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出会った人々⑰ 村歌舞伎から日中友好まで幅広く活躍した 町医者・池田精孝さん 宇治敏彦

師走が近づくと毎日のように届く「喪中お知らせ葉書」。ああ、この人も逝ったのかと淋しい思いが募る。先日届いた「父 池田精孝が5月24日に91歳にて永眠いたしました」という池田秋比古氏からの葉書には、ひとしお強い寂寥感を覚えた。
 池田先生は、筆者が20年余り住んだ東京・調布市内で内科医を開業していた評判の「優しい先生」だった。同時に写真家でもあり、奥様の故郷・長野県大鹿村の村歌舞伎を撮り続け、信濃毎日新聞社から写真集「大鹿歌舞伎」を出版した。
大鹿歌舞伎は、村人たちが毎年春(5月)秋(10月)の2回、神社の境内で250年以上続けている素人歌舞伎で、ドイツやオーストリアで海外公演をした経験もあり、日本でも有数の村歌舞伎として知られている。1994年の秋公演に私も池田さんに誘われて文化部の米山郁夫記者とともに見に行った。
この時、長年の協力で大鹿村から池田先生に感謝状が贈られ、同時に村内に開館した郷土資料館「ろくべん館」(ろくべんとは段重ねの弁当箱のこと)で先生撮影の大鹿歌舞伎写真展も開催された。会場の市場神社には朝から多くの村人が参集し、庭一面に敷かれたゴザの上では午後1時からの開演を待ちかねるようにキノコ料理など満載の「ろくべん」弁当を食べていた。当日の出し物は「義経腰越状、泉三郎の段」などだったが、浄瑠璃を語る竹本登太夫は大鹿村文化財調査委員長の片桐登さんといった具合。村人たちが務める役者たちが舞台で大見栄を切るたびに大拍手で、おひねりの投げ銭がいくつも舞台に飛んだ。
 池田先生も長野県生まれだが、日本が旧満州の黒竜江省につくったジャムス(佳木斮)医科大学に学んだ。敗戦後、どうにか引き揚げて慈恵医大を卒業した。しかし旧満州でなくなった学友や日本人のことを思い、長野県日中友好協会の協力も得てジャムスに「日中友好」碑を建立するため70歳を過ぎても毎年のように中国東北部を訪れていた。「ようやく友好碑ができましてね」と報告に来られた時の嬉しそうな顔を忘れることができない。
 本業の内科医のほかに大鹿歌舞伎の記録写真、日中友好で実績を挙げた池田さんとは近年、年賀状の往来も途絶えがちだった。あの優しい人柄に触れられなくなって、ひときわ淋しい年の瀬になりそうだ。

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