利根川の落ち鮎を食べながらの前橋支局OB会   宇治敏彦

 9月の3連休を利用して群馬県渋川市大正橋脇の落合簗(おちあいやな)で、1960年代(昭和30年代後半)に東京新聞前橋支局に勤務した男たち6人が落ち鮎を肴に昔話をする会合が開かれた。このOB会は1997年以来、伊香保や赤城などで何回かもたれ、八ッ場ダム工事現場の視察などもしたが、今回は少し趣向を変えて渋川通信部の経験者でもある倉林昭次幹事(89歳)の御世話で9月一杯が限度という落ち鮎を味わう会になった。これが最後かもしれないというので当初は12人が参加予定だった。しかし、そこは「腰が痛くて」とか「親戚で不祝儀があって」などと年配者らしい事情が重なって当日には参加者が半減した。
 JR渋川駅からタクシーで15分程度の利根川河川敷にある落合簗からは榛名山が一望出来る。川風を受けながらの会食は賑やかな昔話とともに楽しい時間があっという間に過ぎていった。子持ち鮎の塩焼き2本、魚でん1本、フライ1本、酢の物などに鮎酒。一番うまいのは、やはり塩焼きであった。鮎酒は初めて飲んだ。焼いた鮎を丸ごと1本入れる横長の特製容器で供される燗酒だが、後で中の鮎を食してみたところ、これはそう感心する味ではなかった。
 3連休のせいか、170人は座れるという大座敷もほぼ満席だった。年長ぞろいの我々の個室には椅子も用意されて、瞬く間に3時間が過ぎた。話といえば当然、同僚たちが現役として活躍していた支局時代のことだが、やはり谷川岳遭難者の取材が皆の記憶に強く残っていた。谷川岳一の倉沢で宙吊りになった登山者(遺体)を収容する手掛かりがなく、最終的には自衛隊が出動して銃でザイルを撃ち、遺体を収容した事件が最も有名だ。そのほかにも谷川のマチガ沢でヘたった女性登山者を男性リーダーがザイルを持っていなかったので、自分の革バンドをはずして引き上げようとして起こした事件もあった。バンドが古かったので、引き上げる途中で切れてしまったのだ。リーダーは過失致死容疑で沼田署に送検されたが、最終的には前橋地検で起訴猶予処分になった。
 当時、東京新聞の前橋支局長だった宮路一男氏(故人)が山好きだったこともあって、谷川で事件があると、すぐに沼田通信部の応援に駆り出された。後に私の後任として前橋支局に赴任してきた成川隆顕氏(日本山岳会幹部で、今年から始まった祝日「山の日」の推進役の一人)のような山登りのプロにとっては谷川取材は何の苦もなかったろうが、正直いって運動嫌いの私のような者には谷川岳の遭難事件取材は苦手だった。その成川氏から山の話だけでなく、東京オリンピックの時、マラソンのアベベ選手を取材した時の秘話などを聞いているうちに鮎料理もすべてお腹の中に納まって、OB会はお開きとなった。
 さて来年は、OB会を開けるかどうか分からない。だが皆が元気なうちは、私たちジャーナリスト人生の原点で、決して経済的には豊かではなかったものの、毎日がピカピカと輝いていた支局仲間の会を持ちたいものだと思っている。
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