「生き急いだ人」と「死に急いだ人」  宇治敏彦


 日本人の平均寿命は男性79歳、女性85歳(2006年時点)と長寿先進国だが、そこまで生きずに「死に急ぐ人」や「生き急ぐ人」がいる。「死に急ぐ人」とは、肉体的に、まだ十分生きられるのに無謀登山で命を絶ったり、人生に絶望して自殺する人などを指し、「生き急ぐ人」とは自らの死を予感してか、あれもやる、これもやると他人の2倍も仕事をして結局は死期を早める人のことである。
 前回、故重本勝弘さんのことを「生き急いだ」と書いたが、政治家でいえば田中六助氏(元通産相、元自民党幹事長)は「生き急いだ」人の典型だろう。1923年(大正12年)福岡県田川に生まれた、いわゆる「川筋男」。海軍飛行予備学生から特攻隊の教官となり、自らも特攻出撃の予定だったが、終戦で命拾いした。戦後は早稲田大学新聞学科に学び、日本経済新聞政治部記者を経て1963年の衆院選で初当選。池田派、大平派の議員として活躍し官房長官、通産大臣などを歴任した。1982年、中曽根内閣誕生直後の本会議で自民党政調会長として代表質問に立ったが、当時、白内障が悪化しており、大きな字しか読めなかった。このため田中氏は質問内容を一字10センチぐらいの大きさで書いた帖(折本)を何冊も持参して登壇したが、その字すらろくに読めず立ち往生した。ここからが川筋男の六さんらしい。名誉挽回と翌年、再度、代表質問に立ち、今度は台本なしで暗記した質問を見事やってのけた。さらに幹事長になってからも糖尿病が悪化して入院生活を送ったが、その間に自民党本部が火災になる事態が発生し病院から夜抜け出して消火作業を見つめる田中氏の姿が印象的だった。政治家としては毀誉褒貶のある人だったが、「僕は長生きしたいとは思わんのよ」というのが口癖だった。恐らく特攻隊の生き残りという意識から、だらだら長生きはしたくない、短くても精一杯生きるとの決意だったのだろう。1985年、62歳の若さでなくなった。
 一方、「死に急いだ人」としては文芸評論の江藤淳氏が思い浮かぶ。国語審議会(現在の文化審議会)の委員としてご一緒させていただいたが、発言が常に明快で、あいまいな部分がなかった。慶應大学在学中から夏目漱石論で注目を浴び、大学院では文芸評論で原稿料を稼いでいると教授会から退学勧告を受けたが、授業料だけ払って登校を拒否したという。大学の同級生だった慶子夫人が1998年に病死してからは急激に元気を失い、死に急いだ感がある。翌年、剃刀で手首を切って自殺した。66歳だった。プロ野球が好きで神谷不二慶大教授と三人で名古屋ドームへ中日・巨人戦を観に行く約束をしていたが、実現しないうちになくなったのは返す返すも残念である。
 「生き急いだ人」「死に急いだ人」とともに忘れてはならないのは「死に急がされた人」のことである。「一体私は陛下の為に銃をとるのであろうか。或は祖国の為に又或は私にとって疑ひきれぬ肉親の愛のために、更に常に私の故郷であった日本の自然の為に、或はこれら全部又は一部の為にであろうか。然し今の私にはこれ等の為に自己の死を賭すると言ふ事が解決されないでゐるのである」(原文のまま)
 先の大戦においてフィリッピンで戦死した東大法学部学生、菊山裕生さん(23)が書き残した一文である(戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」から)。このメルマガを一緒にやっている畏敬の友・小榑雅章君のお父上も太平洋戦争でなくなっている。小榑君はいまだに靖国神社に行かない。やりたいことがあっても出来ない、生きたくても生きられない。国の方針で「死に急がされた」人々を心から慰霊し、敬う場を設けるべきではないか。
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