出会った人々⑲ 「あの元気な人が!」と絶句した南原晃さんの死   宇治敏彦

 「丸八会」という親睦組織がある。名古屋に勤務経験を持つ官僚、経済人、ジャーナリスト及びそのOBで作られている団体で、旧制八高にちなんだ名古屋の数字から「丸八会」という。名古屋、東京、大阪、福岡にそれぞれ拠点を持ち、毎月のように懇談会、勉強会、旅行、ゴルフ、囲碁、小唄、飲食といった会合が持たれる全国でも稀有な交友クラブだ。
  東京の総会に名古屋で「夜の商工会議所」との異名をとる高級クラブ「なつめ」のママ、加瀬文恵さん(俳優・宇津井健がなくなる当日に入籍したことで話題になった)たちが顔を出したこともあった。筆者は名古屋勤務ゼロだが、中日新聞社相談役としてメンバーに加えてもらっている。
 その東京丸八会で「これほど頭脳明晰で、タフで、健啖家で、おしゃべりなお年寄りがいるだろうか」と会員の誰もが思っていた南原晃さん(元日本輸出入銀行副総裁、元日銀理事)が今年2月15日、82歳でなくなった。その訃報に接した同17日の朝、「エー、嘘でしょ」と私は思わず叫んでしまった。昨年7月21日、日本プレスセンタービルで開かれた「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」(新評論社)という拙著の出版記念会にもおいでいただき、長い祝辞をいただいた。たまたま当夜は丸八会の会合と重なっていたが、それが終わってから駆けつけてくださったのだった。
 東大野球部の元主将(ポジションはセンター)で、2004年から全日本大学野球連盟の副会長を務めていた。経済の話もさることながら、野球の話になると止まることなく、特に近年は六大学野球で東大が好調な背景を延々と説明してくれた。
 拙著でも紹介したが、1951年に南原さんの父・南原繁元東大総長が日本の「全面講和」論を展開して吉田茂元首相から「曲学阿世の徒」と批判されたときの経緯について「実は父と吉田さんは仲良しでした」と次のような手紙をいただいた。
 「父はあくまで政治学者の立場から昭和21年8月『凡そ戦力なき国家は国家ではない』と発言、憲法9条について同じ反軍国主義の吉田首相をとっちめたことがあり、これが伏線となって曲学阿世の発言になったのです。父は勿論、ソ連との講和など無理と思っていたのですが、中国とは出来ればと思っていたようです。新聞紙上では対立がかっこうの記事となりましたが、吉田さんと父は年賀状の交換は絶やさず、同じく命がけで終戦工作をした吉田さんとは反軍国主義として親しみを感じていたようです。現実問題として安保条約についても反対していませんでした」
 手紙の末尾には「丸八会でお目にかかるのを楽しみにしています」とあった。その丸八会では昨年8月26日、東京では一番古い本格派イタリアンの店「アントニオ南青山」で開催された飲食(おんじき)の会でお目にかかったのが最後だった。この時も南原さんは小生と堀川健次郎氏(元日経新聞経済部長、クイック特別顧問)を相手に赤ワインを何杯もおかわりし、美味なイタリアンを完食しながら独自の経済論を披露してくれた。
 「この人は、ひょっとしたら死なないのではないか」と思ったぐらいだ。ところが最近届いた南原さんの3人の子息連名のお知らせによると、南原夫人の富貴子さんが昨年9月9日、旅行先のロシアで心臓発作で他界、南原さん自身も昨年末の入院でステージ4の肺腺癌と診断され、退院される間もなく他界されたのだという。奥様の外国での不慮の死も堪えたに違いない。大好きな六大学野球のシーズン開幕を見ることなく旅立たれのは心残りだったに違いない。生前のご厚誼に感謝し、心から哀悼の意を表したい。
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