「嫌なことは先に済ませる」 福井謙一博士の流儀  宇治敏彦


 ゴールデンウイークを利用して京都へ旅した折に、久しぶりで鹿ケ谷の法然院を訪ねた。青もみじに囲まれた古刹に私が特別な思いを抱くのは、ノーベル化学賞受賞者・福井謙一博士の墓があるからだ。25年ほど前に、私はノーベル賞学者の教育論を聞き出すために京都に通いつめた。「フロンティア軌道理論」というノーベル賞の対象になった理論を、およそ理科系とは縁遠い新聞記者に解説するのに苦労されたと思う。約30回の連載取材を通じて博士の生き方には、幼少時から積み重ねられた「福井流」みたいなものがあるなと私は察知した。なかでも印象深く残っているのは「嫌なことは先に済ませる」という流儀である。たとえば学校から帰ったら短時間で宿題を済ませてから遊びに行くとか。食べ物でも好きなものから先に食べるか、嫌いなものから先に食べるかで迷う経験をしたことが誰にもあると思うが、福井流でいけば嫌いなものを先に食べ、好きなものは最後にゆっくり味わいながら食べるというわけだ。
 博士は決して多弁な人ではなく、むしろ話を引き出すのに苦労した。そのことを友榮夫人にぼやくでもなくつぶやくと、ある秘訣を教えてくれた。「テレビドラマの『水戸黄門』が大好きなのよ。『のど自慢』も好きよ」。インタビュー中に会話が途絶えると、私は話題を転じて「水戸黄門」という印籠を突きつけては博士の口をなめらかにした。また日曜日の昼にNHKテレビの「のど自慢」を見てからインタビューに入ったりした。博士は愛妻家であり、同時に良い意味での恐妻家でもあった。友榮夫人のヒントのお陰で私は福井博士のロングインタビューを無事に終えることが出来た。インタビューは新聞に掲載されたほか「教育への直言」(パンリサーチ)として1985年に出版された。福井博士は1998年になくなったが、友榮夫人は今もお元気だ。数年前、「ひたすら」(講談社)という本を出版され、福井博士に関するさまざまな秘話を披露している。
 法然院には河上肇や谷崎潤一郎の墓もある。福井家の墓には、脇に「智自在」と福井博士の文字を刻んだ石碑が立っている。「嫌いなことは先に済ませる」という福井流の学究姿勢が「智自在」を生み出し、ノーベル化学賞の「フロンティア軌道理論」にも結びついたのであろう。青もみじの中で手を合わせて四半世紀前の取材を思い出しながら福井博士のご冥福を祈った。
 

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