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好きな言葉⑦ 死への旅仕度   宇治 敏彦

好きな言葉151226
 これを「好きな言葉」に入れるのは抵抗感があるが、今年の年末は例年以上に「喪中」葉書が多いので、歳末所感として書いてみた。正月休みには仕上げなければならない仕事が詰まっているので早めに500枚ほどの年賀状を書き上げて投函した。ところが、その後に「喪中」お知らせが何通も届くので、手際良すぎるのも考えものと反省した。
 並河信乃さんという行政改革の専門家が11月10日、旅先のプラハで急逝した。みつえ夫人からのお知らせによると「葬儀は現地の方々のご好意で音楽葬にて送ることができた」そうだ。並河さんは経団連の職員だったが、一番活躍したのは国鉄の分割・民営化を打ち出した第2次臨時行政調査会で土光敏夫会長の秘書をしていた頃だろう。筆者も当時、「特殊法人を斬る」という企画を担当していたので何回も並河さんと議論した。彼の行革論は「官の支配からいかに脱皮するか」が主題で、単純明快にして、ぶれないのが特徴だった。
 大分前に千葉県君津市に引っ込んだので「世をはかなんでいるのかな」と思っていた。今年の年賀状に「日本の前途にあまり期待がもてず、毎日ぐーたらな生活を送っております」とあったのも「並河さんらしくないな」と気にかかっていた。
 生産性本部職員から青森公立大の教授になり「コンパクトシティ(青森市の挑戦)」「政策を観光資源に」などの著作を発表していた山本恭逸教授が今年1月に63歳で急死したという知らせも驚きだった。今年の年賀状に拙著「実写1955年体制」(第一法規)の読後感として「同時代を生きた者として思い当たる事の多い現代史のテキストです。官僚制もまた無謬性と批判されましたが、再び復活していることが気がかりです」と書いてあった。16年間にわたる青森での学者生活を経て彼が地方再生にかけた意気込みが少しでも青森で実を結ぶことを祈りたい。
 読売新聞の政治記者として共産党、社会党など戦後革新勢力を取材し、日本大学新聞学科でも教えていた飯塚繁太郎さんは5月に86歳でなくなった。昔の読売新聞には飯塚さんのほか田村祐造、多田実といった革新勢力にも強い大物記者がいたものだ。1985年、飯塚、羽原清雅(朝日新聞)両氏と宇治の3人で「結党40年・日本社会党」(行政問題研究所)という本を出版した時、飯塚氏は社会党の党首としては河上丈太郎氏を一番高く評価していた。
 今年は、そのほかにも知己のある多くのジャーナリストが旅立って行った。「埴輪」同人の小榑雅章氏と会うと、「我々はあと何年生きられるだろう」という話になる。今年、出版した「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」(新評論)の表紙帯に「ジャーナリストの遺言」と打ったところ、多くの方々から「遺言は早すぎるじゃないか」とご指摘を受けた。筆者の気持ちとしては、寿命に関係なく「いまモノを言わずしてジャーナリストといえるか」という気持ちで「遺言」とした。多くの先輩や知人たちの死は、私にも「死への旅仕度」を怠るなと言っているように思える。

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