スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

好きな言葉③ いい人と歩けば祭 悪い人と歩けば修行  宇治敏彦

いい人と

 「人間国宝」だった瞽女(ごぜ)小林ハルさん(1900~2005)の言葉。下重暁子さん(作家、元NHKアナウンサー)が書いた「鋼(はがね)の女(ひと)」のモデル。瞽女とは「三味線を弾き、唄を歌うなどして米や金銭を得た盲目の女」(広辞苑)のことで、越後地方に多かった。篠田正浩監督の「はなれ瞽女おりん」という映画もある。下重さんの実家(新潟県高田)は瞽女たちが泊まる「瞽女宿」だったそうだが、今年3月、富山市で開催された日本ペンクラブ(浅田次郎会長)の「平和の日」集会で、1700年代から昭和期まで存在した瞽女の役割について下重さんは、次のように語っている。
 「瞽女さんをみんなが大事にした理由が3つある。一つは、昔は芸能をテレビで見るなんてことはなかったから、瞽女さんたちが来て、歌を聴かせてくれたりしないと、辺ぴなところでは聴けなかった。だから芸能者としてすごく大事にされた。その次には、巫女的な存在だった。養蚕をやっていた家が多かったですから、瞽女さんが来てくれると、その家のお蚕の糸の出が良くなるとか、そういうふうにお祈りしてもらった。3つ目は、これが面白いのですが、ニュースですね。瞽女はずっと歩いて来ますから、いろいろなことを見聞きしているわけです」
 「最後の瞽女」といわれた小林ハルさんは生後3か月で白内障により失明。5歳で瞽女修行をして8歳で初巡業に参加し、主として新潟、山形、会津などを回った。瞽女たちは集団で行動した。それだけに姉弟子が意地悪だと苦労し、気の良い仲間と一緒だと毎日が祭りのように楽しかったという。ハルさんが最初についた姉弟子は相当の意地悪をハルさんにしたらしい。それを「修行」と割り切って耐えに耐えたハルさん。この苦労があったからこそ「人間国宝」にもなれたのだろう。
 いじめに会わない子供はいないと思う。私も小学生の頃はチビだったし、よく学友から「ウジ虫、ウジ虫」などと苗字に引っ掛けていじめられたものだ。しかし、同時にそういう悪童に立ち向かって懲らしめてくれる友もいた。新聞社に勤めることになってからも同様だった。やっかみもあれば、足を引っ張る同僚もいる。と同時に、そんな同僚をたしなめ、自ら喧嘩を買ってくれた先輩もいた。それは全盲の瞽女・小林ハルさんの心痛に比べたら1万分の1程度の苦労だったかもしれない。しかし、「いい人と歩けば祭、悪い人と歩けば修行」を実感した。特に「悪い人」と一緒でも、そこで絶望せず、「これも修行のうち」と前向きに捉えて芸に打ち込んだハルさんを見事と思うし、その心意気に見習いたいと思う。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

magazinehaniwa

Author:magazinehaniwa
ブログ雑誌埴輪へようこそ!
埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
連絡先
 magazinehaniwa@yahoo.co.jp

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
FC2カウンター
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。