して中部日本新聞、今日の中日新聞)に入って大阪支社勤務となった。その大阪で昭和12年(1937年)に生まれたのが私である。この年、1937年7月7日には盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争が始まった。その予兆は既に昭和8年にあったのだ。私たちは昭和8年という時代を「反面教師」として学び直すべきだろう。





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