鉄が勝つか、木が勝つか    宇治 敏彦

 昨年出版した拙著「版画でたどる万葉さんぽ」(新評論社)に三重塔再建に賭けた法輪寺(奈良県斑鳩町)の井上慶覚和尚(故人)の熱意について書いた。この塔は世界最古の木造の三重塔といわれたが、1944年(昭和19年)7月、落雷で全焼した。筆者は高校時代に法輪寺に何日もお世話になり、当時は健在だった慶覚和上から三重塔再建への熱意をうかがった。和上の「夢」という揮毫を便箋にして再建費の一助にしたいというので、筆者は慶覚さんの書を版画に彫るなど、ささやかな協力をさせてもらった。作家の幸田文さんは私財を投じて協力し、東京から斑鳩に移り住んだほどだった。三重塔は1975年(昭和50年)3月に創建当時の姿で再建されたが、残念なことに井上慶覚さんは、その6年前亡くなっていた。
 以上が私の書いた一文の概要だが、昨年末、これを読んだ長谷川隆さん(共同通信社OB)から「伊東光晴氏が『技能に生きる世界』という一文で法輪寺の三重塔再建に関する裏話を書いていますよ」と教えてくれた。彼が親切に贈ってくれた「君たちの生きる社会」(伊東光晴、ちくま文庫、1978年)からその部分を引用する。
 「設計者は竹島卓一博士。つくった棟梁は、法隆寺大工西岡常一さんです。しかし、ここに問題がありました。先代の住職さん(注:井上慶覚さんのこと)は西岡さんに、あなたの思いどおりにつくりなさいといったのだそうです。しかし竹島博士の設計図を見たとき、西岡さんは、このとおりやれというのならばやめさせてもらいますといってことわったのです」
 「現代の構造力学上からいうと、昔の設計図に無理がある」と竹島博士は「補強として鉄を使う設計図を描いた」。これに対して西岡大工は「なるほど鉄は力が強い。しかし生命力がない。(近くの)法華寺の三重塔は明治30年の解体修理で鉄のボルトが使われたが、すでに錆びてねじやまがきかなくなっていて塔をゆがめる原因になった」という。
 長い論争の結果、「必要最低限の鉄材をつかう」ことで妥協した。西岡氏は法輪寺三重塔の建設材として樹齢1500年のヒノキを求め日本に限らず台湾まで行ったという。「私の考えが正しいか、竹島先生の考えが正しいか、それはやがて歴史が証明するであろう」と言った、と伊東氏は同著に書いている。
 設計者が正しいか、大工の棟梁が正しいか――。残念ながら両氏だけでなく、私も含めて、その「判定」は後世の日本人に委ねる以外にない。

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