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ダイエーの中内功さんと靖国神社

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が、今年も4月22日朝、春の例大祭に合わせて衆参両院の59議員が靖国神社を参拝したとニュースが報じていました。
宇治君が20日のこのブログに書いた<「生き急いだ人」と「死に急いだ人」>の中で触れたように、私は、靖国神社にけっして近づきません。
じつは、私の人生の中で、直接きわめて親しく仕えた方は二人いますが、その二人とも、靖国神社にはけっしてお参りをしませんでした。
その一人は、暮しの手帖の花森安治さんであり、もう一人はダイエーの創業者の中内功さんです。
中内さんは、昭和20年1月、フィリピン・ルソン島で米軍と8ヶ月に亘り戦いました。敵の手りゅう弾が至近で破裂して大腿部と腕に破片が突き刺さり、瀕死の重傷を負いました。一緒に風呂に入ったときに、「ここにまだ破片が入っているんだよ、レントゲンでみると分るよ」と言って笑って見せてくれましたが、その戦場は、敵と砲火を交えて戦うというより、餓えとマラリアとの闘いで、まさに生き地獄だった、と話していました。
独立混成第五十八旅団重砲兵611人のうち、本土に帰還できたのはわずか118人、10人のうち8人は、帰れなかった。「なんとしても、生きて帰ろうな」と誓い合った戦友のほとんどが、帰れなかった---
このことを話す中内さんは、本当に悲痛な面持ちを隠しませんでした。
 あれほど帰りたかったのに、帰れなかった戦友たちは、みなヤスク二にいる、おれは死なずに帰ってきておめおめと生きている、もしヤスクニに行ったら、帰れなかったみんなに顔向けができない、みんなから、なぜおまえは生きているんだと、どれほど責められるか分らない、だからおれはヤスクニには行かない、行くのかこわい、絶対に行かない----。
 昭和32年に大阪の千林ではじめた小さな薬屋を、日本一の大小売業に仕立て上げたこの一代の風雲児が、どれほどの痛恨をいだいてヤスクニを思い、戦後を生きてきたか、私は、中内さんを思い出すたびに、ヤスクニを思います。そして5年前に卒然とあの世に旅立って、今頃はやっとヤスクニの肩の荷を下ろして、楽になっているのではないかと思っています。

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