映画「海難1890」に見る人間愛   宇治敏彦

 久しぶりに「泣ける」映画を観た。「海難1890」(東映)の試写会だった。12月5日からロードショーが予定されている。
 1890年(明治23年)9月16日夜、紀伊半島沖で台風のために座礁・沈没したトルコ(当時はオスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号。587人の死者を出したが、69人が地元、和歌山県串本町(当時は大島村)の村人たち挙げての救援作業で救助された。一行は1887年、小松宮夫妻のイスタンブール訪問への答礼も兼ねてオスマントルコ政府が日本へ派遣したもので、明治天皇への表敬を終えて帰国の途中だった。
 串本の漁民をはじめ村長、医師、漁民から遊女に至るまでの救助活動と介護のお蔭で生存者69人は翌年1月、日本海軍の軍艦に乗って帰国することが出来た。いまでも5年ごとに串本町では慰霊碑の前でトルコ人犠牲者を悼む催事が行われているという。
 トルコ人の間で親日感情が強いのは、この難破事件に対する日本人の献身的な行動への感謝があるからだとされる。この話は筆者が今年、上梓した「政(まつりごと)から読み解く戦後70年」(新評論)でも「ナショナリズム(国家主義)以上に大事なヒューマニズム(人間愛)」の一例として紹介した。
 串本における村人たちのヒューマニズムは、95年後にトルコ人たちのヒューマニズムとして日本人に返ってくる。イラン・イラク戦争の激化で1985年(昭和60年)、当時テヘランに暮らしていた約500人の日本人にも避難勧告が出た。イラクのサダム・フセイン大統領(当時)が3月17日、「48時間後にイラン上空を無差別攻撃する」と宣言したからだ。しかし、当時は日本航空などがテヘラン空港に乗り入れておらず、日本からの救援機は飛んでこない。他国の便も自国民優先なので、338人の邦人が同空港で足止めを食っていた。野村駐イラン大使らはトルコに救援機を要請した。トルコのオザル首相(当時)はこの要請に応じて救援機をテヘランに飛ばした。多くのトルコ人もテヘラン空港で順番待ちしていたが、「自分たちは陸路脱出するから」と譲歩し、200人強の日本人が無事テヘランを離れることが出来たのだった。
 「国家」の存在は無論、重要であり、ナショナリズムが生まれるのも自然なことだ。と同時に、生きるか死ぬかという危機に直面した時には、その人の「国籍」よりも「一人間」としての存在が問われることになる。東日本大震災のような大惨事に遭遇した時の救助活動でも「日本人だから助ける。外国人は後回し」という選択ではなく「困っている人は皆助ける」というのが大原則だろう。そういう危機に直面した時に真価を発揮するヒューマニズムの力を忘れてはならない。日本人とトルコ人の心にあるヒューマニズムの力を描き出した「海難1890」は、乾き切った現代人の心に「人間性の原点」を蘇らせてくれた。
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 「学院28会」という早稲田大学付属高等学院の同窓会(昭和28年入学組)がある。11月16日夜、日本プレスセンタービルのレストランに14人が集まって同会がもたれたとき、押田重継君から「僕はブログ『埴輪』の愛読者だが、最近、更新されていませんね」と言われた。恐縮した。実は「埴輪」をやっている小榑雅章と宇治の二人が現在、出版用の物書きに追われており、ブログの更新作業にご無沙汰が続いています。発信したいことは一杯あるので、押田君のように、思いつたら開いて下さる読者をがっかりさせないよう努力いたします。
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