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出会った人々(20)                                                     遺作になった若宮啓文氏の「ドキュメント 北方領土問題の内幕」     宇治敏彦

 気心の知れたジャーナリスト仲間が次々に亡くなっていくのは淋しい限りである。今年4月、北京で急死した若宮啓文氏(68歳。日本国際交流センターのシニア・フェロー、元朝日新聞主筆)もその一人だ。昨年春、故鈴木善幸元首相のさち夫人が亡くなった時は一緒に経堂の鈴木邸で善幸さん夫妻の長男・鈴木俊一自民党代議士らを交えて「突然の鈴木首相退陣表明」の思い出話に花を咲かし、秋には日本記者クラブでの「戦後70年シリーズ」会見に相前後してスピーカーとして登板した。彼は朝日の政治記者、論説主幹、主筆として常にリベラルな立場で論陣を張る一方、ソウルに語学留学した経験をもとにサッカー・ワールドカップの日韓共同開催、大野伴睦流の「竹島爆破論」を提起するなど日韓両国の平和共存を主張し続けた。それらが韓国側にも評価され7月29日、帝国ホテルで開かれた偲ぶ会には朴槿恵大統領からの叙勲が届けられていた。
この偲ぶ会で約500人の出席者に配られたのが若宮氏の遺作となった表記の出版「ドキュメント 北方領土問題の内幕」(筑摩書房)である。これは彼が書くべくして書いた本だ。というのも父親・若宮小太郎氏(元朝日の政治記者)は鳩山一郎内閣の発足後、首席秘書官になり、1956年の鳩山訪ソにも同行して日ソ共同宣言の調印を側面援助した。当時の鳩山内閣では河野一郎氏(元朝日新聞記者)が農相を務めており、鳩山訪ソ前に漁業交渉でブルガーニン首相、イシコフ漁業相とやり合っていた。
河野一郎氏の子息・河野洋平氏(元衆院議長)は偲ぶ会で来賓として挨拶し「父も鳩山首相や若宮小太郎氏と日ソ共同宣言に努力した仲だが、膨大な河野資料が昨年亡くなった石川秘書の手元にあり、それを若宮啓文さんに見てもらったことが今回の出版のきっかけになった」と説明した。
 戦後内閣の外交実績では「吉田茂の日米安保」「鳩山一郎の日ソ共同宣言」「佐藤栄作の沖縄返還」「田中角栄の日中国交正常化」が目立つが、反共主義者の鳩山首相がなぜ「日ソ」だったのか。同著で若宮氏は3つの理由を指摘している。
 「一つは、いまだシベリアに抑留されている旧日本兵たちの存在だった。 (中略) 情にもろく
『友愛』を看板にしていた鳩山は、シベリア抑留兵の帰還なくして『戦後は終わらない』と考えた」
 「二つ目は国連への加盟だ。(中略)鳩山はソ連との戦争状態にピリオドを打ち、国連加盟を認めてもらいたいとの思いを強くしていた」
 「そして三つ目だが、おそらくより根本的には徹底的なアメリカとの協調路線をとって『反ソ』を貫いてきた吉田外交への対抗心だ」
 また鳩山の「日ソ復交」は田中角栄の「日中正常化」と重なり合うと若宮氏は指摘する。「アメリカの思惑を超えて行われたことや、党内の激しい抵抗にあったことも共通しているから」と書いている。
 確かにソ連との国交回復には吉田茂、池田勇人など「保守本流」といわれた親米グループが強く反対し、また重光葵外相は河野一郎農相が外交には素人だとして鋭く対立した。外交交渉の裏側では、常にこうした政治家同士の葛藤があったことを本書は具体的に記述している。
 若宮氏自身も朝日主筆時代の2012年3月、各国記者との共同会見でロシアのプーチン首相(当時)から北方領土問題について「引き分け」という柔道用語を引き出している。日ソ共同宣言から満60年に当たる今年、安倍晋三首相は9月にもプーチン大統領の来日を実現し、本格的な領土協議に入りたい意向だが、若宮氏の遺著を読んでおくことを薦めたい。

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