悲し過ぎるよ、舛添さん   宇治敏彦

 政治資金流用疑惑で、その公私混同ぶりが厳しく批判されている舛添要一東京都知事の進退問題がヤマ場に差し掛かっている。まんざら知らない仲でもないだけに「舛添さん、潔い責任の取り方を見せてください。それしか舛添要一の名が穢れていくのをストップする道はないですよ」と言いたい。
東大教養学部の助教授をしていた舛添氏ら若手政治学者を囲んで定期的な勉強会をもっていた時期がある。当時の舛添氏は西部邁氏(当時、東大助教授)らとともに「東大改革」を掲げて売り出し中の若手国際政治学者だった。1989年、東大を退官して舛添政治経済研究所を立ち上げ、「朝まで生テレビ」などで名前を売った後、2001年参院選では自民党比例候補として立候補。158万8862票でトップ当選を果たした。以後、安倍、福田、麻生内閣で厚生労働大臣を歴任。そして猪瀬直樹前知事の辞任に伴う2014年2月の東京都知事選では211万2979票を獲得して宇都宮健児(元日弁連会長)、細川護煕(元首相)、田母神俊雄(元航空幕僚長)候補らを破り初当選した。政治思想的には「保守改革派」で、「改革クラブ」「新党改革」を立ち上げたこともある。
私生活に関して筆者は詳しく知らなかったが、1986年、旧大蔵省のエリート官僚だった片山さつきさんとの結婚披露パーティーには招かれて出席した。仲人を務めた近藤鉄雄自民党代議士(当時)が「新郎新婦は共に大変忙しいお仕事を持っているので、すれ違いの新婚生活になるでしょう。しかし、それが夫婦円満の秘訣です」と挨拶して来会者の笑いを取ったことを思い出す。
当時、舛添氏が尊敬していた人に北原秀雄・元フランス大使がいた。「北原さんには本当にお世話になった。北原さんの御用命だったら、いつでもフランスへ飛んでいくよ」と言っていたぐらいだ。1973年にパリ大学客員研究員になり、フランス人女性と結婚した際も北原大使に御世話になったのだろうと想像した。片山さんとは2度目の結婚だったが、週刊誌等の報じるところによると、再婚後5か月ぐらいで別の女性と親しくなり婚外子(男性)をもうけたという。さらに現夫人との3度目の結婚でもうけた子どものほかにも別の女性と婚外子がいると報道された。プライベート面では「改革派政治家」というイメージと大きくかけ離れて、出生地・福岡で認知症になった晩年の母親介護をめぐる実姉とのドロドロの葛藤劇、自閉症になった婚外子男性の養育費・医療費をめぐる元彼女とのトラブルなど想像を絶する人生をたどって来た。
「公職」を表、「私生活」を裏とすれば、表の顔は清新な改革派で、裏の顔はしたたかなドンファン(漁色家)といえるかもしれない。その相反する性格が今回の公私混同疑惑と関係があるのではないかと筆者は見ている。つまりお金とか女性に対する「潔癖性」に乏しく、ご本人も自ら理路整然と外部に説明できないことを自覚しているに違いない。
舛添氏が都知事になった直後、私は「舛添東京都政への期待と不安」という一文を書いた(「行政&情報システム2014年4月号)。
期待は①待機児童問題の早期解決②首都直下型の巨大地震対策③東京オリンピック・パラリンピックの成功。そして不安はトルコやインドネシアの国家予算と同規模の予算を動かしている東京都庁の抜本改革をタレント政治家というだけでは出来ないという指摘だ。この記事は舛添知事が同年、日本記者クラブの会見に来訪した際に直接手渡した。「宇治さんのことだから誉めては書いてないよな」と苦笑いしながらポケットにしまっていた。
今度の一連の問題で私が指摘した「期待」は実現が難しくなったと思う。投票してくれた211万人強の東京都民だけでなく、16万人超の都職員(警察官など含めて)の信頼も失ってしまったからだ。まだ67歳の舛添さん、ここは公私混同の弁済をキチンと済まし、「人生を一からやり直す」決意を今都議会で表明する以外に、貴方の生きる道はないのではありませんか。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

magazinehaniwa

Author:magazinehaniwa
ブログ雑誌埴輪へようこそ!
埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
連絡先
 magazinehaniwa@yahoo.co.jp

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
FC2カウンター
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR